引き続き、神の心に関する文面⑭ に進みます。
今回は、黄金の巻(コガネの巻)の文面を三つ御伝えします。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、
拍手は清め(キ四め)でもありますが、神様との約束固め、でもある、という事が一つ。
もう一つは、悪平等は、世界丸(〇)(⦿)つぶれのたくらみ、という事です。
他にも、御自身の理解、体験が進むにつれて、同じ文面の持つ意味も変わっていく、そういった文面が一つありました。ウシトラコンジン様の理解、についてです。
それでは、黄金の巻(コガネの巻)の三つの文面をお伝えしていきますね。
1.黄金の巻(コガネの巻)第七十六帖 拍手は清めですが、神様との約束固めでもあります。
Ⅰ.真理(二二)を知って、よくならなかったら、よく省みて下さい。
●真理を知って、よくならなかったら、よく省みよ。よくなるのがマコトであるぞ。悪くなったら心せねばならん。
真理(二二)を知って、よくならなかったら、よく(四九)省みて下さい。
よく(四九)成るのが、マコト(〇九十)です。
悪くなったら心せねばなりません。
Ⅱ.善人が苦しむ事がありますが、目の前のおかげでなく、永遠の立場からよくなるおかげがマコトのお蔭です。
●善人が苦しむことあるぞ。よく考へて見い。長い目で見てよくしようとするのが神の心ぞ。目の前のおかげでなく、永遠の立場から、よくなるおかげがマコトのおかげ。
善人が苦しむことはあります。
此の道に進む者も、必ず苦しみを体験、伴っていきます。
よく(四九)考へて見て下さい。
長い目で見てよくしようとするのが神の心です。
目の前のおかげでなく、永遠の立場から、よくなるおかげがマコト(〇九十)のおかげ、です。
Ⅲ.神徳は重いですが、貫きて下されたら、永遠(トワ)(十㋻)にしぼまん九の花と成ります。
●神徳は重いから腰ふらつかんやうにして下されよ。その代り貫きて下されたら、永遠(トワ)にしぼまん九の花となるぞ。二二(フジ)に、九(ク)の花どっと咲くぞ。
この文面も初めて、ではないかとみています。
神徳は重いので、腰ふらつかんやうにして下されよ、と伝えられています。
その代わり、貫きて下されたら、永遠(トワ)(十㋻)にしぼまん九の花(八七)と成ります。
二二に九の花(八七)、どっと咲きます。
Ⅳ.拍手は清めですが、神様との約束固めでもあります。
●拍手は清めであるが、神様との約束固めでもあるぞ。約束たがへるでないぞ。
この文面は、マンデラ・エフェクトと見ます。
拍手は清めですが、神様との約束固めでもあります。
ですから、日々の礼拝は、誓の言葉は、神様との約束固め、という事でもあります。
御自身がしました約束はたがへないように進めて下さい。
2.黄金の巻(コガネの巻)第八十八帖 悪平等は、世界丸(〇)(⦿)つぶれのたくらみです。
Ⅰ.それぞれ、差があってこそ平等です。
●日本は日本、唐は唐、オロシヤはオロシヤ、メリカキリスはメリカキリスぢゃ。分けへだてするのは神の心でないと申す人民 沢山あるが、世界は一平ぢゃと申して、同じことぢゃ、同じ神の子ぢゃと申してゐるが、頭は頭、手は手、足は足と申してあらうが。
日本は日本、唐は唐、オロシヤはオロシヤ、メリカキリスは、メリカキリスです。
以前は、メリカキリス、という表現は無かったと思います。メリカ、キリスそれぞれ分けていましたが、もう共同体扱いですね。
共同体扱い、のは和していく事の始まりともいえるかもです。
分けへだてするのは神の心でなないと申す人民 沢山ありますが、世界は一平と申して同じことです。
同じ神の子、と申してゐるが、頭は頭、手は手、足は足、です。
それぞれ、差があってこそ、平等です。
Ⅱ.悪平等は、世界丸(〇)(⦿)つぶれのたくらみです。
●同じことであって同じでないぞ。悪平等は悪平等ぞ。世界丸つぶれのたくらみぞ。この道理よく心得なされよ。
同じことであっても同じではないのです。
一例として、同じ事をしていても、心の内、それまでの体験によって、持つ意味、実際起こる事も全く違うという事です。
此の道に進んで行きますとこの体験をしていきますが、理解、体験を通してからの取り組みは、同じ行動でも、そこまでの理解、体験が非常に重要なのです。
ですから、省みる、です。省みる事で、同じことしていても全く違うのです。
このように結果に囚われますと、悪平等思考、志向になりがちです。
これが、世界丸(⦿)(〇)つぶれのたくらみです。
世界丸つぶれ、と以前は似たような表現があったと見ますが、世界丸つぶれ、は今回が初めてと見ます。
悪平等は、⦿、〇をつぶします。
・が無いからです。
・が無いので、しきまきや、くにつつみ、を不要の世界と進むのです。
それが81の世界に進みます。
この道理よく(四九)心得なされて下さい。
Ⅲ.総てのものを先ず感受して下さい。その後に感謝して下さい。感謝すれば弥栄します。
●総てのものを先づ感受せよ。その後に感謝せよ。感謝すれば弥栄えるぞ。
総てのものをまず感受してください。
どのような事でも、感謝の対象としていく事が求められます。
御自身の外の世界から迫ってきた事は、全て、御自身の内に原因がある事は間違いありません。
それは、御自身の未来を変える元になるからです。(突き詰めますと、過去もですが)
如何なる結果であっても、どのような苦しい結果であっても、その後に感謝してください。
感謝しますと、御自身が弥栄する流れとなります。
3.黄金の巻(コガネの巻)第九十六帖 ウシトラ(ウ四十〇)コンジン様を先ず理解してください。われよしでは拝めないコンジン様です。
Ⅰ.ウシトラ(ウ四十〇)コンジン様を先ず理解してください。われよしでは拝めないコンジン様です。
●ウシトラコンジン様を先づ理解せよ。どんなことでも叶へてやるぞ。理解するには、理解する心、先づ生まねばならん。われよしでは拝めんコンジンさまぞ。
ウシトラ(ウ四十〇)コンジン様をまず理解してください。
どんなことでも叶へて頂けます。
しきまきや、から神様を生み出す神様です。
ウシトラコンジン様を理解するには、理解する心、先ず生まねばなりません。
ですから、先に相手を理解しようとする事が求められます。
この上で、行が求められます。
この行を進めていく事で、理解する心が生まれるようになります。
ですが、中には、嬉しきビックリで起こる事もあります。
分からないを理解していく事も体験していく事が求められます。
それは、われよしでは拝めんコンジン様です。
Ⅱ.生きとし生けるもの悉く、よりよく成るように働いてゐます。それが神の心、みいつ(三四五)(三出づ)です。弥栄です。
●天地総てのもの、生きとし生けるもの悉く、よりよくなるやうに働いてゐるのであるぞ。それが神の心、稜威(みいつ)ぞ。弥栄と申すものぞ。
天地総てのもの、生きとし生けるもの悉く、よりよくなるやうに働いてゐる、事が判ってきます。
それが神の子の心であり、みいつ(三四五)(三出づ)です。弥栄です。
Ⅲ.悪いキで拝めば、どんな立派な神前でも、悪神が感応します。
●その時、その人間のキに相応した神より拝めん。悪いキで拝めば何んな立派な神前でも悪神が感応するのぢゃ。
その時、その人間のキに相応した神より拝めないようになっています。
悪いキで拝めば、どんな立派な神前でも、悪神様が感応します。
Ⅳ.悪神拝んでも、正しき愛、喜びあれば、それぞれの善き神 現れるようになっています。
●悪神拝んでも正しき愛と喜びあれば、善き念が通ずるならば、悪神引込んで、それぞれの善き神 現はれるのぢゃ。この道理よく心得よ。
悪神様拝んでも、正しき愛と喜びありましたら、善き念が通じるのであれば、悪神引っ込んで、それぞれの善き神様、現れます。
この道理よく心得て下さい。
普段周囲にいます人も同じです。
人に限らず、あらゆる存在にも当てはまります。
4.まとめ
真理(二二)を知って、よくならなかったら、よく省みて下さい。
よく(四九)成るのが、マコト(〇九十)です。
悪くなったら心せねばなりません。
善人が苦しむ事がありますが、目の前のおかげでなく、永遠の立場からよくなるおかげがマコトのお陰です。
神徳は重いですが、貫きて下されたら、永遠(トワ)(十㋻)にしぼまん九の花と成ります。
拍手は清めですが、神様との約束固めでもあります。
日々の礼拝は、誓の言葉は、神様との約束固め、でもあります。
日本は日本、唐は唐、オロシヤはオロシヤ、メリカキリスはメリカキリス、と、分けへだてするのは神の心でないと申す人民 沢山ありますが、それぞれ、差があってこそ、平等です。
同じことであっても同じではないのです。
悪平等は、世界丸(〇)(⦿)つぶれのたくらみです。悪平等は、⦿、〇をつぶします。
総てのものを先ず感受して下さい。
御自身の外の世界から迫ってきた事は、全て、御自身の内に原因がある事は間違いありません。
如何なる結果であっても、どのような苦しい結果であっても、その後に感謝してください。
感謝すれば弥栄します。
ですから、省みるが、大切なのです。
ウシトラ(ウ四十〇)コンジン様をまず理解してください。
どんなことでも叶へて頂けます。しきまきや、から神様を生み出す神様です。
この理解体験を進めていく事が求められます。
われよしでは拝めんコンジン様です。
生きとし生けるもの悉く、よりよく成るように働いてゐます。それが神の心、みいつ(三四五)(三出づ)です。弥栄です。
悪いキで拝めば、どんな立派な神前でも、悪神が感応します。
悪神拝んでも、正しき愛、喜びあれば、それぞれの善き神 現れるようになっています。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。