引き続き、神の心、に関する文面⑯ に進みます。
白銀の巻(シロガネの巻) 第一帖 その2、ですが、今回は、三界和合の事を中心にお伝えしています。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、タカミムスヒとカミムスヒ、だけでなく、別のミナカヌシ、現はれる、というものです。
それは、三界和合によって現れます。
その三界和合の在り方について、今回はあらゆる角度から伝えられています。
陰陽二元ではなく、三元である事。
八人であり、十人であり、十二人である事。
その和合が改心である事。
その結果、心を善、肉体悪が間違ひであること、一切がよいこと、地獄ないこと、悪抱き参らせよと申してあること、三界和合で合点できること、をお伝えされています。
それでは、白銀の巻第一帖のその2に入りますね。
- 1.白銀の巻(シロガネの巻) 第一帖 その2 タカミムスヒ、カミムスヒ、だけでなく、別のミナカヌシ、現はれます。
- Ⅰ.生れ赤児の心になって聞いて下されましたら、何も彼も、ハッキリうつります。
- Ⅱ.タカミムスヒ、カミムスヒ、だけでなく、別のミナカヌシ、現はれます。三界和合から三つ目が現れます。
- Ⅲ.一切は、三界和合から、三が道から現れます。
- Ⅳ.陰陽二元ではなく、三元です。・がなくては成りません。
- Ⅴ.そなた(そ、七、十)達は、父と母と二人から生まれたのではなく、三人から生まれ出ています。
- Ⅵ.そなた(そ、七、十)達の中には、限りなく人が住んでおり、人民の中に此(九)の方がゐます。
- Ⅶ.守護神と申すのは心のそなた(そ七十)達です。段々変わり、八人、十人、十二人でもあります。
- Ⅷ.自分と自分の和合とは、八人十人の(そ七十)達の和合です。三界和合であり、それが改心であり、善といいます。
- Ⅸ.心を善肉体悪が間違ひであること、一切がよいこと、地獄ないこと、悪抱き参らせよと申してあること、三界和合で、合点できます。
- 2.まとめ
1.白銀の巻(シロガネの巻) 第一帖 その2 タカミムスヒ、カミムスヒ、だけでなく、別のミナカヌシ、現はれます。
Ⅰ.生れ赤児の心になって聞いて下されましたら、何も彼も、ハッキリうつります。
●生れ赤児の心になって聞いて下されよ。何も彼も、ハッキリうつるぞ。
このように、生まれ赤児の心になって聞いてくだされよ、としてください。
何も彼も、ハッキリうつります。
生まれ赤児の心とは、改心した先の御自身の心です。
元の元の御自身です。後述していきます。
Ⅱ.タカミムスヒ、カミムスヒ、だけでなく、別のミナカヌシ、現はれます。三界和合から三つ目が現れます。
●陰と陽、右と左、上と下、前と後、男と女と考へてゐるなれど、タカミムスヒとカミムスヒと考へてゐるなれど、別のミナカヌシ、現はれるぞ。
これも初めての文面ですね。
陰と陽、右と左、上と下、前と後、男と女と考へてゐるなれど、タカミムスヒとカミムスヒ、と考へてゐるなれど、別のミナカヌシ、現はれます。
三界和合から、三つ目が生まれるのです。
日々、三界和合から生まれるようになっています。
五三体の大神様にあります、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒ、イザナギ、イザナミ、の後にあります、ツキサカキムカツヒメ、が、別のミナカヌシ、ではないかと見ます。
Ⅲ.一切は、三界和合から、三が道から現れます。
●⦿、(左渦)、(右渦)、(左渦上)、㊉、㊉、(㊉の内側にも〇)、(㊉の内側にも〇)、卍、(逆さの小さな卍)、+、+、よく見て下されよ。一であり、二であり、三であらうがな。三が道と申してあろう。
すいません。記号を詳細に表したいのですが、表せきれないので、文字で説明していますが、実はどうも、㊉と㊉、も微妙に違いますし、(㊉の内側にも〇)と(㊉の内側にも〇)も微妙に違います。
ですから、よく(四九)見て下されよ。とあります。
同じように見えて同じではないのです。
ですから、一であり、二であり、三であるのです。
一切は、三が道、である事を伝えたいのです。
新たな存在が、三が道から生まれるのです。
Ⅳ.陰陽二元ではなく、三元です。・がなくては成りません。
●陰陽二元でないぞ。三元ぞ。三つであるぞ。・なくてはならん。・にもかくれた・と現われた・とがあるぞ。このこと先づ心得て下されよ。
陰陽二元ではないのです。
三元です。
三つあります。
常々三が道、です。三界和合から新たな世界が生み出されます。
それには、・なくてはならん、ようになっています。
・があるからこそ、三が道、新たな存在が生まれるのです。
・にも、かくれた・、と現れた・とがあります。
見えない、見えるもありますし、心の内、外、もあります。
この事先ず心得て下さい。
Ⅴ.そなた(そ、七、十)達は、父と母と二人から生まれたのではなく、三人から生まれ出ています。
●そなた達は父と母と二人から生れ出たのか。さうではあるまいがな。三人から生れ出てゐること判るであらうがな。
そなた(そ、七、十)達という伝えられ方は、御自身は、五三体の大神様であり、成る十から、神となった存在、と伝えられています。
それは、父、母、二人から生まれたのではないのです。
三人から生まれ出てゐるのです。
基本の型は総てこのようになっています。
Ⅵ.そなた(そ、七、十)達の中には、限りなく人が住んでおり、人民の中に此(九)の方がゐます。
●どの世界にも人が住んでゐるのであるぞ。⦿の中に⦿があり、その中に又⦿があり、限りないのざと知らせてあらうが。そなた達の中に又人がゐて限りないのぢゃ。このほう人民の中にゐると知らしてあらうがな。
どの世界にも、人が住んでゐるのです。
そなた(そ、七、十)達の中に、又人がいて限りないのです。
⦿の中に⦿があり、その中に又⦿があり、限りなくあります。
そなた(そ七十)達の中に、又人がゐて限りないのです。
こ(九)のほう人民の中にゐると知らしてあるのです。
此(九)の方とは、御自身の中のあるのです。
Ⅶ.守護神と申すのは心のそなた(そ七十)達です。段々変わり、八人、十人、十二人でもあります。
●そなた達も八人、十人の人によって生きてゐるのぞ。又十二人でもあるぞ。守護神と申すのは心のそなた達のことであるが、段々変るのであるぞ。
そなた(そ七十)達も、八人、十人の人によって生きてゐるのです。又十二人でもあります。
八人も神人、と読めますし、また、十人も神人ですし、十二人も、神の次の人で、神人とも言えます。
御自身が八人、は勿論の事、更に、九十、の三人。また、十一、十二の五人でもあるのです。
守護神と申されるのは、心のそなた(そ七十)達のことでもあるのですが、
この三人、五人は、段々変わるのです。
これが、五三体の大神様、です。
ですから、我の改心を進めていく事が求められます。
三人、が立体、五人は、複立体、立立体、を意味します。
Ⅷ.自分と自分の和合とは、八人十人の(そ七十)達の和合です。三界和合であり、それが改心であり、善といいます。
●自分と自分と和合せよと申すのは、八人十人のそなた達が和合することぞ。それを改心と申すのざぞ。和合した姿を善と申すのぢゃ。
自分と自分と和合せよ、と申すのは、八人十人のそなた(そ七十)達が和合することにあります。
それを改心と申すのです。
ですから、まずは、八人が十人です。それが、三が道、です。三界和合、です。
分かりやすい三界和合は、過去、現在、未来の御自身です。
その和合した姿を善、と申すのです。段階が進んだ御自身です。
Ⅸ.心を善肉体悪が間違ひであること、一切がよいこと、地獄ないこと、悪抱き参らせよと申してあること、三界和合で、合点できます。
●今迄の宗教は肉体を悪と申し、心を善と申して、肉体をおろそかにしてゐたが、それが間違ひであること合点か。一切がよいのぢゃと云ふこと合点か。地獄ないこと合点か。悪抱き参らせよと申してあること、これで合点か。合点ぢゃナア。
今迄の宗教は、肉体を悪と申し、心を善と申して、肉体をおろそかにしてゐたのですが、それが間違ひであること、合点か、とお伝えしています。
それは、肉体、心、御自身の三界和合をしてこなかった為です。
一切がよいのぢゃ、と云ふこと、合点か。とあります。
地獄ないこと、合点か、とあります。
悪抱き参らせよ、申してあること、合点か、とあります。
総て、三界和合が元なのです。
2.まとめ
生れ赤児の心になって聞いて下されましたら、何も彼も、ハッキリうつります。
まずは、改心です。
タカミムスヒ、カミムスヒ、だけでなく、別のミナカヌシ、現はれます。
三界和合から三つ目が現れます。
一切は、三界和合から、三が道から現れます。
陰陽二元ではなく、三元です。・がなくては成りません。
そなた(そ、七、十)達は、父と母と二人から生まれたのではなく、三人から生まれ出ています。
そなた(そ、七、十)達の中には、限りなく人が住んでおり、人民の中に此(九)の方がゐます。
⦿の中に⦿があり、その中に又⦿があり、限りなくあります。
守護神と申すのは心のそなた(そ七十)達です。段々変わり、八人、十人、十二人でもあります。
八人も神人、と読めますし、また、十人も神人ですし、十二人も、神の次の人で、神人とも言えます。
御自身が八人、は勿論の事、更に、九十、の三人。また、十一、十二の五人でもあるのです。
三人、が立体、五人は、複立体、立立体、を意味します。
自分と自分の和合とは、八人十人の(そ七十)達の和合です。
三界和合であり、それが改心であり、善といいます。
心を善肉体悪が間違ひであること、一切がよいこと、地獄ないこと、悪抱き参らせよと申してあること、三界和合で、合点できます。
総て、三界和合が元なのです。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。