誠に関する文面6 一家揃ふて、天国身魂、国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、として下さい

マンデラ・エフェクト文面(2025年6月24日~

誠に関する文面6、に進みます。

今回の文面は、キの巻 第十五帖、松の巻 第四帖、松の巻 第五帖の三つの文面です。

今回のマンデラ・エフェクト文面は、
キの巻 第十五帖では、余り起こってはいませんが、
一人一人、同じ様で裁く訳(わけ)にはいかないので、一家揃ふて、天国身魂となって下さい。国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、
とお伝えされています。

天明、役員が、代わりて詫びをするケースがあります。ですが、役員は一人一人代わる代わるでお詫びする可能性がある、とお伝えされています。

このようにして、あななひ、元津神々人の世ひらき和し、悉くの神人みつ道、となり、
勇み出でて総てはひふみひふみとなり、和し勇む大道となります。とお伝えされています。

松の巻 第四帖、では、
神の気概に叶はん人民は地の下になります。
とお伝えされています。

松の巻 第五帖、では、文面そのものは、マンデラ・エフェクトはありませんが、文面の繋がりがマンデラ・エフェクト、を起こしてゐます。

この先どうしたらよいか、については、九九(ここ)より他 分からんので、改心して訪ねて下さい。
とお伝えされています。

それでは、誠に関する文面6、をお伝えしますね。

1.キの巻 第十五帖 一家揃ふて、天国身魂となり、国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、として下さい。

Ⅰ.誠申すと、耳(御身)に逆らうのは、我れに判らんメグリある為です。その耳(御身)取り替へてしまいます。

誠申すと耳に逆らうであろが、其の耳 取り替へて了ふぞ、我れに判らんメグリあるぞ、

誠申すと耳に逆らうと思います。
それは、我れに判らんメグリ、がある為です。

ですが、その耳もそうですが、御身(みみ) 取り替えてしまふぞとあります。

まず、御身(みみ)、御自身を変えていく所から始まります。
それには、我の、洗濯、掃除、改心を進めていく事にあります。

Ⅱ.一人一人、同じ様に裁く訳(わけ)にはいかないので、一家揃ふて、天国身魂となって下さい。

今度は親子でも夫婦でも同じ様に裁く訳(わけ)には行かんのざ、子が天国で親地獄と云ふ様にならん様にして呉れよ、一家揃ふて天国身魂となって呉れよ、

今度は、親子でも夫婦でも同じ様に裁く訳(わけ)には行かんのです。
子が天国、親地獄と云ふ様にならん様にして呉れよ(九〇四)、とあります。
くにつつみ、しきまきや、を進めて下さい。

一家揃ふて天国身魂、となって呉れよ(九〇四)、として下さい。

天国身魂、と云ふ表現が、初めて、と見ますが、天国に進む身魂、という段階に入っていますし、
そういった事が実現が可能の世界が近づいてゐます。

それは、思念界から変えていく行の連続にあります。

ですが、簡単には進まないようになってゐます。

Ⅲ.国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、として下さい。

国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、メグリは一家分け合って、国中分け合って借金なしにして下されよ、

出だしの、国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ(九〇四)、
は初めての文面です。

国、皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ(九〇四)として下さい。
とありますが、これは簡単ではありません。

その為には、メグリは一家分け合って、国中分け合って、借金無しにして下されよ(三〇四)とあります。

メグリを一家分け合う、というのも実は結構難しいです。
私が見てきた限り、家族のメグリを一人で背負ってゐるケースが多々あります。
中々、実現が難しい内容の一つです。

Ⅳ.天明代りに詫(わび)してくれよ、として下さい。役員代りて詫びして呉れよ、として下さい。

天明代りに詫(わび)してくれよ、役員代りて詫びして呉れよ、

天明代りに詫(わび)してくれよ(九〇四)、役員代りて詫びして呉れよ(九〇四)、とあります。

先述の話の流れでもありますが、家族の一人、天明、役員が、代りて詫びをするケースがあります。
それは、大抵一人で背負っています。

ですが、その一人が、くれよ(九〇四)、くにつつみ、しきまきや、を起こす所から世界が変わっていきます。
また、役員のお詫びは、一人一人代わる代わる、お詫びする可能性もありそうです。

Ⅴ.この神示 肚に入れておれば、どんな事が出て来ても、胴(どう)すわるので心配いりません。

この神示 肚に入れておれば何んな事が出て来ても胴(どう)すわるから心配ないぞ、

この神示 肚に入れておれば、どんな事が出て来ても、胴(どう)すわるから心配はありません。

それは、体験と共に、理解していく事で、進む為です。
そして、書いてある事も実現していきますし、また、実行してきた事が、新たにマンデラ・エフェクト文面で現れる事もあります。

如何なる大変な事があっても、その小さな型出しが出て来るので、心配要らないのです。

Ⅵ.あななひ、元津神々、人の世ひらき和し、悉くの神人みつ道です。勇み出でて総てはひふみひふみとなり、和し勇む大道となります。

あななひ、元津神々人の世ひらき和し、悉くの神人みつ道、勇み出で、総てはひふみひふみとなり、和し勇む大道。

歌が最後にありますが、これも後から生まれて来た歌と見ます。

あななひ、元津神々、人の世ひらき和します。
これは、元津神々が、というより、元津神々となった人が、世をひらき和すと見ます。

ことごとくの神人、みつ道となります。

勇み出で、総てはひふみひふみとなり、和し勇大道、となります。

2.松の巻 第四帖 神の気概に叶はん人民は地の下になります。

Ⅰ.誠の所へは人民なかなか集まりませんが、今度の御用は臣民 沢山要りません。

幾ら誠申してもまことは咽喉へつかへて呑み込めぬから、誠の所へは人民なかなか集まらんなれど、今度の御用は臣民 沢山は要らんぞ。

幾ら誠申しても、まことは咽喉へつかへて呑込む事ができません。

ですから誠の所へは人民なかなか集まらんのですが、今度の御用は臣民 沢山要らんのです。

Ⅱ.神の気概に叶はん人民は地の下になります。

何もかも神が仕組みてゐるのざから、人民仕様とて何も出来はせんぞ、神の気概に叶はん人民は地の下になるのざぞ。

何もかも神様が仕組みてゐるので、人民仕様とて、何も出来ないようになってゐます。
神の気概に叶はん人民は地の下になるのです。

地の下になる、というのは、どこかか、現れたマンデラ・エフェクト文面ですが、

神の気概に叶はん人民、懐手の人民は、地の下になるのです。

それは、並行宇宙から消える、と言えるかもしれません。
実際には、小宇宙となり、地と変っているかもしれません。
チリヂリバラバラもこのようにしてなる可能性もあります。

Ⅲ.神示判なければ、一度、捨(四)てて見ると判ります。

神示わからねば一度捨てて見るとわかるのざぞ。

これも、この表現かだったか判りませんが、

捨(四)てて見ると判るようになります。

しきまきや、から新たに生み出した後、見ると判るようになります。

何事も、実際、一段一段、理解、体験していかない事には判らないようになってゐます。

3.松の巻 第五帖 この先どうしたらよいか、については、九九(ここ)より他 分からんので、改心して訪ねて下さい。

この文面では、文面そのものは以前からあったと思いますが、繋がりがマンデラ・エフェクト、のように思います。

Ⅰ.この先どうしたらよいか、については、九九(ここ)より他 分からんので、改心して訪ねて下さい。

この先どうしたらよいかと云ふ事は、世界中 金(かね)の草鞋(わらじ)で捜しても九九(ここ)より他 分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りてよき方に廻してやるぞ。

この先どうしたらよいか、と云ふ事は、世界中 金(かね)の草鞋(わらじ)で探しても、九九(ここ)より他 分からんので、改心して訪ねて御座れ(五、裏三、〇)、とあります。

ですが、改心して訪ねてくる人は中々居ないようになってゐます。

五三体の大神様を、三が道を裏から生み出す事で、分かってきます。
手取りて、よき方に廻して頂けます。

Ⅱ.神の国の政治は、もの活かせば、経済も政治も要りません。

神の国の政治は、もの活かす政治と申してあろが、もの活かせば、経済も政治も要らんぞ。

神の国の政治は、もの生かす政治です。
もの活かせば、経済も政治も要らんのです。

まだまだ、世は、政治、経済に囚われてゐる人、とても多いです。

Ⅲ.金もの云ふ時から、物もの云ふ時、誠もの云う時、石もの云ふ時が来ます。

金もの云ふ時から、物もの云ふ時来るぞ。誠もの云う時来るぞ。石もの云ふ時来るぞ。

金もの云ふ時から、物もの云ふ時が来ます。
誠(〇九十)もの云ふ時が来ます。

石(意志)(一四)もの云ふ時が来ます。

以前は、確か、地つ巻より以前にあったと思いますが、今では、松の巻に文面が移動した、と見ます。
松(真通)の世へと進んできてゐるとも言えます。

4.まとめ

誠申すと、耳(御身)に逆らうのは、我れに判らんメグリある為です。
その耳(御身)取り替へてしまいます。

一人一人、同じ様に裁く訳(わけ)にはいかないので、一家揃ふて、天国身魂となって下さい。
国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、として下さい。

メグリは一家分け合って、国中分け合って、借金無しにして下されよ(三〇四)、として下さい。
天明代りに詫(わび)してくれよ、として下さい。役員代わりて詫びして呉れよ、として下さい。

ですが、メグリを一家分け合う、というのも実は結構難しいです。
家族のメグリを背負った一人が、くれよ(九〇四)、くにつつみ、しきまきや、を起こす所から世界が変わっていきます。また、役員のお詫びは、一人一人代わる代わる、お詫びする可能性もありそうです。

この神示 肚に入れておれば、どんな事が出て来ても、胴(どう)すわるので心配いりません。

このようにして、あななひ、元津神々、人の世ひらき和し、悉くの神人みつ道、となります。
勇み出でて総てはひふみひふみとなり、和し勇む大道となります。

誠の所へは人民なかなか集まりませんが、今度の御用は臣民 沢山要りません。
神の気概に叶はん人民は地の下になります。

神示判なければ、一度、捨(四)てて見ると判ります。

この先どうしたらよいか、については、九九(ここ)より他 分からんので、改心して訪ねて下さい。
神の国の政治は、もの活かせば、経済も政治も要りません。
金もの云ふ時から、物もの云ふ時、誠(〇九十)もの云う時、石(一四)もの云ふ時が来ます。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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