まことに関する文面12に進みます。
今回の文面は、日月の巻 第二帖、第三帖、第八帖の三つの文面です。
今回のマンデラ・エフェクト文面ですが、第二帖では、見た事ある文面もありますが、ほぼ流れ的には全面的に変化。第三帖、第八帖では僅かに変化。ですが、それでも、愈々に向けての変化になってゐます。
第二帖、では、ほぼ全面的に起こっており、変った所を中心に要約しますと、
岩戸開きするミタマは、此の世の裏に隠(か)れしまま、昔の元のおん種であり、今落ちぶれてゐるとても、やがては神の御民として、天地(あめつち)かけり神国の救ひ(四九⦿)の神と現はれる、その時は近づいてゐます。更には、磨きて呉れよ神身魂、とお伝えされいています。
岩戸開きするミタマは、此の世に隠れた上で、今落ちぶれてゐるとても、神の御民として、神国の救ひの神と現はれる、その時は近づいてゐる、という愈々の世の境地を伝えています。
第三帖、では、此の神示、声(九エ)立てて、声(九エ)出して、読み(四三)てさへおればよくなります。
読みてさへおればよくなります。といった伝え方に変わっているのですが、只、くにつつみから新たな世界を得て、しきまきや、三が道へと起こす事、が求められています。
第八帖では、
ツギ、ウマシアシカビヒコヂノカミ、ミコトトナリナリテ アレイデタマイキ。
とあり、ウマシアシカビヒコヂ(宇摩志阿斯訶備比古遅、可美葦牙彦舅)とは、天地開闢において現れた別天津神の一柱で、それは、ありとあらゆる事をしていく喜びの神様、が現れる段階に入りました。
この神様は、結構前に現れたかもしれませんが、只、今回思いましたのが、何でもしていく神様と見ており、それは、七変わり八変わりしていき、御自身そのもの、と見てゐます。
それでは、まことに関する文面12、をお伝えしますね。
1.日月の巻 第二帖 岩戸開きするミタマは、今落ちぶれてゐるとても、やがては神の御民として、天地(あめつち)かけり神国の救ひ(四九⦿)の神と現はれる、その時は近づいてゐます。
Ⅰ.岩戸開きの御用するミタマは、いずれも、イキ(一キ)かはり、死に(四二)かはりして、練りに練り(根理に根理)、鍛へ(キ十経)に鍛えし(キ十経四)神国のまことのミタマ、元の種、です。
●三千年三千世界乱れたる、罪やけがれを身において、此の世の裏に隠(か)れしまま、此の世構ひし大神の、みこと畏み此の度の、岩戸開きの御用する、身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、まことの身魂 天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、
三千年三千世界乱れたる、罪やけがれを身において、ですから、どのような方々も、この事に該当するようです。
この自覚をするには、我より、囚われの世界に縛り、あらゆる存在を苦しめ続けて来た事に気付く事にあります。
それには、しきまきや、くにつつみ、あなはち、から新たな世界を生み出す体験が必要です。
此の世の裏に隠(か)れしまま、此の世構ひし大神の、みこと畏み此の度の、岩戸開きの御用する、
ですから、今度は、此の世の裏に隠れしまま、の状態で、此の世構ひし大神様と行じ、みこと(三九十)畏み、三が道、くにつつみ、から神を生む。事が求められます。
身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、まことの身魂 天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、ですから、
身魂は、いずれもゐキかはり、四にかはりして、練り(根理)に練り(根理)、鍛へ(キ十経)に鍛え(キ十経)し、神国、となり、まこと(〇九十)の身魂、天(・)かけり、国(九二)かけります元の種、昔の元の御種、という事が判ってきます。
生きるは、息がキを生み、死に変わりは、しきまきやにより変わる、を繰り返し、五三体の大神様の理を、キから生み出すを繰り返す状況です。このようにして、まこと(〇九十)の身魂、天(・)かける事で、九二かける事によって、元の種、昔の元の御種、となります。
Ⅱ.岩戸開きするミタマは、今落ちぶれてゐるとても、やがては神の御民として、天地(あめつち)かけり神国の救ひ(四九⦿)の神と現はれる、その時は近づいてゐます。
●今 落ちぶれてゐるとても、軈(やが)ては神の御民とし、天地(あめつち)駈けり神国の、救ひの神と現はれる、時近づきぬ御民等よ。
今 落ちぶれてゐるとても、やがては神の御民として、天地(あめつち)駆けり、神国の、救ひ(四九⦿)の神と現はれる時、近づいている御民となっていきます。
救ひの神とは、しきまきや、くにつつみ、から⦿と共に現れる神のようです。
Ⅲ.今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、とお伝えされています。
●今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、いやさかつきに栄えなむ。みたまさちはへましまさむ。
今一苦労二苦労、とことん苦しき事ありますが、堪へ忍びて次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ、神身魂、とお伝えされています。
神身魂、は初めてと見ます。
いやさかつき(二)に栄えなむ。みたまさちはへましまさむ、とあります。
2.日月の巻 第三帖 神の国(九二)のお土踏んで、神国の光(⦿火理)いきして、神国(十九二)から生れる食物(たべもの)頂きて、神国(十九二)のお(七二)ん仕事してゐる臣民には、行要りません。
Ⅰ.此の神示、声(九エ)立てて、声(九エ)出して、読み(四三)てさへおればよくなります。
●此の神示 声立てて読みて下されと申してあろがな。臣民ばかりに聞かすのでないぞ。守護神殿、神々様にも聞かすのぞ、声出して読みてさへおればよくなるのざぞよ。
此の神示、声(九エ)立てて、読みて下され、と申してあるのは、くにつつみ、から新たな世界を得て読みて下さい。という事があるのです。
実際には、声出す事で、その読み方、様々ありますから、その読み方(全てが正しいと見ます)、も考えて、という事もあります。ですが、それだけではありません。
声が、九エと現れている以上、九の行、くにつつみ、から得て読めば、何もかもスラリスラリ、となるのです。
ですから、臣民ばかりに聞かす訳ではないのです。
守護神様、神々様にも聞かす(効かす)、とあるのです。
それは、声(九エ)出して、この世に現した上で、読みてさへおればよくなる、とある通りなのは、行じ体験しますと、分かって来るようになります。
しきまきや、から三が道を生み出す事にあります。
声出して、読んでいるだけでは、そこまでよくなりません。
Ⅱ.仕事は行ですから、務め務めた上にも精出してくれよ、として下さい。それがまことの行です。
●じゃと申して、仕事休むでないぞ。仕事は行であるから務め務めた上にも精出して呉れよ。それがまことの行であるぞ。
ですが、仕事休まないようにしてください。
仕事は行ですから、務め務めた上にも精(せい)(生)出して呉れよ(九〇四)とあります。
それが、まこと(〇九十)の行です。
Ⅲ.神の国(九二)のお土踏んで、神国の光(⦿火理)いきして、神国(十九二)から生れる食物(たべもの)頂きて、神国(十九二)のお(七二)ん仕事してゐる臣民には、行要りません。
●滝に打たれ断食する様な行は幽界(がいこく)の行ぞ。神の国のお土踏み、神国の光いきして、神国から生れる食物(たべもの)頂きて、神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬのざぞ。此の事よく心得よ。
滝に打たれ断食する様な行は幽界(がいこく)の行です。
思念界のやり取り、喜びが限りなく少ない為です。
神の国(九二)のお土踏んで、神国の光(⦿火理)いきして、神国(十九二)から生れる食物(たべもの)頂きて、神国(十九二)のお(七二)ん仕事してゐる臣民には、行要らないのです。
常々、くにつつみ、シチニの神様と共に進んで下さい。
此(九)の事よく心得よ。として下さい。
3.日月の巻 第八帖 神の経済、神の政治よく見て、つかへて呉れよとして下さい。すべてにまつらう事にあります。
Ⅰ.ウマシアシカビヒコヂノ神、ミコトとナリナリテ アレイでタマイキ、となります。それは御自身です。七変わり、八変わり、何でもしていく神です。
●ツギ、ウマシアシカビヒコヂノカミ、ミコトトナリナリテ アレイデタマイキ。
ウマシアシカビヒコヂ(宇摩志阿斯訶備比古遅、可美葦牙彦舅)とは、日本神話の天地開闢において現れた別天津神の一柱である。との事です。
私は、そこまで、あまり詳しく日本神話知らないのですが、このような神、本当にあったかな?という感覚です。
私の第一感としては、「本当に神々様は、皆言われている通りのお役割なのでしょうか?」ですね。
これは、常々、日本神話に限らず、あらゆる神話の神々様、心のどこかから思っていた事でもあったのですが。
八百万の神(やおよろずのかみ)とは、周囲の現れに沢山の神々様が現れる、という事ですが、御神示の解釈ですと、周囲の現れとは、御自身とある以上、御自身が八百万の神(やおよろずのかみ)となっていくのでは、という思いがあり、もっと言えば、御自身とは八百万の神(やおよろずのかみ)として何でもできるようになっていくのでは、と思います。
ですから、仕事は七変わり、八変わりしていく、とありますよね。あらゆる神様も、実際には、このような感じになるのでは、と思います。
で、何故この話をしたのか、と言えば、ウマシアシカビヒコヂノカミ、が、それにあたるのでは、と思っているのですね。
ミコトナリテ アレ(ア〇)イデタマイキ、となります。
Ⅱ.まずは、なすには、なす、です。一つ一つ、行をして、新たな世界を生み出す事から始まります。
●瓜(うり)の蔓(つる)に茄子(なす)ならすでないぞ。茄子には茄子と申してあろがな。味噌も糞も一つにするでないぞ。
先程の話と逆になっているかもしれません。
瓜(うり)の蔓(つる)には、茄子(なす)ならさないようにして下さい。
茄子(なす)には茄子(なす)にしかならないのです。
まずは、ここが始まりです。一つ一つ、行をし、新たな世界を生み出すから始まります。
みそもくそも一つしてはなりません。
Ⅲ.神の経済、神の政治よく見て、つかへて呉れよとして下さい。すべてにまつらう事にあります。
●皆がそれぞれに息する道あろがな。野見よ森見よ。神の経済よく見よ。神の政治よく見て、まことの政治つかへて呉れよ。すべてにまつろう事と申してあろがな。
皆がそれぞれに、息する道があります。
野を見て、森を見て下さい。神の経済、神の政治よくみて下さい。
まことの政治つかへて呉れよ(九〇四)とあります。
すべてにまつらう事と申してある、とあります。一人ではできません。
すると、先述の瓜、つる、なす、の話とは逆の一面もある事に気付くかと思います。
すべてにまつらうとは、すべてにまつらって頂く事と同じになっていきます。
Ⅳ.間に合はん事出来ても神は知らん、とあります。神急(せ)けます。
●上に立つ番頭殿 目開いて下されよ。間に合はん事出来ても神は知らんぞ。神急(せ)けるぞ。役員も気配れよ。
上に立つ番頭どの、目開いて下されよ、として下さい。
間に合はん事出てきても、神は知らんとあります。
今は時間がそれ程残されていません。
神様急(せ)けます。
役員も気配れよ。として下さい。
4.まとめ
岩戸開きの御用するミタマは、いずれも、イキ(一キ)かはり、死に(四二)かはりして、練りに練り(根理に根理)、鍛へ(キ十経)に鍛えし(キ十経四)神国のまことのミタマ、元の種、です。
岩戸開きするミタマは、今落ちぶれてゐるとても、やがては神の御民として、天地(あめつち)かけり神国の救ひ(四九⦿)の神と現はれる、その時は近づいてゐます。
今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、とお伝えされています。
此の神示、声(九エ)立てて、声(九エ)出して、読み(四三)てさへおればよくなります。
九の行、くにつつみ、から得て、しきまきや、から三が道を生み出す事にあります。その上で読んでを繰り返します。
仕事は行ですから、務め務めた上にも精出してくれよ、として下さい。それがまことの行です。
神の国(九二)のお土踏んで、神国の光(⦿火理)いきして、神国(十九二)から生れる食物(たべもの)頂きて、神国(十九二)のお(七二)ん仕事してゐる臣民には、行要りません。
ウマシアシカビヒコヂノ神、ミコトとナリナリテ アレイでタマイキ、となります。それは御自身です。七変わり、八変わり、何でもしていく神です。
まずは、なすには、なす、です。一つ一つ、行をして、新たな世界を生み出す事から始まります。
神の経済、神の政治よく見て、つかへて呉れよとして下さい。すべてにまつらう事にあります。
一人ではできません。
間に合はん事出来ても神は知らん、とあります。神急(せ)けます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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