まことに関する文面15に進みます。
今回の文面は、日月の巻 第三十六帖 です。
今回の文面では、殆どマンデラ・エフェクトは無いのですが、一つ重要な変化があります。
世が愈々のとことんとなったから、とあるのです。
もう断定調ですね。
今現在が、愈々のとことんなのです。
その事で、大神様迄 悪く申すもの出て来るようです。
産土様(うぶすなさま)何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山出てくる、そういった段階に愈々移ります。
ですが、何もかも結構な事に楽にして頂けます。それには、心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。
と伝えられてゐます。
まつりごとせななりません。わからなくても、神の申す通りすれば、自分でわからんこともよくなるのです。
此の神示は、世に出てゐる人では解けません。苦労におちぶれ、苦労に負けず気狂ひと云はれ、阿呆といわれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けません。とは以前からありましたが、その後ですが、
解いてよくかみくだいて、世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ、という段階に入りました。
それは、この後、私がしていく行と関係していくと見ます。
此の道に進む方も次々、御神示を解いて、よくかみくだいて、此の道を伝えて段階、に入ってきています。
それでは、まことに関する文面15をお伝えしますね。
- 1.日月の巻 第三十六帖 世が愈々のとことんとなったから、此の神示を、解いてよくかみくだいて、世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ、の段階になりました。
- Ⅰ.之が善である、まことの遣り方と思ってゐる事、九分九厘迄は、皆悪のやり方です。
- Ⅱ.今の政治は、善だと思っていても、皆悪で、神の道が判らないので、身魂曇ってゐるので、臣民困る政治になるのです。
- Ⅲ.まつりごとせななりません。わからなくても、神の申す通りすれば、自分でわからんこともよくなります。
- Ⅳ.悪と思ってゐることに善が沢山あります。理解しようという所から新たな世界が始まります。
- Ⅴ.怖いから改心、戦がどうなるか、と申す様な事ではまことの民ではありません。
- Ⅵ.世が愈々のとことんとなったから、今に大神様悪く申すもの、産土様あるものか、と悪神ばかり、と申す者沢山出てきます。
- Ⅶ.我身我家が可愛い様では神の御用つとまりません。神の御用をし、道に従へば、我身我家が心配なくなります。
- Ⅷ.何もかも結構な事に楽にして頂けます。心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。として下さい。
- Ⅸ.今度の愈々の仕組みは臣民の知りた事ではなく、神界の神々様にも判らん仕組みですので、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ、それが一等、と伝えられてゐます。
- Ⅹ.此の神示は、世に出てゐる人では解けません。苦労におちぶれ、苦労に負けず気狂ひと云はれ、阿呆といわれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けません。
- ⅩⅠ.解いてよくかみくだいて、世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ、とあります。
- 2.まとめ
1.日月の巻 第三十六帖 世が愈々のとことんとなったから、此の神示を、解いてよくかみくだいて、世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ、の段階になりました。
Ⅰ.之が善である、まことの遣り方と思ってゐる事、九分九厘迄は、皆悪のやり方です。
●今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐるぞ。之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。
今の臣民見て 褒める様な事は、皆奥知れてゐます。
之が善である、まことの遣り方、と思ってゐる事、九分九厘迄は皆悪のやり方です。
此の道のまことのやり方とは、今の最善を尽くす事で、千人力、万人力の働きが現れる事にはありますが、
これが善であるとは、終わらないようになっているのです。段階、が進めばそれは悪となっていく為ですね。
ですから、終り無く永遠に弥栄していくのが、まことの遣り方、となります。
今が、善であり、悪であり、善でなく、悪でなく、無限に弥栄するのが、此の道のまことのやり方です。
Ⅱ.今の政治は、善だと思っていても、皆悪で、神の道が判らないので、身魂曇ってゐるので、臣民困る政治になるのです。
●今の世のやり方、見れば判るであらうが、上の番頭殿 悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。番頭殿を悪く申すでないぞ。よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ。
それは、今の世のやり方、見れば、それが分かると思います。
上の番頭殿 悪い政治すると思ってやってゐるのではありません。ですから、番頭殿を悪く申さないようにしてください。
よい政治しようと思ってやってゐるのです。
よいと思ふ事に精出してゐるのですが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ですので、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのです。
全て囚われから、生み出さない、平面世界に留まる選択ですから、臣民困る政治になります。
その原因は、11の囚われにあり、その原因は、われよし、慢心、分け隔て、にあります。
Ⅲ.まつりごとせななりません。わからなくても、神の申す通りすれば、自分でわからんこともよくなります。
●まつりごとせなならんぞ。わからん事も神の申す通りすれば自分ではわからんこともよくなって行くのざぞ。
それには、まつりごとせなならんのです。
悪や苦とまつらひ、囚われを無くす事が求められます。
わからん事も、神の申す通りしますと、自分ではわからんこともよくなって行きます。
何故、千人力が起こるのか、それは判らなくても、此の道に進んでいけば、確かに好転化していく事となります。
Ⅳ.悪と思ってゐることに善が沢山あります。理解しようという所から新たな世界が始まります。
●悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。人裁くのは神裁くことざぞ。
悪と思ってゐる事には、善が沢山あります。
此の世に許されているものは、全て、生み出せる元があるのです。
ですから、分け隔てならん、のです。
理解しよう、という所から新たな世界が生み出されるのです。
人裁くのは、神裁くことになります。
そして、御自身を裁く事になります。
Ⅴ.怖いから改心、戦がどうなるか、と申す様な事ではまことの民ではありません。
●怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事ではまことの民ではないぞ。
怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事では、まことの民ではありません。
日々の行、弥栄実践、今の最善を尽くし、その上で改心を進めていく事が求められるのです。
最初は、怖いから改心もあるかもしれませんが、それも重要な体験ですが、ですが、怖いから改心する様な事だけでは、まことの民ではありません。
また、戦はどうなるか、と見物している様では、まことの民ではありません。
何としてでも無くそうという強い思いから、戦の無い世界を生み出す事が、まことの民です。
Ⅵ.世が愈々のとことんとなったから、今に大神様悪く申すもの、産土様あるものか、と悪神ばかり、と申す者沢山出てきます。
●世が愈々のとことんとなったから、今に大神様迄 悪く申すもの出て来るぞ。産土様(うぶすなさま)何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山出てくるぞ。
世が愈々のとことん、となったから、はマンデラ・エフェクト、と見ます。
今現在が、世が愈々のとことんとなったのです。
その為に、今に大神様迄 悪く申すもの出てきます。
産土様(うぶすなさま)なんぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山出てきます。
Ⅶ.我身我家が可愛い様では神の御用つとまりません。神の御用をし、道に従へば、我身我家が心配なくなります。
●此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理判らんか。
此の世始まってない時ですから、我身我家が可愛い様では、神の御用はつとまりません。
神の御用しますと、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理は判らんか、と伝えられてゐます。
それには、御自身が大神様の型出しをしていけばよいのですが、此の方の型出しをしていけばよいのですが、中々その行ができない方が多いです。心・口・行の不一致を無くしていく行は中々です。我の改心も中々です。
Ⅷ.何もかも結構な事に楽にして頂けます。心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。として下さい。
●何もかも結構な事に楽にしてやるのざから、心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。子に嘘吐く親はないのざぞ。
何もかも結構な事に楽にしてやる、とありますが、多分この文面は初めての表現に思います。
結構な事にして頂いた上に、楽にして頂けるのです。
ですから、心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ、とお伝えされています。
子に嘘吐く親はないのです。
ちなみに親が子に対して嘘つきの場合、その親が嘘つくという意味で、嘘が無いのです。
Ⅸ.今度の愈々の仕組みは臣民の知りた事ではなく、神界の神々様にも判らん仕組みですので、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ、それが一等、と伝えられてゐます。
●神界の事知らん臣民は色々と申して理屈の悪魔に囚はれて申すが、今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではないぞ。神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ。それが第一等ざぞ。
神界の事、知らん臣民は色々と申して、理屈の悪魔に囚はれて申していますが、今度の愈々の仕組みは、臣民の知りた事ではないのです。
神界の神々様にも、判らん仕組みです。
想定外の善きシナリオを次々生み出して行くので、当然の所があります。
から、とやかく申さずと、神の神示、腹に入れて、身魂磨いて、素直に聞いて呉れよ(九〇四)とお伝えされています。
それが一等です。
Ⅹ.此の神示は、世に出てゐる人では解けません。苦労におちぶれ、苦労に負けず気狂ひと云はれ、阿呆といわれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けません。
●此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けんぞ。
此の神示は、世に出てゐる人では解けんようになってゐます。
苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で、気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けんようになってゐます。
確かに、此の道に進む程に、そのままに伝えれば伝える程、気狂い、阿呆、と言われかねないです。
ですが、その体験があるからこそ、神の道を素直に聞く事ができます。
そこまでの、理解体験があってこそ神の道を素直に聞く事ができます。
ですから、神の申す通り、素直に行ずるのが一番です。
やがて、このような体験をしていくと見ますが、いつまでもそうでは無さそうですので、善き世へと移行させて頂いてますので、それには、神の道に素直に聞く、事が求められます。
ⅩⅠ.解いてよくかみくだいて、世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ、とあります。
●解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。
これは、マンデラ・エフェクト文面と見ます。
解いてよく噛み砕いて、世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ、とお伝えされています。
愈々の段階に入ってゐます。此の道を知らしてやりて下さい。
苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心の方が高いです。
永劫の観点での、喜びに進んで下さい。
2.まとめ
之が善である、まことの遣り方と思ってゐる事、九分九厘迄は、皆悪のやり方です。
今が、善であり、悪であり、善でなく、悪でなく、無限に弥栄するのが、此の道のまことのやり方です。
今の政治は、善だと思っていても、皆悪で、神の道が判らないので、身魂曇ってゐるので、臣民困る政治になるのです。
まつりごとせななりません。わからなくても、神の申す通りすれば、自分でわからんこともよくなります。
悪と思ってゐることに善が沢山あります。理解しようという所から新たな世界が始まります。
怖いから改心、戦がどうなるか、と申す様な事ではまことの民ではありません。
今現在、世が愈々のとことんとなりました。
今に大神様悪く申すもの、産土様あるものか、と悪神ばかり、と申す者沢山出てきます。
我身我家が可愛い様では神の御用つとまりません。神の御用をし、道に従へば、我身我家が心配なくなります。
すると、何もかも結構な事に楽にして頂けます。心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。として下さい。
今度の愈々の仕組みは臣民の知りた事ではなく、神界の神々様にも判らん仕組みですので、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ、それが一等、と伝えられてゐます。
此の神示は、世に出てゐる人では解けません。苦労におちぶれ、苦労に負けず気狂ひと云はれ、阿呆といわれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けません。
解いてよくかみくだいて、世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ、とあります。
愈々の段階に入ってゐます。此の道を知らしてやりて下さい。
苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心の方が高いです。
永劫の観点での、喜びに進んで下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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