浄化に関する文面①に進みます。
浄化に関する文面の多くは既に伝えてゐますが、今回は、二日んの巻(ジシンの巻)第五帖、を三回に分けてお伝えします。
また、これで、二日んの巻(ジシンの巻)、はほぼ全部御伝えする事になるようです。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、二日んの巻(ジシンの巻)第五帖 その1です。
今回のマンデラ・エフェクトは、全般的に、死後、生前、現在、因縁果について、同じ、三界でも、以前とは違った伝え方に話が変わっています。永遠に弥栄するのみ、地獄的なものは無いという伝え方になっています。
本質的には、善と真は有であり、悪と偽は影です。
善と真が有であるというのが初めてです。
善は無限の力をうけるが故に、益々弥栄します。
生前の世界は、有なるが故に善であり、死後の世界もまた同様です。という事は現世もそうだという事ですね。
生前の自分の行為が地上人たる自分に結果して来ています。
生前の行為が生後審判され、酬いられていますが、それは悪因縁的には現れません。
そこに神の大いなる愛の現れあり、喜びがあります。
悪因縁が悪として、また善因縁は善として、生後の地上人に、現れるのではありません。
何故なら、大神様は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現れが故です。
と、概ね、生前と現在がとして現れないような話に変わっています。
地上人的に制限されたる感覚の範囲においては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果をもたらす場合もありますが、
いずれも、弥栄です。
生前、死後も同様に、地獄的なものはありません。
この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知る事が求められます。
それでは、浄化に関する文面①、をお伝えしますね。
- 1.二日んの巻(ジシンの巻)第五帖 その1 生前、死後も同様に、地獄的なものはありません。一貫して、超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知る事が求められます。
- Ⅰ.全宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれ育っている為、宇宙そのものが、神と同じ性、質、を持ち、神そのものの現れの一つでもあります。
- Ⅱ.過去も、現在も、未来も、一切が呼吸する現在の中に存在し、生前、死後の世界も神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長しています。
- Ⅲ.全宇宙は、空間三界、時間三界、等雑多なるものの集合によって成っています。部分部分が雑多が故、全体は存在し、力し、弥栄し、変化します。
- Ⅳ.本質的には、善と真は有であり、悪と偽は影です。悪は悪に、偽は偽に働きかけますが、悪は善に、偽は真に働き得ません。
- Ⅴ.悪の働きかけ得る真は、真実の真ではありません。悪は総てを自ら作り得、生み得るものと信じてゐます。
- Ⅵ.善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをも、つくり得ぬものと信じています。悪には本来の力はなく、影にすぎません。
- Ⅶ.善は無限の力をうけるが故に、益々弥栄します。生前の世界は有なるが故に善であり、死後の世界も同様です。
- Ⅷ.生前の自分の行為が地上人たる自分に結果して来ています。生前の行為が生後審判され、酬いられていますが、それは悪因縁的には現れません。そこに神の大いなる愛の現れあり、喜びがあります。
- Ⅸ.悪因縁が悪として、また善因縁は善として、生後の地上人に、現れるのではありません。何故なら、大神様は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現れが故です。
- Ⅹ.地上人的に制限されたる感覚の範囲においては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果をもたらす場合もありますが、いずれも、弥栄です。
- ⅩⅠ.生前、死後も同様に、地獄的なものはありません。
- ⅩⅡ.この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知る事が求められます。
- 2.まとめ
1.二日んの巻(ジシンの巻)第五帖 その1 生前、死後も同様に、地獄的なものはありません。一貫して、超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知る事が求められます。
Ⅰ.全宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれ育っている為、宇宙そのものが、神と同じ性、質、を持ち、神そのものの現れの一つでもあります。
●全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である。
全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられている、とあります。
故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部でもあります。
Ⅱ.過去も、現在も、未来も、一切が呼吸する現在の中に存在し、生前、死後の世界も神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長しています。
●過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存在し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長している。
過去も、現在も、未来も、一切が呼吸する現在の中に存在し、生前も死後の世界も、また神の中に存在しています。
地上人としては、地上人の中に、霊界人にありては、霊界人の中に存在し、呼吸し、生長しています。
Ⅲ.全宇宙は、空間三界、時間三界、等雑多なるものの集合によって成っています。部分部分が雑多が故、全体は存在し、力し、弥栄し、変化します。
●故に、その全体は常に雑多なるものの集合によって成っている。部分部分が雑多なるが故に、全体は存在し、力し、弥栄し、変化する。故に、歓喜が生ずる。
故に、その全体は常に、雑多なるものの集合によって成っています。
部分部分が雑多なるが故に、全体は存在し、力し、弥栄し、変化します。
故に、歓喜が生じます。
Ⅳ.本質的には、善と真は有であり、悪と偽は影です。悪は悪に、偽は偽に働きかけますが、悪は善に、偽は真に働き得ません。
●本質的には、善と真は有であり、悪と偽は影である。故に、悪は悪に、偽は偽に働き得るのみ。影なるが故に悪は善に、偽は真に働き得ない。
この話は、初めてとみます。
本質的には、善と真は有であり、悪と偽は影です。
善と真が有であるというのが初めてです。
故に、悪は悪に、偽は偽に働き得るのみ、です。
影なるが故に、悪は善に、偽は真に働き得ない、のです。
Ⅴ.悪の働きかけ得る真は、真実の真ではありません。悪は総てを自ら作り得、生み得るものと信じてゐます。
●悪の働きかけ得る真は、真実の真ではない。悪は総てを自らつくり得、生み得るものと信じている。
悪の働きかけ得る真は、真実の真ではありません。
悪は総てを自らつくり得、生み得るものと信じています。
Ⅵ.善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをも、つくり得ぬものと信じています。悪には本来の力はなく、影にすぎません。
●善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをも、つくり得ぬものと信じている。故に、悪には本来の力はなく、影にすぎない。
善は、総てが神から流れ来たり、自らは何ものをも、つくり得ぬものと信じています。
故に、悪は本来の力はなく影にすぎません。
Ⅶ.善は無限の力をうけるが故に、益々弥栄します。生前の世界は有なるが故に善であり、死後の世界も同様です。
●善は無限の力をうけるが故に、益々弥栄する。生前の世界は有なるが故に善であり、死後の世界も同様である。
この表現もマンデラ・エフェクトですね。
善は無限の力をうけるが故に、益々弥栄します。
生前の世界は、有なるが故に善であり、死後の世界も同様です。
生前の世界が有なるが故、というのが気になります。
Ⅷ.生前の自分の行為が地上人たる自分に結果して来ています。生前の行為が生後審判され、酬いられていますが、それは悪因縁的には現れません。そこに神の大いなる愛の現れあり、喜びがあります。
●生前の自分の行為が地上人たる自分に結果して来ている。生前の行為が生後審判され、酬いられているのではあるが、それは、悪因縁的には現われない。そこに、神の大いなる愛の現われがあり、喜びがある。
これは、マンデラ・エフェクト文面、と見ます。
生前の自分の行為が、地上人たる自分に結果してきている。生前の行為が生後審判され、酬いられているのではあるのですが、
それは、悪因縁的には現われない。そこに、神の大いなる愛の現われがあり、喜びがある。とあります。
悪因縁的には現れない、の部分がマンデラ・エフェクトです。
Ⅸ.悪因縁が悪として、また善因縁は善として、生後の地上人に、現れるのではありません。何故なら、大神様は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現れが故です。
●悪因縁が悪として、また善因縁は善として、生後の地上人に現われるのではない。何故ならば、大神は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現われなるが故にである。
引き続きマンデラ・エフェクト文面です。
悪因縁が悪として、また善因縁は、善として、生後の地上人に現われるのではありません。
何故ならば、大神は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現われなるが故にあります。
確かに、三千世界、三界それぞれ、千人力によって、和合した世界ですと、どのような好転化異世界になるかも、中々見当付かないところがあります。
悪因悪果、善因善果は、仏教にもある言葉ですが、ある部分では否定にもなるかもです。
ただ、超強力な縁により、結果は如何様にでも変わるという話も仏教にはありますが。
此の事を伝えているのかもしれません。
Ⅹ.地上人的に制限されたる感覚の範囲においては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果をもたらす場合もありますが、いずれも、弥栄です。
●地上人的に制限されたる感覚の範囲に於ては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果を来す場合もあるが、それは何れもが弥栄である。
地上人的に制限されたる感覚の範囲においては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果を来す場合もありますが、
それはいずれも、弥栄です。
ですから、どんなに災難があったとしても、自らが招いた結果であり、それは弥栄の一環なのです。
ⅩⅠ.生前、死後も同様に、地獄的なものはありません。
●これを死後の生活にうつされた場合もまた同様であって、そこには地獄的なものはあり得ない。川上で濁しても川下では澄んでいるのと同様である。要するに、生前には、地獄がなく、生後にも、死後にもまた地獄はないのである。
これを死後の世界にうつされた場合もまた同様です。
そこには地獄的なものはあり得ないのです。
川上で濁しても、川下では澄んでゐるのと同様、とあります。
要するに生前には、地獄がなく、生後にも、死後にもまた地獄はない、とあります。
ⅩⅡ.この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知る事が求められます。
●この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知らねばならぬ。
この一貫して、弥栄し、大歓喜より、大々歓喜に、更に超大歓喜に向かって弥栄しつつ、永遠に生命する真相を知らねばなりません。とあります。
このように、一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相、は
初めてですね。いつの間に、このような文面に変わったのか不思議です。
生前、生後、死後、一切は、一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向かって弥栄しつつ永遠に生命する真相は、今現在における、地球上ではそのように変わってきているとも言えます。
2.まとめ
全宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれ育っている為、宇宙そのものが、神と同じ性、質、を持ち、神そのものの現れの一つでもあります。
過去も、現在も、未来も、一切が呼吸する現在の中に存在し、生前、死後の世界も神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長しています。
このように、全宇宙は、空間三界、時間三界、等雑多なるものの集合によって成っています。
部分部分が雑多が故、全体は存在し、力し、弥栄し、変化します。
本質的には、善と真は有であり、悪と偽は影です。悪は悪に、偽は偽に働きかけますが、悪は善に、偽は真に働き得ません。
悪の働きかけ得る真は、真実の真ではありません。悪は総てを自ら作り得、生み得るものと信じてゐます。
善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをも、つくり得ぬものと信じています。悪には本来の力はなく、影にすぎません。
善は無限の力をうけるが故に、益々弥栄します。
生前の世界は有なるが故に善であり、死後の世界も同様です。
生前の自分の行為が地上人たる自分に結果して来ています。生前の行為が生後審判され、酬いられていますが、それは悪因縁的には現れません。そこに神の大いなる愛の現れあり、喜びがあります。
悪因縁が悪として、また善因縁は善として、生後の地上人に、現れるのではありません。
何故なら、大神様は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現れが故です。
地上人的に制限されたる感覚の範囲においては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果をもたらす場合もありますが、いずれも、弥栄です。
生前、死後も同様に、地獄的なものはありません。
この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知る事が求められます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

