浄化に関する文面②に進みます。
今回は、二日んの巻(ジシンの巻)第五帖、その2です。
今回のマンデラ・エフェクトは、前半部分に集中しており、極楽、天国の思念する事の意味についてお伝えされています。
天国、極楽あると思念することは、無き地獄を生み出す因であり、一を二に分けます。
ですが、分けるからこそ、力を生み弥栄する、とあります。
人の生後の生活は、生前の生活の延長、また死後の生活へと進みます。
歓喜は、生前、生後、死後、であり、〇であり、・に集約され、総ては無にして有です。
〇が、
であり、⦿であり、・であるという表現になってきたのも初めてかもしれません。
それは、立体、立々体と進み、善悪美醜の呼吸の調和により弥栄浄化し、善悪美醜のことごとくは歓喜となります。
このようにして、神の中の神として総てが弥栄していきます。
と、天国、極楽という思念を、以前に比べて、肯定化している内容と変ってきました。
一旦分かれる事は、歓喜の元になるからです。
それでは、浄化に関する文面②、をお伝えしますね。
- 1.二日んの巻(ジシンの巻)第五帖 その2 善悪美醜の呼吸の調和により弥栄浄化し、ことごとくは歓喜となります。歓喜は、総ては無にして有です。
- Ⅰ.天国、極楽があると思念するのは、無き地獄を自らつくり生み出す因です。本来なきものをつくり出し、一を二に分けます。
- Ⅱ.ですが、分ける事によって、力を生み弥栄します。地獄ないところには、天国はない為です。善を思念するが故に悪を生みだします。
- Ⅲ.一あり二と分け、はなれてまた、三と栄えるが故に歓喜が生れます。生前、生後、死後、であり、〇であり、・に集約され、総ては無にして有です。
- Ⅲ.人の生後の生活は、生前の生活の延長、また死後の生活へと進みます。立体、立々体と進み、善悪美醜の呼吸の調和により弥栄浄化します。
- Ⅳ.浄化、弥栄することにより、善悪美醜のことごとくは歓喜となります。このようにして、神の中の神として総てが弥栄していきます。
- Ⅴ.悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬと考える地上人的思念は、神の意志、行為、弥栄と離れたものです。
- Ⅵ.戒律、審判は、歓喜浄化を裁くこととなり、神自らを切断することになります。
- Ⅶ.裁きはあり得ず、すべては、湧き出づる、歓喜のみの世界なることを知らねばなりません。
- 2.まとめ
1.二日んの巻(ジシンの巻)第五帖 その2 善悪美醜の呼吸の調和により弥栄浄化し、ことごとくは歓喜となります。歓喜は、総ては無にして有です。
Ⅰ.天国、極楽があると思念するのは、無き地獄を自らつくり生み出す因です。本来なきものをつくり出し、一を二に分けます。
●しかし、天国や極楽があると思念することは既に無き地獄を自らつくり出し、生み出す因である。本来なきものをつくり出し、一を二にわける。
天国や極楽があると思念することは、既に無き地獄を自らつくり出し、生み出す因でもあります。
本来なきものをつくり出し、一を二に分けます。
Ⅱ.ですが、分ける事によって、力を生み弥栄します。地獄ないところには、天国はない為です。善を思念するが故に悪を生みだします。
●だが、分けることによって力を生み弥栄する。地獄なきところに天国はない。天国を思念する処に地獄を生ずるのである。善を思念するが故に、悪を生み出すのである。
この文面は初めてとみます。
ですが、分けることによって、力を生み弥栄します。
この分ける意識こそ、そこに、弥栄の元がある、とあります。
地獄なきところに天国はありません。
地獄の三段目の表が、天国に通じる道なのです。
このように、天国を思念する処に地獄を生じます。
ですから、善を思念するが故に、悪を生み出します。
Ⅲ.一あり二と分け、はなれてまた、三と栄えるが故に歓喜が生れます。生前、生後、死後、であり、〇であり、・に集約され、総ては無にして有です。
●一あり二と分け、はなれてまた、三と栄ゆるが故に歓喜が生れる。即ち、一は二にして、二は三である。生前であり、生後であり、死後であり、尚それらの総ては〇である。〇は
(かみ)であり⦿であり、・と集約される。故に、これらの総ては無にして有である。
この表現も初めて、と見ます。
一あり二と分け、はなれてまた、三と栄ゆるが故に歓喜が生れます。
即ち、一は二にして、二は三です。
生前であり、生後であり、死後であり、尚それらの総ては、〇です。
〇は
(かみ)であり、⦿であり、・と集約されます。
故に、これらの総ては無にして有、でもあります。
総ては無にして有である、は初めてと見ます。
また、〇が、
であり、⦿であり、・であるという表現になってきたのも初めてかもしれません。
そういう意味では希望的文面ですね。
Ⅲ.人の生後の生活は、生前の生活の延長、また死後の生活へと進みます。立体、立々体と進み、善悪美醜の呼吸の調和により弥栄浄化します。
●人の生後、即ち地上人の生活は、生前の生活の延長であり、また死後の生活に、そのままにして進み行く、立体となり、立々体と進み、弥栄する処につきざる歓喜があり、善悪美醜の呼吸が入り乱れつつ調和して、一の段階より二の段階へ、更に三の段階へと弥栄浄化する。
この文面も初めて、とみます。
人の生後、即ち地上人の生活は、生前の生活の延長であり、また死後の生活に、そのままにして進み行きます。
そして、立体となり、立々体と進み、弥栄する処には、尽きざる歓喜があります。
そこには、善悪美醜の呼吸が入り、乱れつつ調和して、一の段階より、二の段階へ、更に三の段階へと弥栄浄化していきます。
立体、立々体、と進む尽きざる歓喜の世界が前提になってきている感じに変わってきていますね。
Ⅳ.浄化、弥栄することにより、善悪美醜のことごとくは歓喜となります。このようにして、神の中の神として総てが弥栄していきます。
●浄化、弥栄することにより、善悪美醜のことごとくは歓喜となる。故に、神の中に神として総てが弥栄するのである。
このように、浄化、弥栄することによって、善悪美醜のことごとくは歓喜となります。
故に、神の中に神として総てが弥栄します。
Ⅴ.悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬと考える地上人的思念は、神の意志、行為、弥栄と離れたものです。
●悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬと考える地上人的思念は、以上述べた神の意志、行為、弥栄と離れたものである。
悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬ、と考える地上人的思念は、以上述べた神の意志、行為、弥栄と離れたものです。
以前から、このような文面がありましたが、神の意志、行為、弥栄と離れた世界に進む方と、神の意志、行為、弥栄に進む方と二分化されるような文面になってきています。
Ⅵ.戒律、審判は、歓喜浄化を裁くこととなり、神自らを切断することになります。
●歓喜に審判なく、神に戒律はない。戒律は弥栄進展を停止断絶し、審判は歓喜浄化を裁く。このことは神自らを切断することである。
歓喜に審判なく、神に戒律はありません。
戒律は弥栄進展を停止断絶し、審判は歓喜浄化をさばきます。
この事は、神自らを切断することにあります。
Ⅶ.裁きはあり得ず、すべては、湧き出づる、歓喜のみの世界なることを知らねばなりません。
●裁きはあり得ず戒律はつくり得ず、すべては これ湧き出づる歓喜のみの世界なることを知らねばならない。
裁きはあり得ず、戒律はつくり得ず、すべては、これ湧き出づる歓喜のみの世界なることを知らねばならない、とあります。
まだまだ、此の世は、裁き、戒律は強くあります。
ですが、それが無くなり、その上で、皆が弥栄していく世界を生み出して行く事が求められます。
2.まとめ
天国、極楽があると思念するのは、無き地獄を自らつくり生み出す因です。
本来なきものをつくり出し、一を二に分けます。
ですが、分ける事によって、力を生み弥栄します。
地獄ないところには、天国はない為です。
地獄の三段目の表が、天国に通じる道なのです。
善を思念するが故に悪を生みだします。
一あり二と分け、はなれてまた、三と栄えるが故に歓喜が生れます。
生前、生後、死後、であり、〇であり、(ウズ)であり、⦿であり、・に集約され、総ては無にして有です。
人の生後の生活は、生前の生活の延長、また死後の生活へと進みます。
立体、立々体と進み、善悪美醜の呼吸の調和により弥栄浄化します。
このようにして、一の段階より二の段階へ、更に三の段階へと弥栄浄化する流れです。
善悪美醜のことごとくは歓喜となります。
このようにして、神の中の神として総てが弥栄していきます。
悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬと考える地上人的思念は、神の意志、行為、弥栄と離れたものです。
戒律、審判は、歓喜浄化を裁くこととなり、神自らを切断することになります。
裁きはあり得ず、すべては、湧き出づる、歓喜のみの世界なることを知らねばなりません。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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