今現在、気になっているのが、手遅れ、といった文面が減少した一方で、
間に合はん、の文面が増えている事です。
もはや、間に合わない方々が、大半である事を前提にしているかのようで、実際、草木始め他の存在の改心は進んでゐるのに、人は殆ど改心できていません。今の世が実際そうだと思っています。
私も、前回一番気になったマンデラ・エフェクトの中には、心の内に、「間に合はん」と聞こえてきたら順調である、という文面でした。
参考:Ⅴ.相対から行きますと、必ず後戻り、です。「間に合はん」、心の内から聞こえてゐましたら順調です
間に合はん、方が多いので、できる方より早く進めて下さい。位の勢いになってきています。
そこで、今回気になったのが、間に合はん、の文面でした。
また、間に合はん、の文面の前後では、此の後の世界の在り方がかなり詳細に現わされる事になってきました。
マンデラ・エフェクト文面も結構にあり、こう言えば何ですが、「間に合はん」の前後の文面から判断しますと、
もう愈々動き出す、と言ってよいと思います。
今回、今すぐ御伝えしないとならないのは、殆どの方々は、間に合はん、とありますから、その文面の前後に起こっている状況から、此の道に一刻も早く進んで下さい。
「間に合はん」は35個所、「間に合」で45個所あり、かなり急激に増えてきている、と見てゐます。
それでは、間に合はん、に関する文面を御伝えします。
1.間に合はん、今、道を生み出す事に関する文面につきまして その1
Ⅰ.早く掃除せぬと間に合はん、ことになります。てんし(・四)様となり、口と心と行と、三つ揃うたまこと、となってください
●己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。加実が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。
御自身の我と向き合えば、戦が済んでいない事は判っていると思います。
実際、社会全体でも、戦が終わってゐないですし、それで、戦が済むと思うてゐる、のであれば、あきれたもの、と御伝えされています。
早く掃除せぬと、間に合わん、という事になってきます。
何より掃除(そウ事)が第一、と御伝えされています。
御三体の大神様を生み出すように、思念界を変えていき、御自身の我の改心を進めて下さい。
此の道に入りますと、さびしさ、を体験すると思いますが、神様のさびしさに比べますと、人の幾万倍あります。
ここまで道を伝えていても、行に移さない人が殆どですし、中には、反発する方までいます。此の神様の悪口を言ふ方までもいます。
此の神様のさびしさ、に比べれば、人が感じるさびしさは、何でもありません。
その、さびしさを超へて時を待つ、説きを待つ、十キを待つ、と伝えられています。
加実(加三)(六七、一三)(十)が、世界の王になります。
三が道から、無から、次々新たな世界を生み出す方が、和して(十)いく方が、世界(四カイ)の王になるのです。
てんし様が神様と分からん臣民ばかり、それは、・四様です。
・から、しきまきや、から生み出す方が、てんし様です。
それは御自身なのですが、その事が分からん臣民ばかり、と御伝えされています。
口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)(三九十)と言ひます。
口と心と行三つ揃い、三が道を生み出すコト(九十)の事です。
神の臣民は、みな、みこと(三九十)になるミタマですので、掃除するミタマ結構、とお御伝えされています。
Ⅱ.みそぎ、はらひ、を進めて下さい。早くせねば間に合はん、ことになります
●この道はスメラが道ざ、すめるみ民の道ぞ。みそぎせよ、はらひせよ、臣民 早くせねば間に合はんぞ。岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。
此(九)の道は、スメラ(四、六六、〇)の道です。すめるみ民(四め流三 十三)の道、です。
しきまきや、から、三が道を生み出す民の道、です。
それには、みそぎ、祓ひ、が求められます。
祓ひ(八〇、一一)とは、永劫の過去から、神様を生み出す事にあり、あらゆる事への理解から生み出します。
それは、悪、苦、への理解から新たな世界を生み出す事が早いです。
前世ヒーリングが一つそれに当たります。
臣民、早くせねば、間に合はん、と伝えられています。
岩戸開くまでに、まだ一苦労あります。
この世はまだまだ悪くなっていきます。
神も仏もこの世には居らぬ、といふところまで、とことん(十九十ん)まで落ちていきます。
ですが、コトから生み出す神様であれば、無から、もう一段上の無から生み出し続けていきます。
御自身が、コトとなれば、問題はありません。
九月に気を付けて下さい、九月が大切の時、です。
今は、まだ、三月、と云っても、九月は、すぐにやってきます。
その時までに準備ができていませんと、間に合はん、ことになります。
Ⅲ.最後のことは、此の神様でないと判りません。いよいよとなりて教へて呉れと申しても間に合ひません
●この世が元の神の世になると云ふことは、何んなかみにも分って居れど、何うしたら元の世になるかといふこと分らんぞ、かみにも分らんこと人にはなほ分らんのに、自分が何でもする様に思ふてゐるが、サッパリ取り違ひぞ。やって見よれ、あちへ外れ こちへ外れ、いよいよ何うもならんことになるぞ、最後のことは この神でないと分らんぞ。いよいよとなりて教へて呉れと申しても間に合はんぞ。
この世が元の神の世となると云ふことは、どんな神様にも分かっていますが、どうしたら、元の世になるか、といふことは分からないようになっています。
それは、御自身が此の道に進み、御神示と共に、改心を続けていく以外ありません。
ですから、神様にもそれは分からないのですが、神様にも分からないこと、人には、なほ分からないのに、御自身が何でもする様に思ふてゐるが、それは、サッパリ取違ひになります。
実際、此の道に進みますと、未来が、読めなくなってきます。
思念界書き換えが大前提だからです。
未来の予測が外れて、もう一段上の展開がやってくる感じとなっていくのです。これが嬉しきビックリ、です。
それは、過去から、前提から変わっていく為で、此の神様でしか分からないのです。
やってみると分かりますが、あちへ外れ、こちへ外れ、いよいよ、どうにもならないことになるのです。
ですが、嬉しきビックリと共に進みますし、御神示通りに書いてある事が出てきますし、肚が座っています。
最後のことは、此(九)の神様でないと分かりません。
それは、御自身でも分らないのですが、まずは、此の神様に任せ切れるようになるかどうかです。
それは、地道に、此の道一本に進み、行の継続をし、嬉しきビックリ、を体験していく以外判らないようになってゐるのです。
いよいよとなりて教えて呉れ、と申しても間に合わないのです。
Ⅳ.みがけた人が、神のお宮となりますので、早くせねば、間に合わんことになります
●お宮も一時は無くなる様になるから、その時は、みがけた人が神のお宮ぞ。早う身魂みがいておけよ、お宮まで外国のアクに壊されるやうになるぞ。早くせねば間に合わんことぞ、
お宮も一時は、無くなる(七九成る)様になります。
そういえば、此の道に進みますと、お宮に向かってする感じではなくなっていくかもしれません。
ご自宅そのものがお宮になる為です。
その時は、みがけた人が神のお宮、となります。
七九成る様になれば、順調です。もう一段上の無を、くにつつみ、から起こしている状況です。
ですから、早う身魂みがいておけよ、と御伝えされています。
お宮まで、外国のアクに壊されるやうになります。
私の場合ですと、引っ越しがそれにあたるかもしれません。
このように、早く段階が進みますと、大難が小難で済むかもしれません。
段階が進んでゐませんと、お宮、神社が破壊されるような事態しか想像できない、と思います。ハルマゲドン的世界ですね。
それは、今の御自身の理解、体験に応じた世界、でしかなく、掃除、改心ができていない為に、マンデラ・エフェクトを起こせていない世界に移行する、という事しか想像できない為です。
それでは、手遅れなのはよく分かると思います。
早くせねば、間に合わんこと、となります。
Ⅴ.智恵、学、金ではどうにもならず、さうなりたら神をたよる他に手なくなるので、さうなりてから助けてくれと申しても間に合いません
●知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。
此の道に進みますと、今度は、智恵でも学問でも、金積んでもどうにもならんことになってきます。
さう(三ウ)なりたら、神をたよるより(四理)他に手は無くなりますので、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合いません。
イシヤの仕組、ですが、これは、平面世界に囚われの世界です。
石八の仕組、三次元の神様に囚われている世界、です。
今の世界の人間における基本的な価値観ですが、その為に、まだ、目さめん臣民ばかりです。
日本精神と申して、仏教の精神、基督教の精神、ばかりです。
それは、教であり、教による、平面囚われの世界、です。
それは、宗教に限らず、学、政治、経済も平面囚われ、となってしまっているところがあります。
今度は、神様があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心させる、とあります。
その為には、御自身が、まず、此の道に進んでいかないとなりません。
早く、さう(三ウ)なりて下さい。
三が道から生み出す世界へと、御自身が、自ら進んで下さい。
Ⅵ.またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来ますので、さあといふ時になりてからでは間に合いません
●またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。この方は元のままの身体(からだ)持ちてゐるのざから、いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、仕まひにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、かなとは⦿(カミ)の七(ナ)ぞ、神の言葉ぞ。今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うているが、みな神がばかして使ってゐるのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心して呉れよ。
またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が起こりますから、くどう(九土ウ)キ付けてゐるのです。
元々、此(九)の道から、世界中あちらこちらで、マンデラ・エフェクトが起こっています。
それは、苦を苦で無くす、くにつつみ、から生まれているのです。
さあといふ時になりてからでは間に合はん、のです。
ですから、用意(四ウ意)なされよ(七三〇四)、とあるのです。
しきまきや、から生み出す意識より、もう一段の上の無、三が道から、生み出す世へと進めて下さい。と伝えられています。
こ(九)の世の大洗濯、この後起こるのですが、われよしの神ではよう出来んぞ、
とあります。
裏を返せば、多くの方々、が、われよしの神様、である事、囚われている事にも気付けていない事。
を御伝えしているとも言えそうです。
此の方は、元のままの身体(からだ)持ちてゐるから、いざとなればどんなことでもして見せるぞ。
とあります。
元のままの身体(からだ)とは、半霊半物、の状況でしょうか。
さすがに今の私は、此の事は実現していませんが、一刻も早く、元のままのからだ、半霊半物への、実現に向けて進めてほしいと思います。
仮名ばかりの御神示と申して馬鹿にする臣民も出てきますが、仕まひには、仮名(六七、二四)に頭さげて来ねばならんようになります。
かなとは、⦿(カミ)の七(ナ)、です。
神の言葉、です。
神の言葉、は、⦿から、もう一段上の無、なので、常々分からないようになっています。
今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うてゐるのですが、
みな神がばかして使ってゐるのに気づかんか、と伝えられています。
実際には、此の神様達によって、マンデラ・エフェクト、神学によって、第二次世界大戦後では、殆ど進んできたのです。
気の毒なお役も出てきますので、早う改心してくれよ(九〇四)と伝えられています。
くにつつみ、しきまきや、から、新たな世界を生み出す事は、早い内に進めて下さい。
2.まとめ
手遅れ、の文面が減り、間に合はん、の文面が増えていますので、
近い内に、愈々、動き出す可能性が高いですが、
間に合はん、に関する文面前後には、この後の様相が詳細に書かれています。
早く掃除せぬと間に合はん、ことになります。
加実が世界の王になり、てんし様が神様となり、
それは、口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)、それが、御自身となる事にあります。
みそぎ、はらひ、を進めて下さい。
岩戸開くまでに、まだ一苦労あります。
神も仏もこの世には居らぬ、といふところまで、とことん(十九十ん)まで落ちていきますが、御自身が、コトとなれば、問題ありません。
最後のことは、此の神様でないと判りません。
此の道に進むと、嬉しきビックリが普通になりますので、人の考えでは判りませんので、いよいよとなりて教へて呉れと申しても間に合ひませんから、一刻も早く改心を進めて下さい。
みがけた人が、神のお宮となります。
お宮も一時は、無くなる(七九成る)様になります。
早く段階が進む程に、小難無難で済みます。
智恵、学、金ではどうにもならず、さうなりたら神をたよる他に手なくなるので、さうなりてから助けてくれと申しても間に合いません。イシヤの仕組、囚われた平面世界の神様の仕組に、皆、囚われていますので、その為にも、まず、此の道に進み、改心を続けていく事が求められます。
またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が起こりますから、くどう(九土ウ)キ付けてゐるのです。
さあといふ時になりてからでは間に合はん、のです。
ですから、用意(四ウ意)なされよ(七三〇四)、とあるのです。
この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。とあります。
ですが、殆どの方は、われよしの神様の部分が、御自身にある事の自覚もありません。
仮名ばかりの御神示と申して馬鹿にする臣民も出てきますが、仕まひには、仮名(六七、二四)に頭さげて来ねばならんようになります。
かなとは、⦿(カミ)の七(ナ)、です。
神の言葉、です。
その為には、もう一段上の無、をカミヒト共に進む事が求められます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。