そなた、に関する文面12です。
引き続き、補巻 月光の巻の三つの文面をお伝えします。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、3つの文面全てにおいてあります。
1つ目は、
科学を超えて神の学に生きて下されよ、として下さい。というものです。
神の学基軸に生きる事はもはや前提となってきています。
今の世では、まだまだ考えにくくありますが。
2つ目にありますマンデラ・エフェクト文面は、かなり前に起こったものと思います。
小さい自分ばかりの慾をすて、まことの大深慾になりさへ動けば、何事も見事成就します、というものです。
まことの大深慾は以前ありませんでしたが、これも、もはや前提になっている所があります。
3つ目の文面では、
そなたは先ばかり見てゐます。まず、足もとに気つけねば成らんようになっている、というものです。
足もとに気つけねば、成らんようになっているのですが、これも、足もと(あ、四、⦿)に気つける時来ている、という事です。
それでは、そなたに関する文面12をお伝えしますね。
1.補巻 月光の巻 第三十四帖 科学を超えて神の学に生きて下されよ(三〇四)、としてください。
Ⅰ.科学を超えて神の学に生きて下されよ(三〇四)、としてください。
●かみかかりはよしなされよ。そなたは学に囚われて御座るぞ。科学を越えて神の学に生きて下されよ。
かみかかりはよしなされ、とあります。
かみかかり、に頼りすぎてもダメです。
そなたは、学に囚われて御座る、とあります。
学に囚われてもダメです。
科学を超えて神の学に生きて下さい。
これは、嬉しきビックリを体験しだすと判ってきます。
まずは、此の道に一本に絞って真剣に三年の行からです。
Ⅱ.自分で勝手に小さい自分の神をつくって首をしめているので、一度その神を捨てて下さい。
●そなたは自分で自分の首をしめるようなことをして御座るぞ。自分で勝手に小さい自分の神をつくってゐるぞ。一度その神をすてなされ、固く抱きしめたり、とぢこめてゐるから判らんことに行きつまるのぢゃ。判りたか。
自分で勝手に小さい自分の神様を作ってゐます。
ですから、一度その神様をすてて下さい。
固く抱きしめたり、とぢこめてゐるから判らんことに行き詰まります。
判りたか、とありますが、どうしても、自分で勝手に小さい自分の神様作りがちなので、注意が必要です。
(多くの方々に該当するのですが、一つは、御神示読んでいない方、また軽く見てゐる方に多いです)
Ⅲ.我(が)と判らん我(が)を気つけなされよ、としてください。
●我(が)と判らん我(が)を気つけなされよ、今一息と云ふところぞ。
我(が)と判らん我(が)を気つけなされよ、とあります。
御自身でも気づかない我、は、千人力超えてもあります。
我、の改心は、最後まで求められそうです。
ですが、段階が進んでまた判る事もあり、我と判らん我が、御自身の神である場合もある事。
これも、徐々に判ってきます。
僅かであっても、その方の行に応じて、やはり元の神様、関係していない人もこれも中々いないです。
ですが、それも、日々の御自身の行の進捗、我の改心に応じて現れてきます。
善い意味での、御自身の我、それが、神の御心のケースである事も、気付く事が大切です。
今一息、と云ふところにあります。
2.補巻 月光の巻 第三十五帖 小さい自分ばかりの慾をすて、まことの大深慾になりさへ動けば、何事も見事成就します。
Ⅰ.化物に化かされんよう、おかげ落とさんようにして下されよ、としてください。
●化物に化かされんよう、おかげ落さんようにして下されよ。
化物に化かされんよう、おかげ落とさんようにしてください。
多くの方が良いと思っても、神の御心からかけ離れている事もよくあります。
この事でおかげ落とさんようにしてください。
それは、御自身の我にもあることにも注意が必要です。
Ⅱ.よいことを申し、よい行をしてゐても、よくない人があります。
●よいことを申し、よい行をしてゐても、よくない人があるのぢゃ。よくないことも御用の一つではあるが、そなたは未だそれを消化する程の所まで行ってゐないぞ。小学生が大学生のまねしてはならん。
よいことを申して、よい行をしてゐても、よくない人があるのです。
それは、周囲に現れる、という意味合いが一つあります。
ですが、まず、省みていない方です。
省みてませんと、新たな世界、特に立体世界を生み出せないのです。いくらよくても、囚われを強めてしまいますと、それだけで81の世界に近づいていきます。
よくないことも御用の一つではあると言っても、そなたは、未だそれを消化する程の所までは行ってゐない、とあります。
ただ、これは、段階を進んでも、何かあるなあ、と新たに気づく事もあります。
小学生が大学生のまねしては成らん。とありますが、まずは、一段一段、目の前のできる所から始めて下さい。
そして、修正していく所は修正していく事が求められます。
Ⅲ.小さい自分ばかりの慾をすて、まことの大深慾になりさへ動けば、何事も見事成就します。
●そなたはまだ慾があるぞ。慾を、小さい自分ばかりの慾をすてなされ。そしてまことの大深慾になりなされよ。その気持さへ動いてくれば、何事も見事成就するぞ。
これもどこかからか生まれた文面です。
そなたはまだ慾があります。
慾を、小さい自分ばかりの慾をすてる所から始まります。
そして、まことの大深慾になりなされよ、とあります。
その気持ちさへ動いてくれば、何事も見事成就します。
まことの大深慾は、あらゆる存在を助けていく、三千世界の和合、にあると思っています。
この上で、その方自身で、自発的にその行をしたくなるように進めていくのは、簡単ではありません。
3.補巻 月光の巻 第三十九帖 そなたは先ばかり見てゐます、まず、足もとに気つけねば成らんようになっています。
Ⅰ.何ごとが起こっても、苦しいことでも、悲しいことでも喜んで迎へて下さい。
●何ごとが起ってきてもそなたは先づよろこべよ。それが苦しいことでも、かなしいことでも喜んで迎へよ。
何ごとが起こっても、そなたは先ずよろこんで下さい。
それが、苦しいことでも、かなしいことでも喜んで迎へて下さい。
そこから、新たな世界を生み出す元が必ずあります。
Ⅱ.喜ぶ心は喜び生みます。人民よろこべば、神よろこびます。天地晴れ、輝きます。
●喜ぶ心は喜び生むぞ。人民よろこべば神よろこぶぞと申してあろが、天地はれるぞ。輝くぞ。
これも、どこかからか生まれた文面と見ます。
喜ぶ心は喜び、生むもとです。
人民よろこべば神様よろこぶのです。
天地はれ、輝くことになります。
Ⅲ.そなたは先ばかり見てゐます、まず、足もとに気つけねば成らんようになっています。
●そなたは先ばかり見てゐるぞ。足で歩くのぢゃ。足もとに気つけねばならんぞよ。
この文面は初めてと見ます。
そなたは先ばかり見てゐます。
足(あ四)で歩くことが求められます。
足(あ四)もと(⦿)に気つけねばならんぞよ、とあります。
永劫の過去、しきまきや、から生み出すその元(⦿)に気つけねば成らんのです。
Ⅳ.相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ、と伝えられています。
●そなたは自分ひとりで勝手に苦しんで御座るなれど、みなが仲よう相談なされよ。相談結構ぢゃなあ。相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ。
そなたは自分ひとりで勝手に苦しんでござる、とありますが、
みなが仲よう相談なされよ(七三〇四)としてください。
相談結構です。
相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ(三〇四)としてください。
4.まとめ
神かかりはよして、学に囚われず、科学を超えて神の学に生きて下されよ(三〇四)、としてください。
自分で勝手に小さい自分の神をつくって首をしめているので、一度その神を捨てて下さい。
我(が)と判らん我(が)を気つけなされよ、としてください。
慢心もありますが、神の御心にも気を付けて下さい。
化物に化かされんよう、おかげ落とさんようにして下されよ、としてください。
よいことを申し、よい行をしてゐても、よくない人があります。
周囲にそれが現れるケースもありますが、省みてゐない方が一つこれにあてはまります。
小さい自分ばかりの慾をすて、まことの大深慾になりさへ動けば、何事も見事成就します。
今の所、まことの大深慾は、あらゆる存在を助けていく、三千世界の和合、が無難に思っています。
何ごとが起こっても、苦しいことでも、悲しいことでも喜んで迎へて下さい。
喜ぶ心は喜び生みます。人民よろこべば、神よろこびます。天地晴れ、輝きます。
そなたは先ばかり見てゐます、まず、足もと(あ、四、⦿)に気つけねば成らんようになっています。
相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ、と伝えられています。
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