続いて、磐戸(一八十)の巻の、無いに関する文面です。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、
この神の申すこと、天のミチ、地のミチ、人のミチ、です。
道については、理、はあったと思いますが、遂に、カタカナで伝える事となりました。
カタカナですと、道は、理、以外に、満ち、未知、三智、身千、三千・・・、様々な解釈ができます。
実際、ここまでは、三千、という意味ではかなり多く伝えてきましたが、もはや、この事は普通の事となってきています。ミチ、三千世界の和合、三つの世界の千人力、については、もうどこか前提になってきています。
イワトの巻も、一八十、という書かれ方も、どこかからのマンデラ・エフェクトだったと思いますが、
八から十へと生み出し始めていく事も、これからは、普通のように求められていくようです。
また、前回に引き続き、まことの神かかり、に早うになる事が求められています。
それでは、磐戸(一八十)の巻を御伝えしていきますね。
- 1.磐戸(一八十)の巻 第七帖 この神の申すこと、天のミチ、地のミチ、人のミチ、です
- Ⅰ.人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひです。
- Ⅱ.早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ(九〇四)として下さい。こわいのは、タマにあります。
- Ⅲ.タマの戦、渦、を解決していくには、どうしても、ミタマ磨いて神かかれる様にならねばなりません。
- Ⅳ.まことの神かかりが求められます。
- Ⅴ.世界のことは、皆、御自身の心にうつりて、心だけのことより出来んようになっています。
- Ⅵ.今迄の様な宗教、集団(ツドヒ)はつぶれてしまいます。自分でつぶれます。早うこの神示、魂にしてマコトの道進んで下さい。
- Ⅶ.此の神の申す事は、天のミチ、地のミチ、人のミチ、です。
- Ⅷ.今度の岩戸ひらき、大望済んでも、すぐによいことばかりではありません。
- 2.まとめ
1.磐戸(一八十)の巻 第七帖 この神の申すこと、天のミチ、地のミチ、人のミチ、です
Ⅰ.人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひです。
●人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、
人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違いです。
戦や天災でラチあく様なチョロコイことではない、と伝えられています。
神の政治をしていけば、神の御心に沿っていれば、岩戸開きますし、戦、天災も、難なく解決する流れとなります。
Ⅱ.早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ(九〇四)として下さい。こわいのは、タマにあります。
●あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、
あいた口ふさがらんことになりて来ますので、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、と伝えられています。
あいた口ふさがらん、という状況は、時間が止まるようなそのような状況が一つ考えられます。
それには、ミタマを磨き続け、周囲の世界を変えていく事が求められます。
肉体のこわさではなく、タマのこわさです。
Ⅲ.タマの戦、渦、を解決していくには、どうしても、ミタマ磨いて神かかれる様にならねばなりません。
●タマの戦や禍は見当とれまいがな、真通理(まつり)第一と申すのざ、神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。
タマの戦や渦は見当とれまいがな、とあります。
実際、全てはキから始まりますから、タマの戦、渦は、
放置しておきますと、終わりなくどんどん悪化する流れになります。
ですから、真通理(まつり)第一、なのです。
それには、神のミコト(三九十)にきいてください。
三が道、くにつつみ、と神の道へと進んで下さい。
それには、どうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんようになっています。
Ⅳ.まことの神かかりが求められます。
●神かかりと申しても其処らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。まことの神かかりであるぞ。
繰り返しですが、神かかりと申しても、そこらに御座る天狗や狐、狸つきではありません。
まことの神かかりです。
カミヒト共にの境地の神かかりです。
神の御心に沿う事が求められます。
参考:日の出の巻 第二十一帖 神かかってゐないと見える神カカリが誠の神カカリです。
早う、掃除、洗濯、を進めて下さい。
Ⅴ.世界のことは、皆、御自身の心にうつりて、心だけのことより出来んようになっています。
●右行く人、左行く人とがむるでないぞ。世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道はマナカゆく道とくどう申してあること忘れるなよ、
右行く人、左行く人、とがめたくなるケースもあると思いますが、
それは、とがめてはなりません。
世界のことは皆、御自身の心にうつりて心だけのことより出来ないようになっています。
ですから、とがむる前に、御自身の周囲で解決できる所から世界を変えていく事が求められます。
そして、とがむ、気持ちが出て来るのであれば、後廻しにして下さい。
やがて、無理なく話が進むようになる時がきます。
この道理(土ウ理)わかりたか、とあります。
御三体の大神様を生み出す流れで進んで下さい。
此の道は、マナカゆく道、くどう(九土ウ)申してあること忘れないようにして下さい。
Ⅵ.今迄の様な宗教、集団(ツドヒ)はつぶれてしまいます。自分でつぶれます。早うこの神示、魂にしてマコトの道進んで下さい。
●今迄の様な宗教や教の集団(ツドヒ)はつぶれて了ふぞ、神がつぶすのではないぞ、自分でつぶれるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、
今迄の様な宗教や教の集団(ツドヒ)はつぶれてしまいます。
神がつぶすのではなく、自分でつぶれるようになるのです。
早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、として下さい。
Ⅶ.此の神の申す事は、天のミチ、地のミチ、人のミチ、です。
●俳句は俳句と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教であるぞ。この神の申すこと、天のミチぞ、地のミチぞ、人のミチざぞ。
俳句は俳句、天理は天理、金光は金光だけの教とあります。
教(おしえ)である以上は、平面、囚われになります。立体に進めません。
この神の申すことは、天(・)のミチです。地のミチです。人のミチです。
弥栄実践、祓実践、まつり実践から、新たな世界を生み出すミチです。
そして、御神示は、マンデラ・エフェクトを起こして行きます。
これが、立体です。
それは、無理なく一段一段、ミチに進むようになっています。
そういえば、ミチ、と言った、カタカナで現れるのも初めて、と見ます。
道、理、以外に、満ち、未知、三智、身千、三千・・・、様々な解釈ができると思います。
教と、ミチは、全然違ったものである事を忘れてはなりません。
Ⅷ.今度の岩戸ひらき、大望済んでも、すぐによいことばかりではありません。
●今度の岩戸ひらきの大望(たいもう)すみたとて、すぐによいことばかりではないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、すなほに、神の申す通りにするのが何より結構なことざぞ。
今度の岩戸ひらきの大望(たいもう)すんでも、すぐによいことばかりではありません。
二度とないことですから、臣民では見当取れません。
ですから、肚の底から改心して、すなほに、神様の申す通りにするのが何より結構です。
無理なく、此の道を進んで下さい。
2.まとめ
人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひ、となります。
あいた口ふさがらんことになりて来ますので、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、
として下さい。
肉体のこわさではなく、こわいのは、タマにあります。
タマの戦、渦、を解決していくには、どうしても、ミタマ磨いて神かかれる様にならねばなりません。
それは、まことの神かかり、です。
世界のことは、皆、御自身の心にうつりて、心だけのことより出来んようになっています。
とがむる前に、御自身の周囲で解決できる所から世界を変えていく事が求められます。
此の事で周囲の世界を一段一段変えていきます。
今迄の様な宗教、集団(ツドヒ)はつぶれてしまいます。自分でつぶれます。
早うこの神示、魂にしてマコトの道進んで下さい。
教(おしえ)である以上は、平面、囚われになります。立体に進めません。
此の神の申す事は、天のミチ、地のミチ、人のミチ、です。
弥栄実践、祓実践、まつり実践から、新たな世界を生み出すミチです。
そして、御神示は、マンデラ・エフェクトを起こして行きます。
これが、立体です。
無理なく一段一段、ミチに進むようになっています。
今度の岩戸ひらき、大望済んでも、すぐによいことばかりではありません。
二度とないことですから、臣民では見当取れません。
ですから、肚の底から改心して、すなほに、神様の申す通りにするのが何より結構です。
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