まことに関する文面8に進みます。
今回の文面は、地(九二)つ巻 第七帖 になります。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、後半に集中しており、後半は殆ど原型が無い位に変わっています。
世の元は、天も地も泥の海で、その時から此の世初まってからの生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来る事、をお伝えされています。このように、天も地も泥の海である事の理解、更には、生き通しの神々様の御働きの理解、そして、御自身が体験する時に来ています。
腹が出来ていますと、腹に神づまります。
高天原、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)、の理解から、世の元が分りてきます。
とこのように、高天原、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)、の理解、体験が求められている段階に来ています。
海(ウ三)をみな船(二根)で埋めねばならん、とあります。
一切を二二の仕組み、しきまきや、で埋めて(生めて)いく事が求められます。
ですから、海(ウ三)断たれて苦しまんようにしてください。とあります。今の世では、ウ三を断ち、三界和合を断ちている為に苦しんでゐます。
海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国(がいこく)の悪わたり来て神は残念ぞ。
と、幽国(がいこく)の悪により、囚われの世界に変わってしまった事をお伝えされています。
ですが、見ておざれ、と、神の力現はす時が来ています。
見て御座れではなく、見ておざれ、ですので、お、は、シチニの神様です。
無限に、もう一段上の世界を、二二の仕組みより生み出す事が求められます。
と、このように、生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来る、
その詳細についてお伝えされています。
それでは、まことに関する文面8、をお伝えしますね。
- 1.地(九二)つ巻 第七帖 此の世初まってからの生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来ます。
- Ⅰ.神にまつらふ者には、生も死もありません。死のこと、まかると申してあります。生き通しです。
- Ⅱ.臣民でも、昔はなきがら残さないで死(まか)った、それが、まことの神国の臣民、みことです。
- Ⅲ.世の元は、天も地も泥の海でした。その時から此の世初まってからの生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来ます。
- Ⅳ.腹が出来ていますと、腹に神づまります。高天原、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)、の理解から、世の元が分りてきます。
- Ⅴ.海(ウ三)をみな船(二根)で埋めねばならん、とあります。海(ウ三)断たれて苦しまんようにしてください。
- Ⅵ.見ておざれ、と、神の力現はす時来ています。シチニの神様です。
- 2.まとめ
1.地(九二)つ巻 第七帖 此の世初まってからの生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来ます。
Ⅰ.神にまつらふ者には、生も死もありません。死のこと、まかると申してあります。生き通しです。
●神にまつらふ者には生も死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、
神にまつらふ者には、生も死もありません。
死のこと、まかると申してある通りです。
死んでも、生も死もなく、生き通しとあります。
Ⅱ.臣民でも、昔はなきがら残さないで死(まか)った、それが、まことの神国の臣民、みことです。
●なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。
なきがらは臣民残さなならんのですが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのです。
その後が、マンデラ・エフェクト文面と見ます。
それが、まことの神国の臣民であり、みことです。
なきがらが残るようになったのは、囚われから始まり、それは、我、の慢心、われよし、分け隔てが原因です。その上で、平面の行に囚われますと、さらに囚われる流れです。
そういえば、此の世の動物達、特に野生動物達は、死(まか)らない傾向、それなりに結構あると思っていますが、今の世、地球では人間が一番遅れているかもしれません。
Ⅲ.世の元は、天も地も泥の海でした。その時から此の世初まってからの生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来ます。
●世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのざぞ。
これは、マンデラ・エフェクト文面と見ます。
世の元と申すものは、天も地も泥の海でありたのです。
その時より、この世初まってから、生き通しの神々様の御働きによって五六七(みろく)の世が来る、とあります。
故に、世の元の理解、体験も必要となっていくと見ます。
それは、思念界から始めていく事が求められます。
我の洗濯、掃除、改心、から変えていく事から始まります。
Ⅳ.腹が出来ていますと、腹に神づまります。高天原、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)、の理解から、世の元が分りてきます。
●腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。
腹が出来て居ると、腹に神づまりまします。
それが、高天原です。
神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。
とあります。
これは、イザナギ命、イザナミ命、の問題ですね。男性の神様、女性の神様です。
男性、女性の乱れから始まった問題です。
男性、女性、更に、中性。全愛。
三が道の元となっている一面もあり、また、三界和合を進めていく上で重要な三界でもあります。
男性囚われ、女性囚われ、を無くしていく事が求められます。
Ⅴ.海(ウ三)をみな船(二根)で埋めねばならん、とあります。海(ウ三)断たれて苦しまんようにしてください。
●海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国(がいこく)の悪わたり来て神は残念ぞ。
この文面もマンデラ・エフェクト、と見ます。
海(ウ三)をみな船(二根)で埋めねばならんのです。
海(ウ三)断たれて、苦しまん様にして呉れよ(九〇四)とあります。
実際に、ウ三断たれてしまいますと、此の道は進まなくなり、どうにもならなくなります。
弥栄が止まる事と同じだからです。
日本が海めぐらしてある神の国なのは、実際には、ウ三、あらゆる三界和合によりて、新たな世界を生み出せる国でもあるのです。
ですが、皆、その事を忘れてしまってゐるのです。
きよめきよめておいた神の国に、幽国(がいこく)の悪わたり来て、神は残念、とあります。
そして、囚われの世と今現在は変わってしまったのです。
Ⅵ.見ておざれ、と、神の力現はす時来ています。シチニの神様です。
●見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。
見て御座れではなく、見ておざれ、ですね。これも、新たなマンデラ・エフェクト、と見ます。
ご、ではなく、お、です。これは、シチニの神様によって見ておいて下さい。という事と見ます。
もう一段上の無を生み出す、二二の仕組みの神様です。
シチニの神様によって、神の力現はす時が来ています。
2.まとめ
神にまつらふ者には、生も死もありません。死のこと、まかると申してあります。生き通しです。
臣民でも、昔はなきがら残さないで死(まか)った、それが、まことの神国の臣民、みことです。
世の元は、天も地も泥の海でした。
その時から此の世初まってからの生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来ます。
故に、世の元の理解、体験も必要となっていくと見ます。
腹が出来ていますと、腹に神づまります。高天原、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)、の理解から、世の元が分りてきます。
男性の神様、女性の神様、重要な三界和合の一つでもあります。
海(ウ三)をみな船(二根)で埋めねばならん、とあります。海(ウ三)断たれて苦しまんようにしてください。
日本が海めぐらしてある神の国なのは、実際には、ウ三、あらゆる三界和合によりて、新たな世界を生み出せる国でもあるのです。
見ておざれ、と、神の力現はす時来ています。
シチニの神様です。もう一段上の無を生み出す、二二の仕組みの神様です。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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