順序の心構えと、配列の法則について

日月神示、道の生み出し方について

順序に関する文面の最後になります。

順序、順、は全てにおいて非常に重要ですが、最後に、その順序を意識する上での心構え、更には、配列の法則、についてお伝えしていきます。

1.順序の心構えと、配列の法則、に関する文面につきまして

Ⅰ.小乗の行、馬鹿にできません。先ず小の神から進んで下さい。

小乗の行と馬鹿にするでないぞ。理屈で神を割出したり、そろばんでハヂキ出したり、今の鼻高さんはしているなれど、何処まで行っても判りはせんぞ。土耕す祈りに神の姿現はれるぞ。とどまってはならん。いつも弥栄々々に動いて行かなならん。大中心に向って進まねばならん。途中には途中の、大には大の、中には中の、小には小の中心はあるなれど、行く所は一つぢゃ。ぢゃと申して小の中心を忘れてはならん。神は順であるぞ。先づ小の神から進んで行けよ。ほんとのこと知るには、ほんとの鍛練いるのぢゃ。たなからボタモチ食っていては段々やせ細るのみ。鍛えよ鍛えよ。鍛えればこそ光出て来るのぢゃ。

順序の意識として、まず小乗の行が常々大切、という事です。

小乗の行は、向き合う状況があれば、常々、その小乗の行、は、大切、という事です。
時期によっては、頻繁にありますが、それは、とても重要、という事です。
(実際、小乗の行は、最後まで結構にしていくのでは、と思っています。)

小乗の行として、馬鹿にしてはなりません。

理屈で神様を割り出したり、そろばんでハヂキ出したり、今の方々は沢山していますが、それでは、人学ではどこまで行っても判らないようになっています。

土耕す祈りに神様の姿現はれます。

これは、比喩も含まれています。カミヒト、御三体の大神様をたがやす祈り、ですが、実際、お土を耕す祈りそのものにも、神様の姿現はれます。

とどまってはならん、のです。
いつも弥栄弥栄々々に動いて行かなならんようになっています。

大中心に向かって進まねばならん、のです。
途中には途中の、大には大の、中には中の、小には小の中心はあるのですが、行く所は一つです。
ですが、小の中心を忘れてはならん、のです。
神様は順なのです。

まず、の神様から進んで下さい。

大の神様、中の神様、が判ってきて、また関係しても、小の神様との関係性は常々求められるでしょう。

ほんと(火ん十)のこと知るには、ほんと(火ん十)の鍛錬いります。
ですから、小乗の行、です。

たなからボタモチ食っていては、段々やせ細るのみ、です。
よくありがちな、多くの方々の状況でもあります。

天地の御恩に限らず、支えてもらう、助けてもらう、して頂いてゐる。
誰もがその恩恵を頂いてゐますが、そればかりに依存していても、段々やせ細っていきます。

鍛えてください。
鍛えればこそ光出て来るのです。

Ⅱ.世界に呼びかける前に、日本に呼びかけ、世界を変えるのが、此の道が無理なく進む順序です。

道は易し、楽し。楽しないのは道ではないぞ、奉仕ではないぞ。世界に呼びかける前に日本に呼びかけよ。目醒まさねばならんのぢゃ。それが順序と申すもの。

道は易し、楽し。で進んでいきます。

楽しないのは道ではないのです。
奉仕でもないのです。

ここは、とても大切です。嫌々で進んでは、道ではありません。

楽しんで進む、というのが道です。
苦を楽しめるようになっていければ、道は進んでゐます。
それは、苦しむのではなく、楽として変へていく、そこから新たな世界を生み出せるようになっていく事にあります。

世界に呼びかける前に、日本(にほん)に呼びかけて下さい。
その中から、世界に呼びかければよいのです。
前世からですと容易です。

能力的には、やはり日本人でないとできないところがあります。
数沢山あります、かずたまの意味を理解していく事で、日月神示の意味が判ってきます。
それは、日本人、だからこそ、という事があります。

しきまきや、くにつつみ、あなはち、初め、前世ヒーリングを進めていけばよいのです。
そして、弥栄実践、祓実践、まつり実践、です。そこから、我の洗濯、掃除、改心、です。

その結果ですが、世界が書き換わって現れるようになります。

今現在の世界は、大幅に書き換わっている事に気付かれていますでしょうか。

地図だけでなく歴史も変わり、人も変わっています。
世界の要人もかなり書き換わっています。

これが、此の道の順序、なのです。

できるどころから思念を変えていく事で、一段一段世界も変わっていきます。
これが無理なく進む神様の道の順序なのです。

Ⅲ.世の中の順は、かずたま、ことたま、いろたま、の順です。

総てを愛せよと申すのは、高い立場のことで御座るぞ。九九(ココ)には九九の立場あるぞ。よく心得なされよ。世の中には順序あるぞ。それがカズタマ(数霊)、動くと音出るぞ。それがコトタマ(言霊)、ものには色あるぞ。それがイロタマ(色霊)。

総てを愛せよ、と申すのは、高い立場の事です。
此処まで進むには、中々時間がかかります。また、簡単ではありません。

ココ(九九)には九九の立場があります。

個々には、九九の立場があるという事です。
誰もが、九九の立場があるのです。

それは、無限に立場は変わっていくという事です。九の行から、次々と生み出せるからです。

よく(四九)心得なされよ(七三〇四)、とあります。

しきまきや、くにつつみ、より、もう一段の上の無、三が道から、しきまきや、から新たな世を生み出して下さい。

世(四)の中には順序があります。

それが、カズタマ(数霊)です。全ての元はカズから始まっています。
日月神示の原文は、数字、かな、記号、です。その多くは数字で、数字から、理解していけばよいのです。

続いて、動くと音が出ます。それがコトタマ。です。

更に、ものにはイロがあります。それがイロタマ、です。

Ⅳ.区別と順、わきまへていれば何拝んでも大丈夫です。時、所、位に応じて誤らねば弥栄します。

神の申すやうにすれば神が護るから、何事も思ふ様にスラリスラリと心配なく出て来るぞ。区別と順をわきまへて居れば、何様を拝んでもよい。時、所、位に応じて誤らねば弥栄えるぞ。同じ愛、同じ想念のものは自ら集まって結ばれる。天国のカタチ、ウツシが奥山ぞ。

神の申すやうにすれば、神様が守りますから、何事も思ふ様にスラリスラリと心配なく出て来ます。

それは、御神示通りなので、一つ一つ出て来ますから、実現している、此の道に進んでゐる、という確信が持てます。ですから、行を進めていかないと日月神示は判りませんし、読んでいるだけでは、何時までたっても平面世界のままなのです。

区別と順をわきまへて居れば、何様を拝んでも大丈夫です。
時、所、位、に応じて誤らねば、弥栄していきます。

同じ愛、同じ想念のものは自ら集まって結ばれる。ようになります。

天国のカタチ、ウツシが奥山、です。

奥山は、御自身の奥にあるのです。そして、御自身の奥から、ふで、はわけられるのです。このようにして、日月神示を実現していく流れです。

Ⅴ.奥に行くには、しきまきや、くにつつみ、といった、始めはカタ踏んでいかないとならんようになっています。

●順と区別さへ心得て居れば、何様を拝んでもよいと申してあろうが。日の神様ばかりに囚われると判らんことになるぞ。気付けおくぞ。それでは理(ミチ)にならん。父だけ拝んで母拝まんのは親不孝ぞ。おかげないぞ。おかげあったらヨコシマのおかげと心得よ。手だけ尊んではいかん。足だけ尊んでもいかん。一切に向って感謝せよと申してあろうが。門もくぐらず玄関も通らずに奥座敷には行かれん道理。順序を馬鹿にしてはならんぞ。いつ迄門に立っていても何もならん、お出直しぢゃ。川がなければ水流れん道理。始はカタふんで行かなならんぞ。

順と区別さへ心得ておれば、何様を拝んでもよいのです。

日の神様に囚われると判らん事になります。
表面だけ、結果に囚われる元となります。

(二二)(四二)付けおくぞ。とあります。
二二の仕組、しきまきや、をして下さい。という事です。

そうでないと、理にはならん、のです。

父だけ拝んで母拝まんのは、親不孝で、お陰ない、と伝えらえてゐます。
あったら、ヨコシマ(四九死魔)のお陰、一面的、有限のお陰、と心得て下さい。
しきまきや、くにつつみ、を無くした、魔のお陰です。

このように、手だけ尊んではいけませんし、足だけでもいけないのです。
一切に向かって感謝せよ。として下さい。

あらゆる、悪、苦への感謝ができる段階まで、進んで行かないとなりません。
ですが、一段一段、今現在、御自身のできる所から和していく以外ありません。

(三三、ん)もくぐらず、玄関(裏九九、ん、六七、ん)もくぐらずでは、奥座敷にはいけないのです。

三が道を二二の仕組みから生み出し、裏にあります苦を、九の二二の仕組みから、無、もう一段上の無を生み出すまで、奥座敷には行けないのです。

この順序を馬鹿にしてはならん、のです。

いつ迄、門に立っていても何もならん、のです。お出直しになります。

ですが、門の手前に居る方が、やはり殆どです。
それが、
人の我であり、11の囚われから、囚われを無くす事、6つの慢心の改心は簡単ではありません。

川がなければ、水流れないのです。
故に、道進まねば、水流れないのです。

道進まねば、滞る囚われた世界に行くのです。

始めはカタふんで行かなならんようになっています。

ですから、カタ踏んで、一段一段小乗の行から、世界を変えて下さい。

Ⅵ.マコトを衣として下さい。マコトとは数(かず)、言(こと)、色、その配列、順序、が法則です。

正とか不正とか申す平面的衣を早うぬいで下されよ。マコトを衣として下されよ、マコトを衣にするには心がマコトとなりなりて、マコトの肉体とならねばならん、マコトとは数(かず)ぢゃ、言(こと)ぢゃ、色ぢゃ、その配列、順序、法則ぞ。

正とか不正とか申す平面的衣は早うぬいで下されよ。として下さい。

永劫に弥栄の世界では、前の段階が常に悪ですから、正とか不正は無いのです。
常に今の最善を尽くすのみでしかないのです。そして時間が経過しますと、それは悪となっていきます。
その連続から立体、永劫弥栄の道に進むのです。

平面的衣はぬいで頂き、マコト(〇九十)を衣として下さい。

その為には、マコト(〇九十)となりなりて、マコトの肉体とならねばならん、とあります。

マコト(〇九十)とは、
数(かず)。カズタマ、です。

続いて、言(こと)。コトタマ、です。

最後に、色(いろ)。イロタマ、です。

その配列が、順序であり、法則です。

常々、かずたま、ことたま、いろたま、の順を守ってください。

まずは、数の理解から。常に此処から始まります。
続いて、ことたま。浄化であり、祓であり、まつりとしていきます。
更に、いろたま。優しさであり、更なるまつり、となります。

この順序は変わりませんので、特に、ひふみ、の祓を飛ばした、いろたま、のまつりが、多い、です。
この場合、いいところ十人分です。

悪や苦の理解から、祓、を進めて行きませんと、千人力には到達しませんし、万人力へとも進めませんので、この順は、常々、意識して、進めて下さい。

2.まとめ

小乗の行、馬鹿にできません。先ず小の神から進んで下さい。

ほんと(火ん十)のこと知るには、ほんと(火ん十)の鍛錬いります。
たなからボタモチ食っていては、段々やせ細るのみ、ですが、まずは小の神様を掴む所からです。
これが、順です。

道は易し、楽し。で進んでいきます。
苦を楽しめるようになっていければ、道は進んでゐます。
苦を苦で無くせる段階に進んでゐるからです。

世界に呼びかける前に、日本(にほん)に呼びかけて下さい。
日本の中から、世界に呼びかけ、世界を変えていくのが、此の道の順、です。

世の中の順は、かずたま、ことたま、いろたま、の順です。
この順で、しきまきや、くにつつみ、より、もう一段の上の無、三が道から、しきまきや、から新たな世を生み出して下さい。

区別と順、わきまへていれば何拝んでも大丈夫です。
時、所、位に応じて誤らねば弥栄します。

奥に行くには、しきまきや、くにつつみ、といった、始めはカタ踏んでいかないとならんようになっています。

マコトを衣として下さい。マコト(〇九十)とは数(かず)、言(こと)、色、かずたま、ことたま、いろたま、その配列、順序、が法則です。

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