弥栄、に関する文面16に進みます。
今回、は地震の巻 第九帖 その1です。
今回も、新しい単語も結構見られます。
復霊、復力、復体、複数的悪善、善悪善の立場、司宰神、といった単語は初めて、と見ます。
全般的マンデラ・エフェクト、も全般的に5割以上起こってゐると見ます。
おおまかには、
地上人は、地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて悪善としての力に生き、弥栄していく、というものです。
また、地上人は、死後の世界に通じることにより、複数的悪善におかれる。と伝えられています。
更には、地上人は、善悪善の立場におかれる場合が多い為、地上における司宰神としての力を自ら与えられる。と伝えられています。
更に、結構断言的なのですが、悪を除いて善ばかりの世となさんとする事は、科学的平面行為、悪そのものである。地上人の共通する誤りたる想念。とまで伝えられています。
日月神示内で、断言的内容は、結構珍しくありますが、地震の巻では、直近のマンデラ・エフェクトでは結構見受けられるようになってきています。
最後、悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界弥栄、不変にして変化極まりなき大歓喜となる、と伝えられています。
この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる。
と生き通し(不老不死)の境地、を伝えられている所があります。
今回は、地震の巻第九帖を2回に分けて御伝えします。地震の巻第九帖その1です。
それでは、弥栄、に関する文面16をお伝えしますね。
- 1.地震の巻 第九帖 その1 生前、死後、複数的悪善、悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界弥栄、不変にして変化極まりなき大歓喜となります。
- Ⅰ.霊、力、体の三つが調和する処に真実、生命ありますが、動き弥栄する道程において、復霊、復力、復体、の(右渦)(うごき)をなします。
- Ⅱ.悪あればこそ善が善として救われ弥栄し、善あればこそ悪は悪の御用を為し得ます。
- Ⅲ.悪は悪善として神の中に、善は善悪として神の中に弥栄し、力が現れ、呼吸し、脈打ちて生命します。
- Ⅳ.生前の霊人は、生前界のみにて善はなく、地上人との交流によって始めて善悪として力を生じ、生命していきます。
- Ⅴ.地上人は、地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて悪善としての力に生き、弥栄していきます。
- Ⅵ.しかして、尚地上人は、死後の世界に通じることにより、複数的悪善におかれます。
- Ⅶ.地上人は、善悪善の立場におかれる場合が多い為、地上における司宰神としての力を自ら与えられます。善悪が生かされ、御用の悪として許されている理由です。
- Ⅷ.神様は、悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として、正しく生かさんと為し給います。悪もまた神の御力の現れの一面だからです。
- Ⅸ.悪を除いて善ばかりの世となさんとする事は、科学的平面行為、悪そのものです。地上人の共通する誤りたる想念です。
- Ⅹ.悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界弥栄、不変にして変化極まりなき大歓喜となります。
- 2.まとめ
1.地震の巻 第九帖 その1 生前、死後、複数的悪善、悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界弥栄、不変にして変化極まりなき大歓喜となります。
Ⅰ.霊、力、体の三つが調和する処に真実、生命ありますが、動き弥栄する道程において、復霊、復力、復体、の(右渦)(うごき)をなします。
●霊、力、体の三つがよりよく調和する処に真実が生れ、生命する。これは根元からの存在であり用であるが、動き弥栄する道程に於て、復霊、復力、復体の(右渦)(うごき)をなす。
霊、力、体の三つがよりよく調和する処に真実が生れ、生命します。
この後、また新しい単語ですね。復霊、復力、復体、です。
これは根元からの存在であり用(はたらき)ですが、動き弥栄する道程において、復霊、復力、復体、の(右渦)(うごき)をなすようになります。
Ⅱ.悪あればこそ善が善として救われ弥栄し、善あればこそ悪は悪の御用を為し得ます。
●霊の立場よりすれば、霊は善であって、体は悪、体の立場よりすれば、体は善であって、霊は悪である。悪あればこそ善が善として救われ弥栄する。善あればこそ悪は悪の御用を為し得るのである。
この伝え方も初めて、と見ます。
霊の立場よりしますと、霊は善であって、体は悪。
体の立場よりしますと、体は善であって、霊は悪。となります。
ですが、悪あればこそ善が善として救われ弥栄します。
善あればこそ悪は悪の御用を為し得ます。
Ⅲ.悪は悪善として神の中に、善は善悪として神の中に弥栄し、力が現れ、呼吸し、脈打ちて生命します。
●悪は悪善として神の中に、善は善悪として神の中に弥栄える。力がそこに現れ、呼吸し、脈打ちて生命する。
悪は悪善として神の中に、善は善悪として神の中に弥栄える、ようになります。
力がそこに現れ、呼吸し、脈打ちて生命します。
Ⅳ.生前の霊人は、生前界のみにて善はなく、地上人との交流によって始めて善悪として力を生じ、生命していきます。
●故に生前の霊人は、生前界のみにては善なく、生命なく、地上人との交流によって始めて善悪として力を生じ、生命してゆく。
故に、生前の霊人は、生前界のみにては善なく、生命なく、地上人との交流によって始めて善悪として、力を生じ、生命していきます。
このように生前の霊人は、地上人との交流により、善悪として、力を生じる事になります。
ですから、前世ヒーリングはお勧めになります。
そこでも、単につながるのではなく、意志し理解し、過ち、囚われ、等初め、我の改心を進めていく事にあります。このようにして、我の改心が進みますと(霊人、地上人双方が理想)、周囲の世界が変わり、三が道を生み出す元となります。それが、歓喜であり、終わりなき弥栄です。
Ⅴ.地上人は、地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて悪善としての力に生き、弥栄していきます。
●地上人は地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて悪善としての力に生き、弥栄してゆく。
地上人は地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて、悪善としての力に生き、弥栄していきます。
ですから、生前界の理解、がまず大切ですし、生前界との交流が、地上物質界の弥栄には必要ですし、生前界と和していく事が求められます。
Ⅵ.しかして、尚地上人は、死後の世界に通じることにより、複数的悪善におかれます。
●而して、尚地上人は死後の世界に通じなければならぬ。死後の世界との関連により複数的悪善におかれる。
しかして、尚地上人は、死後の世界に通じなければなりません。
死後の世界との関連により、複数的悪善におかれます。
通じることにより、複数的悪善におかれますが、生きてゐる内でないと、理解しにくく、繋がりにくいところがある為です。
生前、も、死後、もですが、この世に現れている所もあります。
実際、普段周囲に起こる現象につきましても、生前、死後、と密接に関係しています。
ただ、死後に関しては、複数的悪善、とある為に、その先の枝分かれは、生前より多く存在していそうです。
ですから、まずは、生前の思念界変化、我の改心が求められます。
Ⅶ.地上人は、善悪善の立場におかれる場合が多い為、地上における司宰神としての力を自ら与えられます。善悪が生かされ、御用の悪として許されている理由です。
●善悪善の立場におかれる場合が多いために、地上に於ける司宰神としての力を自ら与えられるのである。善悪の生かされ、御用の悪として許されているのは、かかる理由によるものである。
地上人は、善悪善の立場におかれる場合が多いために、地上における司宰神としての力を自ら与えられる、とあります。
ですから、霊的世界を悪としての事が多く、その上で地上における司宰神となる事で、一例として環境破壊等地上都合の世界を生み出す事になります。
ですが、この和する、調和する方法をもって、そして、できる所からでよいので、行に移す事は大切な御用です。
ですから、環境破壊が許されているのも御用の悪、という事になり、御用の悪から新たな世界を生み出す事が求められます。
善悪の生かされ、御用の悪として許されているのは、かかる理由によるものです。
環境破壊は一例であり、他にも、御用の悪は山のようにあります。11の囚われがそれに該当します。
この為、御用の悪から、新たな世界を生み出していく事が求められます。
Ⅷ.神様は、悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として、正しく生かさんと為し給います。悪もまた神の御力の現れの一面だからです。
●善のみにては力として進展せず無と同じこととなり、悪のみにても また同様である。故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。何故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。
このように、善のみにては力として進展せず無と同じこととなります。
悪のみにても また同様です。ただ、悪には、空白があるのが、その答えでもあります。
悪は、新たな世界を生み出しやすくあります。
故に神様は、悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として、正しく生かさんと為し給います。
何故ならば、悪もまた神の御力の現れの一面なるが故です。
Ⅸ.悪を除いて善ばかりの世となさんとする事は、科学的平面行為、悪そのものです。地上人の共通する誤りたる想念です。
●悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。
悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為です。
その行為こそ、悪そのもの、です。
ですが、この科学的平面行為は、学の世界ではまだまだ強いです。
この一点に、地上人の共通する誤りたる想念が存在する。とあります。
ただ、このように、地上人に向けて、明確に、共通する誤りたる想念が存在する。
と具体的に伝え始めたのも初めてではないか、と見ます。
Ⅹ.悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界弥栄、不変にして変化極まりなき大歓喜となります。
●悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる。
悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となります。
この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となります。
(生き通し、半霊半物、不老不死の境地と見ます)
2.まとめ
霊、力、体の三つが調和する処に真実、生命ありますが、動き弥栄する道程において、復霊、復力、復体、の(右渦)(うごき)をなします。
悪あればこそ善が善として救われ弥栄し、善あればこそ悪は悪の御用を為し得ます。
悪は悪善として神の中に、善は善悪として神の中に弥栄し、力が現れ、呼吸し、脈打ちて生命します。
ですから、前世ヒーリングはお勧めになります。我の改心から、三が道、歓喜、終りなき弥栄を生み出します。
地上人は、地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて悪善としての力に生き、弥栄していきます。
しかして、尚地上人は、死後の世界に通じなければならぬ。と伝えられています。
通じることにより、複数的悪善におかれますが、生きてゐる内でないと理解しにくく、繋がりにくいところがある為です。
地上人は、善悪善の立場におかれる場合が多い為、地上における司宰神としての力を自ら与えられます。善悪が生かされ、御用の悪として許されている理由です。
環境破壊、他、11の囚われを直していく事が求められ、御用の悪から、新たな世界を生み出していく事が求められます。
この為に、神様は、悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として、正しく生かさんと為し給います。悪もまた神の御力の現れの一面だからです。
悪を除いて善ばかりの世となさんとする事は、科学的平面行為、悪そのものです。地上人の共通する誤りたる想念です。
悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界弥栄、不変にして変化極まりなき大歓喜となります。
この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となります。(生き通し、半霊半物、不老不死の境地と見ます)
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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