弥栄、に関する文面21に進みます。
今回、は地震の巻 第十四帖 その2です。地震の巻では最後になります。
今回の文面でも、全体的なマンデラ・エフェクトが起こってゐます。
霊界における場所の変化とは、内分の変化であり、その状態(情態)の変化のみ、
これは以前からあった内容です。
ですが、内分が違ってゐる場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっていく、という事です。
正比較、正比例、で遠ざかるのです。
このような記述は以前は無かったのですが、
それならば、私達の世界も、これに応じていけばよいと言えます。
実際、此の道に進みますと、三次元世界でも、無理なく、正比較、正比例して、離れていくようになっているのですが、如何に多くの方々が、社会そのものが、この霊界の法則に反する、無理の道であったのかがよく判ります。
故に、心・口・行、の一致の重要性が改めて求められます。
霊界では思う事が、三次元では行動だからです。
そして、我の改心と共に、神の御心を入れていく事で、順次、神の道へと進む流れ、となります。
それでは、弥栄に関する文面21をお伝えします。
1.地震の巻 第十四帖 その2 霊界では、内分が違うと、相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかります。
Ⅰ.霊人は、地上人にまして、一段と光明の世界にあり、一段とすぐれた霊体を有しています。
●霊人は、地上人にまして一段と光明の世界にあり、一段とすぐれた霊体を有している。
霊人は、地上人にまして、一段と光明の世界にあり、一段とすぐれた霊体を有しています。
確かに永遠性に関しては、霊人の思念の方にありますし、霊界では、地上世界で言う所の、心・口・行、の不一致がありません。
霊界では、心・口・行一致していますから、一段とすぐれた霊体、となると見てゐます。
そして、無理なく、一段一段弥栄していきます。
このように、霊人が地上人にまして、一段と光明の世界にあり、一段とすぐれた霊体を有する事になります。
ですが、地上人よりも、明確に霊人の方が、すぐれた霊体を持っている、という表現もどこかから生まれたマンデラ・エフェクト文面、と見ます。
Ⅱ.霊界における事物は、総て霊界における太陽と、太陰によりて生れてきます。地上における場合と同様です。
●霊界に於ける事物は総て霊界における太陽と、太陰とによりて生れてくる。それは、地上に於ける場合と同じである。
霊界における事物は総て霊界における太陽と、太陰とによりて生れてきます。
それは、地上における場合と同じです。
善と悪とも言えます。ですが、立体に向けて進む事が大切です。
ここで重要な事がありますが、霊界では、思念界のやり取りが中心の為、思考の摩擦や、論議、というのが基本ありません。
そこで、違った思想にある霊人同士が弥栄するとすれば、お互いに、理解し和する事にあります。
この事で、霊界は無限に拡がりを見せていく事にあります。
これは、三次元でも同じで、ですから、御自身が、まず和する事が大切、という事です。
あらゆる存在だけでなく、また、霊への理解も合わせて大切です。
すると、太陽、太陰、は対立関係でなく、無限に和する弥栄の対象となっていきます。
Ⅲ.霊人は、太陽と、太陰の交叉により生ずる歓喜によって、一層の光輝を放ち、弥栄となります。
●太陽と、太陰との交叉により生ずる歓喜によって、その生れたるものは更に一層の光輝を放ち、弥栄となる。また、霊界には物質世界の如く空間はない。このことを地上人は中々に理解しないのである。
ですから、太陽と、太陰との交叉により生ずる歓喜によって、その生まれたるものは、更に一層の光輝を放ち、弥栄していきます。
また、霊界には物質世界の如くの空間はありません。
このことを地上人は中々に理解しないのです。
ですが、こうなりますと、御自身が先に、霊界の霊体、歓喜に合致していく事が、御自身が半霊、半物に進みやすくなるでしょうし、そのような気持ちになってくると思います。
実際、此の道に進みますと、この和する世界へと、着々と進む流れとなっていきます。
周囲との摩擦、争い、の世界とは、どんどん離れていく事になります。
ですから、霊界の世界を理解していき、参考にしていく事が求められます。
Ⅳ.霊界における場所の変化は、内分の変化であり、その状態(情態)の変化のみあります。
●霊界に於ける場所の変化は、その内分の変化に他ならない。霊界に距離はない。空間もない。只、あるものはその状態の変化のみである。
霊界における場所の変化は、その内分の変化に他なりません。
霊界には距離がなく、空間もありません。
ただ、あるものはその状態(情態?)の変化のみです。
ですから、あらゆる世界を理解し、心の内を変え続けていく、この霊界の状態(情態)変化の理解を元に、
この三次元世界に移していく事が、一つ、喜びの世界へと進む事になります。
ですから、普段より、心・口・行の一致、特に、行動、弥栄の行、を進めていく事が求められます。
人の我で進む間は、どうしても、この霊界の法則に相反する動きとなります。11の囚われの為、6つの慢心がより強固となって、その結果、囚われの苦しみの世界へと移行します。
Ⅴ.内分が違ってゐる場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっていきます。
●故に、離れるとか、分れるとか云うことは、内分が遠くはなれていて、同一線上にないことを物語る。物質的約束に於ける同一場所にあっても、その内分が違っている場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっているのである。
ですから、離れるとか、分かれるとか云うことは、内分が遠くはなれていて、同一線上にない事を物語ります。
この後の文面が初めて、と見ます。
物質的約束における同一場所にあっても、その内分が違っている場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっていく事になります。
正比較、正比例、して遠ざかる、は以前は無かったとみます。
ですが、内分に応じて離れていきますので、無理なく離れるのですね。
これが霊界です。
一方、三次元世界では、内分の相違で正比較、正比例して離れる訳ではありません。
学校や会社組織では中々、この状況が当てはまらないでしょう。
ですが、此の道に進みますと、無理なく、正比較、正比例して離れる流れとなります。
Ⅵ.地上的には、同一場所、同一時間内に存在する多大なる世界も、霊界では内分の相違によって、感覚の対象とならないので、無いのと同様になります。
●故に、地上的には、同一場所に、同一時間内に存在する幾つかの、幾十、幾百、幾千万かの世界、及びあらゆる集団も、内分の相違によって、感覚の対象とならないから、無いのと同様であることを知り得るのである。
故に、地上的には、同一場所に、同一時間内に存在する幾つかの、幾十、幾百、幾千万、の世界、及び、あらゆる集団。
三次元世界で、いくら多く存在していても、霊界では、内分の相違によって、感覚の対象とならないのです。
ですから、地上世界における、いくら集団の数が多くても、内分が違ってゐますと、無いのと同様である事を知り得ることとなっていきます。
社会でも、周囲に幾ら沢山人が居たとしても、内分が違うと孤独を感じる事となりますが、これが、近年顕著になっている所があると見ます。
ですから、霊人の生活を学ぶ事が大切です。
心・口・行、の一致からです。
(小さなところでは、菜食も入ってきます。実は、菜食に一切が和するヒントがある為です)
2.まとめ
霊人は、地上人にまして、一段と光明の世界にあり、一段とすぐれた霊体を有しています。
それは、永遠性に関しては、霊人の思念の方にありますし、霊界では、地上世界で言う所の、心・口・行、の不一致がない為です。
霊界における事物は、総て霊界における太陽と、太陰によりて生れてきます。
地上における場合と同様です。御自身が、まず和する事が大切、であり、立体に進む事が求められます。
霊人は、太陽と、太陰の交叉により生ずる歓喜によって、一層の光輝を放ち、弥栄となります。
御自身が先に、霊界の霊体、歓喜に合致していく事が、御自身が半霊、半物に進みやすくなります。
霊界における場所の変化は、内分の変化であり、その状態(情態)の変化のみあります。
ですから、三次元世界でも、普段より、心・口・行の一致、特に、行動、弥栄の行、を進めていく事が求められます。
霊界では、内分が違ってゐる場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっていきます。
私達の社会、学校、会社組織では中々実現難しいですが、此の道に進みますと、無理なく、正比較、正比例して離れる流れとなります。
地上的には、同一場所、同一時間内に存在する多大なる世界も、霊界では内分の相違によって、感覚の対象とならないので、無いのと同様になります。
三次元世界で、いくら多く存在していても、霊界では、内分の相違によって、感覚の対象とならないのです。
ですから、霊人の生活を学ぶ事が大切です。
心・口・行、の一致からです。
(小さなところでは、菜食も入ってきます。実は、菜食に一切が和するヒントがある為です)
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。