よろこび、に関する文面⑦に進みます。
今回の文面は、冬の巻 第一帖 その3、です。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、祖先霊は、神界、幽界、中間にそれぞれ属するものがあり、外流の中には、動植物霊も交じってくる、という事を伝えられてゐます。
また、一切が御自身である為に、常に一切を浄化せななりません。と伝えられてゐます。
一つの肉体に無数の霊が感応し得るのです。それは、霊なるが故にです。とあります。
更に、人間は、現界、霊界共に住んで居り、その調和をはかる事、人間の使命の最も大切なこと、
と最も大切な人間の使命を伝えられてゐます。
そして、差別則平等、という伝え方をしています。(取違ひ注意)
それでは、よろこび、に関する文面⑦についてお伝えしたいと思います。
1.冬の巻 第一帖 その3-1 祖先霊は、神界、幽界、中間にそれぞれ属するものがあり、外流の中には、動植物霊も交じってきます。
Ⅰ.自分の肉体は自分のみのものではなく、霊界の御自身は、先祖との交流、交渉深いです。
●霊界に於ける自分は、殊に先祖との交流、交渉深いぞ。よって、自分の肉体は自分のみのものでないぞ。先祖霊と交渉深いぞ。神はもとより一切の交渉あるのであるぞ。
霊界における御自身は、まことに、先祖との交流、交渉が深くあります。
ですから、自分の肉体は自分のみのものではありません。
先祖霊と交渉深いです。
更に神はもとより、一切の交渉です。
Ⅱ.その祖先霊は、神界に属するものと、幽界に属するものとあります。中間に属するものもあります。
●その祖先霊は神界に属するものと幽界に属するものとあるぞ。中間に属するものもあるぞ。
その祖先霊は、神界に属するものと幽界に属するものとあります。中間に属するものもあります。
祖先霊は、神界、幽界、その中間、どれも存在しうることになります。
Ⅲ.神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは、外流を通じ、自分に反応します。
●神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してくるぞ。
神界に属する祖先霊は、正流を通じ、幽界に属する祖先霊、外流を通じて自分に反応してきます。
祖先霊の反応は、正流、外流、どちらもあります。
Ⅳ.正流に属する祖先は正守護神の一柱であり、外流に加はるものは、副守護神の一柱と現はれます。
●正流に属する祖先は正守護神の一柱であり、正流に属する祖先は正守護神の一柱くるのであるぞ。
正流に属する祖先は、正守護神の一柱となります。
外流に加はるものは、副守護神の一柱と現はれてくる事になります。
両方、守護神と成り得ます。
Ⅴ.外流の中には、動植物霊も交じってきます。
●外流の中には、動植物霊も交ってくることあるぞ。それは己の心の中にその霊と通ずるものあるためぞ。
外流の中には、動植物霊も交じってくることもあります。
それは、己の心の中に、その霊と通ずるものあるためです。
2.冬の巻 第一帖 その3-2 一切が御自身である為に、常に一切を浄化せななりません。一つの肉体に無数の霊が感応し得るのです。それは、霊なるが故にです。
Ⅰ.一切が御自身である為に、常に一切を浄化せななりません。
●一切が自分であるためぞ。常に一切を浄化せなならんぞ。
この文面も以前はなかったと見ます。
神界、幽界、の御先祖様以外に動植物霊が交ってくることは、一切が御自身だからです。
ですから、この為に、常に一切を浄化せなならんのです。
できる所からでいいですが、植物、神様、霊界もいいですが、やはり、最後は、最難関、人民、臣民の浄化をしなければなりません。
Ⅱ.常に一切の浄化せなならんのは、霊は常に体を求め、体は常に霊を求めている為です。霊体一致が喜びの根本です。
●霊は常に体を求め、体は霊を求めて御座るからぞ。霊体一致が喜びの根本であるぞ。
常に一切を浄化せなならんのは、霊は常に体を求め、体は霊を求めているからです。
霊体一致が喜びの根本です。
Ⅲ.一つの肉体に無数の霊が感応し得るのです。それは、霊なるが故にです。
●一つの肉体に無数の霊が感応し得るのざ。それは霊なるが故にであるぞ。
また、一つの肉体に無数の霊が感応し得ます。
それは、霊なるが故にです。
段階が進んできますと、これも、沢山の霊と感応していく事となります。
Ⅳ.霊には霊の霊が感応します。又 高度の霊は、無限に分霊します。
●霊には霊の霊が感応する。又 高度の霊は無限に分霊するのであるぞ。
霊の霊、は、マンデラ・エフェクトで起こった単語ですね。
霊には霊の霊が感応します。
又 高度の霊は、無限に分霊にします。
3.冬の巻 第一帖 その3-3 人間は、現界、霊界共に住んで居り、その調和をはかる事、人間の使命の最もな大切なことです。差別則平等です。
Ⅰ.二重三重人格とは、二重三重のつきものの転換であり、群集心理は、一時的憑依霊です。霊が元です。
●二重三重人格と申すのは、二重三重のつきものの転換によるものであり、群集心理は一時的の憑依霊であると申してあろうがな。霊が元と申してくどう知らしてあろうが。
二重三重人格と申すのは、二重三重のつきものの転換によるものです。
群集心理は、一時的の憑依霊です。
霊が元です。くどう(九土ウ)知らしてあります。
Ⅱ.人間は、現界、霊界共に住んで居り、その調和をはかる事、人間の使命の最も大切なことです。
●人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばならん。自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につながってゐるのであるから、その調和をはからねばならん。それが人間の使命の最も大切なことであるぞ。
この表現はマンデラ・エフェクト、と見ます。
人間は、現界、霊界、共に住んで居ます。
その調和をはからねばなりません。
自分は自分一人ではなく、タテにも、ヨコにも無限につながってゐます。
ですから、その調和をはからねばなりません。
それが人間の使命の最も大切なことです。
Ⅲ.調和乱すが悪です。人間のみではなりませんし、総て偏してはなりません。霊にも偏してはなりません。
●調和乱すが悪ぞ。人間のみならず、総て偏してならん。霊に偏してもならん。霊も五、体も五と申してあらう。
調和乱すが悪です。人間のみならず、総て偏して成らんのです。
霊に偏してもならんのです。
霊も五、体も五と申してあるとおり、です。
Ⅳ.ですが、主は霊であり、体は従です。神が主であり、人間は従です。
●ぢゃが主は霊であり体は従ぞ。神は主であり、人間は従であるぞ。
ですが、主は霊であり、体は従です。
神は主であり、人間は従です。
Ⅴ.差別則平等です。それぞれの御役割があります。
●五と五と同じであると申してあろう。差別則平等と申してあらう。取り違い禁物ぞ。
五と五と同じであると申してあります。
似たような内容は、以前より伝えているとは見ますが、この単語は初めてと見ます。
差別則平等です。
個々に差があるのが平等です。差別する事が平等ではないので、取違ひ禁物です。
4.まとめ
自分の肉体は自分のみのものではなく、霊界の御自身は、先祖との交流、交渉深いです。
その祖先霊は、神界に属するものと、幽界に属するものとあります。中間に属するものもあります。
神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは、外流を通じ、自分に反応します。
正流に属する祖先は正守護神の一柱であり、外流に加はるものは、副守護神の一柱と現はれます。
外流の中には、動植物霊も交じってきます。
一切が御自身である為に、常に一切を浄化せななりません。
常に一切の浄化せなならんのは、霊は常に体を求め、体は常に霊を求めている為です。霊体一致が喜びの根本です。一つの肉体に無数の霊が感応し得るのです。それは、霊なるが故にです。
霊には霊の霊が感応します。
又 高度の霊は、無限に分霊します。
二重三重人格とは、二重三重のつきものの転換であり、群集心理は、一時的憑依霊です。霊が元です。
人間は、現界、霊界共に住んで居り、その調和をはかる事、人間の使命の最も大切なことです。
調和乱すが悪です。人間のみではなりませんし、総て偏してはなりません。霊にも偏してはなりません。
ですが、主は霊であり、体は従です。神が主であり、人間は従です。
差別則平等です。それぞれの御役割があります。
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