よろこび、に関する文面⑩ 神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のもの、絶対の大歓喜です

マンデラ・エフェクト文面(2025年6月24日~

よろこび、に関する文面⑩に進みます。

今回の文面は、補巻 月光の巻 第三十八帖、です。

今回の文面は、殆ど以前からあったものですが、後半にマンデラ・エフェクトがあります。

元の喜びは、霊の食物、神示を食べる事、から始まり、次に神との交わり、交流、和があり、そこには、且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れる、と伝えられます。

神との結婚による絶対の大歓喜がある、と伝えられています。神が霊となり花むことなる、と伝えられてゐます。神が霊となる、は初めてです。

神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のものです。消えざる火の大歓喜です。
まことの信仰、早う神のふところに抱かれて下されよ、
と伝えられてゐます。

神との結婚、絶対の大歓喜、死を超え永遠のものと伝えられ、遂に、早う神のふところに抱かれて下されよ、と、早う神のふところに抱かれて下さいと、強く伝えられてゐます。

それでは、よろこび、に関する文面⑩、をお伝えしますね。

1.補巻 月光の巻 第三十八帖 神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のもの、絶対の大歓喜があります。

Ⅰ.はじめの喜びは食物です。次は異性です。大きな驚きは、和すことにより、とけ合ふことによって喜びとなります。

はじめの喜びは食物ぞ。次は異性ぞ。何れも大きな驚きであろうがな。これは和すことによって起るのぞ。とけ合ふことによって喜びとなるのぢゃ。

はじめの喜びは食物です。
次は異性です。

異性は、男性女性の異性もありますが、
あらゆる存在の性質が異性となりますと、更に大きな驚きとなります。

ですから、食物は、異性となる、という意味合いがここにはあると見ます。
同じ野菜でも美味しくなったり、更には、全く別の性質に変わったりです。

食べられなかったはずの雑草が食べられたりですね。

これは和することによって起こるのです。
とけ合ふことによって喜びとなるのです。

Ⅱ.よろこびは神です。和さねば苦となり、かなしみとなります。

よろこびは神ぢゃ。和さねば苦となるぞ。かなしみとなるぞ。

よろこびは神です。

和さねば苦となり、かなしみ、となります。

ですから、和していく事が求められます。

Ⅲ.まず、御自身と御自身との和合からです。そこに神の御はたらきがあります。

先づ自分と自分と和合せよと申してあろうが。そこにこそ神の御はたらきあるのぢゃ。

まず御自身と御自身と和合して下さい。

そこにこそ神の御はたらき、があります。

御自身の前世から、また、周囲でもそうだと思えるところから始めていきます。

Ⅳ.元の喜びは、霊の食物を食ふことです。菜食、キン、更には、神示を食べる事です。

ぢゃがこれは外の喜び、肉体のよろこびぞ。元の喜びは霊の食物を食ふことぞ。その大きな喜びを与へてあるのに、何故 手を出さんのぢゃ。その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ。何故に神示を食べないのか。

外の喜びは、肉体のよろこびです。

元の喜びは、霊の食物を食べることにあります。
菜食ですね。キン類もいいです。

その大きな喜びを与へてあるのに、何故 手を出さんのぢゃ、とあります。
その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ、とあります。

何故に神示(フデ)(真理)を食べないのか、とあります。

Ⅴ.神示は見るばかりではミにつきません。かみしめて味はひて喜びとしてください。喜びが神です。

見るばかりではミにつかんぞ。よく噛みしめて味はひて喜びとせんのぢゃ。喜びが神であるぞ。

見るばかりでは、ミにつきません。

よく噛みしめて、味はひて喜びとしせんのぢゃ、と伝えられてゐます。

喜び、が神様です。

Ⅵ.次には神との交わり、交流、和があり、そこには、且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れます。神との結婚による絶対の大歓喜があります。

次には神との交わりぞ。交流ぞ。和ぞ。そこには且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れるぞ。神との結婚による絶対の大歓喜あるのぢゃ。

元の喜びを食べ、神示を食べた、次には、神との交わりです。交流です。和、です。

そこには、且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れます。
且って知らざりし、といった表現は、マンデラ・エフェクトかもしれません。

神との結婚による絶対の大歓喜があります。

絶対の大歓喜、という伝え方も初めてと見ます。

Ⅶ.神が霊となり、花むことなり、人民は花よめとなります。

神が霊となり花むことなるのぢゃ。人民は花よめとなるのぢゃ。判るであろうが。

神が霊となり、花むことなります。

神が霊となる、というのも初めて、と見ます。

人民は花よめとなります。

判るであろうが、とありますが、此の道に進み、ずっと守ってもらえていた事が判りますと、この事が判ってきます。

Ⅷ.この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てず、永遠につづく結びとなります。

この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てはせぬ。永遠につづく結びぢゃ。結婚ぢゃ。何ものにも比べることの出来ぬおどろきぞ。よろこびぞ。花むこどのが手をさしのべてゐるのに、何故に抱かれんのぢゃ。神は理屈では判らん。夫婦の交わりは説明出来まいがな。

この花むこは、いくら年を経ても、花よめを捨てはしないのです。
永遠につづく結びです。結婚です。

何ものにも比べることの出来ない、おどろき、よろこび、です。

花むこどのは、手をさしのべてゐます。
何故に抱かれんのぢゃ、とあります。

神様は、理屈では判りません。
夫婦の交わりは説明できないのです。

Ⅸ.神が判っていても、交わらねば、神ととけ合はねば、真理は判りません。

神が判っても交わらねば、神ととけ合はねば真理は判らん。なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組ぞ。

神が判っても、交わらねば、神ととけ合はねば、真理は判らんのです。

なんとした結構なことかと、人民びっくりする仕組みです。

Ⅹ.神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のものです。消えざる火の大歓喜です。まことの信仰、です。

神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものぞ。消えざる火の大歓喜ぞ。これがまことの信仰、神は花嫁を求めて御座るぞ。早う神のふところに抱かれて下されよ。

似たような表現はあったかもしれませんが、
この表現は、初めてと見ます。

神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のものです。消えざる火の大歓喜です。

これがまことの信仰、神様は、花嫁を求めています。

これも以前より強く伝えられていますが、
早う神のふところに抱かれて下されよ、とあります。

神のふところに早う抱かれて下さい。

2.まとめ

はじめの喜びは食物です。次は異性です。
食物の異性化です。
大きな驚きは、和すことにより、とけ合ふことによって喜びとなります。

よろこびは神です。和さねば苦となり、かなしみとなります。

まず、御自身と御自身との和合からです。そこに神の御はたらきがあります。

元の喜びは、霊の食物を食ふことです。菜食、キン、更には、神示を食べる事です。
神示は見るばかりではミにつきません。かみしめて味はひて喜びとしてください。喜びが神です。

次には神との交わり、交流、和があり、そこには、且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れます。神との結婚による絶対の大歓喜があります。

神が霊となり、花むことなり、人民は花よめとなります。

この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てず、永遠につづく結びとなります。
神が判っていても、交わらねば、神ととけ合はねば、真理は判りません。

神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のものです。消えざる火の大歓喜です。まことの信仰、です。

神のふところに早う抱かれて下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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