よろこび、に関する文面⑩に進みます。
今回の文面は、補巻 月光の巻 第三十八帖、です。
今回の文面は、殆ど以前からあったものですが、後半にマンデラ・エフェクトがあります。
元の喜びは、霊の食物、神示を食べる事、から始まり、次に神との交わり、交流、和があり、そこには、且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れる、と伝えられます。
神との結婚による絶対の大歓喜がある、と伝えられています。神が霊となり花むことなる、と伝えられてゐます。神が霊となる、は初めてです。
神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のものです。消えざる火の大歓喜です。
まことの信仰、早う神のふところに抱かれて下されよ、と伝えられてゐます。
神との結婚、絶対の大歓喜、死を超え永遠のものと伝えられ、遂に、早う神のふところに抱かれて下されよ、と、早う神のふところに抱かれて下さいと、強く伝えられてゐます。
それでは、よろこび、に関する文面⑩、をお伝えしますね。
- 1.補巻 月光の巻 第三十八帖 神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のもの、絶対の大歓喜があります。
- Ⅰ.はじめの喜びは食物です。次は異性です。大きな驚きは、和すことにより、とけ合ふことによって喜びとなります。
- Ⅱ.よろこびは神です。和さねば苦となり、かなしみとなります。
- Ⅲ.まず、御自身と御自身との和合からです。そこに神の御はたらきがあります。
- Ⅳ.元の喜びは、霊の食物を食ふことです。菜食、キン、更には、神示を食べる事です。
- Ⅴ.神示は見るばかりではミにつきません。かみしめて味はひて喜びとしてください。喜びが神です。
- Ⅵ.次には神との交わり、交流、和があり、そこには、且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れます。神との結婚による絶対の大歓喜があります。
- Ⅶ.神が霊となり、花むことなり、人民は花よめとなります。
- Ⅷ.この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てず、永遠につづく結びとなります。
- Ⅸ.神が判っていても、交わらねば、神ととけ合はねば、真理は判りません。
- Ⅹ.神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のものです。消えざる火の大歓喜です。まことの信仰、です。
- 2.まとめ
1.補巻 月光の巻 第三十八帖 神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のもの、絶対の大歓喜があります。
Ⅰ.はじめの喜びは食物です。次は異性です。大きな驚きは、和すことにより、とけ合ふことによって喜びとなります。
●はじめの喜びは食物ぞ。次は異性ぞ。何れも大きな驚きであろうがな。これは和すことによって起るのぞ。とけ合ふことによって喜びとなるのぢゃ。
はじめの喜びは食物です。
次は異性です。
異性は、男性女性の異性もありますが、
あらゆる存在の性質が異性となりますと、更に大きな驚きとなります。
ですから、食物は、異性となる、という意味合いがここにはあると見ます。
同じ野菜でも美味しくなったり、更には、全く別の性質に変わったりです。
食べられなかったはずの雑草が食べられたりですね。
これは和することによって起こるのです。
とけ合ふことによって喜びとなるのです。
Ⅱ.よろこびは神です。和さねば苦となり、かなしみとなります。
●よろこびは神ぢゃ。和さねば苦となるぞ。かなしみとなるぞ。
よろこびは神です。
和さねば苦となり、かなしみ、となります。
ですから、和していく事が求められます。
Ⅲ.まず、御自身と御自身との和合からです。そこに神の御はたらきがあります。
●先づ自分と自分と和合せよと申してあろうが。そこにこそ神の御はたらきあるのぢゃ。
まず御自身と御自身と和合して下さい。
そこにこそ神の御はたらき、があります。
御自身の前世から、また、周囲でもそうだと思えるところから始めていきます。
Ⅳ.元の喜びは、霊の食物を食ふことです。菜食、キン、更には、神示を食べる事です。
●ぢゃがこれは外の喜び、肉体のよろこびぞ。元の喜びは霊の食物を食ふことぞ。その大きな喜びを与へてあるのに、何故 手を出さんのぢゃ。その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ。何故に神示を食べないのか。
外の喜びは、肉体のよろこびです。
元の喜びは、霊の食物を食べることにあります。
菜食ですね。キン類もいいです。
その大きな喜びを与へてあるのに、何故 手を出さんのぢゃ、とあります。
その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ、とあります。
何故に神示(フデ)(真理)を食べないのか、とあります。
Ⅴ.神示は見るばかりではミにつきません。かみしめて味はひて喜びとしてください。喜びが神です。
●見るばかりではミにつかんぞ。よく噛みしめて味はひて喜びとせんのぢゃ。喜びが神であるぞ。
見るばかりでは、ミにつきません。
よく噛みしめて、味はひて喜びとしせんのぢゃ、と伝えられてゐます。
喜び、が神様です。
Ⅵ.次には神との交わり、交流、和があり、そこには、且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れます。神との結婚による絶対の大歓喜があります。
●次には神との交わりぞ。交流ぞ。和ぞ。そこには且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れるぞ。神との結婚による絶対の大歓喜あるのぢゃ。
元の喜びを食べ、神示を食べた、次には、神との交わりです。交流です。和、です。
そこには、且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れます。
且って知らざりし、といった表現は、マンデラ・エフェクトかもしれません。
神との結婚による絶対の大歓喜があります。
絶対の大歓喜、という伝え方も初めてと見ます。
Ⅶ.神が霊となり、花むことなり、人民は花よめとなります。
●神が霊となり花むことなるのぢゃ。人民は花よめとなるのぢゃ。判るであろうが。
神が霊となり、花むことなります。
神が霊となる、というのも初めて、と見ます。
人民は花よめとなります。
判るであろうが、とありますが、此の道に進み、ずっと守ってもらえていた事が判りますと、この事が判ってきます。
Ⅷ.この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てず、永遠につづく結びとなります。
●この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てはせぬ。永遠につづく結びぢゃ。結婚ぢゃ。何ものにも比べることの出来ぬおどろきぞ。よろこびぞ。花むこどのが手をさしのべてゐるのに、何故に抱かれんのぢゃ。神は理屈では判らん。夫婦の交わりは説明出来まいがな。
この花むこは、いくら年を経ても、花よめを捨てはしないのです。
永遠につづく結びです。結婚です。
何ものにも比べることの出来ない、おどろき、よろこび、です。
花むこどのは、手をさしのべてゐます。
何故に抱かれんのぢゃ、とあります。
神様は、理屈では判りません。
夫婦の交わりは説明できないのです。
Ⅸ.神が判っていても、交わらねば、神ととけ合はねば、真理は判りません。
●神が判っても交わらねば、神ととけ合はねば真理は判らん。なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組ぞ。
神が判っても、交わらねば、神ととけ合はねば、真理は判らんのです。
なんとした結構なことかと、人民びっくりする仕組みです。
Ⅹ.神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のものです。消えざる火の大歓喜です。まことの信仰、です。
●神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものぞ。消えざる火の大歓喜ぞ。これがまことの信仰、神は花嫁を求めて御座るぞ。早う神のふところに抱かれて下されよ。
似たような表現はあったかもしれませんが、
この表現は、初めてと見ます。
神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のものです。消えざる火の大歓喜です。
これがまことの信仰、神様は、花嫁を求めています。
これも以前より強く伝えられていますが、
早う神のふところに抱かれて下されよ、とあります。
神のふところに早う抱かれて下さい。
2.まとめ
はじめの喜びは食物です。次は異性です。
食物の異性化です。
大きな驚きは、和すことにより、とけ合ふことによって喜びとなります。
よろこびは神です。和さねば苦となり、かなしみとなります。
まず、御自身と御自身との和合からです。そこに神の御はたらきがあります。
元の喜びは、霊の食物を食ふことです。菜食、キン、更には、神示を食べる事です。
神示は見るばかりではミにつきません。かみしめて味はひて喜びとしてください。喜びが神です。
次には神との交わり、交流、和があり、そこには、且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れます。神との結婚による絶対の大歓喜があります。
神が霊となり、花むことなり、人民は花よめとなります。
この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てず、永遠につづく結びとなります。
神が判っていても、交わらねば、神ととけ合はねば、真理は判りません。
神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のものです。消えざる火の大歓喜です。まことの信仰、です。
神のふところに早う抱かれて下さい。
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