無い(七一)に関する文面⑧ 七月一日のひらけ、七月二日の天晴れ祀りの文面について

日月神示、道の生み出し方について

前世の法則の方では、七月の一日のひらけ、七月二日の天晴れ、まつりて呉れよ。についてお伝えしましたが、
参考:七月一日、ひつくのかみの方は、道ひらけあります 2025年6月30日現在
見事に、そのタイミングに当てはまるかのように、その該当する文面が今回待っていました。

それが、一八(イワ)の巻に書かれていたのです。

丁度81の世界を浄化しつつある中でも登場の文面でもあり、実に絶妙なタイミングで現れています。

そして、それを、日々の行の中でも関係していく流れになってきています。

今回は、夜明けの巻、一八(イワ)の巻の文面の二つですが、今回も、それぞれマンデラ・エフェクトがありました。

それは、見たことのない文面でもあり、また、後半は、渦の巻き方が以前と変わっていたのです。

毎回、毎回、マンデラ・エフェクト文面が続いていますが、愈々の様相に入っている事には違いなさそうです。

七月上旬は、大きな動きが起こりそうです。(特にこの道に進む人にはです)

それではお伝えしていきますね。

1.夜明けの巻 第七帖 神世の型 出して呉れよ。時、取違へん様に、時、来たぞ。について

Ⅰ.神の臣民には楽な事になります。理屈無い世(四)となります。

神の臣民に楽な事になるぞ。理屈無い世にするぞ。理屈は悪と申してあろが、理屈ない世に致すぞ。理屈くらべのきほひ無くして仕舞ふぞ。

神の臣民には、楽な事になっていきます。
理屈無い世にしていきます。

理屈は悪です。囚われの元です。
ですから、理屈ない世といたします。

理屈くらべのきほひ、無くして仕舞うとあります。

ですから、政治の在り方が大いに変わりそうです。
他、医学、経済も同様ですね。宗教もそうなるでしょう。

Ⅱ.人に知れん様によいことつとめて下さい。

人に知れん様によいことつとめと申してあろが。人に知れん様にする好い事 神こころぞ。神のした事になるのざぞ。

人に知れん様によい(四意)こと(九十)つとめて下さい。
人に知れん様にする好い事 神のこころなのです。
それは、神のした事になるのです。

此の道に進みますと、無理なく、一段一段、そのようにもなっていきます。

Ⅲ.行けども白骨と申しましたが、白骨さへなくなる所の真意について。

行けども行けども白骨と申したが、白骨さへなくなる所あるぞ。

人の世では、行けども行けども白骨と成るしかなかったと見ますが、
白骨さへなくなる(七九成る)ところあります。

人体マンデラ・エフェクトがそうですね。

これまでは無かった所に蝶形骨、目の奥に骨が生まれましたが、その逆の境地です。

この時、骨が減っている可能性もあるかもしれません。
半霊半物に進みますからね。

もしくは、骨そのものの役割が変わる可能性があります。
今現在、私はこの事に関係しているところへと進んでいます。

Ⅳ.早う誠の臣民ばかりで固めて呉れよ(九〇四)としてください。時、取違へん様に、時、来ています。

早よ誠の臣民ばかりで固めて呉れよ。神世の型 出して呉れよ。時、取違へん様に、時、来たぞ。

早よ誠の臣民ばかりで固めて呉れよ(九〇四)とありますが、
この部分につきましては、着実に一段一段実現してきています。

この後の文面が、マンデラ・エフェクト、と見ます。

時、取違へん様に、時、来たぞ。とあります。

今現在、まさしく神世の型へと進んでいます。

来ている方には、その時が来ているのです。

2.一八(イハ)の巻 第一帖 七月一日のひらけ、七月二日の天晴れ祀りの文面について

Ⅰ.一八(いわ)とは、弥栄です。⦿、(大右渦)、(右渦)が神です。

一八(いわ)の巻 書き知らすぞ。一八は弥栄。⦿は・と○、⦿、(大右渦)が神ざぞ。(右渦)が神ざと申してあろう。

一八(いわ)の巻 書き知らされます。

一八は弥栄。です。
⦿は、・と○、です。
⦿、(大右渦)が神です。
また、(右渦)も神、です。

この時、マンデラ・エフェクトが起こっているのに気付いたのですが、ここまで、渦の文面は、違った方向のものしかありませんでした。(左渦)(右渦)、の表記だったのです。

ですが、今回は、右渦しかなく、(大右渦)(右渦)と伝えられています。

このマンデラ・エフェクトは初めてです。

この解釈から、後の文面も分かってくる事となります。

Ⅱ.悪の守護となれば、悪よく見えます。人民、悪いこと好きでしているのではなく、知らず知らずのうちに致してゐます。

悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。人民 悪いこと好きでするのでないぞ、知らず知らずに致してゐるのであるぞ。

悪の守護となりましたら、悪よく(四九)見えるのです。
人民、悪いこと好きでするのではありません。
知らず知らずの内に致してゐるのです。

それは、お伝えしてきました通り、11の囚われ、6つの慢心が原因です。

この事から、目を次々覚ましていく事が求められます。

Ⅲ.元の神様には、見(み)のあやまり、聞きのあやまりないですが、下々の神々様にはあります。

神にも見(み)のあやまり、聞きのあやまりあるのざぞ。元の神には無いなれど、下々の神にはあるのざぞ。それで見なほし、聞きなほしと申してあるのざぞ。

神様にも見(み)(三)のあやまり、聞き(危機)の誤りがあります。

元の神様にはないのですが、それで、見なほし、聞きなほし、と申されています。

Ⅳ.鼻の神様の、かぎ直しはありません。人民でも、かぎの間違ひ、鼻のあやまり、はありません。

元の神には見直し聞きなほしはないのざぞ、スサナルの大神様 鼻の神様 かぎ直しないぞ、かぎのあやまりはないのざぞ。人民でも、かぎの間違ひないのざぞ。鼻のあやまりないのざぞ。スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。

元の神様には、見直し、聞きなほしはありません。
スサナルの大神様、鼻の神様、かぎ直しないのです。

かぎ、のあやまりは無い(七一)のです。
人民でも、かぎの間違ひはありません。

鼻のあやまりないのです。

ですから、スサナルの大神様、この世の大神様なのです。

Ⅴ.間違ひの神々様、この世の罪けがれを、こ(九)の神様にきせて、無理やりにキタに押し込め、・が無くなる世となったのです。

間違ひの神々様、この世の罪けがれを、この神様にきせて、無理やりに北に押込めなされたのざぞ。それでこの地の上を極悪神がわれの好き候(そうろう)に持ちあらしたのざ。

間違ひの神々様、この世の罪穢れを、この神様にきせて、無理やりに北に押し込めなされたのです。

せっかくの、立体に進む元となるキタ、キ十、に、その鍵を押し込めてしまった為、自ら苦しみの囚われの世へと変わっていったのです。

それで、この地の上を極悪神が、われの好き候(そうろう)に持ちあらしたのです。

Ⅵ.人皇の世、仏の世、キリストの世へと、・を無くしてしまい、キタに押し込め、囚われ、悪の仕組みとなったのです。

それで人皇の世と曇りけがして、つくりかへ、仏の世となりて、さらにまぜこぜにしてしまふて、わからんことになりて、キリストの世にいたして、さらにさらにわからぬことにいたしてしもふて、悪の仕組通りにいたしてゐるのぢゃぞ、わかりたか。

それで、人皇の世と曇りけがして、つくりかへ、仏の世となりて、さらにまぜこぜにしてしまふて、わからんことになりて、キリストの世に致して、さらにさらにわからぬことにいたして、悪の仕組み通りにいたしてゐるのです。

つまり、次元低下、です。
人は、囚われ、をより強めていったのです。

これが、悪の仕組み通り、なのですが、部分的には目覚めてゐる方はいても、囚われを無くすところから新たな世界を生み出す事は、なかなかしている方はいません。

心・口・行の一致もいります。
それには、洗濯、掃除、改心が要ります。

また、弥栄実践、祓実践、まつり実践、を次々していく事も求められます。
五人分、十人分の行も要ります。さらには、千人分です。

また、真剣でないと進みません。
だからこそ、行じた後、省みて進みますし、その上での祈りに新たな力を生み出し続ける、という事もあります。

また、一人ではできない、という事もあります。二人でないとできないのです。

Ⅶ.・なくなってゐても、勿論ですが、・があっても右渦ではまだまだです。大右渦の・でないと、まことできません。

釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ。同じ神二つあると申してあらうがな。・なくなってゐるのざぞ、・ない(右渦)ざぞ、(大右渦)でないと、まことできんのざぞ、わかりたか。

釈迦もキリストも立派な神様ではあるのですが、今の仏教、キリスト教は、偽の仏教、キリスト教なのです。

同じ神、二つある、と申してあるのです。

それは、・がなくなって、次元低下したもの、なのです。
また、弥栄していく、・が入る事で、次元が上昇するケースもあります。

このように、前の段階と、現在、常々違っている、同じ神は常々二つあるのです。

ですが、人の我、基軸で進む程にどんどん苦しむ流れ、となります。

また、単に(右渦)だけでも、まことはできません。
(大右渦)でないと、まことできん、のです。

それには、まず、相手と和するところから始まりですが、相手側、が、喜んで、自発的に・に入るように、
・に入りたくなるように、進めていく事が大切です。

ここまでの意識で無かったのが、釈迦、キリスト、です。
(右渦)止まり、だったのです。助けすぎだったのです。その人ご自身が、自ら進んで、・に入るまでは難しかったのだと見ます。

これが、我、の限界です。

(大右渦)で無かったが故に、より囚われの世へと進む元となってしまったのです。

Ⅷ.・なきものは悪です。・は〇(霊)です。ヒです、一(はじめ)です。

・なきもの悪ざぞ、・は霊ぞ、火ぞ、一(はじめ)ざぞ。くらがりの世となってゐるのも、・ないからざぞ。この道理わかるであらうがな。

・なきものは悪です。・は霊(〇)です、火(一一)です。一(はじめ)です

くらがりの世となってゐるのは、・ないからです。

この道理(土ウ理)は、土ウ理、を進めてきた人には、よく分かる事だと思います。

3.まとめ

神の臣民には楽な事になります。理屈無い世(四)となります。

人に知れん様によいことつとめて下さい。
人に知れん様にする好い事 神こころですし、神のした事になります。

行けども白骨と申しましたが、白骨さへ七九成るところあります。

早う誠の臣民ばかりで固めて呉れよ(九〇四)としてください。
時、取違へん様に、時、来ています。

一八(いわ)とは、弥栄です。⦿、(大右渦)、(右渦)が神です。
(左渦)(右渦)、の表記から、今回は、右渦しかなく、(大右渦)(右渦)と変わってきています。

悪の守護となれば、悪よく見えます。人民、悪いこと好きでしているのではなく、知らず知らずのうちに致してゐます。11の囚われ、6つの慢心が原因です。

元の神様には、見(み)のあやまり、聞きのあやまりないですが、下々の神々様にはあります。
元の神様にはないのですが、それで、見なほし、聞きなほし、と申されています。

鼻の神様の、かぎ直しはありません。人民でも、かぎの間違ひ、鼻のあやまり、はありません。
ですから、スサナルの大神様、この世の大神様なのです。

間違ひの神々様、この世の罪けがれを、こ(九)の神様にきせて、無理やりにキタに押し込め、・が無くなる世となったのです。

人皇の世、仏の世、キリストの世へと、・を無くしてしまい、キタに押し込め、囚われ、悪の仕組みとなったのです。

・なくなってゐても、勿論ですが、・があっても右渦では、まだまだです。大右渦の・でないと、まことできません。

・なきものは悪です。・は〇(霊)です。ヒです、一(はじめ)です。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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