愛に関する文面最後になります。
補完月光の巻以降の文面全てになります。
ここでは、愛の使い方、また注意する点を合わせて、様々な事を御伝えされています。
最後まで重要な内容ばかりです。
それでは、最後全て御伝えしますね。
1.月光の巻以降 愛に関する文面 真愛から大きな心で、深い愛と真の世界にとけ入って下さい
Ⅰ.大きい心で、深い愛と真の世界を拝んで、とけ入って下さい。浄化第一です。
●同じ所に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も中今にあるのぞ。同じ部屋に他の神や仏をまつってはならんと申す一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのぢゃ。病気が治ったり運がひらけたり、奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん。もちと大き心、深い愛と真の世界を拝めよ。とけ入れよ。浄化が第一。
同じ所に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も、中今にあります。
この6つは、常に、今現在にあるのです。
この中今(ナカイマ)の説明ですが、天国、地獄、霊界、現実界、過去、未来。を全てひっくるめた文面は初めてではないか、と思います。
同様に、同じ部屋に他の神様や仏様をまつってはならんと申す一方的なメクラ宗教には、メクラが集まるのです。まつれるのであれば、同じ部屋にまつって大丈夫です。
病気が治ったり、運がひらけたり、奇跡が起こったりするのみをおかげと思ってはなりません。
大きな心、深い愛と真の世界を拝んで下さい。
それは、三千世界和合です。
それには、浄化が第一です。
Ⅱ.まことに磨けたら、まことに相手を愛してゐたならば、うたれる雰囲気は生まれません。
●そなたは無低坑主義が平和の基だと申して、右の頬を打たれたら左の頬をさし出して御座るなれど、それは真の無抵坑ではないぞ。よく聞きなされ、打たれるようなものを そなたがもってゐるからこそ、打たれる結果となるのぢゃ。まことに磨けたら、まことに相手を愛してゐたならば、打たれるような雰囲気は生れないのであるぞ。頬をうたれて下さるなよ。生れ赤児見よと知らしてあろうが。
無抵抗主義が平和の基と申して、右の頬を打たれたら、左の頬を出すのは、それは真の無抵抗ではありません。
打たれるようなものを、心の内に、もってゐるからこそ、打たれる結果となるのです。
まことに磨けたら、まことに愛ししてゐたならば、打たれるような雰囲気は生まれません。
頬をうたれてくれるなよ。と、お伝えされています。
生れ赤子を見て下さい。との事です。
Ⅲ.もし怒りが出た時は、神の座から外れてしまいます。
●神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん。太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。また総てが喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、若(も)し怒りが出た時は、神の座から外れて了ふのであるぞ。
神様に怒りはありません。
天変地位を神様の怒りと取違いしてはなりません。
御自身の生前からの因によって、天変地異は起こっています。
これだけ環境破壊すれば、当然ではありますが、まずは、五柱の神様への祈りを日々して下さい。
大神様は、愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にまします。
また総てが、喜びにましますが故に怒りはないのです。
もし、怒りが出たら、神の座から外れてしまうのです。ここが一番怖いところですね。
それは、自ら外れてしまう事を選択する事になります。
ですから、喜びを生み出す行が日々求められているのです。
Ⅳ.もの言わなくなる世が来ます。真愛から発することば、が、マコトの言葉です。
●人民もの言わなくなると申してあろうが、ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となるぞ、天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。言葉の生命(いのち)は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、今の人民のは言葉でないぞ、日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組。
人民もの言わなくなると申されています。
ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となります。
(それまで、ものが、もの申す時期もあるかもしれません。)
天人の言葉はマコトですから、只一言で万語を伝へ得ます。
この境地はすごいですね。
言葉の生命(いのち)は愛であり、真ですから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉ではありません。
子音と母音と組み組みて、父音のキを入れて、始めて言葉となります。
これも以前に無かった文面のように思います。父音のキ、ですね。
今の人民の言葉は、言葉ではありません。
日本の古(光)語が、マコトの言葉です。
言霊です。ことたま、とは、祓ひ、新事(あらごと)を起こして行きます。
それは、数霊と共に弥栄していく仕組です。
Ⅴ.今の芸術は、死の芸術、魔の芸術、です。
●言葉は生れ出るものぢゃ。先づ言葉され、歌となり、文章となり、又絵画となり、彫刻となり、建築となり、又音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのであるぞ。神に通ずればこそ、愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びであるぞ、喜びなきものは芸術でないぞ。今の芸術は死の芸術、魔の芸術。
言葉は生れ出るものです。
先ず、言葉され、歌となり、文章となり、又絵画となり、彫刻となり、
建築となり、又音楽となり、舞踏となり、あらゆる芸術の元となります。
神に通ずればこそ、愛であり、真であり、善であり、美であり、喜び、なのです。
喜びなきものは芸術ではありません。
今の芸術は、死の芸術、魔の芸術です。
喜び基軸ではなく、我、我良し、のものが多く、また愛の悪、悲しみの愛、苦しみの愛、も多いです。
Ⅵ.霊に向かって常に愛を持って接しなければなりません。
●サニワは、場合によって霊媒を誘導してもよいぞ、又霊に向って常に愛を持って接しなければならんぞ。誰でも絶へず霊界とのつながりがあり、霊界からの呼びかけがあるから、サニワはそれを助け、導くように努力しなければならんぞ。
サニワは、場合によっては霊媒を誘導していいです。
又霊に向かって常に愛を持って接しなければなりません。
誰でも絶へず、霊界とのつながりがあり、霊界からの呼びかけにありますから、サニワはそれを助け、導くように努力しなければなりません。
2.まとめ
同じ所に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も、中今にあります。
この6つは、常に、今現在にあるのです。
大きな心、深い愛と真の世界を拝んで下さい。
それは、三千世界和合です。
それには、浄化が第一です。
まことに磨けたら、まことに相手を愛してゐたならば、うたれる雰囲気は生まれません。
神様に怒りはありません。
愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にまします。
もし怒りが出た時は、神の座から外れてしまいます。
ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となります。
言葉の生命(いのち)は愛であり、真ですから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉ではありません。
喜びなきものは芸術ではありません。
今の芸術は、死の芸術、魔の芸術です。
我、我良し、のものが多く、また愛の悪、悲しみの愛、苦しみの愛、も多いです。
サニワは、場合によっては霊媒を誘導していいです。
又霊に向かって常に愛を持って接しなければなりません。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。