引き続き、弥栄に関する文面5です。
今回は、地震の巻 第一帖 その2です。
弥栄に関する文面で、直近、地震の巻を進めていく理由として、私がそもそも余り読まなかった事があります。何故なら、御神示が加速度的マンデラ・エフェクトを起こし続けている為です。
その中で、あまりに読んでいないと、後から苦しむ、と思った経緯です。
ですが、結構マンデラ・エフェクト、やっぱり起こしてゐると見ます。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、
善・真、悪・偽、美・愛、醜・憎、と結合する事。善・偽は結合せず、悪・真と結合しない事。
これらの総ては、生みに生み、成りに成りて、とどまるところを知らない。
それは、神そのものが絶えず、鳴り成り、成り鳴りてやまず、止まる所なく生長し、歓喜しつつあ るがためである。
とあり、
成りに成りて。鳴り成り、成り鳴りてやまず。
は、初めての表現と見ます。
実際、此の道に進んでいる人は、この状況がまさしくそうですし、御自身の行に応じて、御神示そのものまで、成りに成りて、止まる所なく生長し、歓喜し続けている内容へと変わっていきます。
一方で、御神示、読みませんと、末代の後悔になるのは、それもよく判ります。その体験できないですからね。ですから、御神示の通り、素直に行を進め、我を洗濯、掃除、改心、を進めて下さい。
一日五人分以上の仕事、世界民の会二人で進める、七人に道を伝える、は忘れないで下さい。
これらを、できる所より進めませんと、一向に立体に進みません。
それには、真剣、で進んで下さい。
我の改心が進みません。
それでは、弥栄に関する文面5をお伝えしますね。
- 1.地震の巻 第一帖 その2 大歓喜、⦿、(ウズ)は、生みに生み、絶えず、鳴り成り、成り成りてやまず、止まる所なく生長し、歓喜しつつあ ります。
- Ⅰ.地上人は、創造されたものではなく、神の中に生み出され、神と共に生長し、常に神と共に永遠に生れつつあ る、とあります。
- Ⅱ.生長、永遠に生まれるハタラキは、愛、真、と見えても、存在しておらず、只大歓喜のみが脈うち呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄します。
- Ⅲ.存在は千変万化する形において、絶えず弥栄します。⦿であり(ウズ)なるが故です。⦿は大歓喜本体、(ウズ)はそのハタラキです。
- Ⅳ.大歓喜、⦿、(ウズ)は、善・真、悪・偽、美・愛、醜・憎、それぞれの因と結合して、二義的に現れ、働き、その存在としてはたらきます。
- Ⅴ.善・偽、悪・真、それぞれの因は結合せず、これらの総ては、生みに生み、成りに成りて、とどまるところを知りません。
- Ⅵ.大歓喜が、⦿、(ウズ)が、結合し、結合せず、生長するのは、神そのものが、絶えず、鳴り成り、成り成りてやまず、止まる所なく生長し、歓喜しつつあ るがため、です。
- Ⅶ.神が意志するということは、神が行為することであり、さらに神の行為は弥栄、大歓喜、となります。
- 2.まとめ
1.地震の巻 第一帖 その2 大歓喜、⦿、(ウズ)は、生みに生み、絶えず、鳴り成り、成り成りてやまず、止まる所なく生長し、歓喜しつつあ ります。
Ⅰ.地上人は、創造されたものではなく、神の中に生み出され、神と共に生長し、常に神と共に永遠に生れつつあ る、とあります。
●地上人は、肉体を衣とするが故に、宇宙の総てを創られたものの如く考えるが、創造されたものではない。創造されたものならば、永遠性はあ り得ない。宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつあ る。
地上人は、肉体を衣とするが故に、宇宙の総てを作られたものの如く考えますが、創造されたものではない。とあります。
創造されたものであるなら、永遠性はあ り得ない、のです。
地上人は、神と共に、生み出していく存在です。
宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつあ る、とあります。
Ⅱ.生長、永遠に生まれるハタラキは、愛、真、と見えても、存在しておらず、只大歓喜のみが脈うち呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄します。
●その用は愛と現われ、真と見ゆるも、愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しない。只大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのであ る。
そのハタラキは愛と現われ、真と見えますが、愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しないのです。
ただ、大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄していきます。
Ⅲ.存在は千変万化する形において、絶えず弥栄します。⦿であり(ウズ)なるが故です。⦿は大歓喜本体、(ウズ)はそのハタラキです。
●存在は千変万化する形に於て、絶えず弥栄する。それは⦿であり、(ウズ)なるが故である。⦿は大歓喜の本体であり、(ウズ)はその用である。
存在は千変万化する形において、絶えず弥栄していきます。
それは、⦿であり、(ウズ)なるが故です。
⦿は大歓喜の本体であり、(ウズ)はそのハタラキ、です。
Ⅳ.大歓喜、⦿、(ウズ)は、善・真、悪・偽、美・愛、醜・憎、それぞれの因と結合して、二義的に現れ、働き、その存在としてはたらきます。
●それは、善でもなく悪でもない。真でもなく偽でもない。美でもなく醜でもない。また愛でもなく憎でもない。プラスでもなければマイナスでもない。しかし、善の因と真の因とが結合し、悪の因と偽の因とが結合し、美の因と愛の因とが結合し、醜の因と憎の因とが結合して、二義的には現われ、働き、存在として、またはたらく。
それは、
善でもなく悪でもありません。
真でもなく偽でもありません。
美でもなく醜でもありません。
愛でもなく憎でもありません。
プラスでもなければマイナスでもありません。
ですが、善の因と真の因とが結合し、悪の因と偽の因とが結合し、美の因と愛の因とが結合し、醜の因と憎の因とが結合して、二義的に現われ、はたらき、存在として、またはたらきます。
単体ではなく、結合する事によって、無限にはたらくのが、大歓喜、⦿、(ウズ)です。
Ⅴ.善・偽、悪・真、それぞれの因は結合せず、これらの総ては、生みに生み、成りに成りて、とどまるところを知りません。
●善因は偽因と結合せず、悪因は真因と結合しない。これらの総ては、これ生みに生み、成りに成りて、とどまるところを知らない。
また、善因は偽因と結合せず、悪因は真因とは結合しません。
これらの総ては、これ生みに生み、成りに成りてとどまるところを知らないのです。
この文面はマンデラ・エフェクト、と見ます。
Ⅵ.大歓喜が、⦿、(ウズ)が、結合し、結合せず、生長するのは、神そのものが、絶えず、鳴り成り、成り成りてやまず、止まる所なく生長し、歓喜しつつあ るがため、です。
●それは、神そのものが絶えず、鳴り成り、成り鳴りてやまず、止まる所なく生長し、歓喜しつつあ るがためである。
大歓喜、⦿、(ウズ)が、結合を繰り返し、結合せずを繰り返し、生長するのは、神様そのものが絶えず、鳴り成り、鳴り成りてやまず、止まる所なく生長し、歓喜しつつあ るがためです。
Ⅶ.神が意志するということは、神が行為することであり、さらに神の行為は弥栄、大歓喜、となります。
●神が意志するということは、神が行為することである。そして、さらに神の行為は、弥栄であ り、大歓喜である。
神が意志するという事は、神様が行為する事です。
そして、さらに神の行為は弥栄であ り、大歓喜なのです。
2.まとめ
地上人は、創造されたものではなく、神の中に生み出され、神と共に生長し、常に神と共に永遠に生れつつあ る、とあります。
地上人は、神と共に、生み出していく存在です。
生長、永遠に生まれるハタラキは、愛、真、と見えても、存在しておらず、只大歓喜のみが脈うち呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄します。
存在は千変万化する形において、絶えず弥栄します。
⦿であり(ウズ)なるが故です。
⦿は大歓喜本体、(ウズ)はそのハタラキです。
大歓喜、⦿、(ウズ)は、善・真、悪・偽、美・愛、醜・憎、それぞれの因と結合して、二義的に現れ、働き、その存在としてはたらきます。
善・偽、悪・真、それぞれの因は結合せず、これらの総ては、生みに生み、成りに成りて、とどまるところを知りません。
大歓喜が、⦿、(ウズ)が、結合し、結合せず、生長するのは、神そのものが、絶えず、鳴り成り、成り成りてやまず、止まる所なく生長し、歓喜しつつあ るがため、です。
神が意志するということは、神が行為することであり、さらに神の行為は弥栄、大歓喜、となります。
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