引き続き、弥栄に関する文面6です。
今回は、地震の巻 第一帖 その3です。
今回御伝えする文面は、どこかからか全体的にマンデラ・エフェクトが起こったと見ます。
日の霊人、月の霊人。の話です。(当初は、間違いなく存在していません)
日の霊人は、神の歓喜を内的に受ける存在。月の霊人は、神の歓喜を外的に受ける存在です。
更に、もう一つ、明らかにもっと後から生まれたと見ます、マンデラ・エフェクトがあります。
それは、日の霊人(思念界寄り)、月の霊人(三次元寄り)の二つの世界の中間に、その融和、円通をはかる霊人、とその世界が存在するというものです。
同じく、地上人、霊人にも同じ事が言え、その融和、円通をはかる、半霊半物の世界、霊人、がある、というものです。
このような話が最初からあるのであれば、もっと早くに伝えていましたけどね。(笑)
いつ頃から、この話が出て来たか、私もちょっと判りません。
ですが、地震の巻、でも、このように現れ始めた以上は、愈々、は間近なのでしょうね。
それでは、弥栄に関する文面6、をお伝えしていきます。
- 1.地震の巻 第一帖 その3 日の霊人、月の霊人、常に円通をはかる半霊半物の世界と霊人がいます
- Ⅰ.神の歓喜をそのまま受け入れる霊人とは、常に対応し、地上人として地上に生命し、霊人として霊界に生命します。
- Ⅱ.神の歓喜を内的に入れるのが、日の霊人。外的に受け入れるのが、月の霊人です。
- Ⅲ.月の霊人の喜びは、地上人として地上に生れてくる場合が多く、日の霊人は、神の歓喜をその生命に吸い取るが故に、直接、地上人として生れ出ることは、極めてまれ、です。
- Ⅳ.月の霊人は、神の歓喜をその智の中に受け入れる。地上人は月の霊人の性をそのまま受け継いでいることが多いです。
- Ⅴ.日の霊人は、神の歓喜を、そのまま自分の歓喜とするが故に、それについて疑いをもちません。
- Ⅵ.月の霊人は、神の歓喜を、感じ、受け入り、これを味わわんとし、批判的となります。
- Ⅶ.おのずから、別の世界を創り出すが為に、日の霊人と、月の霊人とは、同一線上には住み得ません。
- Ⅷ.日の霊人、月の霊人、の世界の中間に、融和、円通をはかる霊人と、その世界が存在します。
- Ⅸ.地上人と霊人との間も、半物、半霊、世界と霊人がいて、常にその円通を図っています。
- Ⅹ.日と月、愛と信、善と美、あらゆるものは本質的なものではなく、総て二義的なものです。
- 2.まとめ
1.地震の巻 第一帖 その3 日の霊人、月の霊人、常に円通をはかる半霊半物の世界と霊人がいます
Ⅰ.神の歓喜をそのまま受け入れる霊人とは、常に対応し、地上人として地上に生命し、霊人として霊界に生命します。
●神の歓喜をそのまま受け入れる霊人とは、常に対応し、地上人として地上に生命し、また霊人として霊界に生命する。
神の歓喜をそのまま受け入れる霊人とは、常に対応し、地上人として地上に生命し、また霊人として霊界に生命します。
これが霊人、地上人の、基本的な世界の在り方です。
Ⅱ.神の歓喜を内的に入れるのが、日の霊人。外的に受け入れるのが、月の霊人です。
●神の歓喜を内的にうけ入れる霊人の群は無数にあ り、これを日の霊人と云う。神の歓喜を外的にうけ入れる霊人の群も無数にあ り、これを月の霊人と云う。
神の歓喜を内的にうけ入れる霊人の群は無数にあ ります。
これを、日の霊人、と言います。
神の歓喜を外的にうけ入れる霊人の群も無数にあ ります。
これを、月の霊人、と言います。
Ⅲ.月の霊人の喜びは、地上人として地上に生れてくる場合が多く、日の霊人は、神の歓喜をその生命に吸い取るが故に、直接、地上人として生れ出ることは、極めてまれ、です。
●月の霊人の喜びが、地上人として地上に生れてくる場合が多い。日の霊人は、神の歓喜をその生命に吸い取るが故に、そのままにして神に抱かれ、神にとけ入り、直接、地上人として生れ出ることは、極めてまれであ る。
月の霊人の喜びが、地上人として地上に生れてくる場合が多い、とあります。
日の霊人は、神の歓喜をその生命に吸い取るが故に、そのままにして神に抱かれ、神にとけ入り、直接、地上人として生れ出ることは、極めてまれ、とあります。
実際、私もどちらかと言えば、月の霊人、的な所から始まりでしたし、多くの方はやはりそうだと思います。
Ⅳ.月の霊人は、神の歓喜をその智の中に受け入れる。地上人は月の霊人の性をそのまま受け継いでいることが多いです。
●月の霊人は、神の歓喜をその智の中にうけ入れる。故に、神に接し得るのであ るが、全面的には解け入らない。地上人は、この月の霊人の性をそのままうけついでいる場合が多い。
月の霊人は、神の歓喜をその智の中にうけ入れる、とあります。
私も智からの浄化が多いです。実際、智からでないと伝わらない事が多く、愛からの導きは中々困難でもあります。
故に、神に接し得るのですが、全面的には、解け入らない。とあります。
地上人は、この月の霊人の性をそのままうけついでいる場合が多くあります。
Ⅴ.日の霊人は、神の歓喜を、そのまま自分の歓喜とするが故に、それについて疑いをもちません。
●日の霊人は、神の歓喜を、そのまま自分の歓喜とするが故に、何等それについて疑いをもちません。
日の霊人は、神の歓喜を、そのまま自分の歓喜とするが故に、何等それについて疑いをもたない。
とあります。
私が、この事を体感できるようになったのは、神様に任せきれる、ところからです。
千人力、の段階になってからです。
以降、できるところからでいいのですが、主に人間以外の存在との思念界やり取りは、喜びの循環が保ちやすく、この観点での喜びは、確かに何等それについて疑いをもたない、というのは判ります。
自然界の多く、特に草木以下になりますと、素直、囚われなく、心・口・行一致しているからです。
確かに部分的多神からが、神の道への近道です。
この事で、日の霊人の理解、体験をしていく事は可能です。
Ⅵ.月の霊人は、神の歓喜を、感じ、受け入り、これを味わわんとし、批判的となります。
●月の霊人は、神の歓喜を歓喜として感じ、歓喜としてうけ入れるが故に、これを味わわんとし、批判的となる。ために二義的の歓喜となる。
月の霊人は、神の歓喜を歓喜として感じ、歓喜として受け入れるが故に、これを味わわんとし、批判的となります。とあります。
これは、段階が低い程にそうならざるを得ないと思います。
神様に任せきれないからです。我、囚われを頼りにします。
故に、神の歓喜に対して、歓喜として感じ、味わわんとし、批判的になります。
この事で、二義的の歓喜となります。
ですから、まずは、任せきれる神様を掴むところが始まりで、まずは、一日五人分の行を超え、千人力を体験していく事が求められます。
Ⅶ.おのずから、別の世界を創り出すが為に、日の霊人と、月の霊人とは、同一線上には住み得ません。
●故に、日の霊人と月の霊人とは、同一線上には住み得ない。おのずから、別の世界を創り出すが故に、原則としては、互に交通し得ないのであ る。
故に、日の霊人と、月の霊人とは、同一線上には、住み得ない、とあります。
おのずから、別の世界を創り出すが故に、原則としては、互いに交通し得ないであ る。とあります。
これが、平面世界、囚われの元となります。それは、日の霊人、月の霊人、共に言えそうです。
Ⅷ.日の霊人、月の霊人、の世界の中間に、融和、円通をはかる霊人と、その世界が存在します。
●この二つの世界の中間に、その融和、円通をはかる霊人と、その世界が存在する。これによって、二つの世界、二つの生命集団が円通し、常に弥栄するのであ る。
この後の文面は初めてと見ます。
この二つの世界の中間に、その融和、円通をはかる霊人と、その世界が存在する。というものです。
それは、日の霊人、月の霊人を理解し、霊界、現界、神界を理解した者です。
此の道に進み、前世ヒーリングをしていきますと、それは可能ですね。
これによって、二つの世界、二つの生命集団が円通し、常に弥栄するのであ る。と伝えられています。
これが、立体に進む元のところがあります。
双方の理解、がまず大切です。
そして、体験していく事が求められます。
Ⅸ.地上人と霊人との間も、半物、半霊、世界と霊人がいて、常にその円通を図っています。
●地上人と霊人との間も同様、直接、全面的な交流はあり得ない。それは、別の世界に住んでいるためであ って、その中間の半物、半霊の世界と、霊人がいて、常にその円通をはかっている。
地上人と霊人との間も同様で、直接、全面的な交流はあり得ない。とあります。
それは、別の世界に住んでいるためです。
また、その中間の半物、半霊、の世界と霊人が常にその円通をはかっている、とあります。
中間の半物、半霊の世界と、その霊人の世界は、理解は可能ではある、と見ます。
そこから、立体の世界へと進む元となります。
このように、半霊、半物、の世界が存在していて、その霊人がいる、という事のようです。
Ⅹ.日と月、愛と信、善と美、あらゆるものは本質的なものではなく、総て二義的なものです。
●以上の如くであ るから、日と月、愛と信、善と美も、本質的なものではなく、二義的なものである。
以上の如くであ るから、日と月、愛と信、善と美も、本質的なものではなく、二義的なものです。
円通をはかる事によって、双方弥栄します。
2.まとめ
神の歓喜をそのまま受け入れる霊人とは、常に対応し、地上人として地上に生命し、霊人として霊界に生命します。これが、地上人と霊人の基本的なあり方です。
神の歓喜を内的に入れるのが、日の霊人。
外的に受け入れるのが、月の霊人です。
月の霊人の喜びは、地上人として地上に生れてくる場合が多く、日の霊人は、神の歓喜をその生命に吸い取るが故に、直接、地上人として生れ出ることは、極めてまれ、です。
月の霊人は、神の歓喜をその智の中に受け入れる。
地上人は月の霊人の性をそのまま受け継いでいることが多いです。
日の霊人は、神の歓喜を、そのまま自分の歓喜とするが故に、それについて疑いをもちません。
月の霊人は、神の歓喜を、感じ、受け入り、これを味わわんとし、批判的となります。
このように、おのずから、別の世界を創り出すが為に、日の霊人と、月の霊人とは、同一線上には住み得ません。
ですが、日の霊人、月の霊人、の世界の中間に、融和、円通をはかる霊人と、その世界が存在します。
同様に、地上人と霊人との間も、半物、半霊、世界と霊人がいて、常にその円通を図っています。
これが半霊、半物の存在です。
日と月、愛と信、善と美、あらゆるものは本質的なものではなく、総て二義的なものです。
円通をはかる事によって、双方弥栄します。