弥栄、に関する文面12に進みます。
今回は、地震の巻 第三帖 その3です。
今回のマンデラ・エフェクトは、全般的にはそれほどある訳ではないと見ますが、表現の仕方が違ってきている所があります。それは、後半に目立っています。
地獄的なものも天国的なものも、神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現われ、という表現から始まり、天国に限りなき段階と無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階と無数の集団があり、そこに大いなる平衡、呼吸の整調がある、とお伝えされています。
大いなる平衡、呼吸の整調、という単語は初めてと見ます。
この平衡の上に立つ悪、偽、醜、地獄は、悪、偽、醜、地獄、ではない、と伝えられていますし、
平衡の上におかれた場合、善、美、愛、天国は、善、美、愛、天国ではなく、只、ひたすらなる大歓喜が弥栄するのみ、と伝えられています。
以前にも、近い表現はあったかもしれませんが、今回は、地獄的なもの、天国的なもの、いずれも、大いなる平衡、呼吸の整調、大歓喜であり、弥栄するのみ、と伝えられています。
故に、一切は、大歓喜、弥栄する、対象である。として伝えてゐる段階になってきています。
それでは、弥栄、に関する文面12をお伝えしますね。
- 1.地震の巻 第三帖 その3 地獄的なもの、天国的なものも、神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現われです。
- Ⅰ.歓喜に向かうとは、親に向かうこと、根本に通ずることです。
- Ⅱ.地上人における肉体は、霊の守護をなす重大な役目をもっている為、肉体的諸慾をすてる生活は誤り、です。
- Ⅲ.地上人の物質的生活からはなれる、霊的生活のみに入るは大いに誤りで、社会生活の中に行ずることが、天国への歩みになります。
- Ⅳ.天国をうごかす力は地獄であり、光明を輝かす力は暗黒、にあります。
- Ⅴ.因が果にうつり、呼が吸となりゆく道程において、歓喜は更に歓喜を生じます。
- Ⅵ.地獄的なものも天国的なものも、神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現われです。
- Ⅶ.天国に限りなき段階と無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階と無数の集団があります。そこに大いなる平衡、呼吸の整調があります。
- Ⅷ.この平衡の上に立つ悪、偽、醜、地獄は、悪、偽、醜、地獄、ではありません。
- Ⅸ.平衡の上におかれた場合、善、美、愛、天国は、善、美、愛、天国ではなく、只、ひたすらなる大歓喜が弥栄するのみです。
- 2.まとめ
1.地震の巻 第三帖 その3 地獄的なもの、天国的なものも、神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現われです。
Ⅰ.歓喜に向かうとは、親に向かうこと、根本に通ずることです。
●神が生み、神より出て、神の中に抱かれているが故に神と同一の歓喜を内蔵して歓喜となる。歓喜に向かうとは親に向かうことであり、根元に通ずることである。
神が生み、神より出て、神の中に抱かれているが故に、神と同一の歓喜を内蔵して歓喜となります。
歓喜に向かうとは、親に向かう事であり、根本に通じることです。
Ⅱ.地上人における肉体は、霊の守護をなす重大な役目をもっている為、肉体的諸慾をすてる生活は誤り、です。
●世をすて、外分的、肉体的諸欲をすてた生活でなければ、天国に通じ得ぬと考えるのは誤りである。何故ならば、地上人に於ける肉体は、逆に霊の守護をなす重大な役目をもっているからである。
世を捨てて、外分的、肉体的諸慾をすてた生活でなければ、天国に通じ得ぬと考えるのは誤りである。
とされています。誤り、と断言されている数少ない文面の一つです。
それは、地上人における肉体は、逆に霊の守護をなす重大な役目をもっている為、だからです。
Ⅲ.地上人の物質的生活からはなれる、霊的生活のみに入るは大いに誤りで、社会生活の中に行ずることが、天国への歩みになります。
●地上人が、その時の社会的、物質的生活をはなれて、霊的生活にのみ入ると云うのは大いなる誤りであって、社会生活の中に行ずることが、天国への歩みであることを知らねばならない。
地上人が、その時の社会的、物質的生活をはなれて、霊的生活にのみ入る、と云うのは大いなる誤りであって、社会生活の中に行ずることが、天国への歩みであることを知らねばならない、と伝えられています。
ですから、まず、肉体的生活、物質的生活より、社会生活の中に行ずることが、天国の歩みになります。
Ⅳ.天国をうごかす力は地獄であり、光明を輝かす力は暗黒、にあります。
●天国をうごかす力は地獄であり、光明を輝かす力は暗黒である。地獄は天国あるが故であり、暗黒は光明あるが故である。
天国をうごかす力は地獄にあります。
光明を輝かす力は暗黒にあります。
地獄は天国あるが故であり、暗黒は光明があるが故に存在しています。
Ⅴ.因が果にうつり、呼が吸となりゆく道程において、歓喜は更に歓喜を生じます。
●因が果にうつり、呼が吸となりゆく道程に於て、歓喜は更に歓喜を生ず。その一方が反抗すればするだけ他方が活動し、また、強力に制しようとする。
因が果にうつり、呼が吸となりゆく道程において、歓喜は更に歓喜を生じます。
その一方が反抗すればするだけ多方が活動し、また、強力に制しようとします。
Ⅵ.地獄的なものも天国的なものも、神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現われです。
●呼が強くなれば吸も強くなり吸が長くなれば呼もまた長くなる。故に地獄的なものも天国的なものも同様に、神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現われであることを知らねばならない。
呼が強くなれば、吸も強くなり、吸が長くなれば、呼も長くなります。
故に、地獄的なものも、天国的なものも同様に、神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現れであることを
知らねばならない、と伝えられています。
Ⅶ.天国に限りなき段階と無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階と無数の集団があります。そこに大いなる平衡、呼吸の整調があります。
●天国に限りなき段階と無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階と無数の集団がある。何故ならば、天国の如何なる状態にも対し得る同様のものが自らにして生み出されねばならぬからであって、それにより、大いなる平衡が保たれ、呼吸の整調が行なわれるからである。
天国に限りなき段階と無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階と無数の集団があります。
何故なら、天国の如何なる状態にも対し、得る同様のものが自らにして生み出されねばならぬからです。
このように、天国が生み出されると同様に、地獄も生み出されるようになっています。
それにより、大いなる平衡が保たれ、呼吸の整調が行われるからです。
Ⅷ.この平衡の上に立つ悪、偽、醜、地獄は、悪、偽、醜、地獄、ではありません。
●この平衡の上に立つ悪は悪ではなく、偽は偽でなく、醜は醜でなく、憎は憎でなく、また地獄は地獄でない。地獄は本来ないのである。
生み出される際、この平衡の上に立つ悪は悪ではなく、偽は偽でなく、醜は醜ではなく、憎は憎でなく、
また地獄は地獄ではないのです。
このように、地獄は本来ないのです。
Ⅸ.平衡の上におかれた場合、善、美、愛、天国は、善、美、愛、天国ではなく、只、ひたすらなる大歓喜が弥栄するのみです。
●また、この平衡の上におかれた場合は、善も善でなく、美も美でなく、愛も愛でなく、そこでは、天国も天国ではない。只ひたすらなる大歓喜が弥栄ゆるのみである。
また、この平衡の上におかれた場合は、善も善でなく、美も美でなく、愛も愛ではありません。
そこでは、天国も天国ではないのです。
只、ひたすら、大歓喜が弥栄するのみです。
2.まとめ
歓喜に向かうとは、親に向かうこと、根本に通ずることです。
地上人における肉体は、霊の守護をなす重大な役目をもっている為、肉体的諸慾をすてる生活は誤り、です。
地上人の物質的生活からはなれる、霊的生活のみに入るは大いに誤りで、社会生活の中に行ずることが、天国への歩みになります。
天国をうごかす力は地獄であり、光明を輝かす力は暗黒、にあります。
因が果にうつり、呼が吸となりゆく道程において、歓喜は更に歓喜を生じます。
その一方が反抗すればするだけ多方が活動し、また、強力に制しようとします。
地獄的なものも天国的なものも、神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現われです。
天国に限りなき段階と無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階と無数の集団があります。
そこに大いなる平衡、呼吸の整調があります。
この平衡の上に立つ悪、偽、醜、地獄は、悪、偽、醜、地獄、ではありません。
また、平衡の上におかれた場合、善、美、愛、天国は、善、美、愛、天国ではなく、只、ひたすらなる大歓喜が弥栄するのみです。
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