弥栄、に関する文面32に進みます。
今回は、ア火ハの巻(アホバの巻)第十九帖です。
前半は、以前と変わっていませんが、文面後半よりマンデラ・エフェクトが起こってゐます。
此処の仕組みは、天(・)の仕組み、地(千)の仕組み、カミとなり、仏となり、結び⦿と和し、雲(九母)と顕れ動き、なりなりて、マコトの世「みろく」(五六七)(六六六)の代を致して、この世を神の国と致す仕組み、と伝えられています。
天・、神の御心と和していく仕組み、千人力の仕組みを理解体験した上で、カミ、ホトケ、となり結び、⦿と和し、雲(九母)と顕れる所が始まり、とあります。そこからなりなり(七理七理)て、マコトの世「みろく」(五六七)(六六六)の代を致すのです。
天の神は、地ではお手伝ひ、下見て暮らし、足元に気付き、皆地の神尊び斎き祀りて弥栄ましませ、となります。
天の教許りではならず、地の教許りでもならず、今迄はどちらかであった為に、時が来ず、マコトがマコトと成らず、いづれもカタワとなってゐた、のが実際のところです。
今度は上下揃って夫婦和して、天と地と御三体まつりて、あななひて末代の生きた教と光輝く、と伝えられています。
上下が夫婦と伝えられていますから、天が妻、地が夫の関係性を伝えられている所があります。
(その逆の世界の可能性も、あると見ますが)
愈々の世に向けての動きとなってきている事をア火ハの巻(アホバの巻)第十九帖では御伝えされています。
それでは、弥栄、に関する文面32をお伝えしますね。
- 1.ア火ハの巻(アホバの巻) 第十九帖 今度は上下揃って夫婦和して、天と地と御三体まつりて、あななひて末代の生きた教と光輝きます。
- Ⅰ.他の教会と天地の違いとは、此の度の岩戸開きに、御用に立つ身魂ばかり選り抜きて、集めて行さして御用に使ふところにあります。
- Ⅱ.今度は、心の底まであらためて、一々始末せねばなりません。誰によらず、今迄の様なゼイタクをやめて下さい。せねばする様せなならんようになります。
- Ⅲ.世界のハラワタ腐り切っているので、愈々を致さねばなりませんが、愈々をしますと、人民愈々となるので、神様がくどう気を付けてゐます。
- Ⅳ.此処へは、善と悪と、どんな身魂も引寄せてコネ廻し練り直す所ですので、チットモ気緩(ゆる)しならん所です。
- Ⅴ.此処の仕組みは、天(・)の仕組み、地(千)の仕組み、カミとなり、仏となり、結び⦿と和し、雲(九母)と顕れ動き、なりなりて、マコトの世「みろく」(五六七)(六六六)の代を致して、この世を神の国と致す仕組みです。
- Ⅵ.今度は、地は地の神の世と致し、天の神は、地ではお手伝ひ、下見て暮らし、足元に気付き、皆地の神尊び斎き祀りて弥栄ましませ、となります。
- Ⅶ.天の教許りではならず、地の教許りでもならず、今迄はどちらかの為、時が来ず、マコトがマコトと成らず、いづれもカタワとなってゐたのです。
- Ⅷ.今度は上下揃って夫婦和して、天と地と御三体まつりて、あななひて末代の生きた教と光輝きます。
- 2.まとめ
1.ア火ハの巻(アホバの巻) 第十九帖 今度は上下揃って夫婦和して、天と地と御三体まつりて、あななひて末代の生きた教と光輝きます。
Ⅰ.他の教会と天地の違いとは、此の度の岩戸開きに、御用に立つ身魂ばかり選り抜きて、集めて行さして御用に使ふところにあります。
●此の度の岩戸開きに御用に立つ身魂ばかり選り抜きて集めて行さして御用に使ふのであるから、他の教会とは天地の違ひであるぞ、
此の度の岩戸開きに、御用に立つ身魂ばかり選り抜きて、集めて行さして御用に使ふのであるから、他の教会とは天地の違ひです。
確かに、このような教会って存在しません。
選り抜かれるには、まず、行じ、省み、また、和していく事が求められます。
それが、徐々に集団となっていきます。
Ⅱ.今度は、心の底まであらためて、一々始末せねばなりません。誰によらず、今迄の様なゼイタクをやめて下さい。せねばする様せなならんようになります。
●今度は人民の心の底まであらためて一々始末せねばならんなり、誰によらん、今迄の様なゼイタクやめて下されよ。せねばする様せなならんなり、
今度は人民の心の底まであらためて、一々始末せねばならんようになります。
誰によりません。今迄の様なゼイタクやめて下されよ、と伝えられています。
せねばする様せなならんなり、と伝えられています。
これも、実際、体験していく事となります。
Ⅲ.世界のハラワタ腐り切っているので、愈々を致さねばなりませんが、愈々をしますと、人民愈々となるので、神様がくどう気を付けてゐます。
●世界のハラワタ腐り切って居るのであるから愈々を致さねばならんなり、愈々をすれば人民愈々となるから、神がくどう気つけてゐるのざぞ。
世界のハラワタ腐り切って居るのですから、愈々を致さねばならんのです。
愈々をすれば、人民愈々となりますから、神がくどう気つけてゐるのです。
ですから、一刻も早く、人を変えていく事が求められます。
それには、平面からでは限度がある事は判ると思います。
それは、ハラワタ(八〇㋻十)、くさり(九三理)切ってしまっているのが原因です。
ですから、無限に、和し、神を生み出し、くにつつみ、三が道の理を繋げて、行じ省みる事が求められます。
Ⅳ.此処へは、善と悪と、どんな身魂も引寄せてコネ廻し練り直す所ですので、チットモ気緩(ゆる)しならん所です。
●此処へは善と悪とどんな身魂も引寄せてコネ廻し練り直す所であるから、チットモ気緩(ゆる)しならん所であるぞ。
此処へは、善と悪と、どんな身魂も引寄せて、コネ廻し練り直す所ですから、
チットモ、気緩(ゆる)しならん所なのです。
実際、私もチットモ気緩(ゆる)しならん状況を体験したところです。
あらゆる存在と和する、とは、書くのは簡単ですが、全て、行に移すにはそう簡単ではありません。
Ⅴ.此処の仕組みは、天(・)の仕組み、地(千)の仕組み、カミとなり、仏となり、結び⦿と和し、雲(九母)と顕れ動き、なりなりて、マコトの世「みろく」(五六七)(六六六)の代を致して、この世を神の国と致す仕組みです。
●ここの仕組は天の仕組と地の仕組と、カミとなりホトケとなり結び⦿と和し雲と顕れ動き、鳴り成りてマコトの世「みろく」の代と致して、この世を神の国と致す仕組ぢゃ。
この辺りから後が、マンデラ・エフェクト、と見ます。
ここの仕組みは、天(・)の仕組みと地の仕組みと、カミとなりホトケとなり、結び、⦿と和し、雲と顕れ動き、鳴り成りて、マコトの世「みろく」の代と致して、この世を神の国と致す仕組みです。
ですが、これは、一段一段、我の改心を進めていく事で、実現が可能となっていきます。
まず、天(・)の仕組みと、地(千)の仕組みの理解体験が求められます。
神の御心の仕組み、千人力の仕組みです。
此の上で、カミとなりホトケとなるので、その理解を進めていく事が求められます。㋻する行、千人力の行、です。
その結果、雲(九母)と顕れ動きます。鳴り成り(七理七理)て、
マコトの世「みろく」(五六七)(六六六)の代として、この世を神の国と致すこととなります。
ですから、九の行(くにつつみ)、もう一段上の無(七)を生み出し続ける事が求められます。
Ⅵ.今度は、地は地の神の世と致し、天の神は、地ではお手伝ひ、下見て暮らし、足元に気付き、皆地の神尊び斎き祀りて弥栄ましませ、となります。
●今迄は天の神ばかり尊んで上ばかり見て居たから、今度は地は地の神の世と致すのぢゃ、天の神は地ではお手伝ひざと申してあろが、下見て暮せ、足元に気付けと申してあらうが、皆 地の神尊び斉き祀りて弥栄ましませ。
この文面は、全て新たに生まれた文面と見ます。
今迄は、天の神様ばかり尊んで上ばかり見ていましたから、今度は地は、地の神の世と致します。
天の神は、地ではお手伝ひ、と申しています。
お手伝ひ、という表現は初めて、ですね。
そこで、下見て暮らせ、足元に気づけと申しておられます。
大地のマンデラ・エフェクトを起こしてください、と申されています。
他に千人力から、現界のマンデラ・エフェクトを起こしてください。と申されています。
それには、千人力が求められます。
皆、地の神様、尊び斉き祀りて、弥栄して下さい。と伝えられています。
Ⅶ.天の教許りではならず、地の教許りでもならず、今迄はどちらかの為、時が来ず、マコトがマコトと成らず、いづれもカタワとなってゐたのです。
●天の教許りではならず、地の教許りでもならず、今迄はどちらかであったから、時が来なかったから、マコトがマコトと成らず、いづれもカタワとなってゐたのざぞ、
天の教許りではならず、地の教許りでもなりません。
今迄は、どちらかであった為に、時が来なかったのです。
その為、マコトがマコトと成らず、いづれもカタワとなってゐたのです。
Ⅷ.今度は上下揃って夫婦和して、天と地と御三体まつりて、あななひて末代の生きた教と光輝きます。
●カタワ悪ぞ、今度上下揃ふて夫婦和して、天と地と御三体まつりてあななひて、末代の生きた教と光り輝くのざぞ。
この後の展開が全て書かれていますね。これも初めての文面と見ます。
カタワが悪です。
今度は上下揃って夫婦和して、天と地と御三体まつりて、あななひて、末代の生きた教と光輝くのです。
天地は、夫婦の関係性だったようです。
その天(・)と地(千)と御三体(御自身)(新たに生み出された無)まつりて(三界和合)、あななひて(永劫の過去から七を生み出す)(あいう、から、ひふみ、へ)、末代の生きた教と光輝きます。
2.まとめ
他の教会と天地の違いとは、此の度の岩戸開きに、御用に立つ身魂ばかり選り抜きて、集めて行さして御用に使ふところにあります。
選り抜かれるには、まず、行じ、省み、また、和していく事が求められます。
今度は、心の底まであらためて、一々始末せねばなりません。
誰によらず、今迄の様なゼイタクをやめて下さい。
せねばする様せなならんようになります。
世界のハラワタ腐り切っているので、愈々を致さねばなりませんが、愈々をしますと、人民愈々となるので、神様がくどう気を付けてゐます。
ハラワタ(八〇㋻十)、くさり(九三理)切ってしまっているのが原因です。
ですから、無限に、和し、神を生み出し、くにつつみ、三が道の理を繋げて、行じ省みる事が求められます。
此処へは、善と悪と、どんな身魂も引寄せてコネ廻し練り直す所ですので、チットモ気緩(ゆる)しならん所です。あらゆる存在と和する、とは、書くのは簡単ですが、全て、行に移すにはそう簡単ではありません。
此処の仕組みは、天(・)の仕組み、地(千)の仕組み、カミとなり、仏となり、結び⦿と和し、雲(九母)と顕れ動き、なりなりて、マコトの世「みろく」(五六七)(六六六)の代を致して、この世を神の国と致す仕組みです。
まず、天(・)の仕組みと、地(千)の仕組みの理解体験が求められます。
神の御心の仕組み、千人力の仕組みです。
その結果、雲(九母)と顕れ動きます。鳴り成り(七理七理)て、
マコトの世「みろく」(五六七)(六六六)の代として、この世を神の国と致すこととなります。
今度は、地は地の神の世と致し、天の神は、地ではお手伝ひ、下見て暮らし、足元に気付き、皆地の神尊び斎き祀りて弥栄ましませ、となります。
天の教許りではならず、地の教許りでもならず、今迄はどちらかの為、時が来ず、マコトがマコトと成らず、いづれもカタワとなってゐたのです。
今度は上下揃って夫婦和して、天と地と御三体まつりて、あななひて末代の生きた教と光輝きます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。