弥栄、に関する文面44 神示読みますと、大往生の理(ミチ)、弥栄に体得出来ます

マンデラ・エフェクト文面(2025年6月24日~

弥栄、に関する文面44に進みます。

今回は、夏の巻 第十八帖、第二十一帖、秋の巻 第十帖、の三つの文面です。

今回は全体的に短めの文面ばかりながら、マンデラ・エフェクトは総ての文面で起こっています。

夏の巻 第十八帖、では、陰陽とは、分かれるのではないこと、もとのもとの、もとの誠の弥栄知りて下さい。という文面で、自分が自分を生み出すものである事を伝えられています。

第二十一帖、では、死んでも自分は生きてゐます。霊界と霊と、現界と現身(うつしみ)の関係性、を伝えられ、神示よめよめ。としますと、大往生の理(ミチ)、弥栄に体得出来ます。と伝えられています。

生きながら、大往生の理(ミチ)、弥栄、体得できる、と伝え始めています。

秋の巻 第十帖 では、マコトの喜びは、外内と一つになり、二つになり、三つとなった喜びにならねば、弥栄ありません。と伝えられています。外内二つは、立体に進む事にあり、三つが、複立体、複々立体、立立体、といった意味合いを伝えられていると見ます。

それでは、弥栄、に関する文面44、をお伝えしますね。

1.夏の巻 第十八帖 自分が自分生みます。陰陽分れるでなくもとのもとのマコトの弥栄知りて下さい。

Ⅰ.自分を生み出すのは自分です。陰と陽に分かれるという見方は、人間の住む次元に引き下げています。

自分が自分生むのであるぞ。陰と陽とに分れ、更に分れると見るのは、人間の住む次元に引下げての見方であるぞ。

自分を生み出すのは、自分です。
陰と陽とに分かれ、更に分かれると見るのは、人間の住む次元に引き下げての見方です。

Ⅱ.陰陽とは、分かれるのではないこと、もとのもとの、もとの誠の弥栄知りて下さい。

陰陽分れるのでないこと、もとのもとの、もとの誠の弥栄知れよ。

この後がマンデラ・エフェクト文面と見ます。

陰陽分かれるのではなく、もとのもとの、もとの誠の弥栄を知りて下さい。

新たな世界を生み出し、それには、御自身を新たに生み出す事にあります。

弥栄実践、祓実践、まつり実践と共に、相手だけでなく、御自身も、行じ、省み、我を洗濯、掃除、改心していきます。

2.夏の巻 第二十一帖 神示よめよめ。として下さい。大往生の理(ミチ)、弥栄に体得出来ます。

Ⅰ.行き詰まるのは、目に見える世界のみ囚はれている為で、タテのつながりを見ないためです。

始めは形あるものを対象として拝むもよいが、行きつまるのは目に見える世界のみに囚はれてゐるからぞ。タテのつながりを見ないからであるぞ。

始めは形あるものを対象として拝むのもよいのですが、行きつまるのは、目に見える世界のみに囚はれてゐるからです。

タテの繋がりを見ないからです。

それは、過去、現在、未来。生前、現在、死後、

Ⅱ.死んでも御自身は生きてゐます。霊界と霊と、現界と現身(うつしみ)の関係性、はここまで伝えてきた通りです。

死んでも自分は生きてゐるのであるぞ。大我に帰したり、理法にとけ入ったりして自分と云ふもの無くなるのでないぞ。霊界と霊と、現界と現身(うつしみ)とのことはくどう説いてあろうが。

死んでも、御自身は生きてゐます。
大我に帰したり、理法にとけ入ったりして、自分と云ふもの無くならないのです。

常々、今の御自身がある、ように、ずっと、御自身は生きてゐますし、生きてきたのです。

この後は、マンデラ・エフェクト文面と見ます。

霊界と霊、現在と現身とのことは、ここまでくどう説いてあります。

霊界と現界とは対応しているので、また、どちらかだけ、というのはないですし、片側ですと弥栄、というのが存在しないのです。
(詳細は、地震の巻に記されています)

Ⅲ.神示よめよめ。として下さい。大往生の理(ミチ)、弥栄に体得出来ます。

神示よめよめ。大往生の理(ミチ)、弥栄に体得出来るのであるぞ。

これも、初めての文面では、と見ます。

御神示を読んでいきますと、大往生の理(ミチ)、弥栄に体得できるのです。

大往生の理に進むだけでなく、弥栄と共に体得できます。

遂にですが、大往生の理(ミチ)、弥栄、に体得できる段階に入ってきています。

Ⅳ.霊と体は同じであっても、人間の世界では別々です。内と外、上と下です。

霊と体と同じであると申しても、人間の世界では別々であるぞ。内と外、上と下であるぞ。取りちがいせんようして下されよ。

霊と体と同じであると申しても、人間の世界では別々、です。

内と外、上と下です。
心の内の世界、外の三次元の世界です。

内が霊、外が体、ですが、肉体霊も外の御自身です。

上が霊、下が体、ですが、体が、霊を守ってゐる事も忘れてはなりません。

3.秋の巻 第十帖 マコトの喜びは、外内と一つになり、二つになり、三つとなった喜びにならねば、弥栄ありません。

Ⅰ.外の喜びは、その喜びによって悪を増し、内の喜びは、その喜びによって善を増します。

外の喜びはその喜びによって悪をまし、内の喜びはその喜びによって善をますなれど、

この文面は短いながら、マンデラ・エフェクト文面、と見ます。

外の喜びは、その喜びによって悪をまし、内の喜びは、その喜びによって善をまします。

外の喜びとは、確かに、悪に向かって進み、また戻されていく所があり、
内の喜びは、永劫に喜びに変わっていく事があります。

内外共に喜び、弥栄していく事が求められます。

Ⅱ.マコトの喜びは、外内と一つになり、二つになり、三つとなった喜びにならねば、弥栄ありません。

マコトの喜びは外内と一つになり、二つになり、三つになった喜びとならねば、弥栄ないぞ。

更にですが、マコトの喜びは、外内と一つとなり、二つになり、三つとなった喜びとなりませんと、弥栄となりません。

マコトの喜び、外内と一つは判ると思います。
外、と内と合わすのです。

ですが、二つとなるには、立体に進む事が求められます。複立体です。
和して、新たな世界を生み出さないと新たな御自身にはなれません。

三つは、更に進む立体ですね。複々立体、立立体、と進んで行きます。

このように、立体に進む事が求められます。
それは、思念界から、変えていく行が求められます。

4.まとめ

自分を生み出すのは自分です。陰と陽に分かれるという見方は、人間の住む次元に引き下げています。
陰陽とは、分かれるのではないこと、もとのもとの、もとの誠の弥栄知りて下さい。

新たな世界を生み出し、それには、御自身を新たに生み出す事にあります。

弥栄実践、祓実践、まつり実践と共に、相手だけでなく、御自身も、行じ、省み、我を洗濯、掃除、改心していきます。

行き詰まるのは、目に見える世界のみ囚はれている為で、タテのつながりを見ないためです。
過去、現在、未来。生前、現在、死後、を見ない為です。

死んでも御自身は生きてゐます。霊界と霊と、現界と現身(うつしみ)の関係性、はここまで伝えてきた通りです。

神示よめよめ。として下さい。大往生の理(ミチ)、弥栄に体得出来ます。
大往生の理に進むだけでなく、弥栄と共に体得できます。

霊と体は同じであっても、人間の世界では別々です。内と外、上と下です。

外の喜びは、その喜びによって悪を増し、内の喜びは、その喜びによって善を増します。

マコトの喜びは、外内と一つになり、二つになり、三つとなった喜びにならねば、弥栄ありません。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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