第十九帖その3 地震の巻、最後の締めくくりです。
高度の天人の段階になってきますと、愛も真もなく、最後は、超越した歓喜の・を感じるのみとなります。
また、その3でも、マンデラ・エフェクト文面は現れています。
地震の巻は、以前に比べますと、長文化はしていますが、霊界の事、大歓喜について、明確になってきていますから、詳細を理解したい場合は、是非読み返して下さい。
それでは、地震の巻最後を御伝えしますね。
1.地震の巻 愛に関する文面⑫ 第十九帖 その3 最後は超越した歓喜の・を感じるのみとなります。
Ⅰ.天国の太陽は二つあります。
●天国の政治は、光の政治である。天国にも地上の如く太陽があり、その太陽より、光と、熱とを発しているが、天国の太陽は、一つではなく二つとして現われている。
天国の政治は、光の政治です。
天国にも、地上のように太陽があり、その太陽より、光と熱とを発していますが、天国の太陽は、一つではなく二つ、として現れています。
これは地上界とは違う所です。
Ⅱ.二つの太陽の動きは、太陽と月の如く、火の政治と水の政治として現れます。
●一は月球の如き現われ方である。一は火の現われ、火の政治であり、一は水の現われ、水の政治である。
一は月球の如きの現れ方です。ですから、太陽と月のような関係です。
一は、火の現れ、火の政治であり、一は、水の現れ、水の政治です。
このように、火と水の関係です。
天国の観点を地上で言えば、地上の月と太陽は、二つとも太陽ともいえるかもしれません。
Ⅲ.愛を中心とする天人は、常に神様を太陽として仰ぎ、智を中心とする天使は、常に神様を月として仰ぎます。
●愛を中心とする天人は、常に神を太陽として仰ぎ、智を中心とする天使は、常に神を月として仰ぐ。月と仰ぐも、太陽と仰ぐも、各々その天人、天使の情動の如何によるのであって、神は常に光と熱として接し給うのである。またそれは、大いなる歓喜として現われ給う。
愛を中心とする天人は、常に神様を太陽として仰ぎます。
智を中心とする天使は、常に神様を月として仰ぎます。
月と仰ぐも、太陽と仰ぐも、各々、その天人、天使の情動の如何によりますので、神様は、常に光と熱として、接するのです。
また、それが大いなる歓喜として現れます。
Ⅳ.光と熱は、大歓喜の現れの一つにすぎません。故に、天国の政治は常に光の中にあり、熱の中に育ち栄え、歓喜します。
●光と熱とは、太陽そのものではない。太陽は、火と現われ、月は、水と現われるが、その内奥はいずれも大歓喜である。光と熱とは、そこより出ずる一つの現われに過ぎないことを知らねばならぬ。このことをよく理解するが故に、天国の政治は、常に光の中にあり、また熱の中に育ち栄え、歓喜するのである。
光と熱は、太陽そのものではありません。
太陽は火と現れ、月は水と現れるのですが、その内奥は、いずれも大歓喜です。
光と熱とは、そこより出ずる一つの現れでしかありません。
このことをよく理解するが為に、天国の政治は、常に光の中にあり、また、熱の中に育ち栄え、歓喜するのです。
このように、天国の政治が、光の中にあり、熱の中に育ち栄える、という文面も初めてと見ます。
Ⅴ.真と愛は、太陽の中にあるのではなく、現われ出たものが真と見え、愛と感じられるのみです。
●天国の太陽よりは、真と愛とが常に流れ出ているが、その真と、愛とは、太陽の中にあるのではなく、現われ出たものが真と見え、愛と感じられるのみである。
天国の太陽よりは、真と愛とが常に流れ出ていますが、その真と、愛とは、太陽の中にあるのではなく、現れ出たものが真と見え、愛と感じられるのです。
Ⅵ.高度の天人の場合は、愛も真もなく、超越した歓喜の・を感じるのみとなります。
●太陽の内奥は大歓喜が存在する。故に高度の天人の場合は、愛も真もなく、遥かにそれらを超越した歓喜の・が感じられるのみである。この歓喜の・が、真、善、美、愛となって、多くの天人、天使たちには感じられるのである。歓喜は、そのうけ入れる天人、天使、霊人、地上人たちのもつ内質の如何によって、千変万化し、また歓喜によって統一されるのであるということを知らねばならぬ。
太陽の内奥には、大歓喜が存在しています。
故に高度の天人の場合は、愛も真もなく、遥かにそれらを超越した歓喜の・が感じられるのみです。
ですが、此の道に進み、千人力、嬉しきビックリを体験していきますと、・を感じ取れる事となってきます。
そもそも、読めない事が次々起こりますと、もはや、歓喜の・、だけを信じる以外無くなってくるのも実際の所です。
実際、嬉しきビックリ体験が起こっていかないことには、中々、・の実感までいかないようになっています。
体験していく以外判りません。
この歓喜の・が、真、善、美、愛、となり、表に現れる事により、多くの天人、天使たちには感じられることとなるのです。
歓喜は、その受け入れる天人、天使、霊人、地上人たちのもつ、内室の如何によって、千変万化します。
また、歓喜によって統一されるようになる事を知る事が求められます。
最終的には、歓喜によって、あらゆる存在が和す流れとなっていきます。
2.まとめ
天国の太陽は二つあります。
二つの太陽の動きは、太陽と月の如く、火の政治と水の政治として現れます。
愛を中心とする天人は、常に神様を太陽として仰ぎ、智を中心とする天使は、常に神様を月として仰ぎます。
光と熱は、大歓喜の現れの一つにすぎません。
故に、天国の政治は常に光の中にあり、熱の中に育ち栄え、歓喜します。
真と愛は、太陽の中にあるのではなく、現われ出たものが真と見え、愛と感じられるのみです。
高度の天人の場合は、愛も真もなく、超越した歓喜の・を感じるのみとなります。
これが最終的な段階となります。
歓喜は、その受け入れる天人、天使、霊人、地上人たちのもつ、内室の如何によって、千変万化します。
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