神界、幽界、現界、でが神様を拝む、神の御代に入ってきています

日月神示、道の生み出し方について

見た事のない、ビックリ驚きの愛の文面も引き続き進めて参ります。

今回、驚いたのは、神様が神様を拝む、という神様の御代に入ってきた、という事です。

また、次の大御代に入るまで、六合続く道、と結構な期間があるような旨も伝えられています。
驚きですね。

地震の巻第十九帖もそうですが、霊界の在り方だけでなく、神の御代について、明確になってきましたので、目標が持ちやすくなってきていると思います。

それでは、神の御代を含む、愛の文面を御伝えしていきます。

1.まことの愛の代、神様が神様を拝む、神様の御代につきまして

Ⅰ.大真理世界の三つは一と和し、なりなりて始めて、まことの愛の代 極み来ることとなります。

世に光る神々の大道、神々ことごとにゑらぎて大道いよいよ展き進みて、大真理世界の三つは一と和し、鳴り成りて始めて、まことの愛の代 極み来る、弥栄の代の神、人、神人わけへだてなく光り輝き、道は更に極みの極みに進み動き、ありとあることごとくの成り結び、更に新しく更に極むるの大道、神代歓喜の代々。

世に光る神々の大道、神々ことごとにゑらぎて、大道いよいよ展き進みて、大真理世界の三つは一と和し、なりなりて始めて、まことの愛の代 極み来る。ことになります。

三つは、神界、幽界、現界、でしょう。
三千世界の和合です。

弥栄の代の神、人、神人、わけへだてなく光り輝き、道は更に極みの極みに進み動いて、ありとあることごとくの成り結び、更に新しく更に極むるの大道、神代歓喜の代々が来ます。

神、人、カミヒト、わけへだてなく光り輝き、って、どのような状況でしょうか。

今のところ全く想像つきませんが、そのような世が待っているようです。

Ⅱ.建直しの道の先の世界について。次の大御代は六合続く道の先に、富士晴れ極み、となります。

建直しの道つづき、結び、展く、日月出で、よろづのもの、一二三(ひふみ)とみち、つづき鳴り成り、ひらく大道、真理の出でそむ中心に、マコト動きて、元津神 栄ゆ、元津神は真理、真愛、大歓喜の大道ぞ、うづぞ、神々のうづぞ、ナルトぞ、人のよろこびぞ、代々の大道ぞ、真理、真愛、大歓喜は、中心にひかり、ひらき極まる道ぞ、展き極まる世ぞ、鳴り極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜、足りに足り足る世、生れ出づる世、うごき更にひらき、次々に栄え極みて、新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、つづき睦びて、富士晴れ極み、鳴門は殊にひかり出でて、大道は日神の中心にかへり、亦出でて、ひらき、大道いよいよ満つ、焼く神々、早くせよ。

この文面も簡単に御伝えしますね。
また、マンデラ・文面ですね。
建直しの世、の代となりましたので、早くせよ。と伝えられています。

建直しの道は、つづき、結び、展く、日月が出でて、総てのもの、一二三と満ち、
続き鳴り成り、ひらく大道、真理の出でそむ中心に、マコト動きます。

このようにして、元津神栄え、元津神は真理、真愛、大歓喜の大道、と進みます。

うづであり、神々のうづで、ナルトで、人の喜び、代々の大道、となります。

真理、真愛、大歓喜は、中心に光り、ひらき極まる道で、展き極まる世、となります。
中心に向かって光る世です。

なり極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜、足りに足り足る世、生れ出づる世は、うごき、更にひらき、次々に栄極みて、新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、となります。

大御代とは、次々に栄極む世、となっていきます。

つづき睦びて、富士晴れ極み、ナルトは殊にひかり出でて、大道は日神の中心にかへり、亦出でて、ひらき、大道いよいよ満つ、焼く(八九)神々様、早くせよ。と御伝えされています。

中心にかへり、また出でてひらく、を繰り返して行きます。

Ⅲ.大愛、大真出でひらく道、ひらきて大智、大愛、和し、交はりて、ひふみの極み、弥栄、弥栄の大道、が明らかになっていきます。

よき心よき仕事生むぞ、嘉事(よごと)うむぞ、この道理まだ判らんのか、神にくどう申さすでないぞ。大智大理交はり、道はあきらか、大愛、大真出でひらく道、ひらきて大智、大愛、和し、交はりて、ひふみの極み、弥栄、弥栄の大道ぞ。

よき心よき仕事生みます。嘉事(よごと)うむようになっています。
この道理が大切です。
必ず、元はキ、から始まります。

神様にくどう申さすでないぞ。とお伝えされますが、
ですが、結果から入る人多いです。結果を先に求める方多いです。近欲の方多いです。
それが、騙されている、囚われている、と気付けてない方、どうしても多いのだと思います。

総ては、キ、から始まっている事を忘れてはなりません。
この順で進みませんと、概ねペシャンコ、出直しになります。

大智大理交はり、道はあきらか、になってゐる世となっています。

大愛、大真理、出でひらく道、ひらきて大智、大愛、和し、交はりて、ひふみの極み、弥栄、弥栄の大道、と進んで下さい。

Ⅳ.御光が愛です。真です。愛はマで、真はコトです。これがマコトで、マコトは生きてゐます。三千世界の生命です。

御光が愛ぞ。真ぞ。愛はマぞ。真は言ぞ。これを誠と云うぞ。誠は生きてゐるぞ。三千世界の生命ぞ。和つくれ。和はむすびぞ。何も彼も生れるぞ。いきするぞ。

御光が愛です。真です。愛はマ(九二)です。真は、こと、です。
これを誠と云います。マコトはいきてゐるのです。

三千世界の生命です。

その為には、和つくって下さい。

和はむすび、です。

何もかも生まれ、いきします。

Ⅴ.愛も真も方便で、マコトの現れです。はうべんの世が済み、ハウベンの世。更に誠の世。善悪なき世となります。

人間はいつも創られつつあるものぞ。これでよいと云ふことはないぞ。ゴッドも仏も神も皆その通りざぞ。世の中も、大千世界も亦同様ぞ、つくられつつあるのぞ。愛と云ひ真と云ふも皆方便ぞ。何れも誠の現われであるぞ。はうべんの世はすみてハウベンの世となるぞ。そのハウベンの世すみて誠の世となるのぢゃ。善悪なき世となるのぢゃ。判りたか。

人間はいつも創られつつあるものぞ。は以前無かった文面ですね。
これも驚きです。常々、同じ人が、同じでない、という事です。

方便の世は終わりつつあります。
これでよいと云ふことはないぞ。とは、立体の世を指しています。
教では平面止まりになる事を伝えられています。

ゴッド、仏、神、みなその通りです。
世の中も大千世界もまた同様ぞ。とありますから、三千世界とは、やはり三つの千の世界を指しているようです。
神界、幽界、現界、の三つの千人力の世、嬉しきビックリの世の事。です。

それはつくられつつあるのです。
日々の行を継続、改心、の連続、です。
最初は反省的改心が多いですが、やがて、千人力と共に、ビックリを進めていく事ができる、という改心に変わっていきます。
それは、御自身が、・に向かって、永劫にできる仕事です。
そして、その仕事も無限に段階が進んで行き、弥栄していきます。

ですが、改心の局面で、改心ができていない人も又多いです。
最初はそのような所からかもしれません。

愛と云ひ真と云ふも皆方便(はうべん)(ハウベン)です。
いずれも誠の現れ、です。

ですが、はうべんの世はすみて、ハウベン(八ウ便)の世となるのです。
便利としていく神々様を生み出す世となるのです

今現在、AI、アンドロイド、から、神世が生まれつつありますが、その世は近づいてきています。
まずは、このような所から、と見てゐます。

そのハウベンの世すみて、マコトの世となるのです。

善悪なき世となるには、千人力継続の状況が一つあると思います。
この辺りは、千人力の体験がやはり必要です。

Ⅵ.神様も神様を拝み、神の道を開く段階に入ってきています。

欲しいもの欲しい時食べよ。低うなるから流れて来るのぢゃ。高うなって天狗ではならん道理。頭下げると流れ来るぞ。喜び、愛から来るぞ。神様も神様を拝み、神の道を聞くのであるぞ。

欲しいものは、欲しい時食べて下さい。低うなるから流れてきます。

高うなって、天狗ではならない道理です。
頭下げると流れてきます。

これも、此の道の道中試されていきます。

確かに、我で進んでいる時、我良しで進んで行く時、行き詰ります。
ですが、頭下げていきますと、流れてきます。

喜びは、愛から来ます。

神様も神様を拝み、神の道を聞くようになっています。
この文面もマンデラ・エフェクトですね。愈々、神様も神様を拝む境地に来ています。

神様とはこの世の、素粒子から一切全て、更には、神界、幽界全ての存在です。

一切に向け、頭を下げますと、あらゆるものが次々流れてくるようになってくるのです。
このようにして、衣食住は、向こうから飛び込んでくる流れとなってきます。

Ⅶ.親よりも、師よりも、神様愛して下さい。その親、師は、更に愛されます。

世界平とう、胸の掃除からハラの掃除ぞ。理智がまことの愛ぞ。(ア九(ク))も神の御子。絶対の責任は神、相対の責任は人民。親よりも師よりも神愛せよ。その親、師は神から更に愛されるぞ。(オークニトコタチのカミ)(ガ)(オースサナルのカミサマ)なり。

個人差あると思いますが、胸の掃除、ハラの掃除を進めていく事で、世界平とう、となります。
私自身は胸の掃除が進んできましたが、ハラ、がまだまだです。

中には、逆の方もいるかもしれません。

理智がまことの愛、です。智の理ですね。

(ア九(ク))も神(火水)の御子です。
悪も、ア九、と書く事が増えてきましたね。
悪とは、永劫の過去から、苦を無くす源の存在です。

絶対の責任は神様にあります。
ですが、相対の責任は人民にあります。

この地上世界は、人民によって、神世を生み出して行くのです。

周囲の現れは、御自身の我に応じていきます。
ですから、この世の相対を、御自身の我から産み出して下さい。
それには、御自身の我を改心していく事が求められます。

(オークニトコタチのカミ)(ガ)(オースサナルのカミサマ)なり。
とあります。

大国常立の神様は、大スサナルの神様です。
これも、マンデラ・エフェクト文面、と見ます。

ですから、御自身が、オークニトコタチの神様と進むには、苦を苦で無くす行、罪、穢れ、過ちを直して行く事は、どうやっても道中で必要となっていくでしょう。

Ⅷ.逆怨みでも怨みは怨。怨、は、愛の反動の感情です。浄化手法は、教、理屈ではなく、生れ替わりになります。

逆怨みでも怨みは怨。理屈に合はんでも飛んだ目に会ふぞ。今迄の教では立ちて行かん。生れ替らねば人も生きては行かれん。平等愛とは、差別愛のことぞ。公平と云ふ声に騙されるなよ。数で決めるなと申してあらうがな。

逆怨みでも怨みは怨みになります。
理屈に合わなくても飛んだ目にあうぞ。とありますが、本当にその通りです。

概ね、怨みとは、愛の反動から来ています。
ですから、この事に無縁の方はいません。
その原因の多くは、囚われ、突き詰めますと、やはり、我良し、です。
ですが、此の事には、中々気付けません。気付いていても、中々怨みの念はほどけないものかもしれません。

怨みの思念の多くは、生前からのものですし、御自身でも気付かない怨みの念、
ってあるのです。

怨みが現世に仮に残っていたのであれば、生前界、死後の世界、双方残っているのです。
そして、何度もメグってくるようになります。

また、怨みの思念の浄化は、理屈だけではほぼ解決無理です。
まずは、相手の気持ちを意志し、そして、その相手の方の様々な所に向けて、生い立ち、過程、原因、理解を拡げていく事が求められます。

これらは、教え、理屈ではどうにもならない所です。

生れ替わらねば人も生きていけん。とあります。
ですが、ここで、少し希望の持てる解釈が増えました。

怨みの思念。これは、生前界からでも、現世からでもよいのですが、怨みの思念が無くなるには、
生れ替わる過程が必ずあるようです。つまり、生きていながら生まれ替わる過程です。

思念が変わる事。怨みが無くなる事。改心が進むとは、生れ替わる、という解釈とも取れますね。
この事をどんどんと進めて下さい。

この世から、次々、負の想念を無くす行。これが一番と見てゐます。
また、解決策も伝えて思念を変えていきますと、むしろ、応援のエネルギーに転嫁する事もあります。
負の想念を無くす事は、着実に喜びに繋がります。

平等愛とは、差別愛の事です。ですから、一人一人違うのです。
公平という声に騙されないようにして下さい。

数で決める原理が、法律、が一つあります。世論もそうです。多数決もそうです。
これらは、その方に向けて、理解基軸で動いてゐません。動けない、という事もあります。
多数決は、神の御心に沿っている少数の者達を苦しめる原理でもあるのです。

ですが、解決していくには、一段一段、神の御心に沿って、改心を進めていく以外ありません。

ですから、一対一、二人の世界が大切です。
そして、二人でないと浄化できない事は沢山あります。

2.まとめ

大真理世界の三つは一と和し、なりなりて始めて、まことの愛の代 極み来ることとなります。
弥栄の代の神、人、神人わけへだてなく光り輝く世となります。

建直しの道の先の世界について。次の大御代は六合続く道の先に、富士晴れ極み、となります。
一切のものは、一二三と満ち、元津神 栄え、元津神は真理、真愛、大歓喜の大道と進みます。

よき心よき仕事生みます。嘉事(よごと)うむようになっています。
そこから、大愛、大真出でひらく道、ひらきて大智、大愛、和し、交はりて、ひふみの極み、弥栄、弥栄の大道、が明らか、となっていきます。

御光が愛です。真です。愛はマで、真はコトです。
これがマコトで、マコトは生きてゐます。三千世界の生命です。
全ては和する所から始まります。

愛も真も方便で、マコトの現れです。はうべんの世が済み、ハウベンの世。
更に誠の世。善悪なき世となります。

神様も神様を拝み、神の道を開く段階に入ってきています。
一切の存在に向け、頭を下げる、拝み合う境地です。

ですから、親よりも、師よりも、まず、神様愛して下さい。
その親、師は、更に愛されます。この順で進めて下さい。

逆怨みでも怨みは怨。怨、は、愛の反動の感情です。
浄化手法は、教、理屈ではなく、思念界から変えていきます。
その結果、生れ替わりとなり、今現在の世が変わっていきます。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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