草木に関する文面は、次は、アメの巻まで飛ぶのですが、そのアメの巻に草木の文面がかなり集中しています。
アメの巻は、一文が長文化マンデラ・エフェクトを起こしてきましたし、丁度、第二次世界大戦後にすぐ生まれた文面でもありますから、夜明けの意味、岩戸が開いた事を象徴する文面でもあるので、今回、草木が入った文面は全て御伝えしようと思ってゐます。
全部で4つありますが、その中でも、今回は、アメの巻、第三帖です。
ここでは、草木の御身から、神の御身へと進む、惟神のミミについて伝えられています。
そこで重要な事は、
まず、御神示をよく読む事。
次に、教へてやれるようになる事。
一二三が元である事が、魂にしみている事。
心の内の・を生む出す為に、我の改心を進めて行く事。
にあります。
それでは順に御伝えしていきますね。
1.アメの巻 第三帖 草木に関する文面 草木の御身から神の御身へ 惟神のミミについて
Ⅰ.人の身、神様に捧げて下さい、神の御身(みみ)となります。惟神のミミです。
●草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。種は残して育ててやらねばならんのざぞ、草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのざぞ、出世するのざから嬉しいのざぞ、草木から動物虫けら生れると申してあろがな、人の身(み)神に捧げるのざぞ、神の御身(みみ)となること嬉しいであろがな、惟神のミミとはその事ぞ、神示よく読めば判るのざぞ、
草木は、身を、動物、虫けらに捧げるのが嬉しいのです。
種は、残して育ててやらねばならんようになっています。
種(田根)は残し、草木の身が動物、虫けらの御身(みみ)となる為です。
出世するから嬉しいのです。
このようにして、草木から動物、虫けら生まれるのです。
人の身(み)、神様に捧げて下さい。
神様の御身(みみ)となること嬉しいと思います。
惟神のミミ、とはその事です。
惟神のミミ、その道の進み方については、御神示よく読めば判るようになっています。
Ⅱ.此の道は、先に行く程、広く豊かに光り輝き、嬉し嬉しの、マコトの惟神の道となります。
●此の道は先に行く程 広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道で御座るぞ、神示よく読めよ、何んな事でも人に教へてやれる様に知らしてあるのざぞ、
此の道は、先に行く程 広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道になります。
御神示よく(四九)読めよ。と御伝えされています。
どんな事でも、人に教へてやれる様に知らしてあるのです。
それは、おしへて(七二、四、経て)やれるようになるのです。
もう一段上の無を生み出す、しきまきや、を経て、様々な事を御伝えしていけるようになります。
Ⅲ.いろは、一二三に返しますが、一二三(ひふみ)が元(⦿)です。
●いろはに戻すぞ、一二三(ひふみ)に返すぞ、一二三(ひふみ)が元ぞ、天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、日の大神様は火の御守護なさるなり、此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ。
この後、ですが、
いろは、に戻るようになっていきます。
一二三(ひふみ)に返すようになっていきます。
また、一二三(ひふみ)が元(⦿)になります。
・からミロク様、みづ(三⦿)の御守護遊ばすようになります。
日の大神様は、火(ヒ)の御守護をなさって下さいます。
此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らないようになっています。
みづ(三⦿)は、三が道は、⦿から生まれている事。
日の大神様は、ヒ、永劫の過去から生み出している事。
確かに、此の事 魂までよくしみておらないと、その御恩が判らないと思います。
Ⅳ.⦿の国真中とは、御自身の心の内の・に繋がり、周囲の世界が全て神国に変わっていく事です。
●悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。善も悪もないのざぞと申してあろがな、⦿の国真中に神国になると申してあろがな、日本も外国も神の目からは無いのざと申してあろうが、神の国あるのみざぞ、判りたか。
悪も善に立ち返りて、御用するのです。
実際、悪の方が、善に立ち返りやすいかもしれません。
悪を悪で無くす事から新たな世界が生み出されるからです。
そして、しやすいですし、故に、悪の方が改心早いのです。
そこには、善も悪もないのです。
(あると言えばありますが、無いと言えば無いのです、この境地は、行を進めていく事で分かります。)
⦿の九二、真中に神国になると申してある事も、九の行をしていけば、判ると思います。
周囲の世界が、次々神国となっていく為です。
これが、此の道に進む上での、基本的な、マンデラ・エフェクトです。
悪を悪で無くす、苦を苦で無くす、囚われから囚われを無くす、で、心の内が変わる事で外の世界が変わるからです。
ですから、日本も外国も神の目から見て無いという事が判ってくると思います。
神(十)の国(九二)あるのみ、という事になってきます。
この事は行を進めていきますと判ってきます。
Ⅴ.改心しますと、・(たま)の入れかへ致して、その場からよき方に廻して頂けます。
●改心すれば・(たま)の入れかへ致して其の場からよき方に廻してやるぞ、何事も我がしてゐるなら自由になるのであるぞ。我の自由にならんのはさせられてゐるからざぞ、此の位の事判らんで神の臣民と申されんぞ、国々所々に宮柱太敷キ立てよ、たかしれよ。
改心すれば、・(たま)の入れかへ致して其の場からよき方に廻して頂けます。
前世ヒーリングの主旨は、御自身の我の改心、です。
ですから、・(たま)の入れかへから、周囲の好転化マンデラ・エフェクトを経験する事ができるのです。
何事も、我がしてゐるなら、自由になるのです。
それは、・の御心に沿っていれば、です。
それには、まず、我の改心が初めです。
我の自由にならんのはさせられているからです。
それは、・によっての所があるのです。
ここにも段階があり、着実により良い世界を、自分の意図と反して実現していく流れがあります。
続いて、何も起こらずお陰が無いケース。ですが、それはお陰が無いのが最善、という事です。
下の段階では、カルマ解消が起こり苦しむケースがあります。
ですが、これらに共通しているのは、・によって導いて頂けている、という事です。
勿論、最終的に、一番良いのは、御自身の我と、大神様の御心が合致している状況です。
其の上で、思う事が次々実現していく状況でしょう。
此(九)のくらいの事は、判らんで神の臣民とは申されんぞ、というのはそういった事です。
神の臣民は、日々、神様の御心により、五人分十人分の行は普通にしていくでしょうし、無限に弥栄実践をし続けていきます。祓実践もし、まつり実践もします。
ですから、これらの事は、体験と共に判っていくようになっています。
国々所々に、宮柱ふとしき、キ、立ててください。
たかしれよ、と、高き次元、高い視点を知って下さい。と御伝えされています。
それには、しきまきや、くにつつみ、から産み出して下さい。
Ⅵ.此の先は、御神示に出した事もちいませんと、我の考へでは何事も一切成就しません。まだ、我出している臣民ばかりです。
●此の先は神示に出した事もちいんと、我の考へでは何事も一切成就せんのざぞ、まだ我出して居る臣民ばかりであるぞ。
此の先は、御神示に出した事もちいませんと、我の考へでは何事も、一切成就しません。
まだ我出して居る臣民ばかり、とありますが、実際、今の世が、その我、基軸、11の囚われ基軸ですから、この状況もそう簡単に変わる事ないと思います。
それ位、我、の改心って簡単ではありません。
一人では、限度がある、という事だけは忘れずにゐて下さい。
Ⅶ.従う所には従う事で、その日から楽になってきます。
●従ふ所には従はなならんぞ、従へばその日から楽になって来るのざぞ、高い所から水流れる様にと申して知らしてあろがな。
従ふ所には、従はななりません。
従へば、其の日から楽になってきます。
ですが、我、囚われを選択し、苦しむ方を取る方が多いです。
高い所から水流れる様に、と申されている通りです。
頭を下げると、次々、善き事が流れてくるようになります。
2.まとめ
草木は、身を、動物、虫けらに捧げるのが、出世するので嬉しいのです。
草木の身が動物、虫けらの御身(みみ)となる為です。
同じく、人の身(み)、神様に捧げて下さい。
神様の御身(みみ)となること嬉しいと思います。
惟神のミミ、とはその事です。
惟神のミミ、その道の進み方については、御神示よく(四九)読めば判るようになっています。
此の道は、先に行く程 広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道になります。
どんな事でも、人に教へてやれる様に知らしてあるのです。
いろは、一二三に返しますが、一二三(ひふみ)が元(⦿)です。
みづ(三⦿)は、三が道は、⦿から生まれている事。
日の大神様は、ヒ、永劫の過去から生み出している事。
此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らないようになっています。
⦿の国真中とは、御自身の心の内の・に繋がり、新たな世界を生み出す事で、周囲の世界が全て神国に変わっていく事です。
改心しますと、・(たま)の入れかへ致して、その場からよき方に廻して頂けます。
我の自由にならんのはさせられているからです。
・との合致がまだまだできていない為です。
此の先は、御神示に出した事もちいませんと、我の考へでは何事も一切成就しません。
ですが、まだ、我出している臣民ばかりです。
従う所には従う事で、その日から楽になってきます。
高い所から水流れる様に、と申されている通りです。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。