アメの巻 第六帖 草木に関する文面 草木のまつりと、カミヒトの進み方について

日月神示、道の生み出し方について

アメの巻 第六帖では、まつりについてお伝えされており、人だけでなく、天(あめ)、地(つち)、草木、動物のまつり。カミヒトに進む上ではあらゆる存在とのまつり、が大切である事を御伝えされています。

御神示読めば、肚に入れますと胴すわりますし、何でも教へてやれるようになります。
また、素直になれば、どのような神力も授けて頂ける事も御伝えされています。

かずうたと共に、カミヒトと共に進むようになり、日の出の御代、ひふみの世、いろはの世についてやがて進む流れも御伝えしています。

但し、我良しですとまだまだですし、身慾信心しますと、どんどん御神示が聞こえなくなる為に、鼻高、慢心を次々直していく事を御伝えされています。

今回は、此の道に進むに辺り、カミヒトとなる上で、注意していく事も含めて御伝えされています。

それでは、アメの巻 第六帖を御伝えしていきますね。

1.アメの巻 第六帖 草木に関する文面 草木のまつりと、此の道の進み方について

Ⅰ.御神示、肚に入れますと、胴すわります。どんなこと尋ねても、教へてやれる様になります。

神示よく読めと、神示よく肚に入れと申してあるが、神示肚に入れると胴すわるのざぞ、世界から何んな偉い人が出て来て何んな事尋ねても教へてやれる様になるのざぞ、

御神示よく読め、と御神示よく(四九)(八〇)に入れ、と申していますが、御神示肚に入れると、胴すわります。

また、世界からどんな偉い人が出てきてどんな事尋ねても教へてやれる(八〇流)様になります。

確かに、此の道に進みますと、その体験、理解を伝えていくので、このような事が次々可能になります。
ただし、段階が進みますと、薬、毒になる事があるので、相手の段階に応じて、伝えていく事は、その都度考えていかないとなりません。

Ⅱ.素直になれば、其の場で、神様が教えて下さり、力つけて導いて、どんな神力でも授けて頂けます。

神示胴に入れて頭下げて天地に働いて下されよ、まつりて下されよ、素直になれば其の場から其の場其の場で何事も神が教へてやるから、力つけて導いてやるから、何んな神力でも授けてやるぞ。

御神示、胴に入れて、頭下げて、天地に働いて下されよ(九、裏十、三、〇、四)として下さい。
まつりて下さい。(この文面はマンデラ・エフェクトと見ます)

天地、どこからでもいいです。
くにつつみ、裏の神々様、から、三が道、しきまきや、から生み出して下さい。

素直になりましたら、其の場から、其の場其の場で何事も神様が教へて頂けます。
力つけて導いて頂けます。それは、八の流れ、から判ってきます。

ですから、どんな神力でも授けて頂けます。

御神示につきましても、道中の、様々な出来事より、御神示解読が可能になりますし、無理なく、一段一段進めるようになっていきます。

Ⅲ.かずうた、授け申して、カミヒト、となります。

一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)授け申して神人となるぞ。

かずうた、を授け申して、カミヒトとなります。

元(⦿)の歌です。

此の道に進みますと、まず、どうしても、礼拝の際に、歌い、唱える、流れ、となります。
それが、無限の喜びの流れ、となっていきます。

Ⅳ.我さえよけらよいと思っている臣民、まだまだ、と御伝えされています。

我さえよけらよいとまだ思って御座る臣民まだで御座るぞ、自分一人で生きてゆけんぞ、神許りでも生きてゆけんぞ、爪の垢でもだてについてゐるのではないのざぞ、判らんと申しても余りで御座るぞ、まつりせよ、

われさえよけら、とまだ思って御座る臣民は、まだで御座ると御伝えされています。

御自身一人では生きていけません。

神ばかりでも生きてゐません。

爪(詰め)の垢、だてについてゐるのではありません。
ついている間は、まだまだ我が曇りてゐるという裏返し、です。
ですから、ホコリ、垢、無くなるまで、改心、行、を続けていく事が求められます。
(ただ、これも、不思議と昔と比べ、かなり減りましたが)

その段階に進むまでは油断できません。

ですから、日々、まつりせよ、と御伝えされています。

Ⅴ.まつりは神拝むばかりではありません。草木動物、天地、一切にまつりて下さい。

地(つち)にまつろへよ、天(あめ)にまつろへよ、人にまつろへよ、草木動物にまつろへよ、と、くどう知らしてあるのに未だ判らんのか、神拝む許りがまつりでないぞ。

地(つち)にまつりて下さい。
天(あめ)にまつりて下さい。
人にまつりて下さい。
草木、動物にまつりて下さい。

一切にまつりて下さい。

神拝むばかりがまつりではない、と御伝えされています。

ここでは、人がむしろ脇役のような伝えられ方しています。
それ位、あらゆる存在にむけ、まつりていく事が求められます。
あらゆる存在と和す事が求められています。

Ⅵ.日の出の御代となりますと、一二三(ひふみ)、いろは、の世になります。それは日々の行から始まります。

待ちに待ちし日の出の御代となりにけり、一二三(ひふみ)いろはの世はたちにけり。

待ちに待ちし、日の出の御代となりにけり、といった段階になってきています。
一二三(ひふみ)いろは、の世はたちにけり、という段階になっています。

それは、日々の御自身の行から始まります。

御神示の通り、素直に行をしていきますと、毎朝、毎夕、ひふみ、いろは、必ず唱えていく事になります。
そして、食事の際にも、ひふみ、は唱えると思います。

まずは、御自身が、ひふみ、いろは、に進むのが一番、間違いの無い順、だと見ます。

ひふみ、いろは、と繋がり、日々の生活に融け込んで下さい。
まつりて、生み出してください。

Ⅶ.身慾信心してゐますと、今に御神示聞けぬようになり、厳しくなります。毒にも薬にもならん人民、今度は役に立ちません。

身慾信心してゐる臣民人民、今に神示聞けぬ様に いれものつんぼになるのざぞ、きびしくなって来るぞ、毒にも薬にもならん人民、今度は役に立たんのざぞ、悪気ない許りでは一二(ひつき)の御民とは申されんぞ。

ですが、身慾信心してゐる臣民人民、今に御神示聞けぬ様に、いれものつんぼになります。
この後、きびしくなってきます。

これは、その方の周囲で、我良しの世が、強まっていく為です。
それ程、11の囚われ、6つの慢心は、簡単に変えられないものなのです。
(11の囚われ、どれも中々ですが、特に厄介なのは、人愛、宗教、と見ます。)

毒にも薬にもならん人民、今度は役に立ちません。
悪気ないばかりでは、一二(ひつき)の御民とは申されません。

悪、苦の理解から、新たな世界を生み出して行く事が求められるのです。

Ⅷ.鼻高の鼻折って下さい。段階が進んでもあります。此の道の邪魔になり、神様も承知されません。

あら楽し、黒雲一つ払ひけり、次の一つも払ふ日近し。淋しくなりたら神示尋ねて御座れ、神示読まねば益々判らん事になったであろうが、天国に底ない様に地獄にも底ないぞ、何処までも落ちるぞ、鼻高の鼻折らな人民何んと申しても神承知出来ん。

あら楽し、黒雲一つ払ひけり、次の一つも払ふ日近し、と御伝えされています。

淋しくなりましたら、御神示尋ねて下さい。

御神示読みませんと、益々判らない事になったのがよくわかると思います。
ですが、行をしていき、御神示を読む事で、やはり判っていきます。

天国に底が無い様に、地獄にも、底がありません。
地獄の選択する方は、どこまでも落ちます。

鼻高の鼻を折らない事には、人民、なんと申されても、神様承知できん。とあります。

此の道に進みますと、鼻は次々折られていきます。
折る鼻無い位まで折られます。(笑)
で、千人力超えても、折られる事もまだあります。

段階が進んだ慢心もあります。
ですから、鼻折られる覚悟は必要です。
そして、何よりも改心が大切です。

特に、人愛から入る方は、鼻高、かなり多いと思います。
此の道では、鼻高、慢心、が一番の邪魔になります。

ですから、早うの改心が求められます。

2.まとめ

御神示、肚に入れますと、胴すわります。
どんなこと尋ねても、教へてやれる様になります。

素直になり、御神示を胴に入れて、あらゆる存在に向け、頭下げれば、其の場で、神様が教えて下さり、力つけて導いて、どんな神力でも授けて頂けます。

かずうた、授け申して、カミヒト、となります。
此の道に進みますと、自然と此の道になります。

我さえよけらよいと思っている臣民、まだまだ、と御伝えされています。

まつりは神拝むばかりではありません。
地(つち)、天(あめ)、人、草木、動物、他、一切にまつりて下さい。

日の出の御代となりますと、一二三(ひふみ)、いろは、の世になります。
それは日々の行から始まります。

身慾信心してゐますと、今に御神示聞けぬようになり、厳しくなります。
毒にも薬にもならん人民、今度は役に立ちません。

鼻高の鼻折って下さい。段階が進んでもあります。千人力に進んでもあります。
鼻高は、此の道の邪魔になり、神様も承知されません。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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