アメの巻 第十帖 鼻に関する文面① 鼻高・慢心の改心には、三千年の神の行があります

日月神示、道の生み出し方について

今回は、鼻に関する文面、アメの巻、を御伝えします。

アメの巻では、長文化マンデラ・エフェクト、が起こっていますが、今回御伝えしています文面でも、愈々、のマンデラ・エフェクトが、また起こってゐます。

三千年の行、は、やはりですが、因縁の魂は、どうもしていく事になりそうです。

三千年余りで身魂の改め致して因縁だけの事は否でも応でも致さすのであるから、

これは、どうも以前無かった文面に思います。マンデラ・エフェクト文面ですね。

実際、此の道に進むには、三年でも結構な変化が起こっているのですが、全人類、全生命体が、皆喜ぶ世、といった境地は、どうにも、数十年程度で実現する感じがありませんでした。此の道に進んで、五年目の現在でも、今の人類が皆喜ぶ世なんて程遠く感じています。

ですが、三千年位は、かかる、という事でようやくそれが判ってきます。

此の道に進みますと、時間をとても長く感じます。
実際、2020年のブログ開始からは、約5年経過しましたが、私の上によりますと体感では、18年間経過、と伝えられています。

しかも、直近になる程、時間の経過を遅く感じる傾向になってきます。

一日が一年、百年、となる、といった文面もありますが、どのような感じかまで判りませんが、
三千年程の時間経過を伴いそうです。

それでは、引き続き、鼻に関する文面を御伝えします。

アメの巻、第十帖は、かなり長文の為、2回に分けて御伝えします。

1.アメの巻 第十帖 鼻に関する文面① 今度の御用は、御神示読まずして判りません。

Ⅰ.天の岩戸は開いて、地の岩戸開きに、これからかかります。我の一力(いちりき)では何事も成就しません。

天の岩戸開いて地の岩戸開きにかかりてゐるのざぞ、我一(いち)力では何事も成就せんぞ、手引き合ってやりて下されと申してあること忘れるでないぞ。

今現在、天の岩戸開いて、地の岩戸開きにかかりてゐるのです。
地の岩戸開きは、人民、それも、カミヒト、がしていきます。

我一(いち)力では何事も成就できないのです。
手引合ってやりて下さい、と申してある事忘れないでください。
お互い、気付け合う事が大切です。

世界民の会、二人で進めない事には、我の慢心、我良し、鼻高、の改心はできないようになっています。
手引合ってやりて下されよ、というのはそういった事があります。

Ⅱ.実地の大峠の愈々となりましたら、もう堪忍してくれ、とどんな臣民も申します。

霊肉共に岩戸開くのであるから、実地の大峠の愈々となったらもう堪忍して呉れと何んな臣民も申すぞ、人民には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少ないし神も閉口ぞ。

霊肉、共に岩戸開きますので、実地の大峠の愈々となりましたら、もう堪忍して呉れ、とどんな臣民も申すようになります。

人民には、実地に目に物見せねば、心得ませんし、実地に見せてからでは助かる臣民少ないので、神様も閉口、とあります。

ですから、実地の体験を一段一段、小さなものから体験していく事が求められます。

Ⅲ.ひどい所程、身魂に借銭あります。

ひどい所程 身魂に借銭あるのぢゃぞ、身魂(みたま)の悪き事してゐる国程 厳しき戒(いまし)め致すのであるぞ。

ひどい所程、身魂に借銭あります。
身魂(みたま)の悪き事してゐる国程、厳しき戒め致すのであるぞ。とありますが、
実際、戒めが起こりますと、苦しい思いになります。

それは、まだまだ、御自身の改心ができていない、為です。

Ⅳ.神様が掃除ばかりしてゐるのは、四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るしカス出さねば力出ない為です。

五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るしカス出さねば力出んし、それで神は掃除許りしてゐるのざぞ、神の臣民それで神洲清潔する民であるぞ、

五と五と申してあるが五と五では力出ないようになっています。
これは、普段でも当てはまる事ですね。

四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るしカス出さねば力出ないのです。
それで神様は掃除許りしてゐるのです。

しきまきや、と、無。三が道と、もう一段上の無。がセットです。

神様の臣民、それで神洲清潔にしていく民の事です。

Ⅴ.キが元です。キは幾らでも大きく、結構に自由になります。

キが元と申してあるが、キが餓死(うえじに)すると肉体餓死するぞ、キ息吹けば肉息吹くぞ、神の子は神のキ頂いてゐるのざから食ふ物無くなっても死にはせんぞ、キ大きく持てよと申してあるが、キは幾らでも大きく結構に自由になる結構な神のキざぞ。

キ、が元と申していますが、キ、が飢死(うえじに)すると肉体餓死します。
キ、息吹けば、肉息吹きます。

神の子は、神のキ、頂いてゐるのですから、食ふ物無くなっても死にはしない、とあります。
不食も、基本的には、キ、から始まっています。

ですから、キ、大きく持ってください。と御伝えされています。

キは幾らでも大きく、結構に自由になる、結構な神様のキ、なのです。

Ⅵ.利巧(りこう)なくなれば、神のキ入り、神の息通います。

臣民 利巧(りこう)なくなれば神のキ入るぞ、神の息通ふぞ、凝りかたまると凝りになって動き取れんから苦しいのざぞ、馬鹿正直ならんと申してあろがな、

臣民、利巧(りこう)なくなりましたら、神様のキ、入ります。神様の息、通ひます。
利巧(りこう)とは、理屈、人の我の計算、算盤、それは、結局、我良し、となってしまっている事が多いからです。

利巧(りこう)、は、その理解は大切でも、基本は、全く考えなくていいです。
利巧(りこう)なくなる事で、神様のキ、が入り、神様の息、が通うのです。

利巧(りこう)になりますと、計算しますから、凝り固まると凝りになって、動き取れんから苦しくなります。

ですから、囚われ、様々無くして下さい。
まず、御自身の我、と向き合う事が求められます。

ですが、馬鹿正直はならん、と申されています。

Ⅶ.三千年余りで、身魂の改心して、因縁の事だけはしていきます。御神示読まずして、今度の御用は判りません。

三千年余りで身魂の改め致して因縁だけの事は否でも応でも致さすのであるから、今度の御用は此の神示読まいでは三千世界のことであるから、何処(ドコ)探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、何処探しても判りはせんのざぞ、人民の頭で幾ら考へても智しぼっても学ありても判らんのぢゃ。

三千年余りで、身魂の改め致して、因縁だけの事は否でも応でも致します。との事です。

ここまでの行の状況と、世界の変わり方からしますと、確かに、2041年にまでに、この世が神世へと変わる、なんて事は、全く想像も付きませんし、自身の改心も完全に終える、とするなら、2041年までには、間に合わない、と思っていましたから、やはり三千年の行はしていく、とこの文面からは感じます。

今度の御用は、此の神示読まない事には、三千世界の事ですから、何処(どこ)探しても人民の(力)智からでは見当取れないと御伝えされています。

何処探しても判りません。

人民の頭で幾ら考へても、智しぼっても、学ありても判りません。

それは、千人力を体験していきますと判ります。
神様と共にだからこそ判りますし、ですが、神様の学とは、それは奥深い壮大なものである事も、日々の行と共に判ってきます。

Ⅷ.神々様さえ判らない仕組ですが、何より改心第一です。御神示肚に入れば、未来判ります。

ちょこら判る様な仕組なら こんなに苦労致さんぞ、神々様さえ判らん仕組と知らしてあろが、何より改心第一ぞと気付けてあろが、神示肚にはいれば未来(さき)見え透くのざぞ。

今度の仕組は、そう簡単に分かる仕組みではありません。すぐに判る仕組であれば、このような苦労はしません。

神々様さえ判らない仕組なのです。

ですから、何より、改心第一、です。
ですが、人の我、とは、そう簡単に改心しません。

御神示肚に入りますと、未来(さき)見え透くのです。

ですから、今のまま、人の我基軸では、やはり81の世界にしか行かない事だけははっきり分かります。

そこで求められるのが、千人力、です。
それには、此の道一本に絞って、三年の行が求められます。

2.まとめ

天の岩戸は開いて、地の岩戸開きに、これからかかります。

我の一力(いちりき)では何事も成就しません。
世界民の会、二人で進めない事には、我の慢心、我良し、鼻高、の改心はできないようになっています。

霊肉共にひらく、実地の大峠の愈々となりましたら、もう堪忍してくれ、とどんな臣民も申します。
ですから、実地の体験を一段一段、小さなものから体験していく事が求められます。

ひどい所程、身魂に借銭あります

神が掃除ばかりしてゐるのは、四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るしカス出さねば力出ない為です。

全ては、キが元です。キは幾らでも大きく、結構に自由になります。
利巧(りこう)なくなれば、神のキ入り、神の息通います。

三千年余りで、身魂の改心して、因縁の事だけはしていきます。
御神示読まずして、今度の御用は判りません。

ですが、千人力を体験していきますと判ります。

神々様さえ判らない仕組ですが、ですから、何より改心第一です。
御神示肚に入れば、未来判ります。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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