まことに関する文面16に進みます。
今回の文面は、日の出の巻 第二十帖 その1です。
そもそも、日の出の巻には、2回に分けないとならない程の長文って無かったはずですが、今回は、その長文化マンデラ・エフェクトの文面を2回に分けて御伝えします。
今回のマンデラ・エフェクトは、文面そのものは以前からあったものが多いのですが、
その変化している部分は、愈々、この後に向けての流れを繋げ合わせる感じで、内容の全般的な変化となっています。
今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげる重要性、また、臣民も同様である事。
その目標は、御自身が、世の元の生き通しの神となる事。生き通しの神様でないと間に合わない事。
世の元の神でも、御魂となってゐたのではまことの力が出ないので、人が神と共にカミヒトと進む事。
それには、神の申す通り、素直にする事が求められる事。それにより、すらすらと進むようになってゐる事。
世界かもう此の方さへ我で失敗してゐる事。
くどい様なれど、我出さないように、慢心、取違ひが一等気ざはり、とお伝えされています。
それでは、まことに関する文面16をお伝えしますね。
- 1.日の出の巻 第二十帖 その1 今度は世に落ちておいでなされた神々様、元は神だった臣民をあげねばなりません
- Ⅰ.今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬようになっています。臣民も其の通りです。
- Ⅱ.此れからは、神に逆らふものは一つの埒あかんようになります。やりてみますと、九分九厘でぐれんです。
- Ⅲ.神の国(九二)はどうしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐます。
- Ⅳ.世の元の神でも、御魂となってゐたのではまことの力が出ません。
- Ⅴ.今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合いません。
- Ⅵ.何処の教会も元はよいのですが、取次役員がワヤにしてゐます。
- Ⅶ.此の方は力ありすぎて失敗(しくじ)った神様です。此の世かもう神でも我出すと失敗します。
- Ⅷ.世界かもう此の方さへ我で失敗したのです。くどい様なれど我出さないようにしてください。慢心、取違ひが一等気ざはりです。
- Ⅸ.改心ちぐはぐですから、物後先になりています。経綸少しは変わります。
- Ⅹ.今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐます。そんな事では役員とは言はさんぞ。とお伝えされています。
- ⅩⅠ.今迄は神が世に落ちて人が神になりてゐます。これでは世は治まりません。神が上(かみ)で、臣民人民が下におらねばなりません。
- ⅩⅡ.吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けません。岩戸開きの御用するミタマは吾の苦労で人助けねばならんようになってゐます。
- 2.まとめ
1.日の出の巻 第二十帖 その1 今度は世に落ちておいでなされた神々様、元は神だった臣民をあげねばなりません
Ⅰ.今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬようになっています。臣民も其の通りです。
●今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬのであるぞ、臣民も其の通りざぞ、神の申す通りにすれば何事も思ふ通りにすらすらと進むと申してあろがな。
これも、どこかからか現れた、マンデラ・エフェクト文面、と見ます。
今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならんようになってゐます。
臣民も其の通りです。
神の申す通りにすれば、何事も思ふ通りにすらすらと進むと申されています。
Ⅱ.此れからは、神に逆らふものは一つの埒あかんようになります。やりてみますと、九分九厘でぐれんです。
●此れからは神に逆らふものは一つも埓あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でぐれんざぞ。
此れからは、神に逆らふものは、一つも埒あかなくなります。
やりてみよれ、とあります。九分九厘で、ぐれん、となります。
神に逆らわず、神の申す通り素直に進めるが一番です。
Ⅲ.神の国(九二)はどうしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐます。
●神の国は何うしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐること会得らんか。
神の九二はどうしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐること会得らんか、とあります。
これは、日本を指している一面もありますが、此の道に進むと判りますが、新たな世界を次々生み出す、此の世の事を伝えられています。
ですから、大地震は、原発直下では起こりませんでしたし、戦争、ハルマゲドンもずっと回避してくれましたし、致死率8割超えの疫病も無くし留めて呉れているのです。
Ⅳ.世の元の神でも、御魂となってゐたのではまことの力が出ません。
●皆の者がかみを軽くしてゐるからお蔭なくなってゐるのざぞ、世の元の神でも御魂となってゐたのではまことの力出ないのざぞ。
ですが、皆の者、かみを軽くしてゐるからお蔭なくなってゐるのです。
この後が、マンデラ・エフェクト文面と見ます。
世の元の神でも、御魂となってゐたのでは、まことの力は出ません。
御魂状態だけではまことの力は出ないのです。
ですから、人が、世の元の神様と同一していく事が求められます。カミヒト共にです。
Ⅴ.今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合いません。
●今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合はんのざぞ。
この文面は、かなり前に起こってゐるマンデラ・エフェクト文面と見ます。
今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神様でないと間に合はんのです。
ですから、御自身が、世の元の生き通しの神様へと進む事が求められます。
Ⅵ.何処の教会も元はよいのですが、取次役員がワヤにしてゐます。
●何処の教会も元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてゐるのぞ、今の様(さま)は何事ぞ。
何処の教会も元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてゐるのです。
教へではなく、教えとなり、囚われとなり、我よしとなり、我基軸となってしまってゐる為です。
今の様(さま)は何事ぞ、とありますが、教え、が基軸ですから、中々思念界から変わりません。
囚われを広めています。
Ⅶ.此の方は力ありすぎて失敗(しくじ)った神様です。此の世かもう神でも我出すと失敗します。
●此の方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本(みせしめ)ぞ。
此の方は、力あり過ぎて失敗(しくじ)った神様です。あらゆる宗教者、が一つ該当すると見ます。
此の世かもう神でも、我出すと失敗するのです。
どんな力あったとて、我出さないようにしてください。
あらゆる宗教者は、概ね助けすぎ、から、囚われ、われよし、の世界を生み出し苦しめてしまっています。
Ⅷ.世界かもう此の方さへ我で失敗したのです。くどい様なれど我出さないようにしてください。慢心、取違ひが一等気ざはりです。
●世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念(くど)い様なれど我出すなよ、慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。
世界かもう此の方さへ、我でしくじったのです。それは、宗教者以外でも沢山います。
くどう様なれど我出さないようにしてください。
そして、私もここまで来るまで、我の改心を次々進められています。
慢心と取違ひが一等気ざはり、とお伝えされています。
気ざはり、という伝え方はマンデラ・エフェクトと見ゐます。
Ⅸ.改心ちぐはぐですから、物後先になりています。経綸少しは変わります。
●改心ちぐはぐざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変るぞ。
この文面は初めてと見ます。
改心、ちぐはぐですから、物後、後先になっています。
経綸少しは変わります。
ある程度予定している経綸はありますが、改心はどうしてもちぐはぐですから、物後後先になります。
経綸も此の為に少し変わります。
Ⅹ.今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐます。そんな事では役員とは言はさんぞ。とお伝えされています。
●今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐるでないか、そんな事では役員とは言はさんぞ。
今の役員、神の道広める、と申して、我(われ)を広めています。
十の道ではなく、我(われ)、わや、囚われを広めています。
そんな事では役員とは言はさんぞ、とありますが、
どうしても、当初は、我(われ)を広めてしまうものだと思います。
今の最善をしていく事が、常々、御自身の我を広めてしまいがちです。
ですが、その中で我(われ)を広めている御自身の我の改心を進めていく事が求められます。
ⅩⅠ.今迄は神が世に落ちて人が神になりてゐます。これでは世は治まりません。神が上(かみ)で、臣民人民が下におらねばなりません。
●今迄は神が世に落ちて人が神になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上(かみ)で、臣民、人民 下におらねばならんぞ。
出だしがマンデラ・エフェクト、と見ます。
今迄は、神が世に落ちて人が神になりておりたのです。
元々、人は神だったのです。
これでは、世は治まらんのです。
神(十)が上(かみ)で、臣民、人民、下におらねばならんのです。
これまでは、如何に人の我が基軸で上にゐる事で、此の世が苦しんできたことをお伝えされています。
ⅩⅡ.吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けません。岩戸開きの御用するミタマは吾の苦労で人助けねばならんようになってゐます。
●吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は吾の苦労で人助けねばならんのざ。
我が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けんのです。
ですが、こう書いてあっても、我が苦労して、人救ふ心を持とうとすらしない人が多いです。
また、それを行に移さない方も多いです。
逆に言えば、吾が苦労して人救ふ心により、行を実行しますと、岩戸開けるのですが、中々この事をしようとする方、実行する方は居ません。
岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのです。
2.まとめ
今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬようになっています。
臣民も其の通りです。
神の申す通りにすれば、何事も思ふ通りにすらすらと進むと申されています。
此れからは、神に逆らふものは一つの埒あかんようになります。やりてみますと、九分九厘でぐれんです。
神の国(九二)はどうしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐます。此の事の会得が大切です。
世の元の神でも、御魂となってゐたのではまことの力が出ません。
人が、世の元の神様と同一していく事が求められます。カミヒト共にです。
今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合いません。
ですから、御自身が、世の元の生き通しの神様へと進む事が求められます。
何処の教会も元はよいのですが、取次役員がワヤにしてゐます。
教へではなく、教えとなり、囚われとなり、我よしとなり、我基軸となってしまってゐる為です。
此の方は力ありすぎて失敗(しくじ)った神様です。此の世かもう神でも我出すと失敗します。
宗教者の方々は、概ね助けすぎからしくじっています。
世界かもう此の方さへ我で失敗したのです。
くどい様なれど我出さないようにしてください。慢心、取違ひが一等気ざはりです。
改心ちぐはぐですから、物後先になりています。経綸少しは変わります。
今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐます。そんな事では役員とは言はさんぞ。とお伝えされています。人を救ふ行も当初は、我を弘めてしまう事が殆どです。自ら助けたくなるように導く事は中々です。道中、我の改心、必ず求められます。
今迄は神が世に落ちて人が神になりてゐます。これでは世は治まりません。神が上(かみ)で、臣民人民が下におらねばなりません。
吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けません。岩戸開きの御用するミタマは吾の苦労で人助けねばならんようになってゐます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

