結構に関する文面16に進みます。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、んめの巻(ウメの巻) 第十一帖、第二十三帖、の二つの文面です。
今回のマンデラ・エフェクトは、それ程起こってゐませんが、今回は希望的世界観が多めです。
第十一帖、では、
日本の上に立つ者に外国の教伝へて外国魂に致し、外国の性根入れたのが、岩戸閉めです。五度です。
内容は以前からもある通りですが、外国の性根を入れたのが岩戸閉め、という伝え方に変っています。
この神示肚に入れて居れば、どんな事あっても、先にしらしてあるので、心配ないのです。
胴が座ってゐるから、何事も結構におかげ頂きます。とあります。
胴が座ってゐるまでは、以前からあった話ですが、ここでも、最後に、おかげ頂く前提に変わってゐます。
こうなりますと、御神示に書いてある事は次々実現したくなりますよね。
第二十三帖、では、
一の国は一の国の教、二の国は二の国の教、三の国は三の国、四の国は四の国と、それぞれの教あります。ですが、道は一つです。とあります。
それぞれの国々の教え、世界感があるのですが、ですが、道は一つなのです。
更に、住む家も、食ふ物も違ふのざぞ、まぜこぜならず、皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しです。
このような光の世を提示しています。
当初は、飲まず食わずの行をしていく話から始まり、今はそれが消え、食べ物飲む物、無く(七九)なると変わり、この文面では、遂に、食ふ物がある、そんな光の世を提示していますね。
5年前の御神示に比べますと、随分と希望の世界が出てきました。
それでは、結構に関する文面16をお伝えしますね。
- 1.んめの巻(ウメの巻) 第十一帖 日本の上に立つ者に外国の教伝へて外国魂に致し、外国の性根入れたのが、岩戸閉めです。五度です。
- 2.んめの巻(ウメの巻) 第二十三帖 一の国は一の国の教、二の国は二の国の教、三の国は三の国、四の国は四の国と、それぞれの教あるぞ。道は一つぢゃ、取違ひせん様にせよ。
- Ⅰ.これからは三年の苦労です、一年と半年、半年と一年です。
- Ⅱ.拝むとは御用です。手合すだけ、形体(かたち)出来ても何にもなりません。拝まないのはなお良くなく、神に遠ざかります。
- Ⅲ.此の道、ちっとも心許せんキツイやさしい道です。泰平の嬉し嬉しの道ですが、いつも剣の上に下に居る心構へ結構です。
- Ⅳ.一の国は一の国の教、二の国は二の国の教、三の国は三の国、四の国は四の国と、それぞれの教あります。道は一つです。
- Ⅴ.住む家も、食ふ物も違ふのざぞ、まぜこぜなりません。皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しです。不足のない光の世来ます。
- Ⅵ.世 愈々開け行くと人民申しても、愈々つまって来ます。おそし早しありますが、いずれは出てきます。早う神示肚に入れて下さい。
- 3.まとめ
1.んめの巻(ウメの巻) 第十一帖 日本の上に立つ者に外国の教伝へて外国魂に致し、外国の性根入れたのが、岩戸閉めです。五度です。
Ⅰ.日本の上に立つ者に外国の教伝へて外国魂に致し、外国の性根入れたのが、岩戸閉めです。五度です。
●日本の上に立つ者に外国の教伝へて外国魂に致したのは今に始まった事ではないぞ、外国の性根入れたのが岩戸閉めであるぞ、五度ざぞ、判りたか。
内容は今迄にもある通りですが、伝え方は以前と違ってゐる感じのマンデラ・エフェクト、と見ます。
日本の上に立つ者に、外国の教え、伝へて、外国魂に致したのは、今に始まった事ではありません。
外国の性根入れたのが、岩戸閉めです。
五度です。判りたか、とあります。
ナギナミ尊の時、天照大神様の時、スサナル様に罪を背負わせた時、天照皇大神様の時、仏魔の時、の五度です。
Ⅱ.それを元に戻すのは、中々です。中つ枝からの神々様には判らん事です。
●それを元に戻すのであるから今度の御用中々であるぞ、中つ枝からの神々様には判らん事ざぞと申してあることもガッテン出来るであろがな。
それを元に戻すのですから、今度の御用中々です。
中つ枝からの神々様には判らん事、と申してあることもガッテンできるとあります。
中つ枝の神様とは、ナギナミ以降の神々様です。
Ⅲ.この神示肚に入れて居れば、どんな事あっても、先にしらしてあるので、心配ないのです。胴が座ってゐるから、何事も結構におかげ頂きます。
●この神示肚に入れて居ればどんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのざ、ソレ出たとすぐ判るから胴すわってゐるから何事も結構におかげ頂くのざ。
この神示、肚に入れて居れば、どんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのです。
ソレ出たとすぐわかるから、胴すわっていますから、何事も結構におかげ頂けるのです。
最後、何事も結構におかげ頂くのざ、とあります。
おかげ頂く前提となっている所は、マンデラ・エフェクト、と見ます。
此の道に進みますと、何事も、結構におかげ頂くようになっています。
Ⅳ.死ぬ時は、死んだがよく、遊ぶ時には、遊んで下さい。嬉し嬉しです。
●死ぬ時は死んだがよく、遊ぶ時には遊べ遊べ、嬉し嬉しざぞ。
死ぬ時は、死んだがよく、遊ぶ時には遊べ遊べ、とあります。嬉し嬉しとなります。
実際、此の道に進みますと、遊ぶ時には、遊びというより、行となっていきます。
遊びが、全て、行の一環になってくるのが面白いです。
勿論遊びですから、楽しんで進みます。
2.んめの巻(ウメの巻) 第二十三帖 一の国は一の国の教、二の国は二の国の教、三の国は三の国、四の国は四の国と、それぞれの教あるぞ。道は一つぢゃ、取違ひせん様にせよ。
Ⅰ.これからは三年の苦労です、一年と半年、半年と一年です。
●これから三年の苦労ぢゃ、一年と半年と半年と一年ぢゃ。
これから、三年の苦労です。
一年と半年と半年と一年です。
これは、二度は繰り返すとみます。
今は、二度目です。
二度目の方が、勿論無理なく進んでゐる所はありますし、段階も進んだものです。
Ⅱ.拝むとは御用です。手合すだけ、形体(かたち)出来ても何にもなりません。拝まないのはなお良くなく、神に遠ざかります。
●手合はして拝むだけでは何にもならんぞ、拝むとは御用することざぞ、形体(かたち)だけ出来ても何にもならんぞ、拝まないのは猶(なお)よくないぞ、神に遠ざかることぢゃ。
手合はして、拝むだけでは何にもならんのです。
拝むとは、御用することです。有料、無料、あらゆるところでです。
形体(かたち)だけ出来ても何もならんのです。
拝まないのは、なお、よくないのです。
神から遠ざかるからです。
Ⅲ.此の道、ちっとも心許せんキツイやさしい道です。泰平の嬉し嬉しの道ですが、いつも剣の上に下に居る心構へ結構です。
●此の道、ちっとも心許せんキツイやさしい道ぞ、泰平の嬉し嬉しの道ざが、何時も剣の上に下に居る心構へ結構ぞ。
此の道、ちっとも心許せん、キツイやさしい道です。
泰平の嬉し嬉しの道です。
何時も剣の上に下に居る心構へ、結構です。
Ⅳ.一の国は一の国の教、二の国は二の国の教、三の国は三の国、四の国は四の国と、それぞれの教あります。道は一つです。
●一の国は一の国の教、二の国は二の国の教、三の国は三の国、四の国は四の国と、それぞれの教あるぞ。道は一つぢゃ、取違ひせん様にせよ。
この文面は、マンデラ・エフェクトですね。
一の国は一の国の教、二の国は二の国の教、三の国は三の国、四の国は四の国と、それぞれの教あります。
ですが、道は一つです。国はそれぞれの世界があるのですが、その中での道です。
取違ひせん様にして下さい。とあります。
Ⅴ.住む家も、食ふ物も違ふのざぞ、まぜこぜなりません。皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しです。不足のない光の世来ます。
●住む家も、食ふ物も違ふのざぞ、まぜこぜならんのぢゃ、皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しざぞ、不足ない光の世来るぞ、早う身魂相当の御用 結構々々ぞ。
続いてマンデラ・エフェクト文面です。
住む家も、食ふ物も違ふのです。まぜこぜならんのです。
国は違っても、皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しです。
不足のない光の世来ます。
当初は、飲まず食わずの行をしていく話から始まり、今はそれが消え、食べ物飲む物、無く(七九)なると変わり、この文面では、遂に、食ふ物がある、そんな光の世を提示していると言えますね。
5年前の御神示に比べますと、随分と希望の世界が出てきました。
早う、身魂相当の御用、結構々々となります。
Ⅵ.世 愈々開け行くと人民申しても、愈々つまって来ます。おそし早しありますが、いずれは出てきます。早う神示肚に入れて下さい。
●世 愈々開け行くと人民申しているが、愈々つまって来るぞ、おそし早しはあるなれど何れは出て来るから、神示肚に早う入れて置いてくれよ、神示まだまだ判ってゐないぞ。
世 愈々開け行くと、人民申していますが、愈々つまって来ます。
おそし早しありますが、いずれは出て来ますから、神示肚に早う入れて置いて呉れよ、とあります。
神示まだまだ判ってゐないぞ、とあります。
まあ、究極は、御神示、無限に書き換わると見て居ますので、それは判らないんだろうな、とは思ってゐますが・・・(笑)
絶望的文面を減らし、好転的希望的文面を増やしたいですね。
それには、日々の行の実践、継続。弥栄に段階を一段一段上げていく以外ないとみます。
最後は、あらゆる神々様、大神様と御一体です。ですから、掴める所から、任せきれる神様を掴んで下さい。
3.まとめ
日本の上に立つ者に外国の教伝へて外国魂に致し、外国の性根入れたのが、岩戸閉めです。五度です。
それを元に戻すのは、中々です。中つ枝からの神々様には判らん事です。
この神示肚に入れて居れば、どんな事あっても、先にしらしてあるので、心配ないのです。
胴が座ってゐるから、何事も結構におかげ頂きます。
何事も、結構におかげ頂く前提になってきています。
死ぬ時は、死んだがよく、遊ぶ時には、遊んで下さい。嬉し嬉しです。
これからは三年の苦労です。一年と半年、半年と一年です。
二度くり返すと見ます。二度目の方が、楽に無理なく段階が進んだものになります。
拝むとは御用です。手合すだけ、形体(かたち)出来ても何にもなりません。
拝まないのはなお良くなく、神に遠ざかります。
此の道、ちっとも心許せんキツイやさしい道です。
泰平の嬉し嬉しの道ですが、いつも剣の上に下に居る心構へ結構です。
一の国は一の国の教、二の国は二の国の教、三の国は三の国、四の国は四の国と、それぞれの教あります。
道は一つです。
住む家も、食ふ物も違ふのざぞ、まぜこぜなりません。
皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しです。不足のない光の世来ます。
食ふ物がある、そんな光の世を提示しています。
早う、身魂相当の御用、結構々々となります。
世 愈々開け行くと人民申しても、愈々つまって来ます。
おそし早しありますが、いずれは出てきます。早う神示肚に入れて下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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