地上の現れ(現界)と霊界、順序とその法則について

日月神示、道の生み出し方について

今現在、地震の巻は、以前に比べますと、地上の現れ(現界)、霊界、についての関係性について、かなり詳しくなってきています。これも、マンデラ・エフェクトです。

文面そのものは、長くなって来てゐますが、具体的になってきている為に、読みやすくなってきていると思います。

今回は、順序の中でも、地上の現れ(現界)と霊界、における、順序とその法則性について、御伝えしていきたい、と思います。

1.地上の現れと、霊界、その順序、法則の文面について

Ⅰ.霊界の状況が、そのまま、三次元地上に現れる訳ではない。

地上には、地上の順序があり、法則がある。霊界には、霊界の順序があり、法則がある。霊界が、原因の世界であるからと云って、その秩序、法則を、そのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。また地上の約束を、そのまま霊界では行ない得ない。しかし、これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。

地上には、地上の法則、霊界には霊界の法則があります。

霊界とは、原因の世界であるからと云って、そのまま地上にはうつし得ません。
また、地上の約束を、そのまま霊界で、行うとも決まっていません。

ここには、タイムラグ、があるのです。
その原因は、心・口・行、の一致があるかどうかです。
そして、特に人の世界では、如何に、多くの出来事が、心・口・行、一致していないか、もよく分ります。

素直な存在である、草木等であれば、霊界でもそう大差ありません。
ですが、人は、素直でないですし、心・口・行、一致していない事も多いので、地上界と霊界とでは、かなり剥離がある事が分かります。

人で言えば、虚偽の世界は、霊界の状況と相当剥離あるのが、考えて頂ければ解ると思います。
一方で、霊界では、悪の意識となってゐても、それが、悪的な現れともならない事もよくあるのです。

これらの全ては、大神様の歓喜の中に存在する為に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されています。

Ⅱ.悪を浄化して、必要悪とする為に、皆が生かされる流れとなります。これが、真理の大道です。

その秩序、法則、統一は、一応 完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄する。故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈拍し、歓喜するのである。これが、生命の本体であって、限られたる智によって、この動きを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感ずる場合もある。しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かすのである。生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知り得るのである。

その秩序、法則、統一は、一応完成しているのですが、その完成から次の完成へと弥栄していきます。
故に、弥栄の波長をもって全体が呼吸し、脈拍し、歓喜するのです。

これが、生命の本体です。

限られた智で見ますと、悪を許し、善の成長弥栄を殺す如くに感ずる場合もありますが、しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かす事になります。

悪を意志し理解する事によって、その思念から変わる為です。
この事によって、マンデラ・エフェクトが起こる事になります。

これが、悪の存在理由であり、悪があるからこそ、新たな世界が生み出されます。

御神示では、前の段階が悪、ですから、このように、悪は無限に産み出す元となるので、それが、完成、から、次の完成へ。平面から立体へ。立体から立立体と進むのです。

生きたる真理の大道であり、神の御旨になることを知り得ます。

Ⅲ.神の意の伝え方について。直接ではなく、それぞれの順序を経て、人語、文字を使用して伝えていきます。

神が直接、人間を通じて人語を発し、または書記するのではなくして、それぞれの順序を経て地上人に感応し、その地上人のもつそれぞれの人語を使用して語り、その地上人のもつそれぞれの文字を使用して神意を伝達することとなるのである。

神様が意志している事は、人間を通じて、人の言葉を発し、書記する訳ではありません。

それぞれの順序を経て、地上人に感応し、その地上人のもつ、それぞれの人の言葉を使用して語り、その地上人のもつそれぞれの文字を使用して、神意を伝達する事となります。

ですから、普段気付かない間にしているケースもありますし、受けているケースもあります。

但し、まずは、神様の意を理解した上で、行を進めていく事が求められます。

神の御心に近い存在は、目に見えて分かるのであれば、草木、が一番、だと思っていますが、他、キン、水、大気、も多くは、素直であり、神の御心に近い存在です。

山、川、海、大地、もそうですね。

Ⅳ.神の意は、内臓せぬ地上人には、伝わらないようになっています。

しかし、神の言葉は、如何に地上人を通じて人語としても、その神に通ずる想念を内蔵せぬ地上人には、伝え得ないのである。語れども聞き得ず、読むとも その真意は通じ得ないのである。

神様の言葉は、如何に地上人を通じて、人の言葉となったとしても、その神様に通じる想念を内蔵せぬ地上人には、伝える事はできないようになっています。

いくら語っても、聞き得ず、読むとも、その真意は通じ得ないようになっています。

ですから、マンデラ・エフェクトが信じられない、方には、信じられませんし、霊界の事、いくら云っても通じない人には、通じないのです。

まして、神学の話、そのメカニズムは、体験を持ってでないと判らなくて普通の事ですので、だからこそ、此の道、を進んでほしい、という所があるのです。

そして、此の道に進みますと、御自身が体験していく事から、御神示の真意が読み取れる事となってくるのです。

この理解、体験の繰り返しです。日々の行から、一段一段進むのです。

Ⅴ.あの世の上の世では、神の心を肉体として神がゐます。

あの世の人をこの世から見ると神であるが、その上から見ると人であるぞ。あの世の上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって限りないのであるぞ。裏から申せば、神様の神様は人間様ぢゃ。心の守護神は肉体ぢゃと申してあらうがな。肉体が心を守ってゐるのであるが、ぢゃと申して肉体が主人顔してはならんぞ。何処迄も下に従ふのぢゃ。順乱すと悪となるぞ。

あの世の人を此の世から見ますと神様ですが、その上から見ますと、神様は人になります。

あの世の上の世では神の心を肉体とした神様ゐるようになっています。
それは、限りなくいるのです。

裏から申せば、神様の神様は人間様、です。
心の守護神は肉体となっています。

日月神示で御伝えされています、裏の裏の世界の一つ分かってきたと思います。

云わば、霊界を通じたもう一段上の世界が、肉体の世界でもあるという事です。

これが、此の世に現れるのが、マンデラ・エフェクト、とも言えます。ですから、まずは、霊界、思念界への働きかけ、が大切という事です。

ですが、肉体が主人顔してはならんようになっています。
何処迄も肉体は、霊界の下に従って下さい。

この順を乱すと悪となります。

2.御神示は、奥山から出て、奥山で分けるようになっています。一人一人、内容が違うのは、行の進捗に差がある為です。

奥山奥山と申してあろうが、ふでは奥山から出て、奥山で分けるくらいのこと、何故に分らんのじゃ。誰でもが勝手にしてならん。それぞれの順立てねば悪となるぞ。判らんのは、われよしからぢゃ。本から固めて行かねば何時までたっても小田原ぢゃ。小田原も道筋ながら、それでは世界の人民 丸つぶれとなるぞ。三分残したいために三千の足場と申してあるのぢゃ。早う三千集めよ。御役 御苦労。

奥山、奥山と申していますが、ふでは奥山から出て、奥山で分ける、ようになっています。

ですから、この三次元世界に居ても、行が進んで行く程に、次から次へと、御神示はマンデラ・エフェクトを起こすのです。それは、行の進捗に応じて、奥山から、御神示が分かれて現れるのです。

この為に、御神示の内容が、その人その人で、現れが違う、というのは、行の進捗に差がある為で、それは普通の事なのです。

ですから、それぞれの順立てねば、悪となるのです。
段階が早すぎますと、薬も、毒になる事がある、という事です。
実際、ひかる誠の行をさしたら、皆 逃げて了ふから、という内容が示す通りです。
いきなり、高飛びしても、無理となり、その事を求める事も悪なのです。
(ただ、この文面は、以前、ひかりの巻にあったのに、今では、黄金の巻に移動しています)

私がこうして、ブログで御伝えするのは、その方、その方の順に応じて、読めるようにしている為です。
実際、セッションでは、その話は知らない、とされる事も多く、ですから、まず、ブログの方を読んで頂ければ、と思います。

これらの事が判らんのは、われよし、からです。
御自身のわれよし、から、行が道から外れているか、まだ行が進んでいないか、改心が進んでいないか、です。

本から固めていかねば、いつまでたっても小田原(いつまでたっても決まらない会議)です。
小田原も、道筋の一つですが、それでは、世界の人民 丸つぶれ、です。

三分残したいために、三千の足場、と申されていまます。
早う三千集めよ。という事ですが、ですから、まずは、七人に道を伝えていく事にあります。

更には、三つの千人力、もあると思います。神界、現界、幽界、の三つの千人力です。

3.まとめ

霊界の状況が、そのまま、三次元地上に現れないのは、人は特に、心・口・行が一致していない事が多い為です。

これらの全ては、大神様の歓喜の中に存在する為に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されています。

その秩序、法則、統一は、一応 完成しているのですが、次の完成へと、無限に弥栄していきます。

これが、生命の本体ですが、限られた智で見ますと、悪に見える、場合によっては、善の成長弥栄を奪っているように見えますが、実は、悪を浄化して必要悪とする。悪を悪で無くす事から、新たな世界を生み出すためなのです。これが、善きマンデラ・エフェクトです。

これが、生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知り得る、事となります。

神の意は、直接人間経由、書経由、という訳ではなく、それぞれの順序を経て、人の言葉、文字を経て伝える事となります。

ですが、御自身の内に神様の想念が内臓していなければ、如何に神様の言葉であっても、聞き取る事ができませんし、読んでも判らないようになっているのです。

これらを聞き取れるようになるには、一段、一段、三つの実践主義の行を進めていき、省み、改心を進めていく事が求められます。そして、神様の意、に近づく事にあります。

あの世の上の世では神の心を肉体とした神様ゐるようになっています。

心の守護神は肉体ですが、もう一段上の世界と合致させていけばいいのです。
ですから、心・口・行、一致。手始めに簡単なのは、菜食、です。

此の事で、御自身の肉体が、神の肉体と近づいていくのですが、但し、常々、肉体は霊界の下に居る意識が求められます。

御神示は、奥山から出て、奥山から分かれるようになってゐます。
故に、行の進捗に応じて、一人一人、御神示の現れる文面は違っています。
ですから、それぞれの順を立てねば悪となります。

これが判らないのは、われよし、だからです。

早う三千集めて下さい。
まずは七人、続いて、三つ(神界、現界、幽界)の千人力です。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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