神の心、に関する文面⑥ 借銭負うてゐる身魂は、この世にはおいて貰へん規則に定まりました

日月神示、道の生み出し方について

引き続き神の心、に関する文面⑥ をお伝えします。

今回は、磐戸(一八十)の巻の文面一つと、キの巻の文面一つですが、それぞれ、マンデラ・エフェクト文面があります。

磐戸(一八十)の巻の方ですが、時が来ましたら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来ます。
というものです。

段階が進みますと、御自身が頭を下げ、相手の方も頭を下げる、そして、新たな世界を生み出す。という無理なく進む展開がやってきます。生前からスサナル様に罪を着せたカルマ解消、の小さな型出しをしていくのです。

キの巻の文面の方は、もう一つ強烈ですね。
借銭負うてゐる身魂は、この世にはおいて貰へん規則に定まりました、というものです。

以前は、借銭負うている方は次の世界へと進めない的な感じでしたが、今回は、借銭負うている方はこの世、今現在の世からおいてもらえないようなる、いう所ですね。

つまり、この世がこ(九)の世と成る為でしょう。

更には、タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、また、建直しの世直し早うなるも知れんぞ、
とまで伝えられています。

愈々、タテコワシ、タテナホシ、と共に同時に進み始める、神世がこの世に始まった、という感じですね。

それでは、強烈な展開を見せている、磐戸(一八十)の巻、キの巻の文面をお伝えしていきます。

1.磐戸(一八十)の巻 第十八帖 時が来ましたら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来ます。

Ⅰ.今度の御用は、世(四)におち(七二、千)て、苦労(九六ウ)に苦労(九六ウ)した臣民でないと中々つとまらんようになっています。

今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ、神も長らく世におちて苦労に苦労かさねてゐたのざが、時節到来して、天晴(あっぱれ)世に出て来たのざぞ、因縁のミタマ世におちてゐるぞと申してあろがな、

今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんのです。

一見、大変そうに見えますが、(四)におち(七二、千)て、くろう(九六ウ)にくろう(九六ウ)した臣民であれば、どのような方でもつとまる、と見ます。千人力、しきまきや、九の行から、無から生み出す方です。

神も長らく世におちて苦労に苦労かさねてゐたのですが、時節到来して、天晴(あっぱれ)世に出て来たのです。

因縁のミタマ世におちてゐるのです。
通常は、苦労に苦労にかさねてゐた方に多いかもしれませんが、九六ウに九六ウを重ねた方であれば、どのような方にもつとまります。

Ⅱ.幽界好きの臣民、今に大き息も出来んことになります。改心次第で其の時からよき方に廻して頂けます。

外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第で其の時からよき方に廻してやるぞ。

外国好きの臣民、とても多いですが、間違いなく多いのは幽界好きの方です。
その場合、今に大き息も出来んことになるのです。

覚悟はよいか、と伝えられています。

改心次第で其の時からよき方に廻して頂けます。

Ⅲ.神の御前で懺悔する時が来ます。

改心と申して、人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは神きづつけることになると心得よ、神の御前にこそ懺悔せよ、

改心と申して、人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないです。

人の前で懺悔するのは、神きづつけることになると心得よ、
神の御前にこそ懺悔してください。とあります。

相手の方が、人間と思う間、また、人間の前、では、懺悔はしない方が良いのです。
これは、神きづつける事になるのです。

ですが、相手の方が神と思うのであれば、懺悔と見えても、懺悔ではない所も出てくると思います。

此の道に進みますと、無理なく、自身が頭を下げる場面があります。
それが、不思議と相手の方も頭を下げる流れとなるのですが、このように双方、神として、心の底から頭を下げ合う感じの事が多いです。

ですから、同じ人間でも、相手の方が、神となる時、があるので、神と思えるのであれば、これは、懺悔をした方がよい(懺悔というよりお詫びという感じですが、小難になっている為です)、と見ます。

Ⅳ.懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマにのりて下さい。

懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマのれよ、コト高くあげよ、富士晴れる迄コト高くあげてくれよ、そのコトに神うつりて、何んな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残る様にしてやるぞ。

また、懺悔の悪きコト(九十)に倍した、よきコトタマのれよ、としてください。
すると、無理なく、心の底より懺悔ができる流れ、そしてカルマ解消が進む流れ、となります。

コト(九十)高くあげて下さい。

富士(二二)晴れる迄、コト(九十)高くあげてくれよ、としてください。

そのコトに神様うつりて、どんな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残る様にしてやるぞ、とあります。

Ⅴ.こ(九)の仕組み判りたら、上の臣民、逆立ちしておわびに来ますが、その時ではもう間に合いませんので、くどう(九土ウ)気づけてゐます。

この仕組判りたら上の臣民、逆立ちしておわびに来るなれど、其の時ではもう間に合はんから くどう気付けてゐるのざぞ。臣民、かわいから嫌がられても、此の方申すのざ。

此の仕組み判りましたら、上の臣民、逆立ちしておわびに来るのですが、その時ではもう間に合はんので、くどう気付けてあるのです。

この事を伝えますと、嫌がる方多いと思いますが、臣民、かわいから嫌がられても、此(九)の方(ホウ)申しているのです。また、此(九)の方(かた)申すのです。

ですから、九の行を早く進めてほしいのです。これ以外、大峠を越せる方法はありません。

Ⅵ.悪と思ふこと(九十)に善あり、善と思ふこと(九十)悪多いです。

悪と思ふことに善あり、善と思ふ事も悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、

悪と思ふことに善あります。

例えば、昔ですと、漫画は悪の時代がありましたし、パソコンが悪、という時代もありましたし、ゲームが悪の時代もありましたし、ユーチューバーが悪、みたいな段階もありました。LGBTQもそうでしょう。

最先端行くと、悪とされる事がよくあります。

また、善と思ふ事も悪多いのです。
例えば、学校。囚われを強めてしまうのであれば、悪でしょうし、
労働も、もし、囚われ、苦を強めるのであれば悪でしょうし、
納税も、納税したお金をよき使い方をしないのであれば悪となるでしょう。

国家三大義務、も囚われとなるのであれば、また我よし、となるのであれば、悪となります。
・・・というより、此の道観点からしますと、悪に進みがち、と見ます。
そういえば、湧珍もそうでしたね。

平面的な悪も立体に進むと善の元となる事非常に多いですし、平面的な善も立体観点ですと、悪となる事は多々あります。

今の人民よいと思ってゐる事、間違ひだらけざぞ。此処までよくも曇りなされたな。

今の人民よいと思っている事、本当に間違ひだらけですので、今一度、省みる事が求められます。

こ(九)のことよく(四九)心得て下さい。

Ⅶ.マコトの神さへ悪に巻き込まれていますが、五度のイワトしめ、判りませんと、結構な御用つとまりません。

悪の世になってゐるのざから、マコトの神さへ悪に巻込まれて御座る程、知らず知らずに悪になりてゐるのざから、今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸しめざから見当とれん、臣民に判らんのは無理ないなれど、それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのざぞ、

悪の世になってゐるのですから、マコトの神さへ、悪に巻き込まれて御座る程、知らず知らずに悪になりてゐます。実際、前の段階に向けて、囚われている神々様、かなり多いです。

今度の世の乱れと申すものは、五度のイワトしめですから、見当とれん、臣民に判らんのは、無理ないなれど、それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのです。

五度のイワトしめは、何回か登場していますが、ナギナミ尊の時、アマテラス様の時、スサナル様に罪を着せた時、人皇始まりの時、仏魔の時の五回です。

ですが、一段一段、理解していく事が求められます。
一番重要な所は、スサナル様に罪を着せた時です。

罪を着せてない人はいません。今の環境破壊がそうですね。肉食もしているのであれば、該当します。
更には、囚われの世、悪の世へと、苦しみの世へと進めてしまった事が、人の我、なのです。

他の五度のイワトしめ、全てに関係していますが、臣民に判らんのは無理ない、と伝えられても、それ判りて貰はんと結構な御用は、つとまらんようになっています。

Ⅷ.時が来ましたら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来ます。

時が来たら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来るぞ、神の臣民はづかしない様にして呉れよ、臣民はづかしことは、神はづかしのざぞ。

これは、マンデラ・エフェクト文面と見ます。

時が来ましたら、われがわれの口で、われが白状する様になりて来るのです。
われが、三回も使われる事はなかったと見ます。

われも、様々意味があると見ますが、我が、八〇の口で、和〇(㋻〇)が白状する様になりて来るのです。

神の臣民はづかしない様にして呉れよ、とあります。
と言っても、此の道進みますと、当初程、はづかしい思い結構します。

ですが、此の道に進みませんと、もっとはづかしい思いするのは、判っています。
ですから、早うに此の道を進んでください。

臣民はづかしことは、神はづかしいのです。

Ⅸ.愈々善と悪のかわりめで、悪神暴れるので、巻き込まれぬ様にして、この神示読んで、神の心くみとって御用大切になされよ、としてください。

愈々善と悪のかわりめであるから、悪神暴れるから巻込まれぬ様に褌しめて、この神示よんで、神の心くみとって御用大切になされよ。

これも、マンデラ・エフェクト文面ですね。

愈々、善と悪のかわりめですから、悪神暴れるから、巻き込まれぬ様に褌しめて、この神示よんで、神の心くみとって御用大切になされよ、と伝えられています。

善と悪のかわりめ、は初めてと見ますし、悪神暴れる、というのも、似たような表現はあったかもしれませんが、初めてと見ます。

実際、我で進みますと、巻き込まれるのは仕方ない所があります。
ですから、この神示よんで、神の心くみ(九三)取って、御用大切になされよ(七三〇四)、としてください。

くにつつみ、から三が道を取って、御用(五四ウ)大切にしてください。
なされよ(七三〇四)、㋰、三が道、しきまきや、から生み出して下さい。

2.キの巻 第八帖 借銭負うてゐる身魂は、この世にはおいて貰へん規則に定まりました

Ⅰ.今迄して来た事が、成程 天地の神の心にそむいてゐるという云ふこと心から分かりて、心からお詫びすれば、この先末代身魂かまって頂けます。

今迄して来た事が、成程 天地の神の心にそむいてゐると云ふこと心から分りて、心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、

今迄して来た事が、成程 天地の神の心にそむいてゐると云ふこと心から分かりて、心からお詫びして改心すれば、この先末代 身魂かまって頂ける事になります。

人の我で進むのが如何に、我よしで、多くの存在を苦しめてしまうのかを改めて自覚していくようになります。

Ⅱ.借銭負うてゐる身魂は、この世にはおいて貰へん事に規則と定まりました。早う皆に知らして下さい。

借銭負うてゐる身魂はこの世にはおいて貰へん事に規則定まったのざぞ、早う皆に知らしてやれよ。

この文面も、マンデラ・エフェクトでは、と思っています。

借銭負うてゐる身魂はこの世にはおいて貰へん事に規則定まったのです。

以前は、表現まで覚えていませんが、次の段階の世界には、おいてもらへん、という世界観だったと思います。

ですが、今回は、借銭負うてゐる身魂は、今現在の世界にもおいて貰へん事になった、とあります。
ですから、借銭をどうやっても、負わないように今現在に生きて行かないとならないのです。

その為には、与へ続ける事がどうしても求められるでしょう。

愈々の規則ですね。

Ⅲ.タテコワシ、タテナホシ、一度に成ります。建直しの世直し、早うなるも知れません。遅れないようにしてください。

タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、建直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。

これは、全てマンデラ・エフェクト文面、と見ます。

タテコワシ、タテナホシ、一度になります。
以前は、タテコワシは誰でもできるが、ですとか、タテナホシは判らんであろう、ですとか。
そこまで詳しく伝えていませんでいた。

そこで、今回は、タテコワシ、タテナホシ、一度になる。と具体的に伝えられています。

そして、建直しの世直し、早うなるかも知れん、とあります。
ですが、私としては、一人でも多く、一日でも早うなってほしい、と個人的には思っていますので、是非、一刻も早く、実現してほしいと思います。

遅れないようにしてください。

Ⅳ.建直しとは元の世に、神の世に返す事です。上下グレン、よく(四九)肚(八〇)に入れて呉れよ(九〇四)としてください。

建直し急ぐぞ、建直しとは元の世に、神の世に返す事ざぞ、元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、中々に大層な事であるのざぞ。上下グレンと申してあることよく肚に入れて呉れよ。

建直し急ぐ、とあります。

建直しとは元の世に、神の世に返す事です。

元の世と申しても、泥の海ではないのです。
中々に大層な事です。

上下グレン、と申してあることよく(四九)肚(八〇)に入れて呉れよ(九〇四)とあります。

しきまきや、くにつつみ、から、神々様を生み出す世界へと進んで下さい。
あらゆる存在を上に見立てていきますと、上下グレンが、日々起こる流れとなってきます。

地震の巻第十九帖、天国の生活、あらゆる存在を喜び、上に見立てる世界感です。

3.まとめ

今度の御用は、世(四)におち(七二、千)て、苦労(九六ウ)に苦労(九六ウ)した臣民でないと中々つとまらんようになっています。

千人力、しきまきや、九の行から、無から生み出す方です。
九六ウに九六ウを重ねた方であれば、どのような方にもつとまります。

幽界好きの臣民、今に大き息も出来んことになります。
改心次第で其の時からよき方に廻して頂けます。

神の御前で懺悔する時が来ます。
無理なく心の底からして進みます。

懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマにのりて下さい。

こ(九)の仕組み判りたら、上の臣民、逆立ちしておわびに来ますが、その時ではもう間に合いませんので、くどう(九土ウ)気づけてゐます。

悪と思ふこと(九十)に善あり、善と思ふこと(九十)悪多いです。
今の人民よいと思っている事、本当に間違ひだらけですので、今一度、省みる事が求められます。

マコトの神さへ悪に巻き込まれていますが、五度のイワトしめ、判りませんと、結構な御用つとまりません。

時が来ましたら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来ます。
此の道進みますと、当初程、はづかしい思い結構します。ですが、此の道に進みませんと、もっとはづかしい思いするのは、判っています。ですから、早うに此の道を進んでください。

愈々善と悪のかわりめで、悪神暴れるので、巻き込まれぬ様にして、こ(九)の神示読んで、神の心くみ(九三)取って、御用大切になされよ(七三〇四)、としてください。

今迄して来た事が、成程 天地の神の心にそむいてゐるという云ふこと心から分かりて、心からお詫びすれば、この先末代身魂かまって頂けます。

借銭負うてゐる身魂は、この世にはおいて貰へん事に規則と定まりました。早う皆に知らして下さい。

タテコワシ、タテナホシ、一度に成ります。建直しの世直し、早うなるも知れません。遅れないようにしてください。

建直しとは元の世に、神の世に返す事です。上下グレン、よく(四九)肚(八〇)に入れて呉れよ(九〇四)としてください。

あらゆる存在を上に見立てていきますと、上下グレンが、日々起こる流れとなってきます。

地震の巻第十九帖、天国の生活、あらゆる存在を喜び、上に見立てる世界感です。

懺悔ではなく、無理なく、お詫びする流れになりますと順調です。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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