弥栄、に関する文面4 霊人には、情動の変化があ るのみで、生まれつつ弥栄していきます

日月神示、道の生み出し方について

弥栄、に関する文面4です。
今回の文面は、地震の巻について、です。

地震の巻の「弥栄」に関する文面は、ほぼ全部該当するのではないか、と見ます。

以前、「愛」に関する文面でも地震の巻をお伝えしましたが、今回も、「弥栄」に関する文面からも地震の巻をお伝えします。ただし、以前御伝えしました文面は今回も飛ばしていきます。

とは言っても、地震の巻は、膨大な文字数のマンデラ・エフェクトを起こしてゐますから、この後、結構、地震の巻、が続くと思います。

で、今回、起こったマンデラ・エフェクト、は、文面そのものは特に見当たらないのですが、
「あ る」。という、間の空白がある文面だらけ、になっていた事です。

永劫の過去から次々生み出してください。
と、今はただ、それが伝えたい、ように思っています。

今回は、地震の巻第一帖を3回に分けて御伝えしていくその内の1つ目となります。

1.地震の巻 第一帖 その1 霊人には、情動の変化があ るのみで、生まれつつ弥栄していきます。

Ⅰ.われわれの一切は生まれつつあ る。神、宇宙、森羅万象ことごとく、絶えず常に生れ続けています。

われわれの一切は生れつつあ る。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。

われわれの一切は生れつつあります。

あ、と、る、の間に空間がありますが、無から生み出す、という意味でしょう。
一切は、無から生み出されます。

神様も宇宙も、森羅万象のことごとくが、常に生まれつつあります。

太陽は太陽、太陰は太陰として、絶えず生まれ続けています。

Ⅱ.常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆきます。過去も、現在も、未来もありません。

一定不変の神もなければ、宇宙もない。常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく。過去もなければ、現在もなく、未来もない。只存在するものが生れに生れつつあ る。

一定不変の神様もなければ、宇宙もありません。

常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆきます。

過去もなければ、現在もなく、未来もありません。
只、存在するものが生れに生れつつ、あ る、のです。

三次元世界に、過去があるのは、新たな世界を生み出しやすくする為、理解できるように存在しています。
過去、史実は変わりにくくありますが、過去、史実は変えられない訳ではありません。
それがマンデラ・エフェクト、です。

それは、生れに生れつつあ る、ためにあります。

Ⅲ.生もなく、死もなく、只生れゆき栄えゆくのみであ る、と伝えられています。

生もなければ死もない。善も思わず真も考えず美も思わない。只自分自身のみの行為はない。只生れゆき栄えゆくのみであ る。

生もなければ、死もありません。終わりないのです。

善も思わず、真も考えず、美も思わないのです。

只、自分自身のみの行為はありません。
只、生れゆき栄えゆくのみであ る。と伝えられています。
それは、無から生み出されています。

Ⅳ.地上人の囚われのみですと、総て永遠の生命なく、弥栄はあ り得なくなる。と伝えられています。

善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すことである。故に地上人が自分自身でなすことには、総て永遠の生命なく、弥栄はあ り得ない。何故ならば、地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思うからであ る。思うことは行為することである。

善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すことです。
故に地上人が自分自身でなすことには、総て永遠の生命がなく、弥栄はあ り得ないのです。
何故ならば、地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思うからであ る。と伝えられています。

つまり、地上人は、囚われている、を意味していると思います。
これだけですと、死、生を作り、永遠の生命なく、弥栄しない、と伝えられています。

思うことは行為することになります。

Ⅴ.存在は生命であり、生れつつあ るもの、そのものです。

生前、生後、死後は一連の存在であ って、そこには存在以外の何ものもないのである。存在は生命であり、生れつつあ るもの、そのものである。

生前、生後、死後は、一連の存在であ って、そこには存在以外の何ものもない、と伝えられています。

存在は生命であり、生れつつあ るもの、そのものです。

Ⅵ.必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄します。

何ものも、それ自らは存在しない。弥栄しない。必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。

何ものも、それ自らは存在しないですし、弥栄しません。

必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄します。

Ⅶ.総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在します。

また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。地上人は、生前に生き、生前に向って進みゆく。また、地上人は、地上に生き、地上に向って進みゆく。また、地上人は、死後に生き、死後に向って進みゆく。

また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在します。

地上人は、生前に生き、生前に向かって進みゆく、事になります。
また、地上に生き、地上に向かって進みゆきます。
また、死後に生き、死後に向かって進んで行きます。

此の道に進みますと、この事が判ります。
今とは、過去であり、未来である事が判ってきます。
ですから、三界和合です。

Ⅷ.総ては神の中のでの存在であ るから、それ自体のものはありません。ただ生れつつあ るのみです。

しかし、その総ては神の中での存在であ るから、それ自体のものはない。善でもなく、悪でもなく、只生れつつあ るのみ。

しかし、その総ては、神の中での存在であ るから、それ自体のものはないのです。
善でもなく、悪でもなく、只生れつつあ るのみ、です。

Ⅸ.霊人には空間はありません。霊人はその内にある情動によって定まるが故です。

霊人に空間はない。それは、その内にある情動によって定まるが故であ る。

霊人に空間はありません。
それはその内にある情動によって定まるが故であ る。為なのです。

霊人の世界は、情動の世界です。
地上人から見ますと、これが、現在の三次元世界と対応しています。

Ⅹ.霊人には、その理によって、一定する方位もありません。時間もなく、情動の変化があ るのみです。

また、その理によって一定せる方位もない。また時間もなく只情動の変化があ るのみである。

また、その理によって一定せる方位もないのです。
また、時間もなく、只情動の変化があ るのみ、です。

そして、情動の変化、から生み出す、事を伝えられています。

2.まとめ

われわれの一切は生まれつつあ る。とあります。
神、宇宙、森羅万象ことごとく、絶えず常に生れ続けています。

常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆきます。
そこには、過去も、現在も、未来もありません。

生もなく、死もなく、只生れゆき栄えゆくのみであ る、と伝えられています。

地上人の囚われのみですと、総てなく、弥栄はあ り得なくなる。と伝えられています。

存在は生命であり、生れつつあ るもの、そのものです。
何ものも、それ自らは存在しないですし、弥栄しません。

必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄します。

総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在します。

此の道に進みますと、今とは、過去であり、未来である事が判ってきます。

総ては神の中のでの存在であ るから、それ自体のものはありません。ただ生れつつあ るのみです。

霊人には空間はありません。霊人はその内にある情動によって定まるが故です。
霊人には、その理によって、一定する方位もありません。時間もなく、情動の変化があ るのみです。

そして、情動の変化、から生み出す、事を伝えられています。

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