集団、に関する文面④ 人間の心臓、肺臓は、一体であり、二つであり、三つの現れ、となります

マンデラ・エフェクト文面(2025年6月24日~

集団、に関する文面④に進みます。

今回の文面は、二日んの巻(ジシンの巻) 第十六帖 その2です。

今回は、全般的にマンデラ・エフェクトを起こしてゐます。初登場文面が多くあります。

人間が霊界に入っても、人間の形である事は以前から伝えていましたが、更には、霊人の形であり、神の形であり、大宇宙の形である、は初めて御伝えされています。

大宇宙にも、内臓諸器官に対応するそれぞれの器官があるとは以前に伝えられていましたが、
大歓喜は、無限、永遠に進展して行く為に、故に、歓喜は、肺臓と心臓を有します。は初登場で、
肺臓と心臓は、あらゆるものに共通で、植物、鉱物、にすら存在します、というのも初めて、です。

更には、人間の心臓、肺臓は、一体であり、二つであり、三つの現れ、となる、というのも初めてですね。

その後に、死の関門の後から霊に至るまでの在り方ですが、第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、第四は極内的状態、第五は、新しき霊的生活への準備状態、経ます。も初めてと見ます。
(三段階、七段階にも現すことができると伝えられてゐます)

このように、今回は、ほぼ全てがマンデラ・エフェクトを起こしてゐると見ます。

それでは、集団、に関する文面④をお伝えしますね。

1.二日んの巻(ジシンの巻) 第十六帖  その2 心臓、肺臓は、一体であり、二つであり、三つの現れ、となります

Ⅰ.人間は地上の物質的事物に対応した物質の肉体をもち、霊界に入った時はそれに相応した霊体をもちます。

この霊的事物は、地上の物質的事物に対応する。人間が、物質界にいる時は、それに対応した物質の衣、即ち肉体をもち、霊界に入った時はそれに相応した霊体をもつ。

この霊的事物は、地上の物質的事物に対応します。

人間が物質界にいる時は、それに対応した物質の衣、その肉体をもち、霊界に入った時は、それに相応した霊体をもつこととなります。

Ⅱ.それは、完全なる人間の形で、霊人の形であり、神の形であり、更に大宇宙そのものの形です。

そして、それはまた完全なる人間の形であり、人間の形は、霊人の形であり、神の形であり、更に大宇宙そのものの形である。

この文面も初めてですね。

対応した、肉体、霊体、その形とは、完全なる人間の形です。

人間の形とは、霊人の形であり、神の形であり、更に大宇宙そのもの形でもあります。

Ⅲ.大宇宙にも、頭、胴、手足、目、鼻、口、耳、とあり、内臓諸器官に対応するそれぞれの器官があり、常に大歓喜、呼吸し、脈打っています。

大宇宙にも、頭があり、胴があり、手足があり、目も、鼻も、口も、耳もあり、又内臓諸器官に対応するそれぞれの器官があって、常に大歓喜し、呼吸し、脈打っていることを知らねばならない。

大宇宙にも、頭があり、胴があり、手足があり、目も、鼻も、口も、耳もあり、
又内蔵諸器官に対応する器官があります。

常に大歓喜し、呼吸し、脈打っているのです。

Ⅳ.大歓喜は、無限、永遠に進展して行きます。故に、歓喜は、肺臓と心臓を有します。

大歓喜は無限であり、且つ永遠に進展して行くのである。変化、進展、弥栄せぬものは歓喜ではない。歓喜は心臓として脈打ち、肺臓として呼吸し発展する。故に、歓喜は肺臓と心臓とを有する。

大歓喜は、無限であり、かつ永遠に進展して行くのです。
変化、進展、弥栄せぬものは歓喜ではありません。
歓喜は心臓として脈打ち、肺臓として呼吸し発展するのです。

故に、歓喜は、肺臓と心臓とを有する、とあります。

歓喜は肺臓と心臓とを有する、という文面は初めて、と見ます。

歓喜するものは、肺臓と心臓を常々、有する、と言えます。
突き詰めますと、菌、お土、といったものもそうです。

Ⅴ.肺臓と心臓は、あらゆるものに共通で、植物、鉱物、にすら存在します。

この二つは、あらゆるものに共通であって、植物にもあり、鉱物にすら存在するものである。

肺臓、心臓については、あらゆるものに共通で、植物にもあり、鉱物にすら存在します。

この文面も初めての登場です。

Ⅵ.人間の、心臓、肺臓は、最も高度にして、精妙なる根本の最奥の組織を有します。心臓は深い広い愛、肺臓は精妙なる真理でもあります。

人間の場合は、その最も高度にして精妙なる根本の心臓と肺臓に通ずる最奥の組織を有する。これはもはや心臓と表現するには あまりにも精妙にして、且つ深い広い愛であり、肺臓として呼吸するにはあまりにも高く精巧なる真理である。

人間の場合は、その最も高度にして、精妙なる根本の心臓と肺臓に通ずる、再奥の組織を有します。

これは、もはや心臓と表現するには、あまりにも精妙にして、かつ深い広い愛です。
また、肺臓として呼吸するには、あまりにも高く精巧なる真理、とあります。

Ⅶ.人間の、心臓、肺臓は、一体であり、二つであり、三つの現れ、となります。

而して、この二者は一体にして同時に、同位のものとなっていることを知らねばならない。それは心臓としての脈拍でもなく、肺臓としての呼吸でもない。表現極めて困難なる神秘的二つのものが一体であり、二つであり、三つの現われである。

この二者、心臓と肺臓は、一体にして、同時に、同位のものとなっている、ことを知らねばならない、とあります。

それは、心臓としての脈拍でもなく、肺臓としての呼吸でもありません。

表現極めて困難なる神秘的二つのものが一体であり、二つであり、三つの現れ、となるのです。

三つの現れとは、三が道を生み出す元、という事ですね。

Ⅷ.人間は、一体、二つとなり、三つの現れ、としていく所に、大神様より直流し来るものを感得し、行為し、独特のものを有します。

其処に人間としての、他の動物に比して異なるもの、即ち、大神より直流し来るものを感得し、それを行為し得る独特のものを有しているのである。

其処に人間としての、他の動物に比して異なるもの、即ち、大神様より、直流し来るものを感得し、それを行為し得る独特のものを有しているのです。

人間、が三が道を生み出す元となります。

ちなみに、人間以外の場合は、人間に感化する事で、三が道を生み出す可能性が出てきます。

Ⅸ.人間が、一度 死の関門をくぐり肉体をすてますと、霊そのものの本来の姿に帰りますが、漸次その状態に入っていきます。

人間が、一度 死の関門をくぐり、肉体をすてた場合は、霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、それは直ちに変化するものではなくして、漸次その状態に入るのである。

人間が、一度 死の関門をくぐり、肉体をすてた場合は、霊そのものの本来の姿に帰るのですが、
それは、直ちに変化するものではなくして、漸次その状態に入るのです。

Ⅹ.死の関門の後から霊に至るまで、第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、第四は極内的状態、第五は、新しき霊的生活への準備状態、経ます。

第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、第四は極内的状態、第五は新しき霊的生活への準備的状態である。七段階と見る時は、内と外との状態を各々三段階に分け、三つと見る時は内、外、準備の三つに区分するのである。

第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、第四は極内的状態、
第五は、新しき霊的生活への準備状態です。

七段階と見る時は、内と外との状態を各々三段階に分け(第一~第二を三つ、第三~第四を三つに分けます)
三つと見る時は内、外、準備の三つに区分するのです。

2.まとめ

人間は地上の物質的事物に対応した物質の肉体をもち、霊界に入った時はそれに相応した霊体をもちます。

それは、完全なる人間の形で、霊人の形であり、神の形であり、更に大宇宙そのものの形です。

大宇宙にも、頭、胴、手足、目、鼻、口、耳、とあり、内臓諸器官に対応するそれぞれの器官があり、常に大歓喜、呼吸し、脈打っています。

大歓喜は、無限、永遠に進展して行きます。故に、歓喜は、肺臓と心臓を有します。
肺臓と心臓は、あらゆるものに共通で、植物、鉱物、にすら存在します。

人間の、心臓、肺臓は、最も高度にして、精妙なる根本の最奥の組織を有します。
心臓は深い広い愛、肺臓は精妙なる真理、でもあります。

人間の、心臓、肺臓は、一体であり、二つであり、三つの現れ、となります。三つの現れとは三が道、です。
人間は、一体、二つとなり、三つの現れ、としていく所に、大神様より直流し来るものを感得し、行為し、独特のものを有します。

人間が、一度 死の関門をくぐり肉体をすてますと、霊そのものの本来の姿に帰りますが、漸次その状態に入っていきます。

死の関門の後から霊に至るまで、第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、第四は極内的状態、第五は、新しき霊的生活への準備状態、経ます。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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