まことに関する文面9に進みます。
今回の文面は、地(九二)つ巻 第十八帖 になります。
今回のマンデラ・エフェクト文面も、全般的に広く起こってゐます。
神の光のやり方、与へる政治がまことの政治です。と現れていますが、その後、臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のこと、と伝えられてゐます。上下まつろひ、が臣民いさむ政治です。
神のやり方は、日(⦿)の光、のやり方です。いくら曇っても闇ではありません。と、日(⦿)の光のやり方、は、どのような時でも、明るいと伝えられています。
神のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見ればすぐ分かるようになってゐます。とあります。
空のタマなのか、から(〇)から生み出すタマなのか、人のはたらき見ればすぐ分かってきます。
神の印(しるし)付けた悪が来ます。悪の顔した神があります。飛行機も船も臣民もみな同じです。
そういった段階がやってきますが、いずれも、好転的存在に変えて行く事が求められます。
しびれ切らすと立ち上がれなくなる、と新たに伝えています。これは御自身、神々様双方です。
我で急いでもなりませんし、神々様のしびれが切れないように急がねばなりません。
(実際、もう時間が残されていません。2026年は大きく動き出す年です)
じゃき(二八基)には仁本の角、よつあし(四通足)、おろち(大老智)、は以前に比べ、好転的存在に変わっています。
参考:弥栄、に関する文面26 オロチ、キュウビ、ジャキ、の御力により、弥栄、ひかりの御代となります
中でも、よつあし、とは、云わば、しきまきや、起こしてゐる方々ですので、守護神どの、臣民どの、騙されないように気付けて下さい。と、御伝えされています。
それでは、まことに関する文面9、をお伝えしますね。
- 1.地(九二)つ巻 第十八帖 じゃき(二八基)、よつあし(四通足)おろち(大老智)、は好転的存在に変わっています。
- Ⅰ.神の光のやり方、与へる政治がまことの政治です。臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことです。
- Ⅱ.神のやり方は、日(⦿)の光、のやり方です。いくら曇っても闇ではありません。
- Ⅲ.神の臣民、魂と肉体の別ないと申してある通りです。政治、経済、分けることは、まつりごとではありません。
- Ⅳ.神のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見ればすぐ分かるようになってゐます。
- Ⅴ.神の政治は、やさしい、六ヶしいやり方です。高きから低きに流れる水(三⦿)のやり方です。
- Ⅵ.神の印(しるし)付けた悪が来ます。悪の顔した神があります。飛行機も船も臣民もみな同じです。
- Ⅶ.足元(あしもと)にキ付けて呉れよ(九〇四)とお伝えされています。気が短いと、しくじります。
- Ⅷ.我で急いでもなりませんし、神々様のしびれ切れないよう急がねばなりません。
- Ⅸ.じゃき(二八基)は仁本の角、おろち(大老智)は、八ツ頭、八ツ尾、神の頭、よつあし(四通足)はしきまきや、好転的存在となっています。
- Ⅹ.よつあし(四通足)は、お実名に通(つ)いて分けてゐますから、此の世に現れているので、守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下さい。
- 2.まとめ
1.地(九二)つ巻 第十八帖 じゃき(二八基)、よつあし(四通足)おろち(大老智)、は好転的存在に変わっています。
Ⅰ.神の光のやり方、与へる政治がまことの政治です。臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことです。
●われよしの政治ではならんぞ、今の政治経済はわれよしであるぞ。臣民のソロバンで政治や経済してはならんぞ、神の光のやり方でないと治まらんぞ、与へる政治がまことの政治ぞよ、臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことぞ、
われよしの政治ではならんようになってゐます。今の政治経済はわれよし、となってゐます。
臣民のソロバンで政治や経済してはならんようになってゐます。
神の光のやり方でないと治まらんようになってゐます。
与へる(あ、十、経る)政治がまことの政治です。
この後が、新たに現れたマンデラ・エフェクト文面と見ます。
臣民いさむ政治とは、上下まつろひ合はす政治のことです。
上下まつろひ、ですから、アメツチ和する政治のです。
二つの世界をまつろひ合わす政治です。
Ⅱ.神のやり方は、日(⦿)の光、のやり方です。いくら曇っても闇ではありません。
●日の光あるときは、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、いくらあかりつけても夜は夜ぞ、神のやり方は日の光と申して、くどう気つけてあらうがな。
日(⦿)の光あるときは、いくら曇っても闇ではありません。
いくら曇っても、悪が防げても昼は昼です。
いくらあかりつけても、夜は夜です。
神のやり方は日(⦿)の光、です。
昼であっても夜であっても闇ではないのです。
くどう気つけてある通りです。
Ⅲ.神の臣民、魂と肉体の別ないと申してある通りです。政治、経済、分けることは、まつりごとではありません。
●政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ。神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分らぬか、
政治、これは経済、と分けることは、まつりごとではありません。
神の臣民、魂と肉体の別ない、と申してあること分らぬか、とあります。
あらゆる存在と和していく流れ、です。むしろ、あらゆる存在と和する事によって、統合されていく所があります。
日々、御自身が政治であり、経済でもあります。
Ⅳ.神のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見ればすぐ分かるようになってゐます。
●神のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見れは直ぐ分るでないか。腹にチャンと神鎮まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ、いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ、この道理分りたか、ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。
神のやり方は、人の身魂(からたま)人のはたらき、見れば直ぐ分かるではないか、とあります。
からたま、という表現は、初めてですね。
これは、身魂が、空たま状態、なのか、〇たま状態か、その時のはたらき見ればすぐ分かるようになっています。
空たま状態は、腹にチャンと神鎮まって居ない状態です。
一方で、神鎮まってゐますと、何事も箱さした様に動くのです。
誠一杯につめて、空っぽにして進む方は、から(〇)たま、から新たな世界を生み出す魂です。
からたま、の意味も、囚われ状態の可能性と、まことに進んでいる人の可能性、両方あります。
いくら頭がえらいと申して、胃袋は頭のいふ通りには動かないのです。
この道理分かりたか、とあります。
ですが、味噌も糞も一つにしてはならんようになってゐます。
Ⅴ.神の政治は、やさしい、六ヶしいやり方です。高きから低きに流れる水(三⦿)のやり方です。
●神の政治はやさしい六ヶしいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。
神の政治はやさしい難しいやり方です。
和する事さえできればよいのですが、それは、一段一段、その方のできる所から可能な、優しい誰にでもできるやり方です。
高きから低きに流れる水(三⦿)のやり方です。
三界和合ですね。
ですが、囚われ、慢心から、中々それが難しくしてしまっている所があります。
Ⅵ.神の印(しるし)付けた悪が来ます。悪の顔した神があります。飛行機も船も臣民もみな同じです。
●神の印(しるし)つけた悪来るぞ。悪の顔した神あるぞ。飛行機も船も臣民もみな同じぞ。
この文面もマンデラ・エフェクトですね。
神の印(しるし)つけた悪来ます。
これは、囚われた宗教が一例ですが、油断しますと、御自身がなる可能性もあります。
悪の顔した神あります。
ですが、悪の顔した、悪でない神、やっぱり悪の神もあります。
飛行機も船も臣民も皆同じです。
Ⅶ.足元(あしもと)にキ付けて呉れよ(九〇四)とお伝えされています。気が短いと、しくじります。
●足元に気つけて呉れよ、向ふの国はちっとも急いでは居らぬのぞ、自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の代と、気長くかかりてゐるのざぞ、神の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのざぞ。
足元(あしもと)に気つけて呉れよ、とあります。
あし、とは、永劫の過去からしきまきや、を生み出せる元の事です。
ですから、向ふ(無九ウ)の国(九二)はちっとも急いでは居らぬのです。
いつでも、御自身の我次第で生み出す事ができるのです。
自分で目的達成せねば、子の代、子で出来ねば、孫の代と、気長くかかりてゐるのです。
神の国の今の臣民、気が短いから、しくじります。
目先の結果を求める程に苦しみます。
Ⅷ.我で急いでもなりませんし、神々様のしびれ切れないよう急がねばなりません。
●しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。神の申すこと取り違ひせぬ様にして呉れよ。
出だしだけマンデラ・エフェクト、と見ます。
しびれ切らすと立ち上がれんようになります。
ですから、御自身の我慢も大切です。動く時は、我ではなく、無理なく、自然と動きます。
一方で、神々様のしびれが切れますと、これはこれで、間に合わなくなり、立ち上がれなくなります。
我で進んで、急いではなりません。
ですが、神々様のしびれが切れないように、急がねばなりません。
神の申す事取違ひせぬ様にして呉れよ、とあります。
Ⅸ.じゃき(二八基)は仁本の角、おろち(大老智)は、八ツ頭、八ツ尾、神の頭、よつあし(四通足)はしきまきや、好転的存在となっています。
●よくこの神示(ふで)よんで呉れよ、元の二八基(じゃき)光理(こり)てわいて出た現空(あく)の種は二八基(じゃき)と大老智(おろち)と世通足(よつあし)となって、二八基には仁本の角、大老智は八ツ頭、八ツ尾、四通足(よつあし)は金母であるから気つけておくぞ。
よくこの神示(ふで)よんで呉れよ、とあります。
元の二八基(じゃき)光理(こり)てわいて出た現空(あく)の種は二八基(じゃき)と大老智(おろち)と世通足(よつあし)となって、二八基には仁本の角、大老智は八ツ頭、八ツ尾、四通足(よつあし)は金母であるから気つけておくぞ。
じゃき、おろち、よつあし、は、悪の存在という訳でもない事が判ってきます。
以前まつりの巻でもありましたが、好転的存在に変わってきていますね。
参考:弥栄、に関する文面26 オロチ、キュウビ、ジャキ、の御力により、弥栄、ひかりの御代となります
以前は、よつあし、がありませんでしたが、今回は、よつあし、の登場です。
じゃきは、二八の基ですので、邪気と言っても、二二のしきまきや、から神様を生み出す事ができます。
それは、光の理(みち)なのです。
そこでわいて出た現空(あく)の種は、じゃき、は二八の基、おろちは、大老の智慧、よつあしは、世に通ずるあし、となっていくのです。
じゃき(二八基)には仁本の角、仁愛の元の角、があるのです。妖怪から好転的存在に違いないですよね。
おろち(大老智)は、八ツ頭、八ツ尾、これも、神の頭、無限の頭、神のお(七二)、無限のお(七二)、ですし、
よつあし(四通足)はしきまきや、から通じる永遠に続くしきまきや、の世界、それはキン母、キンから変える元、でもある。
と好転的解釈ができます。
Ⅹ.よつあし(四通足)は、お実名に通(つ)いて分けてゐますから、此の世に現れているので、守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下さい。
●世通足はお実名に通(つ)いて分けてゐるから、守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下されよ。
よつあし(四通足)は、しきまきや、から通じる世の足は、お実名に通(つ)いて分けてゐますから、
普通に此の世に現れています。
よつあし、とは、云わば、しきまきや、起こしてゐる方々ですので、守護神どの、臣民どの、騙されないように気付けて下さい。と、好転的な意味合いに変わっています。
2.まとめ
われよしの政治ではならんようになってゐます。
今の政治経済はわれよし、となってゐます。
臣民のソロバンで政治や経済してはならんようになってゐます。
神の光のやり方、与へる(あ、十、経る)政治がまことの政治です。
臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことです。
神のやり方は、日(⦿)の光、のやり方です。いくら曇っても闇ではありません。
神の臣民、魂と肉体の別ないと申してある通りです。政治、経済、分けることは、まつりごとではありません。
あらゆる存在と和する事によって、統合されていく所があります。
神のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見ればすぐ分かるようになってゐます。
身魂が、空たま状態、なのか、〇たま状態か、で、生み出せているかどうか、違う事が分かります。
神の政治は、やさしい、六ヶしいやり方です。高きから低きに流れる水(三⦿)のやり方です。三界和合です。
神の印(しるし)付けた悪が来ます。悪の顔した神があります。飛行機も船も臣民もみな同じです。
足元(あしもと)にキ付けて呉れよ(九〇四)とお伝えされています。気が短いと、しくじります。
しびれを切らし我で急いでもなりませんし、神々様のしびれ切れないよう急がねばなりません。
じゃき(二八基)は仁本の角、おろち(大老智)は、八ツ頭、八ツ尾、神の頭、よつあし(四通足)は金母、しきまきや、好転的存在となっています。
よつあし(四通足)は、お実名に通(つ)いて分けてゐますから、此の世に現れているので、守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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