まことに関する文面40に進みます。
今回の文面は、碧玉之巻 第十帖 その1です。長文の為、2回に分けます。
今回は、五度の岩戸閉めの内、一度目、二度目についてお伝えします。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、さすがにどう起こすのかな、と思っていましたが、何と、五度の岩戸閉めの話が、別シナリオに変わっており、特に驚いたのが、今回の、ナギ神、ナミ神が、遂に千引の岩戸を開いた内容となった事です。
愈々の岩戸開き、でもあるのですが、まだ道中、の内容のようです。この後も変わる可能性がありそうです。
今回の、マンデラ・エフェクト文面は、主に後半です。
独り神となられた夫神は、三神をはじめ、色々なもの生みましたが、一方的となったのです。
三神とは、天照大神、ツクヨミ大神、スサナル大神、になると見ます。現段階の世でもそうです。
ですが、黄泉大神の妻神と、独り神の夫神、時めぐりきて千引の岩戸をひらかれて、相抱き給う時節が来たのです。
うれしうれしの時代です。うれしうれしの時代とは、夫婦神が、千引の岩戸をひらく時なのです。
同じ名の神が到るところに現れ、名は同じでもはたらきは逆です。
この二つが揃って、三つとなる、三が道、となります。
ですから、御自身の前の段階、後の段階で、同じ神が、変わっていく事が求められます。それが改心です。
このようにして、時来たりなば、この千引の岩戸を倶にひらかん、という事になります。
この後、この展開になるようです。
次の岩戸しめは、天照大神の時です。まだ、大神は岩戸の中にまします。
いよいよとなって、マコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、三神登場です。
元のシナリオは、天照大神、ツクヨミ大神、スサナルの大神でしたが、シナリオ変わっています。
元のシナリオは、ダマシタ岩戸から、ダマシタ神がお出ましだったようです。
このように五度の岩戸閉めのシナリオが、岩戸が開きますと、特に夫神妻神が、まず、千引の岩戸開きをしますと、シナリオそのものが変わるようです。
それでは、まことに関する文面40をお伝えしますね。
- 1.碧玉之巻 第十帖 その1 黄泉大神の妻神と、独り神の夫神、時めぐりきて千引の岩戸をひらかれて、相抱き給う時節が来たのです。うれしうれしの時代です。
- Ⅰ.岩戸しめの始めは、ナギナミの命の時、ナミの神が火の神を生んで、黄泉国に入ったのがそもそもです。
- Ⅱ.ナミの神は、十の卵を八つ生んで二つ残し、十二の卵を十生んで二つ残し、五つの卵を四つ生んで一残したとも言えます。
- Ⅲ.神界の事、霊界の事、一ヒネリしてある事は、天と地との間に大きなレンズがあると思へば段々に判りて来ます。
- Ⅳ.夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となった為、岩戸がしめられたのです。
- Ⅴ.独り神となられた夫神は、三神をはじめ、色々なもの生みましたが、一方的となったのです。
- Ⅵ.黄泉大神の妻神と、独り神の夫神、時めぐりきて千引の岩戸をひらかれて、相抱き給う時節が来たのです。うれしうれしの時代です。
- Ⅶ.同じ名の神が到るところに現れ、名は同じでもはたらきは逆です。この二つが揃って、三つとなる、三が道、となります。
- Ⅷ.時来たりなば、この千引の岩戸を倶にひらかん、という事になります。
- Ⅸ.次の岩戸しめは、天照大神の時です。まだ、大神は岩戸の中にまします。
- Ⅹ.二度目の岩戸閉めは、いよいよとなって、マコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、三神登場です。シナリオ変わっています。
- 2.まとめ
1.碧玉之巻 第十帖 その1 黄泉大神の妻神と、独り神の夫神、時めぐりきて千引の岩戸をひらかれて、相抱き給う時節が来たのです。うれしうれしの時代です。
Ⅰ.岩戸しめの始めは、ナギナミの命の時、ナミの神が火の神を生んで、黄泉国に入ったのがそもそもです。
●岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、
岩戸しめの始めは、ナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時です。
ナミの神が、火の神を生んで黄泉国に入られたのがそもそもです。
Ⅱ.ナミの神は、十の卵を八つ生んで二つ残し、十二の卵を十生んで二つ残し、五つの卵を四つ生んで一残したとも言えます。
●十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、
ナミの神は、十の卵を八つ生んで、二つ残して行かれたのです。
十二の卵を十生んだことにもなるのです。
五つの卵を四つ生んだとも言へるのです。
この世には、卵を二つ、ないし、一つを残して、ナミの神は、黄泉国に入られたのです。
生み出す元だけは残されたのです。
Ⅲ.神界の事、霊界の事、一ヒネリしてある事は、天と地との間に大きなレンズがあると思へば段々に判りて来ます。
●総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。
総て神界のこと、霊界のことは、現界から見ますと、妙なことではあるのですが、それでちゃんと道にはまってゐるのです。
一ヒネリしてあるのです。天と地との間に大きレンズがあると思へば、段々に判りてきます。
言わば、天界と地界、ずれている、とみれば判ると思います。
天と地との間に大きレンズがあると思へば、段々に判るは、1~2年程前に起こったマンデラ・エフェクト、と見ます。
Ⅳ.夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となった為、岩戸がしめられたのです。
●夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのです。
それぞれ、一方的な世界に進んだ為に、それぞれの世界が別々になった所があるのです。
神界と現界、どちらも乱れる流れとなったのです。
Ⅴ.独り神となられた夫神は、三神をはじめ、色々なもの生みましたが、一方的となったのです。
●その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、
この文面がマンデラ・エフェクトと見ます。
その後、独り神となられた夫神が、三神をはじめ、色々なものをお生みになったのですが、それが一方的であることは申す迄もない、とあります。
三神をはじめ、が初登場です。
アマテラス、ツクヨミ、スサナル、の三神が基本的な解釈だと思います。
その他、様々な神々様、物、生んだのですが、平面、囚われの存在となっていったのです。
これらは、一方的であったのです。
肝腎が失われた為、以降は乱れの元となり、有限のものを次々生む流れ、五度の岩戸しめの流れとなったのです。
Ⅵ.黄泉大神の妻神と、独り神の夫神、時めぐりきて千引の岩戸をひらかれて、相抱き給う時節が来たのです。うれしうれしの時代です。
●妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。
この文面も初めて、と見ます。驚きの展開内容です。
妻神も同様、黄泉大神となられたのです。
黄泉国の総てを生み育て給ふたのです。
妻神、ヨミ神とは、黄泉国の総てを生み育てた存在です。それは、黄泉国ではなく、四三九二、とみます。
この表現も初めてですが、この後がビックリの展開です。
この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて、相抱き給う時節が来たのです。
うれしうれしの時代と成って来たのです。
遂に、夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらくタイミングとなったのです。
確かに、その型出しが始まっている方もいるかもしれません。
うれしうれしの時代とは、夫婦神が抱き合う時節、を意味しているようです。
黄泉(四三)大神の世界、そして、一方的平面世界を和する流れです。
それには、しきまきや、から三が道、くにつつみ、そして、改心です。
Ⅶ.同じ名の神が到るところに現れ、名は同じでもはたらきは逆です。この二つが揃って、三つとなる、三が道、となります。
●同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。
この文面も初めてです。
同じ名の神が至るところに現はれて来るのです。
それは、名は同じでも、はたらきは逆なのです。
いつの間にやら、このような文面が現れましたが、それは、此の道に進む方、思念界を変えて行く行をしてきた方ならお判りだと思います。
合わんものと和する、前の段階と後の段階ですね。
ですから、同じ名の神が到るところにある、という事なのです。
この型が新たな世界を生み出す元なのです。
黄泉国と平面地上世界です。
この二つがそろうて、三つとなるのです。
三が道と知らせてある通りです。
Ⅷ.時来たりなば、この千引の岩戸を倶にひらかん、という事になります。
●時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。
これも、初めての文面です。
時来たりなば、この千引の岩戸を倶にひらかん、と申してある通りです。
愈々、千引の岩戸を倶にひらく時に入って来たのです。
ですから、此の道にどんどん進んで下さい。
夫神妻神と和する型が現れます。
Ⅸ.次の岩戸しめは、天照大神の時です。まだ、大神は岩戸の中にまします。
●次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、
次の岩戸しめは、天照大神の時です。大神はまだ岩戸の中にましますのです。
面白いのですが、ナギナミは、千引の岩戸を開いたのですが、天照大神様は、まだ岩戸の中にましますのです。
この状況そのものが、マンデラ・エフェクト、と見ます。
元々、ナギ神が生んだ神の一人のはずですが、次は、天照大神様、が登場する時が近づいてゐるのです。
Ⅹ.二度目の岩戸閉めは、いよいよとなって、マコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、三神登場です。シナリオ変わっています。
●ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。
ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出まし、と知らしてある通りです。
いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神様、が揃ふてお出まし近うなってきたぞ、とあります。
これまでの三神ですと、天照大神、ツクヨミ大神、スサナル大神の三神ですが、これがすでにダマシタ岩戸として解釈できる所まできました。
しかも、四度目の岩戸閉めだったはずの、天照皇大神様、が、二度目の岩戸閉めで登場されていますし、ツクヨミの大神様の代わりに日の大神様、となってゐます。そして、スサナル大神は、次回、後編で登場します。なお、スサナル大神のポジションが、天照皇大神、となっていますので、御自身が、スサナル大神、となり、天照皇大神となる流れと見ます。この辺りの詳細も次回、です。
これまでの日本神話そのものが、だました岩戸から出て来た話、なのかもしれません。
私は、なるほど、と思いましたが、実は、何か日本神話、昔からどうしても、あまり興味が持てなかったのです。
ギリシャ神話も同様です。何か頭に入らなかったのです。
そもそも、ダマシタ岩戸の話だった可能性がありそうです。
今のところ、日本神話、天照大神、の時は、ツクヨミ大神、スサナル大神、ですが、この後、日本神話そのものも、マンデラ・エフェクト、が起こる可能性があります。ギリシャ神話も同様かもです。
2.まとめ
岩戸しめの始めは、ナギナミの命の時、ナミの神が火の神を生んで、黄泉国に入ったのがそもそもです。
ナミの神は、十の卵を八つ生んで二つ残し、十二の卵を十生んで二つ残し、五つの卵を四つ生んで一残したとも言えます。
この世には、卵を二つ、ないし、一つを残して、ナミの神は、黄泉国に入られたのです。
生み出す元だけは残されたのです。
神界の事、霊界の事、一ヒネリしてある事は、天と地との間に大きなレンズがあると思へば段々に判りて来ます。
言わば、天界と地界、ずれている、とみれば判ると思います。
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となった為、岩戸がしめられたのです。
独り神となられた夫神は、三神をはじめ、色々なもの生みましたが、一方的となったのです。
アマテラス、ツクヨミ、スサナル、の三神が基本的な解釈ですが、それは平面世界の解釈のようです。
ですが、黄泉大神の妻神と、独り神の夫神、遂に、時めぐりきて千引の岩戸をひらかれて、相抱き給う時節が来たのです。
うれしうれしの時代です。
黄泉大神の妻神は、黄泉国(四三九二)を次々生み出し、育てたのです。
同じ名の神が到るところに現れ、名は同じでもはたらきは逆です。
合わんものと和する、前の段階と後の段階。黄泉国と平面地上世界です。この二つがそろうて、三つとなるのです。三が道と知らせてある通りです。
時来たりなば、この千引の岩戸を倶にひらかん、という事になります。
此の道に進みますと、夫神妻神と和する型が現れます。
次の岩戸しめは、天照大神の時です。まだ、大神は岩戸の中にまします。
二度目の岩戸閉めは、
いよいよとなって、マコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、三神登場です。
天照大神、ツクヨミ大神、スサナル大神から、三神のシナリオ変わっています。
これまでが、ダマシタ岩戸からダマシタ神様が登場だったのです。
日本神話、ギリシャ神話等、マンデラ・エフェクト、が起こる可能性があります。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

