続いて春の巻に進みます。
愛のある文面は、地震の巻、の他、白銀の巻、黒鉄の巻、更に、
春の巻、に結構集中している事が分かりました。
今回はその中でも春の巻です。
今回御伝えするのは、その春の巻でも、喜び、悲しみ、希望、に関するものになります。
2回に分けて御伝えしていきます。
1.春の巻 愛に関する文面① 希望は愛の現れの一つであり、神様です
Ⅰ.今の人民の喜びは、裏の喜び、悲しみの喜びです。永劫性が無い為です。
●同じ名の神二つあると申してあろうが。表の喜びが、愛、真、善、美となり現れ、裏の喜びからは、、憎、偽、悪、醜が現れるのぢゃ。喜びが神ぢゃと申して裏の喜びではならんぞ。今の人民の喜びと申すのは裏の喜びであるぞ。悲しみを喜びととり違へているぞ。
同じ名の神様二つあると申してあります。
この場合は、同じ神様でありながら、表の喜びの神様、裏の喜びの神様、
の二つ、ですね。
表の喜びが、愛、真、善、美となり現れ、
裏の喜びからは、憎、偽、悪、醜、と現れるのです。
喜びが神様と申して裏の喜びではならないようになっています。
今の人民の喜び、と申すのは、裏の喜び、なのです。
そんな事ない、と思う方も多いと思います。
今の喜びとは、憎、偽、悪、醜、とは決まっていないし、また、全てがそんな訳がない、
と思われていると思います。
ですが、愛、真、善、美、は一過性なのです。永劫ではないのです。
その状況そのものが、憎、偽、悪、醜、となる事を御伝えされているのでしょう。
地震の巻でもありましたが、前の段階となりますと悪に感じますし、二段階進みますと、二段階前は最悪に感じる、ともありました。
つまり、今思われている、表の愛と思っているものが、永劫の観点では憎、の段階、という事です。
満たされる程に、失った時には、憎、となるのでしょう。
真も同様で、実はまだ、偽、なのです。
善と思われているが、全然、悪であり、
美と思ってゐるものが、全然、醜、という事なのでしょう。
今の人民の喜び、は、裏の喜び、という事はこういった事です。
ですから、悲しみを喜び、と取り違えているのです。
喜びが神、と申しても裏の喜びではならないのです。
Ⅱ.あの世と此の世合わせて真実の世とするには、あの世を⦿として、心として生命していくことにあります。
●喜びが・、真、善、美、愛と現はれ、それが又、喜びとなり、又、・、真、善、美、愛となり、又現はれ、限りないのぢゃ。喜びの本体はあの世、現はれはこの世、あの世とこの世合せて真実の世となるのぞ。あの世ばかりでも片輪、この世ばかりでも片輪、まこと成就せんぞ。あの世とこの世と合せ鏡。神はこの世に足をつけ衣とし、人はあの世を⦿として、心として生命しているのぢゃ。神人と申してあろうがな。この十理(ドーリ)よくわきまへよ。この世にあるものの生命はあの世のもの、あの世の生命の衣はこの世のもの。くどいようなれど このこと肚の中に、得心なされよ。これが得心出来ねば どんなによいことをしても、まこと申しても なにもならん、ウタカタぢゃぞ。時節来たのぢゃから、今迄のように一方だけではならんぞよ。
喜びとは、・、真、善、美、愛と現はれ、それが又、喜びとなり、又、・、真、善、美、愛となり、又現はれ、この繰り返しで、限りなく現れるのは判ると思います。
喜びの本体は、あの世にあります。
その現はれはこの世にあります。
あの世と此の世合わせて真実の世となります。
合わせる、和する、事で、真実の世になります。
あの世ばかりでも片輪、この世ばかりでも片輪、です。
まこと成就しません。
あの世とこの世と合わせ鏡です。
神は此の世に足をつけ衣として、人はあの世を⦿として、心として生命しています。
それが、カミヒト、です。ですから、神と人と和していく事が求められます。
その神様は、様々、千変万化しますし、無限に存在しています。
常に弥栄していく為です。
この道理(十理)(土ウ理)をよく(四九)わきまへよ。
と伝えられています。神の道は、カミヒトを生み出す道は、四の行、九の行、から始まります。
ですから、この世にあるものの生命はあの世のものですし、あの世の生命の衣はこの世のもの、です。
くどいようなれど(七〇土)、このこと、肚の中に、得心なされよ。
と御伝えされます。
もう一段の上の無を、生み出して下さい。と御伝えされています。
それは、霊界の理解も必要ですし、現界の理解も必要です。
どちらの理解も大切です。
そして、双方理解していき、思念界から変えて行って下さい。
これが得心出来ねば、どんにによいこと申しても なにもならん、ウタカタ、となります。
原因はお判りだと思いますが、我、とは、囚われていますし、突き詰めますと、慢心、我良し、分け隔て。をしているからです。ですから、立体に進めません。という事です。
時節来ていますから、今迄のように一方だけ、平面世界だけではならんのです。
平面だけの世界、裏の喜びだけの世界。行き着く先の81の世界、の一面世界から、早い内に立体の段階に進まないとなりません。その為には、改心が必要です。
Ⅲ.神にめざめ、神学、偶然の真理、さとりて下さい。これが判れば大安心。立命。となります。
●思ふようにならんのは、天地の弥栄、育成化育にあづかって働いていないからぞ。今の世界の行き詰りは、世界が世界の御用をしてないからぢゃ。神示よめよ。秘文(ヒフミ)世界にうつせよ。早ううつせよ。早ううつせよ。人間の智のみでは世界はよくならん。裏側だけ清めても総体は清まらん。神にめざめねばならん。愛にも内のものと外のものとがある。愛と申せば何でもよいと思ふていてはならん。愛の悪もあるぞ。総てこの通りぢゃ。上の、より高いところから来るから奇跡と見へ、偶然と見へるのぢゃ。神からの現われであるから、その手順が判らんから偶然と見へるのぢゃぞ。偶然の真理さとれと申してあろう。これが判れば大安心。立命。
思うようにならないのは、天地の弥栄、育成化育にあづかって働いていないからです。
今の世界の行き詰まりは、世界が世界の御用をしていない為です。
ですから、思うように世界は、動いていません。
天地の弥栄、育成化育にあづかるには、御神示読むところから始まりです。
秘文(ヒフミ)(一二三)を世界にうつせよ。
と御伝えされています。
早う(八四ウ)うつせよ。早う(八四ウ)うつせよ。
と御伝えされています。
人間の智のみでは世界はよくなりません。
神様から伸びた智でないとよくなりません。
その現れが神学、嬉しきビックリです。
裏側から清めても総体は清まりません。
裏も表も清めて一段一段進めていく以外ありません。
そして、心・口・行の一致までして、初めて神の働きが裏表共に清まるのです。
ですから、神にめざめねばなりません。
神学を普通に起こす段階にまで、一段一段進めて下さい。
此の道一本に絞り、我の改心と共に進めば、三年目辺りからは次々現れます。
愛にも内のものと外のものとあります。
愛と申しても何でもよいと思ふてはならないようになっています。
愛の悪もあります。
総合的にいえば、平面に戻る愛ですね。囚われの愛です。
これが外の愛です。
一過性の愛もそうなるでしょう。永劫性があるかどうか、になります。
全てこの通りです。
神学、嬉しきビックリとは、上のより高いところから来るから奇跡と見へ(三経)、偶然と見へる(三経流)のです。
神の御心に沿いました三が道であればよいのです。
神からの現れでありますから、その手順が判らない段階ですと、偶然と見へるのです。
そういう私も、道中、どういった手順で嬉しきビックリが起こるのか、全て分かっている訳ではありませんが、少なくとも、思念界でより善き方向に進んでゐるから、心の内、の現れが外に現れて来る、という事は間違いないことと見てゐます。
逆に偶然の真理さとれ、と申されています。
偶然、それも、嬉しきビックリは、思念界の変化による事には違いありません。
改心が進んでゐるからです。
また、悪きビックリ、恐ろしきビックリも同様で、悪に退行している為です。
このように、嬉しきビックリを、実際に行と共に体験していきますと、大安心、立命、となります。
立命とは、命が立体に進むことですね。
Ⅳ.今の御自身次第で、いつでも、どのような人でも、新たな世界を生み出す事は可能です。それが希望です。
●希望は愛の現れの一つ。どんな時、どんな人にも与へられているのぢゃ。希望にもえつつ、現在を足場として生きよ。呼吸せよ。同じことしていても、希望もつ人は栄え、希望なき人は亡びる。希望は神ぞ。アイウエオからアオウエイの世にうつって来るぞ。アオウエイの世が天国ぢゃ。用意はよいか。今の世は道具ばかりぢゃ。使ふ人民、早うつくれよ。
希望は愛の現れの一つ、と御伝えされています。
どんな時、どんな人にも与へ(あ十経)られているのぢゃ、とあります。
それは、永劫の過去から、神様を生み出す事が可能、という事です。
ですから、常々、御自身次第で新たな世界を生み出す事は可能です。
希望にもえつつ、現在を足場として生きよ(イキ四)と御伝えされています。
呼吸せよ。と御伝えされています。
同じことしていても、希望をもつ人は栄えます。
希望なき人は亡ぶのです。
それは、希望、生み出す事を足場にしていない為です。
希望は神様です。
アイウエオから、アオウエイの世にうつってきます。
アオウエイの世が天国です。
⦿真愛真愛の順から、⦿愛愛真真、の順ですね。
用意(四ウ一)はよいか、と伝えられます。
最後にも新たな文面ですが、また、新たな視点で判りやすく伝えられています。
今の世は道具ばかりです。平面世界、という事です。
使ふ人民、早う(八四ウ)つくれよ。
と御伝えされています。
それは、立体に進む人を作って下さい。
という事です。
つまり、七人に道をまず伝えて行って下さい。
2.まとめ
今の人民の喜びは、裏の喜び、悲しみの喜びです。
永劫性が無い為です。悲しみを喜び、と取り違えているのです。
喜びの本体は、あの世にあります。
その現はれはこの世にあります。
あの世と此の世合わせて真実の世となります。
合わせる、和する、事で、真実の世になります。
あの世を⦿として、心として生命していくことにあります。
神にめざめ、神学、偶然の真理、さとりて下さい。
裏側から清めても総体は清まりません。
裏も表も清めて一段一段進めていく以外ありません。
そして、心・口・行の一致までして、初めて神の働きが裏表共に清まるのです。
これが判れば大安心。立命(立体の命)。となります。
今の御自身次第で、いつでも、どのような人でも、新たな世界を生み出す事は可能です。
それが希望です。
希望にもえつつ、現在を足場として下さい。
今の世は道具ばかり、平面ですので、これを使ふ人民、早うつくれよ。と御伝えされています。
立体に進む事が求められます。それには、七人に道を伝えていく事にあります。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。