上つ巻~下つ巻 草木に関する文面 まことの神の神民の御代に入りました

日月神示、道の生み出し方について

草木に関する文面を更に御伝えします。

草木は、もはや、此の道に進むには、切っても切れない、そのような存在になってきていると思いますが、更にですが、草木、に関する文面が、また、マンデラ・エフェクトを起こしてゐます。

また、臣民ではなく、神民、という単語も登場しています。
いつの間にやら、です。ちなみに、神民、で検索しますと今では6か所あります。
非常に重要な文面ばかりです。読んでおいてください。

神民、ですので、愈々の御代に入ってきたようです。

今回は、草木に関する文面を御伝えしますね。

1.上つ巻 草木に関する文面 まことの神の神民の御代です。

Ⅰ.まことの神の神民、の時節となりました。闇のあとには、夜明け、必ず来ます。

闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳 引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ

上つ巻の二帖目、です。最初の文面は、どうしても、何度も見る事多いと思いますが、確かに此の道に進みますと、同じ文面が同じで無くなっていく事を実感していきますね。

ですが、行をしませんと、いつまで経っても何の事が意味が判らないと思います。行、とそれに伴う経験で判るようになっている事を忘れてはなりません。

闇のあとには夜明け必ず来ます。
神様は見通しですので、心配なされずにいて下さい。

手柄は千倍、万倍にして返して頂けます。

人に知れたら、帳 引きとなる理由も判りました。
それは、思念界から変えていく事で、人が次々変わっていく為です。知らせるなら、段階が来てからなのです。神として伝えられるようになってからです。

ですが、順を誤り、人に知らせると、帳引きとなってしまう事もあり、今は、知らせない方が良い場合もあります。

この為に、人に知れんように、人のため国(九二)のため働けよ。と御伝えされています。
くにつつみ、をどんどんハタラキを起こしてばよいのです。それは、中々、人に知られないようになっていますけどね。

ですが、神と思われる人なら、知らせるようになっている所があります。その人にとってです。
囚われの段階、我の改心が進んでない段階の人には、知られないように、そして人の為に、苦二の為に、働いて下さい。苦を苦で無くす仕組です。

それが、マコト(〇九十)の神の神民ぞ。とあります。
臣民は以前からありましたが、神民、は初めて見た気がします。結構な所に来ていますね。(笑)

Ⅱ.神様のやり方は、先に行くほどだんだんよくなります。初め辛くても、先を楽しみに辛抱して呉れよ。と伝えられています。

酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民沢山ある。早く⦿(モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト⦿心になりて呉れよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。

酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になり、それまでに我慢できない臣民沢山あります。

早く⦿(モト)の神様の申す通りしませんと、世界を泥の海にせねばなりませんから、早うモト⦿心になりて呉れよ(九〇四)と御伝えされています。

神様として進む方、頼むと御伝えされています。

盲が盲を手を引いて何処に行くつもりやら、とありますが、これは、此の道に進まないと分かりません。
人の我で進んでも、いつまでたっても平面止まりです。それですと、何時までたっても、泥の海(81の世界)に進む事を避ける事ができません。ですが、泥(土六)の海(生み)で、その解決策も大体判ると思います。

気(キ)(二二)がついた人から、まことの神の入れ(意〇)ものとなりて呉れよ(九〇四)、
と伝えられています。二二の仕組み、しきまきや、くにつつみ、から生み出して下さい。と伝えられています。

悪の楽しみは先に行くほど苦しくなります。
神様のやり方は先に行くほどにだんだんよくなりますので(此の道と共に、改心が進んで行ができていれば分かってきます)初めは辛いですが(特に最初の1~2年程)、ですが、そこまでで、で我慢できない人。本当に多いです。

また、我慢しても、改心ができていない人も多いです。それ位11の囚われは強固ですし、その元の6つの慢心の浄化が求められるのです。

初め辛いですが、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。と伝えられています。

Ⅲ.神様は常々、人と同化されています。

配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあ るに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。

神のやり方は、日(ヒ)(一一)(⦿)の光から、臣民だけでなく、草木も喜ぶやり方、です。

日(⦿)の光は、神様のこころ、です。みよいづ、です。

人の知恵で一つでも善き事したか、とありますが、本当に善いと思われている事こそ、神様にさせて頂いてゐます。
これも、此の道に進んで、省みて、判ってきます。

ですが、人の我で進む間は、何もかも出来損なひばかり、です。これも体験していく事で若手きます。
にっちも、さっちも、ならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。とありますが、盲であった事に気付くまでは、行を進め、如何に慢心していたか、を理解し、その上で改心し、善きと思った事を次々進めていく事が求められます。

救はねばなりませんし、ですが、助かる臣民はなく、泥海にするのは易いのですが、それでは元の神様に申し訳ないので、これだけにこと(九十)分けて知らしてあるに、ききませんと、まだまだ痛い目にみせねばなりません。とあります。

この書き方ですと、神様が、痛い目、みせねばならない。という事のようですが、一つ分かりましたが、神様も、人と同化されているのですね。

だからこそ、泥海にさせてはならないのです。

勿論の事、泥海となるならば、それを選択したのは、御自身の我、だったという事なのです。
ですが、そうなってからでは手遅れですので、此の道にできる所から進んで下さい。
と御伝えされているのです。

2.下つ巻 草木に関する文面

Ⅰ.けもの、草木さへ、神の心に従い、神のみむねに生きてゐます。あの姿に早う返りて下さい。

けものさへ神のみ旨に息せるを神を罵る民のさわなる。草木さへ神の心に従ってゐるではないか、神のむねにそれぞれに生きてゐるでないか、あの姿に早う返りて呉れよ、青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさして呉れるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。

けものでさえ、神のみむねに息していますし、愛と真と共に進んでいます。
神の罵る民の騒なる。とありますが、それは、神を罵る民のさわ(三和)なる、ところから、進むでしょう。

神を罵る事に気付いてゐない方も多いのですが、それは、三つの和から始まります。
神界、幽界、現界。また、過去、現在、未来。です。

そして、和して、三が道を生み出す所からです。

草木さへ神様の心に従っています。
それは、神様のむね(心)(愛)にそれぞれ生きてゐるのです。

あの姿に早う(八四ウ)返りて呉れよ(九〇四)とあります。

青人草、と申すのは、草木の心の民のことです。
道は御自身で歩んで下さい。

人がさして呉れるのではありません。

自分で御用するのです。

道は自分で開いていきます。
人頼りてなりません。

・・・で、確かに、道を開いて行くには、人を頼っている感じではなく、神にさせて頂いてゐる事が多くなっていきます。

Ⅱ.此(九)の神様は、世界中の神様と臣民と、けだもの、草木全て構わねばなりませんで、御役いくらでもあります。

一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。この神は世界中の神と臣民と、けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。

一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことです。

総て、永劫の過去(一)から、二二の仕組(二)、そこから三が道(三)を生み出す仕組です。
これは、今、昔、も未来も同じです。

三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづ(身四出づ)(三世出づ)の仕組です。

三が道であり、しきまきや、を起こす身の意味もあります。
みよいづ、御代出づとは、神の御代になることですが、三四五もその道中、様々な体験をしていきます。

こ(九)の世を神(十)の国(九二)にねり上げることです。

神様祀りたら、三四五の御用にかかりますから、その積もりで用意して置いて呉れよ(九〇四)とあります。

この神様は、世界中の神様と臣民と、けだものも、草木もかまねばなりませんので、御役幾らでもあります。

Ⅲ.分霊の仕組。神様の捉え方次第で、臣民の数は無限に増えます。

神様と臣民 同じ数だけあるぞ。

神様と臣民、同じ数だけあるぞ。とありますが、
当初は、神様と臣民が同じ数、の理解から始まると思います。

ですが、周囲の存在、全てが神様、と判ってきますと、キン、水、大気、お土、バクテリア、草木、動物、虫、鳥、魚、その存在にも、人の前世がありますから、思いの他、この世には、臣民沢山あるのです。

目に見えない臣民です。

此の事を理解できますと、マコトの者が沢山いる事も判ってくると思います。

この文面は、分霊の仕組、の最初の型出しの所があると見てゐます。

Ⅳ.その神様たよりましたら、身魂みがけただけの御神徳あります。

それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。

それぞれに、神様付けていきますから、早う身魂、みがいて呉れよ(九〇四)と御伝えされています。
みがけただけの神様をつけて、あっぱれ後の世に残る手柄、立てさせて頂けます。

これも、段階が進んできましたら判ります。
御自身の我の改心、と共に、進めさせて頂けるのです。
それは、みがけただけの神様に付いて頂けます。

小さいことは、それぞれの神様に聞いて下さい。

一人一人、なんでも、ききたいことは、病直すことも、それぞれの神様がしますから、サニワでお告げうけて呉れよ。と伝えられています。

この方の家来の神様が、知らせますから、何でもきいて下さい。
病も直してやるぞ。とあります。

その病とは、生前からの囚われた御自身の心の内を直して頂けます。
治すというよりは、直す。です。ただす。とも言えるかもです。

その神様たよりたなら、身魂みがけただけの御神徳、あります。

行と共に進んで行きますので、楽しみにして下さい。

2.まとめ

闇のあとには夜明け必ず来ます。神はお見通しですから、心配しなくて大丈夫です。

人に知れんやうに、人のため九二のため働いて下さい。
それがまことの神の神民です。
(此の道に進みますと、否応なしにそのようになっていきます)

早く⦿(モト)の神様の申す通りしませんと、世界を泥の海にせねばなりませんから、早うモト⦿心になりて呉れよ(九〇四)、として下さい。

神のやり方は、日(ヒ)(一一)(⦿)の光から、臣民だけでなく、草木も喜ぶやり方、です。
神様も、人と同化されています。
だからこそ、泥海にさせてはなりません。

青人草、と申すのは、草木の心の民のことです。
道は御自身で歩んで下さい。

けもの、草木さへ、神の心に従い、神のみむねに生きてゐます。あの姿に早う返りて下さい。

此(九)の神様は、世界中の神様と臣民と、けだもの、草木全て構わねばなりませんで、御役いくらでもあります。

神様と臣民 同じ数だけあります。
神様の捉え方次第で、臣民の数は無限に増えます。

それぞれに、神様付けていきますから、早う身魂、みがいて呉れよ(九〇四)と御伝えされています。
みがけただけの神様をつけて、あっぱれ後の世に残る手柄、立てさせて頂けます。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

<<前に戻る
>>次に進む
カテゴリートップへ戻る
トップに戻る