補巻 月光の巻 鼻に関する文面 頭を下げ、原因の世界に入りますと、立体の道へと進みます

日月神示、道の生み出し方について

鼻に関する文面最後になります。
補巻月光の巻の文面で、第三十七帖、第五十四帖の2つです。

第三十七帖では、時の神様忘れてはならず、時が外れると、手遅れになってしまう事。
時の神様と共にであるからこそ、利子つけた大きなおかげを結構に頂ける事を御伝えされています。

第五十四帖では、何事も思ふ通りスラリスラリと面白い程栄えていく事について、また、思う通りにならないのは、我が騙されてゐて、御自身の為にのみしているから。という事を御伝えされています。

それが、立体の世界、平面の世界の違いでもあります。

ですが、立体の世界に進むには、頭を下げ、原因の世界に入る事、それがうれしうれしの道である事を御伝えされています。

今回は、鼻に関する文面、の最後を御伝えしますね。

1.補巻 月光の巻 第三十七帖 時の神様を忘れてはなりません。利子つけた大きなおかげを結構に頂いて下さい。

Ⅰ.時の神様を忘れてはならんようになっています。

そなたのやることはいつも時が外れて御座るぞ。餅つくにはつく時あるぞと知らしてあろうが。時の神を忘れてはならんぞ。春には春のこと、夏は夏のことぢゃ。

御自身のされる事は、いつも時が外れて御座るぞ。
とあります。

段階が進んでゐない平面世界では、時間が合っていない。手遅れ、があります。

ですが、この道に進めば判ってきますが、時が外れてくる傾向にあります。
常々、弥栄ですと、時が外れて、結構な道、が出て来るのです。
常々弥栄ですと、時間の概念が無くなっていく一面もあります。弥栄の霊界と同じ感じです。

ですが、その際気を付けないといけない事が、餅(母千)つくには、つく時があります。

もちつくには、つく時がある。それは、千人力の元でもあります。
折角のチャンスがあるのに、そのタイミングを外してしまってからでは手遅れ、という事もあります。

実は、時の神様を忘れるという事は、千人力を失う、という事でもあります。

ですから、時の神様を忘れてはなりません。

春には春のこと、夏には夏の事です。

Ⅱ.御神業と申して、他に迷惑をかけていれば、そこから改めて下さい。鼻つまみの御神業はありません。

そなたは御神業ぢゃと申して、他に迷惑かけてゐるでないか。そこから改めねばならん。鼻つまみの御神業はないのであるぞ。

御神業と申して、他に迷惑をかけてゐるのであれば、そこから改めないとなりません。

鼻つまみの御神業はないのです。

迷惑かけているならば、迷惑かけないように修正していく事が求められます。

Ⅲ.夜明けの前は暗いです。すぐのおかげは小さいです。利子つけた大きなおかげを結構に頂いてください。

そなたはお先まっくらぢゃと申してゐるが、夜明けの前はくらいものぞ。暗いやみの後に夜明けがくること判ってゐるであろうが、神はすべてを見通しであるから、すぐのおかげは小さいぞ。利子つけた大きなおかげを結構に頂いて下されよ。

お先まっくら、と申してゐても、夜明けの前はくらいものなのです。
暗いやみの後に夜明けがくること判っていると思います。

神様は、全て見通しです。

すぐのおかげは小さいです。
利子つけた大きなおかげを結構に頂いてください。

2.補巻 月光の巻 第五十四帖 鼻に関する文面 スラリスラリと栄える道は、祈り畏こみ謹んで実践、素直にあります。

Ⅰ.頭を下げますと、流れてきます。

頭を下げて見なされ、流れて来るぞ。頭も下げず低くならんでゐては流れては来ないぞ。神のめぐみは淡々とした水のようなものぞ。

頭を下げてみてください。
流れて来ます。

頭も下げず、低くなりませんと、流れては来ません。

実際、周囲を見ても、その通りで、頭を下げる人には、流れが来ます。
助かる流れにもなっていきます。

ですが、頭が高いと、喜びが、どんどん周囲へと逃げていく流れになっていきます。

神様のめぐみは、淡々とした水のようなものです。

Ⅱ.そなたは頭が高いぞ。天狗ぞ。その鼻まげて自分のにほひをかいで見るがよい。の文面がある間は、常々、御自身の天狗、を確認して進めて下さい。

そなたは頭が高いぞ。天狗ぞ。その鼻まげて自分のにほひをかいで見るがよい。

そなたは、頭が高い、天狗、と申されています。
その鼻まげて自分のにほひをかいで見るがよい。
と御伝えされています。

同じような文面が、黄金の巻にもありましたが、この文面がある以上、御自身の鼻をまげて、御自身の天狗を常々確認してください。

私も、早く、この文面が無くなる位まで、我の改心を進めていきたいです。

Ⅲ.左に傾き、偏って歩いてはなりません。右を歩きながらそれを中道、と思っています。立体の道を早う悟りて下さい。

そなたは左に傾いてゐるぞ。左を見なければならんが、片よって歩いてはならんぞ。そなたは右を歩き乍ら、それを中道と思って御座るぞ。そなたは平面上を行ってゐるから、中道のつもりで、他に中行く道はないと信じてゐるが、それでは足らんのう。立体の道を早うさとりなされよ。【正中の大道】あるのであるぞ。

左に傾いています。
左を見なければなりませんが、偏って歩いてはならないようになっています。

また、右を歩きながら、それを中道に思っています。

中道とは、実は左でも、右でもないのです。

平面を常を行ってゐますと、中道のつもりで、他に中行く道はないと信じてゐますが、それでは足らないようになっています。

立体(りったい)とは、(九二、小四三、十、一)(八三、小五三、六三、二二)です。

くにつつみ、小さな黄泉から、神様を産み始める事。
闇から、小さな五三体の大神様と共に、無の三が道を、二二の仕組みで起こして行く事です。

立体とは、一言で言えば、くにつつみ、しきまきや、です。

早う、立体の道をさとり(三取り)なされよ(七、三、〇、四)。と御伝えされています。

そこに、【正中の大道】があるのです。

Ⅳ.原因の世界が立体に入る元です。それがうれしうれしの道です。

左でもなく右でもなく、うれしうれしの道あるぞ。左も右も上も下も相対の結果の世界ぢゃ。原因の世界に入らねばならん。平面より見れば相対あるなれど、立体に入り更に複立体、複々立体、立立体の世界を知らねばならんぞ。

左でもなく、右でもなく、うれしうれしの道があります。

左も右も上も下も相対の結果の世界です。

うれしうれしの道とは、原因の世界に入らないとなりません。
その原因の世界、そこから思念が変わっていく事ができましたら、立体に進みます。

それを平面から見れば、相対でしかありませんが(そのようにしか見えませんが)、立体に入りますと、更に複立体、複々立体、立立体の世界を知らねば、ならないようになっています。

まずは、立体に入る所からです。それには、原因の世界に入る所からです。また、必ず平面から入ります。
その立体世界に進み、また、そこから新たな世界を生み出して行く事にあります。

Ⅴ.相対では争ひになります。真の世界平和は今のやり方、考へ方では成就しません。三千世界和合からです。

相対では争ひぢゃ。いくさぢゃ。真の世界平和は今のやり方、考へ方では成就せんぞ。三千世界和平から出発せねばならんぞ。

相対のみですと、争ひになり、いくさ、となります。

真の世界平和は、今のやり方、考へ方では成就しません。

三千世界和平から、出発しないとなりません。

三千の世界の和平もありますが、三つの世界の千人力、もあります。
それは、和する事から始まります。

Ⅵ.御神示を肚に入れ、血とし、生活しますと、何事も思ふ通りスラリスラリと面白い程栄えてきます。

そなたは神示をよくよんでゐるが、それだけでは足らん。神示を肚に入れねばならん。つけ焼刃ではならん。神示を血とし生活とすれば、何事も思ふ通りスラリスラリと面白い程 栄えて来るぞ。

御神示をよく読んでいても、それだけでは足りません。

また、新たな世界を生み出す事ができても、まだ足りません。

御神示を肚に入れねばなりません。
つけ焼刃ではならん。のです。

御神示を血(千)とし生活としますと、何事も思ふ通りスラリスラリと面白い程に栄えてきます。

ですから、まずは、千人力の境地まで来てください。
大体、此の道一本に絞って、日々の行を継続し、1年半~3年で実現します。

思う通りにならないのであれば、それは、省み、改心が足りてゐません。

Ⅶ.思ふように運ばなかったら省みて下さい。御自身がだまされて、御自身のためのみに為してゐます。

思ふように運ばなかったら省みよ。己が己にだまされて、己のためのみに為してゐることに気づかんのか。

思ふように運ばなかったら省みて下さい。
御自身が御自身にだまされて、御自身のためのみに為してゐることに気付いてください。

段階が進んでもこれはあります。
そして、改心を進めて下さい。

今の私にも、実際直近でもありました。
確かにですが、唯一思ひ通りにならないのは、人の心、ですね。
なる人も居ますが、あまりにも多くの方とは、思ひ通りにならないです。

一方、神様の御心、に沿うところでは、人の心以外、であれば、今の所全てと言っていい程、思ひ通りになっています。衣食住、自然、草木、暮らしそのもの、食べ物、後、出会い、もそうですね。

ここまではスラリスラリと栄えていますが、人の心。だけは、どうにもならない。
これでいいのでしょうか。と思っています。
思い通りにならない、このあまりの格差、此の後、正直、埋まる気がしません。

いざとなっての改心を待つしかないのでしょうか。(手遅れです)何事もキリがある、で行くしかないのでしょうか。今のところの答えでもあり、嵐の中の捨て小舟、しか私も思いつきません。
これで、私にとっての九の年が終わりそうです。

頭を下げ、かしこみ、祈り、行じ、省み、実践、素直、改心。していく以外ありません。

Ⅷ.騙されていて、それが善であっても、己のためのみならば死し、善のための善ならば弥栄します。

それが善であっても、己のためのみならば死し、善のための善ならば弥栄えるぞ。善にも外道の善あるぞ。心せよ。

それが善であっても、己のためのみならば死し、善のための善ならば弥栄します。
新たな世界を生み出す、立体の為の、善、ならば弥栄します。

御自身のためにのみ為してゐる事も、皆の為、多くの人の為と合致していくならば、弥栄します。

善にも外道の善があります。
戒律の善もそれにあたりますね。

心して下さい。とお伝えされています。

Ⅸ.御神示見てゐませんと、びっくりが出て来ます。この世始まってないこと出て来ます。

神示見て居らぬとびっくりが出てくるぞ。この世始まってないことが出てくるのぢゃ、世界の片はし八まべからぞ。判りたか。

御神示見ていませんと、びっくりが出てきます。

此の世始まってないことが、この後出て来ます。
(と云っても、既にある程度、マンデラ・エフェクトで出て来てゐますが)

世界の片はし八まべ、からです。
片端浜辺からです。

立体に進むには、必ず、今の平面からになります。

Ⅹ.祈り畏こみ謹んで実践しなければならん、ようになってゐます。

そなたは神体を偶像と申して御座るが、それはそなた自身が偶像なるが故であるぞ。礼拝を忘れ、祈りをわすれることは神をわすれることぢゃ。そなたの住む段階では、祈り畏こみ謹んで実践しなければならんぞ。

御神体を偶像と申してゐるのは、御自身が偶像なるが故になります。

礼拝を忘れ、祈り(行じ、省みる)を忘れることは、神を忘れることになります。
この世界では、祈り(行じ、省みる)、かしこみ、謹んで、実践しなければ、ならないと御伝えされています。

ですが、素直にこの通りにしていきますと、無理なく、立体に進む流れとなっていきます。

ⅩⅠ.先に御自身が助かろうとしますと、助からなくなります。

拝まんでも拝んでゐる境地はなかなかぢゃなあ。そなたはわれが助かろうとするから助からんのぢゃ。

拝まんでも拝んでゐる境地は中々です。
実際、中々難しい境地です。

思うこと為す事、が大神様と常々同じである状況です。

先に御自身が助かろうとしますと、助からないようになります。

こちらから、先に助けにいこうとしますと助かる流れとなります。神が助けるのではなく、神が助かります。
先に、相手を理解しようとしますと、助かる流れとなります。

不思議とですが、助ける行をしていく事で、確かに御自身が助かる流れになっていきます。

ⅩⅡ.世界はこの世ばかりではないこと。よく(四九)得心して下されよ。として下さい。我をすてて素直になされよ。として下さい。

世界はこの世ばかりではないことを、よく得心して下されよ。我をすてて素直になされよ。三千年の秋が来てゐるのであるぞ。

世界はこの世ばかりではない事を、よく(四九)得心して下されよ。と伝えられています。

実際、くにつつみ、しきまきや、を次々していく事で、判ってきますけどね。
次々新たな世界が周囲にやって来る為です。

ですから、我をすてて素直になされよ。とあります。
三千年の秋が来てゐるのです。

3.まとめ

時の神様を忘れてはならんようになっています。

もちつくには、つく時があります。
それは、千人力の元でもあり、時をおろそかにしますと、時の神様の御恩を受けられなくなり、千人力を失う元になります。

御神業と申して、他に迷惑をかけていれば、そこから改めて下さい。

夜明けの前は暗いです。すぐのおかげは小さいです。利子つけた大きなおかげを結構に頂いてください。

頭を下げますと、流れてきます。
頭も下げず、低くなりませんと、流れては来ません。

そなたは頭が高いぞ。天狗ぞ。その鼻まげて自分のにほひをかいで見るがよい。
の文面がある間は、常々、御自身の天狗、を確認して進めて下さい。

左に傾き、偏って歩いてはなりません。
多くの方々は、右を歩きながらそれを中道、と思っています。

立体の道を早う悟りて下さい。
【正中の大道】があります。

原因の世界が立体に入る元です。
それがうれしうれしの道です。
その原因の世界、そこから思念が変わっていく事ができましたら、立体に進みます。

相対では争ひになります。真の世界平和は今のやり方、考へ方では成就しません。三千世界和合からです。

思ふように運ばなかったら省みて下さい。
御自身がだまされて、御自身のためのみに為してゐます。

騙されていて、それが善であっても、己のためのみならば死し、善のための善ならば弥栄します。

御神示見てゐませんと、びっくりが出て来ます。
この世始まってないこと出て来ます。

祈り畏こみ謹んで実践しなければならん、ようになってゐます。

拝まんでも拝んでゐる境地は中々です。
実際、中々難しい境地です。

先に御自身が助かろうとしますと、助からなくなります。

世界はこの世ばかりではないこと。よく(四九)得心して下されよ。として下さい。

我をすてて素直になされよ。として下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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