富士の巻 草木に関する文面① 草木は神のみことのまにまにになっています

日月神示、道の生み出し方について

草木に関する文面引き続き進めていきます。

富士の巻では、草木に関する文面が多く、2回に分けていきます。

草木に関する文面の前後では、神の御心について、のものが多いです。
神様の御心を理解するには、草木から入るのがお勧め、という位、に書かれています。

今回は、その草木に関する文面富士の巻1つ目を御伝えしていきます。

1.富士の巻 草木に関する文面① 草木は神のみことのまにまにになっています。

Ⅰ.こ(九)の世では人間が一番おくれています。草木は、神のみことのまにまになっています。

悪の世であるから、悪の臣民 世に出てござるぞ、善の世にグレンと引繰り返ると申すのは善の臣民の世になることぞ。今は悪が栄えてゐるのざが、この世では人間の世界が一番おくれてゐるのざぞ、草木はそれぞれに神のみことのまにまになってゐるぞ。

悪の世ですから、囚われの世ですから、悪の臣民 世に出ています。

善の世にグレンとヒックリ返ると申すのは、善の臣民の世になる事です。
悪を悪で無くす、苦を苦で無くす。囚われの善を無くす。囚われの楽を無くす。です。

それには、悪、苦、囚われ、を無くす事が求められ、6つの慢心を無くすべく、我の洗濯、掃除、改心、が次々求められます。此の事により、千人力、に進む臣民が善の臣民です。

今は悪が栄えてゐるのですが、こ(九)の世では人間の世界が一番遅れているのです。

草木は、それぞれに神のみことのまにまに、成っています。

実際、草木の方が、人間より優れている所、沢山あります。

素直です。
囚われないです。
心・口・行、一致しています。
弥栄実践できています。まつり実践もできています。祓実践は、草木には難しいですが、
人間は、3つともしていない方、結構珍しくないです。
地球との共生を考えている方は、草木の方が多いです。

この他にもあると思いますが、このような事を理解して、草木の優れている所を御自身でまた理解していき、カミヒト共に進めばよいのです。

この場合、カミヒトとは、草木と人が共に進む、同じ境地、という解釈もあります。

Ⅱ.臣民が本当のつとめをしましたら、神様が御礼申す程に尊い仕事できます。

一本の大根でも一粒の米でも何でも貴くなったであろが、一筋の糸でも光出て来たであろがな、臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ、殊に神の国の臣民みな、まことの光あらはしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいて居れんことになるぞ。

一本の大根でも、一粒の米でも何でも貴くなったのは、此の道に進んでいますと判ってきますし、実際、マンデラ・エフェクトから、喜びの大根、お米が現れます。
まだまだ農薬たっぷりのお野菜も多いですが、随分と無農薬のお野菜も増えてきています。そして、此の道に進みますと、無農薬のお野菜が待ってくれる、出会える流れとなっていきます。

御自身が改心し、行動に移しますと、周囲の世界もそれに応じていきます。

一筋の糸でも光出て来たであろがな。とありますが、糸は、菌(キン)でしょうね。

あみたけ、や、しいたけ、は、肉の味を超えつつある、美味しいキノコですが、こんなに美味しかったけ、という位の味になってきています。

臣民が本当のつとめしたらな、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな。
とありますが、この2年、3年、の動きは特にマンデラ・エフェクトがあらゆる所で起こってきましたが、その周囲に起こる体験から、何となく、徐々に描けてくる感じにはなってきます。

臣民が、本当のつとめをしましたら、神様が御礼申す程に尊い仕事できるみたまなのです。

まことに神の九二の臣民、みな、まことの光あらはしたなら、天地が輝いて、悪の身魂は目あいておれん事になってきます。

ですが、まだまだ、目あいてない方の方が圧倒的多数ですね。(2025年4月30日現在)
この後、目あいていく方々が次々増えていく事を祈ります。

故に、此の道とは、多くの方々の価値観と真逆な事はかなりあります。

Ⅲ.御自身の心に巣くうている悪のみたま、が一番怖いです。

結構な血筋に生まれてゐながら、今の姿は何事ぞ、神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ。

結構な血筋に生まれてゐながら、今の姿は何事、と御伝えされています。

神様はいつまでも待ってはくれません。いつ気の毒ができるかしれんぞ。
とありますが、昨日も、ポルトガル、スペインで、謎の大規模停電起こりましたね。

今回も変わらず原因不明ですが、本当は、大規模停電が起こってゐるだけの大地震が起こっていたこと位、此の道に進んでいる方は、言われなくても判っていると思います。だからこそ、原因不明なのですね。

最近は、大地震を空間で飛ばす型がかなり減りましたので(2021年までは普通でした)、返って判りにくいところもありますが、最近では、書き換え型で起こる事が多く、大難が小難へとまつり変えて頂いています。

このような事、何度どころか、ここまで、何万回、何十万回、数えきれない程に起こってますね。
ですが、このようなことを、頭で考えている内は、人の我、基軸では、永遠に分かりません。

此の道に進んでいきますと、如何に、人は、知らず知らずの内に、罪、穢れ、過ちを、犯し続けて来たことがよく分ってきますし、それは、悪を悪で無くす、苦を苦で無くす、囚われを囚われで無くす、から、一段一段世界を変える事をずっと続けてきたから、このような事態を回避し続ける事ができたのです。

周囲の世界も、御自身の心・口・行、に応じて変わっていきます。

戦恐れていても、臣民の戦位、何が恐いのぞ。
とありますが、此の道に進めば、実際、その因に向けて、変えていく行をしていく事で戦が、周囲から無くなっていきます。ですから、恐く無くなっていきます。

それより、御自身の心に巣くうている悪のみたま、の方がもっと怖いです。

如何に、人の我とは、慢心しているのか。
これは、行を進めていくごとに、向き合う事になっていきます。
そして、御神示の最初の行とは、御自身の囚われ、慢心、の改心から始まります。
これを進めていかない事には、いつまで経っても、平面止まりです。

この事に気付けませんと、知らず知らずの内に罪、穢れ、誤ち、を蒔いてしまいますから、それこそ、環境破壊、肉食、が悪とも思えない多数派の方の価値観になっていく事が普通です。

それ程、この、心に巣くうている悪のみたまほど怖いものありません。

Ⅳ.一切は神様で、草木も神様です。なにもかもまつりあった姿が、神の姿、神の心です。

山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、神祀れと申すのは神にまつらふことと申してあろが、神々まつり合はすことぞ、皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心ぞ。

山は神様です。川は神様です。海も神様です。雨も神様です。風も神様です。
天地みな神様です。

草木も神様です。

神様まつれと申すのは、神様にまつらふことなのです。
神々様、まつり合はす事です。

天変地異、災厄とは、まつりあわせがされていない状況から起こる事です。
ですから、まつり合はす事をしていく事で、天変地異、災厄が無くなるのです。

皆何もかもまつりあった姿が神様の姿です。神様の心です。

Ⅴ.みなまつれば、何も足らないことになり、余ることなくなります。これが神国の姿です。

みなまつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、これが神国の姿ぞ、物足らぬ物足らぬと臣民泣いてゐるが、足らぬのでないぞ、足らぬと思ふてゐるが、余ってゐるではないか、上(かみ)の役人どの、まづ神祀れ、神祀りて神心となりて神の政治せよ、戦など何でもなく鳧(けり)がつくぞ。

みなまつることができましたら、何も足らぬことありません。
余ることもありません。

これが神国の姿です。
物足らぬ、物足らぬと臣民泣いてゐますが、それは、案外、現代でもそうかもしれませんが、
足らないのではありません。足らないどころか、余っています。

上の役人どの、まづ、神様祀ってください。神様祀りて、神心となりて、神様の政治をして下さい。

戦など何でもなく、けりがつきます。

2.まとめ

こ(九)の世では人間が一番おくれています。
草木は、神のみことのまにまになっています

その為に、一本の大根、一粒の米が貴くなってきていますし、一筋の糸(菌糸)でも光出てくることになります。

臣民が本当のつとめをしましたら、神様が御礼申す程に尊い仕事できます。

神様はいつまでも待ってくれません。いつ、気の毒ができるか判りません。
御自身の心に巣くうている悪のみたま、が一番怖いです。

一切は神様で、草木も神様です。なにもかもまつりあった姿が、神の姿、神の心です。
みなまつれば、何も足らないことになり、余ることなくなります。これが神国の姿です。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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