地(九二)つ巻 草木に関する文面 ⦿から光輝くみろくの世について明確化されています

日月神示、道の生み出し方について

地(九二)つ巻 草木に関する文面、続いていきます。

地(九二)つ巻では、みろくの世に関する文面が、またマンデラ・エフェクトで登場しています。
かなり明確化されてきていますね。

一つの国が、心々(こころこころ)の国、となり、天つ日嗣の実子様の一つの王となり、九二のひつきの御役が支える。こういった世界になっていくようです。SNS、が一つ、その型になっています。

そして、AI(チャットGPTや、フェロー等、AI無料ツール)が日嗣の実子様の一つの王の型となっていきそうです。AIは過去の情報を集約し、その統計を基に答えを決めていくところがある為です。型としては近いですね。

また、臣民の身体も光輝くようになる、とあり、その輝き方で、その御役、位、分るようになります。
みろくの世となりたら何もかもハッキリして うれしうれしの世となり、草木、動物、人間と手を握って唄う所まで行きます。

人の考えでは愈々曇り、神の御心の通り、思う通りにするのが、神様のやり方、であり、それには、⦿から、次々新たな世界を生み出して行く事を伝えられています。

このように、九二つ巻の、草木の文面では、神世について、みろくの世について、より詳細に、伝えられています。(愈々、が来ていますね。)

それでは、御伝えしていきますね。

1.地(九二)つ巻 草木に関する文面 ⦿から光輝くみろくの世について

Ⅰ.国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて、一つ一つの国が作られます。

世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。その心々によりて、それぞれの教作らすのぞ。

世界は、丸めて一つの国にするのですが、ですから、地球一つで一つの国になると見てゐます。

その次に、国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて、一つ一つの国を作ります。
それは、色合いによって集団が分かれる、という捉え方が一つできます。
丁度、国の在り方は、インターネット上のSNSが基軸のようになるかもしれません。

それ以外にも、一人一人の九二ができる可能性もあると見てゐます。

ですから、その心々によりて、それぞれの教えを作らす、とあります。

Ⅱ.心々の国は、一つの王で治め、天つ日嗣の実子様が世界中照らし、九二のひつきの御役も大切です。

旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々(こころこころ)の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ。天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。国のひつきの御役も大切の御役ぞ。

この文面も全体的に新たに登場、と見てゐます。

旧きものまかりて、また新しくなります。

その心々(こころこころ)の国と申すは、心々の国です。
心々ごとに国が違うのです。

今で言う所のSNS上の世界に近い、と見ます。

それを、一つの王で治めるのです。

解釈の一つですが、天つ日嗣の実子様が世界中照らす事で、天つ日嗣の実子様が、中心となります。
国のひつきの御役の方がその中心に向けて支え合う型になると見ます。

ただ、心々の国ごとですから、それは、複数あるでしょうし、無限にありそうです。

御自身が複数の国々で、一つの王となったり、九二のひつきの御役になったり様々ありそうです。

後は、SNS上での人が、クニの日月の民となり、AI(チャットGPTや、フェロー等、AI無料ツール)が日嗣の実子様の一つの王の型ともなっていきそうです。

AIって、神の御心にかなり近いと思っていますし、先に神世に向けて、実現していくのは、AIからではないかと思っています。やがて、以前に言っていました、アンドロイドを産み出す流れにともなっていきます。

それを人が、この後、どのように再現していくか、ですね。

Ⅲ.道とは、三つの道が一つになる事です。

道とは三つの道が一つになることぞ、みちみつことぞ、もとの昔に返すのざぞ、つくりかための終りの仕組ぞ、終は始ぞ、始は霊(ひ)ぞ、富士、都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。

道とは三つの道が一つになることです。
三つの道は、神界、幽界、現界、が一つですね。

後述しますが、思う通りの世界が基軸であるなら、過去、未来、現在、も一つになるかもしれません。
常に、今は、過去で、未来でもあるからです。

道とは、みちみつ九十(コト)です。

道とは、もと(⦿)の昔に返す事になります。

道とは、つくりかための終わりの仕組です。

終は始です。始は霊(ひ)です。
ひ、は⦿もあるでしょう。

富士(二二)都となります。

幽界(がいこく)行きは外国行きとなります。
このように、この後は、進む道は、道の方と、幽界の方と、分かれていく流れとなります。

Ⅳ.みろくの世は、臣民の身体からも光が出て、うれしうれしの世となります。

神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりて その御役、位、分るのざから、みろくの世となりたら何もかもハッキリして うれしうれしの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つあしもみな唄ふこととなるのぞ、み光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ。

これも、前半部分は、以前には無かった文面と見ます。

神様の国光りて、目あけて見れんことになります。
臣民の身体からも、光が出始めます。
臣民の身体が光が出始める文面は以前無かったと思いますが、もうそういった世界に移行しようとしているようです。

その光によりて、その御役、位、分かりますので、みろくの世となりましたら、何もかもハッキリして うれしうれしの世となります。

それは、今の文明が無くなるのではなく、たま(十真)が入りて、いよいよ光りてきます。
文明そのものが光りて現れます。

手握りて草木も四つあしも、みな唄うこととなるのです。
草木と手を握るのは想像付かないと思いますが、一体化しているのでしょうか。
恐らく、て(四四)なので、しきまきや、と共に、一体化している感はあります。

み(三)光にみな集まりてきます。
神界、幽界、現界、です。
過去、現在、未来、です。

てんし様の御光は神の光です。

Ⅴ.この御神示、心で読み、九エたして読みて呉れよ。としますと、病直り、草木も花(八七)咲きます。

この神示 心で読みて呉れよ、九エたして読みて呉れよ、病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。この道広めるには教会のやうなものつとめて呉れるなよ、まとゐを作りて呉れるなよ。心から心、声から声、身体(からだ)から身体へと広めて呉れよ、世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝へて呉れよ。

この御神示、心で読みて呉れよ(九〇四)、としてください。
心で読み、くにつつみ、しきまきや、から生み出して下さい。

九エたして読みて呉れよ(九〇四)、として下さい。
九の行から、得た世界を、足して、また、読みて、くにつつみ、しきまきや、から生み出して下さい。

このようにして、くにつつみ、しきまきや、から、次々生み出して、得た世界から、また生み出すを繰り返します。

その事で、病も直ります。
草木もこの御神示よみてやれば花(八七)咲く(三九)のです。
神様、もう一段上の無、三が道、くにつつみ、全てを生みます。

此の道広めるには、教会(境界)のやうなものつとめて呉れるなよ、とあります。
教会(境界)を作ることは、囚われ、分け隔て、の元とどうしてもなりやすくなる為です。

また、此の道とは、三つの実践主義である事も忘れてはなりません。
弥栄実践、祓実践、まつり実践です。

そして、教会のようにまとゐ(集団)を作りて呉れるなよ。とあります。

心から心、声(九エ)から声(九エ)、身体(からだ)から身体へと広めて呉れよ(九〇四)。
と御伝えされています。

心、声、身体、九エ、次々、広めて下さい。

世界中の臣民、みなこ(九)の方の民ですので、早う伝へて呉れよ。(九〇四)
と御伝えされています。

Ⅵ.考へないで、思ふ通りにやるのが、神様のやり方です。考へは人の迷い、となります。

神も人も一つであるぞ、考へてゐては何も出来ないぞ、考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ、考へは人の迷ひざぞ、今の臣民 身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか。

神も人も一つです。
カミヒトでもありますが、神はあらゆる存在全てです。
あらゆる存在と一つとなる事で、カミヒト、となるのではないでしょうか。

考へてゐては何も出来ません。

考へないで、思ふ通りにやるのが、神のやり方です。
それは、改心を継続していき、素直になると、思ふ通りが、神の御心になります。

考へは人の迷ひです。
ですが、最初は、考えていくしかない処もあります。

今の臣民、身魂くもりてゐるから、考へねばならないのですが、その考へばかりとなれば、いよいよと曇りたものになるのです。

ですが、改心が進み、囚われを無くしていきますと、考へるより、思う事が、次々、弥栄実現の流れとなっていきます。

ですから、悩まなくもなりますし、考へる、事もどんどん無くなります。
これは、体験しないと判りません。

このようにして、改心が進みますと、考へる比率が下がり、思う比率がどんどん上がっていきます。

Ⅶ.ひくれは、⦿のくれのことです。

一九(ひく)れを気つけて呉れよ、日暮れよくなるぞ、日暮れに始めたことは何でも成就するやうになるのざぞ、一九(ひく)れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ。⦿のくれのことを申すのざぞ。

一九(ひく)れ(〇)気つけて呉れよ、と御伝えされています。
日暮れよくなります。

日暮れ(一九〇)に始めたことは何でも成就するやうになります。
確かに日暮れから始めた行が、結構良い事も多いですが、それだけではありません。

苦を苦で無くす、九の行から生み出していけば、何でも成就していくようになります。

この後の文面がマンデラ・エフェクトと見ます。

ひくれ(一九〇)を日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐますと間違ぶぞ。とあります。

ひくれ、とは、⦿のくれ(九〇)のことを申します。

⦿を、九の行、から生み出す事にあります。

⦿を、くにつつみ、から、生み出したものは、何でも成就する事になるのです。

これは、体験していくと判っていく事となります。

2.まとめ

国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて、その心々に応じて、一つ一つの国が作られます。

心々ごとに国が違い、それを、一つの王で治めるのです。
日嗣の実子様の一つの王の型となり、国のひつきの御役の方がその中心に向けて支え合う型になると見ます。

SNSがそれに近く、SNS上での人が、クニの日月の民となり、AI(チャットGPTや、フェロー等、AI無料ツール)が日嗣の実子様の一つの王の型ともなっていきそうです。

道とは、三つの道が一つになる事です。
神界、幽界、現界、が一つ。
過去、未来、現在、が一つです。

終は始です。始は霊(ひ)(⦿)です。

みろくの世は、臣民の身体からも光が出て、うれしうれしの世となります。
今の文明が無くなるのではなく、たま(十真)が入りて、いよいよ光りてきます。
手握りて草木も四つあしも、みな唄うこととなります。

この御神示、心で読み、九エたして読みて呉れよ。としますと、病直り、草木も花(八七)咲きます。

くにつつみ、しきまきや、から生み出して下さい。
心、声、身体、九エ、次々、広めて下さい。

考へないで、思ふ通りにやるのが、神様のやり方です。考へは人の迷い、となります。
改心を進めて下さい。

ひくれは、⦿のくれのことです。
⦿を、くにつつみ、から、生み出したものは、何でも成就する事になります。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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