弥栄、に関する文面10 極内は極外に通じて(右渦)を為す理解体験が、神律、大いなる太陽です

日月神示、道の生み出し方について

弥栄、に関する文面10に進みます。

今回は、地震の巻 第三帖 その1です。

今回のマンデラ・エフェクト文面は、全般的に半分位で起こっている感じで
今回は特に、新単語が結構多いです。

個性、神律、極内世界(生前)、極外世界(死後)、大いなる太陽。
この五つの単語は初めて、と見ます。

此の道に進んでいる方なら、これらの事は、今回の文面を読んで、スラスラ判ってきます。
一をもって二となし、二ともって三を為す理解、体験です。
五人分の行をしていますと判ってきます。

これには、新たな道を生み出す、理解、体験が、必ず求められます。
ですから、前世ヒーリングはその一つのきっかけであり、これが一番早いです。
簡単に言えば、人を思念界から自ら助けていく行、更には、今の仕事、行にも移していく体験です。

今回は、地震の巻第三帖 を三回に分け、その1つ目をお伝えしますね。

1.地震の巻 第三帖 その1 極内(生前)は極外(死後)に通じて(右渦)を為す、理解体験が、神律、大いなる太陽です

Ⅰ.地上人は、常に霊界により弥栄します。

愛の影には真があり、真の影には愛がはたらく。地上人の内的背後には霊人があり、霊人の外的足場として、地上人が存在する。地上人のみの地上人は存在せず、霊人のみの霊人は呼吸しない。地上人は常に霊界により弥栄する。

愛の影には真があり、真の影には愛がはたらきます。

地上人の内的背後には霊人があり、霊人の外的足場として、地上人が存在しています。

地上人のみの地上人は存在せず、霊人のみの霊人は呼吸しません。

地上人はこのようにして、常に霊界によりて弥栄していきます。

Ⅱ.弥栄は順序、法則、形式によりて成り立ちます。順序、法則、形式なくして、弥栄なく、生れ出で呼吸するものはありえません。

弥栄は順序、法則、形式によりて成る。故に、順序を追わず、法則なく、形式なき所に弥栄なく、生れ出て呼吸するものはあり得ない。

弥栄は順序、法則、形式によりて成ります。

故に、順序を追わず、法則もなく、形式なき所に弥栄はありませし、
順序を追わず、法則もなく、形式なき所に呼吸するものはあり得ないのです。

Ⅲ.個の弥栄は全体の弥栄です。個が、その個性を完全に弥栄すれば、全体は益々その次を弥栄します。

個の弥栄は、全体の弥栄である。個が、その個性を完全に弥栄すれば全体は益々その次を弥栄する。

この文面は、マンデラ・エフェクトと見ます。
個性」という単語は初めて、と見ます。

個の弥栄とは、全体の弥栄でもあります。

個が、その個性を完全に弥栄すれば、全体は益々、その次を弥栄するのです。

弥栄とは、基本的にはこの繰り返しです。ですから、まずは、御自身と和する所から始まるのです。

Ⅳ.個と全体、愛と真との差が益々明らかになれば、その結合が益々強固となるのが神律です。

個と全体、愛と真との差が益々明らかになれば、その結合は益々強固となるのが神律である。

個と全体、愛と真との差が益々明らかになりますと、
その結合は、益々強固となります。

それが、神律、です。
(神律も初めての単語とみます)

個と全体、愛と真との差、益々明らかに、とは何?と思いますが、ここまで読まれてきた方、此の道に進まれてきた方ならもうお分かりだと思いますが、

全て、一切は御自身なのです。

未来であり過去であり、という事まで、三界和合できた方、実体験している方なら、その結合は確かに益々強固になってきます。

ですが、人の頭で考えている間では、学、知恵、では永遠に判らないです。
また、人愛でも分かりません。

真愛(永劫の愛)、神学、宇宙の叡智でないと判らないようになっています。

Ⅴ.霊界、物質界は、愛と真、霊人と地上人、個と全体。順序、法則、形式。一切が御自身の理解、体験により、大生命、大歓喜、栄えゆくようになっています。

霊界と物質界は、かくの如き関係におかれている。其処にこそ、大生命があり、大歓喜が生れ、栄えゆくのである。

霊界と物質界は、このような関係におかれています。

愛と真、霊人と地上人、個と全体。
更には、順序、法則、形式、によりて成り立つ。

一切は御自身。過去でもあり、未来でもある。なるほどー、と希望を持てるようになる事が大切です。
それは、皆と和していく体験、理解、が大切ですね。

其処にこそ、大生命があり、大歓喜が生れ、栄えゆくようになっています。

Ⅵ.極内世界(生前)、中間世界(地上世界)、極外世界(死後)、が更に映像されます。一切は同じであり、同じでない永劫弥栄の存在である事の理解が大切です。

更に、極内世界と極外世界とが映像され、その間に中間世界がまた映像される。極内世界は生前、極外世界は死後、中間世界は地上世界である。

極内世界、極外世界、も初めて、の単語と見ます。

更に、極内世界と極外世界とが映像され、その間に中間世界がまた映像されます。

極内世界は生前、極外世界は死後、中間世界は地上世界です。

ですが、中間世界である地上世界は、極内世界であり、極外世界である事も判ってきます。
それは、御自身の、日々の、今現在の、心・口・行、に応じるのです。

思念を変え、御自身の行もそれに応じて変え。

その結果、現在の中間世界が変わります。

ここにおける極内世界、生前、を理解する事で、極外世界、現在を変えるのが、前世ヒーリングでもあります。(現世ヒーリングも可能ですが、こちらの方が高度で難しいと見ます。それは、三次元囚われから、理解、体験に限界があるためです。囚われてない方はいない為、というのもあります。)

Ⅶ.極内(生前)は、極外(死後)に通じて(右渦)(弥栄、神のハタラキ)を為す。総て一にして二、二にして三である事を理解せねばなりません。

極内は極外に通じて(右渦)を為す。すべて一にして二、二にして三であることを理解せねばならない。

極内(生前)は極外(死後)を通じて、(右渦)を為します。

すべて、一にして二、二にして三、である事を理解せねばならない。とあります。

ですから、今現在の世界とは、極内(生前)でもあり、極外(死後)でもあるので、今現在の世界から、どこからでも、変えていく事は可能です。

これは前世ヒーリングから理解、体験できます。
御自身の心の内に応じて、行に移せば、次々、弥栄した世界が周囲に現れます。

生前、死後、の現れとは現在なので、その現在から変えていく事が求められます。

Ⅷ.このようにして、大神様の大歓喜は、大いなる太陽として現れます。

かくして、大神の大歓喜は、大いなる太陽と現われる。これによりて、新しく総てが生れ出る。

この表現も初めてではないか、と思います。
大いなる太陽、という単語ですね。

このようにして、霊界と物質界、愛と真、霊人と地上人、個と全体。
更には、順序、法則、形式、によりて、成立した、現在の世界が、地上世界、中間世界です。

それは、極内世界(生前)から、極外世界(死後)を、(右渦)を通じて、新たな世界を生み出しているのです。

このようにして、大神様の大歓喜が、大いなる太陽として現れます。

これによりて、新しく総てが生れ出る流れです。

Ⅸ.また、太陽からも神が、更に新しく生れ給う流れとなります。(右渦)は絶えずくりかえされ、更に大完成に向かって進んで行きます。

太陽は、神の生み給えるものであるが、逆に、太陽から神が、更に新しく生れ給うのである。
(右渦)は絶えずくりかえされ、更に新しき総ては、神の中に歓喜として孕(はら)み、生れ出て、更に大完成に向って進みゆく。

太陽は、神の生み給えるものですが、逆に、太陽から神様が、更に新しく生れ給います。

(右渦)は、絶えずくりかえされます。
これが弥栄そのもの、神のハタラキです。

更に新しき総ては、神の中に歓喜として孕(はら)み、生れ出て、更に大完成に向かって進みゆきます。

2.まとめ

地上人は、常に霊界により弥栄します。

弥栄は順序、法則、形式によりて成り立ちます。順序、法則、形式なくして、弥栄なく、生れ出で呼吸するものはありえません。

個の弥栄は全体の弥栄です。個が、その個性を完全に弥栄すれば、全体は益々その次を弥栄します。

個と全体、愛と真との差が益々明らかになれば、その結合が益々強固となるのが神律です。
それは、全て、一切は御自身、という境地です。

霊界、物質界は、愛と真、霊人と地上人、個と全体。順序、法則、形式。一切が御自身の理解、体験により、大生命、大歓喜、栄えゆくようになっています。

更に、極内世界(生前)、中間世界(地上世界)、極外世界(死後)、が映像されます。
一切は同じであり、同じでない永劫弥栄の存在である事の理解が大切です。

極内(生前)は、極外(死後)に通じて(右渦)(弥栄、神のハタラキ)を為す。総て一にして二、二にして三である事を理解せねばなりません。(前世ヒーリングから理解は可能です)

このようにして、大神様の大歓喜は、大いなる太陽として現れます。

また、太陽からも神が、更に新しく生れ給う流れとなります。(右渦)は絶えずくりかえされ、更に大完成に向かって進んで行きます。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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