弥栄、に関する文面15 大歓喜の根本は、地上的物質的事物を自分に和合せしめる永遠性にあります

日月神示、道の生み出し方について

弥栄、に関する文面15に進みます。

今回は、地震の巻 第八帖 その3です。

今回のマンデラ・エフェクト文面も全般的に広く起こっている感じです。
内容的には、以前から存在していたものもありますが、更に詳細に、という感じですね。

今回は、周囲の御自身は自分である事、それが映像として現れる事が多い、といった内容。
自分は他であり、他は自分と感覚する、その性質は生後にも続く事。

永遠性をもつ事物は、地上的物質的事物を自分に和合せしめるハタラキを内蔵しているといった内容。
無は有を無化せんとし、有は無を有化せんとし、その融合の上に生命が歓喜し、これが大歓喜の根本である事。

以前、それに近い事をお伝えしていたかもしれませんが、このように、より詳細化してきています。

また、此の道に進んだ後、カミヒトの境地、新人の境地を伝えられています。

それでは、弥栄、に関する文面15を御伝えしていきますね。

1.地震の巻 第八帖 その3 大歓喜の根本は、地上的物質的事物を自分に和合せしめる永遠性にあります

Ⅰ.生前の霊界は、愛の歓喜、真の歓喜、善の歓喜、美の歓喜の四段階と、その中間の三段階を加えて七つの段階に先ず区別されます。

生前の霊界は、愛の歓喜、真の歓喜、善の歓喜、美の歓喜の四段階と、その中間の三段階を加えて七つの段階に先ず区別され、その段階に於て、その度の厚薄によりて幾区画にも区分され、霊人の各々は、自らの歓喜にふさわしい所に集まり、自ら一つの社会を形成する。

生前の霊界は、愛の歓喜、真の歓喜、善の歓喜、美の歓喜の四段階。
その中間の三段階を加えて、七つの段階にまず区別されます。

その段階において、その土の厚薄によりて、幾区分にも区分され、
霊人の各々は、自らの歓喜にふさわしい所に集まり、自ら一つの社会を形成します。

これが霊人の世界です。

Ⅱ.霊人の環境について。御自身のふさわしくない環境には住めないようになっています。

自分のふさわしくない環境に住むことは許されない。否、苦しくて住み得ないのである。若しその苦に耐え得んとすれば、その環境は、その霊人の感覚の外に遠く去ってしまう。

この時、自分のふさわしくない環境に住むことは許されません。

実際には、苦しくて住み得ないのです。

この後の文面は初めて、と見ます。

もし、その苦に耐え得んとしますと、その環境は、その霊人の感覚の外に遠く去ってしまいます。
御自身にふさわしくない環境そのものが、遠くに去るのです。

これが霊人の世界、環境の在り方です。

Ⅲ.愛の歓喜に住む霊人の例では、同一方向の同一愛を生み出す歓喜を中心とする社会を形成します。

例えば、愛の歓喜に住む霊人は、その愛の内容如何によって同一方向の幾百人か幾千、幾万人かの集団の中に住み、同一愛を生み出す歓喜を中心とする社会を形成する。

例えば、愛の歓喜に住む霊人は、その愛の内容如何によって、同一方向の幾百人か幾千、幾万人かの集団の中に住んで、同一愛を生み出す歓喜を中心とする社会を形成します。

このようにして、霊人は住んでいます。

Ⅳ.生前の世界では、自分の周囲、自分の感覚し得るものの悉くが最もよく自分に似ています。

故に、生前の世界では、自分の周囲、自分の感覚し得るものの悉くが最もよく自分に似ており、自分と調和する。

ですから、生前の世界では、自分の周囲、自分の感覚し得るもののことごとくが、最もよく自分に似ていて、自分と調和するようになっています。

周囲の世界は御自身と同じ、調和、といった感じです。

Ⅴ.周囲の一切の存在が、同一呼吸、同一脈拍の中にあり、大きな自分自身と映像する場合が多いです。

山も川も家も田畑も、そこに住む霊人たちも、動物も植物も鉱物も、総て自分自身と同一線上にあり、同一の呼吸、同一の脈拍の中にあり、それらの総てが、大きな自分自身と映像する場合が多い。

これも、より詳細の文面にマンデラ・エフェクトを起こしてゐると見ます。

山も川も家も田畑も、そこに住む霊人たちも、動物も植物も鉱物も、総て自分自身と同一線上にあり、同一の呼吸、同一の脈拍の中にあり、それら総てが、大きな自分自身と映像する場合が多い、とあります。

山、川、家、田畑、霊人、動物、植物、鉱物。
総てが自分自身と同一線上にあり、同一呼吸、同一脈拍となり、
それらは、大きな自分自身と映像するのです。

一切は御自身となるのです。

Ⅵ.自分は他であり、他は自分と感覚します。その性質は生後にも続きます。

自分は他であり、他は自分と感覚する。故に、その性質は生後にも続き、地上人もその周囲を自分化しようとする意志をもっているのである。

自分は他であり、他は自分と感覚するようになります。
それ故に、その性質は生後にも続き、地上人もその周囲を自分化しようとする意志を持っているのです。

Ⅶ.死後の世界も、生前と同様ですが、一度、物質世界を通過したものと、しないものとは相違があります。

しかし、地上世界は、物質的約束によって、想念のままには動かない。死後の世界もまた生前と同様であるが、一度 物質世界を通過したものと、しないものとの相違が生じてくるのである。

しかし、地上世界は、物質的約束により、想念のままには動かないようになっています。

死後の世界もまた、生前と同様でありますが、一度物質世界を通過したものと、しないものとの相違が生じてきます。

それは、物質世界を通過した際、様々な思念変化、弥栄、喜び、を経由していく為です。

Ⅷ.霊的世界は、物質面より見れば、永遠性をもち、永遠から永遠に弥栄していきます。

だが、何れにしても物質世界との密接なる呼吸のつながりを断ちきることは出来ない。物質は物質的には永遠性をもたず、霊は永遠性をもつが、霊的角度から見れば永遠性はもたない。しかし、物質面より見れば永遠性をもつものであり、永遠から永遠に弥栄してゆくものである。

ですが、いずれにしても、物質世界との密接なる呼吸のつながりを断ち切ることは出来ません。

物質は物質的には永遠性をもたず、霊は永遠性をもちますが、霊的角度から見ますと永遠性をもちません。

ですが、物質面より見ますと、永遠性をもつものでもあり、永遠から永遠に弥栄します。

Ⅸ.永遠性をもつ事物は、地上的物質的事物を自分に和合せしめるハタラキを内蔵しています。

而して、永遠性をもつ事物は、地上的物質的事物を自分に和合せしめる働きを内蔵している。

この文面は以前には無かったと見ます。

ですから、永遠性をもつ事物は、地上的物質的事物を自分に和合せしめるハタラキを内蔵しています。

まず、永遠性をもつ事、が大切です。

永劫の愛、は、必ず理解を伴う所から始まります。

Ⅹ.無は有を無化せんとし、有は無を有化せんとし、その融合の上に生命が歓喜します。これが大歓喜の根本です。

無は有を無化せんとし、有は無を有化せんとし、その融合の上に生命が歓喜するのである。無は有を生み、有は無を生み出す大歓喜の根本を知得しなければならない。

このようにして、無は有を無化せんとしますし、有は無を有化せんとします。

その融合の上に生命が歓喜します。

無は有を生み、有は無を生み出す、大歓喜の根本を知得しなければならない、と伝えられています。

2.まとめ

生前の霊界は、愛の歓喜、真の歓喜、善の歓喜、美の歓喜の四段階と、その中間の三段階を加えて七つの段階に先ず区別されます。

その段階において、その土の厚薄によりて、幾区分にも区分され、霊人の各々は、自らの歓喜にふさわしい所に集まり、自ら一つの社会を形成します。

これが霊人の世界です。

霊人の環境について。御自身のふさわしくない環境には住めないようになっています。
実際には、苦しくて住み得ないのであって、その苦に耐え得んとしますと、その環境は、その霊人の感覚の外に遠く去ってしまいます。

愛の歓喜に住む霊人の例では、同一方向の同一愛を生み出す歓喜を中心とする社会を形成します。

生前の世界では、自分の周囲、自分の感覚し得るものの悉くが最もよく自分に似ています。
周囲の世界は御自身と同じ、調和、といった感じです。

周囲の一切の存在が、同一呼吸、同一脈拍の中にあり、大きな自分自身と映像する場合が多いです。
自分は他であり、他は自分と感覚します。その性質は生後にも続きます。

死後の世界も、生前と同様ですが、一度、物質世界を通過したものと、しないものとは相違があります。
物質世界を通過した際、様々な思念変化、弥栄、喜び、を経由していく為です。

霊的世界は、物質面より見れば、永遠性をもち、永遠から永遠に弥栄していきます。

永遠性をもつ事物は、地上的物質的事物を自分に和合せしめるハタラキを内蔵しています。

無は有を無化せんとし、有は無を有化せんとし、その融合の上に生命が歓喜します。これが大歓喜の根本です。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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