天地に関する文面⑨に進みます。
今回は、扶桑之巻 第十五帖、碧玉之巻 第八帖、の二つの文面です。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、扶桑之巻 第十五帖、はほぼ全文、神人になる段階であり、また同時に警告文でもあります。碧玉之巻 第八帖、では、キリキリまひへの警告文です。
扶桑之巻 第十五帖、では、
天(・)のことは今迄は人民には判らなかったのですが、時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになった、とお伝えされています。現在、は岩戸がひらけて、判るようになった段階です。
それは、今迄の人民であってはならん、ようになっており、地そのものが変ってゐる為、
神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんようになる、とお伝えされています。
天地がアメツチとなって来てゐるからです。
天も近う(千、三⦿、ウ)なり、地も近う(千、三⦿、ウ)なります。
気つけてありたのに目さめた人民少ない、とお伝えされています。
今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てきます。
他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた人民たちに向けて、もうその時は過ぎてゐるのであるから、自分の足で歩まねばならんようになってゐる、とお伝えされています。
いよいよ、御自身の足で歩む段階に来てゐます。
それには、大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。
とお伝えされています。
碧玉之巻 第八帖、では、
神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)、とお伝えされています。
臣民から神民と変っており、神民として御伝えされている段階です。
神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、とお伝えされています。
天地のあり方、天地の在り方、と二度同じ言葉を二つの意味で伝えられてゐます。
それでは、天地に関する文面⑨をお伝えしますね。
- 1.扶桑之巻 第十五帖 地そのものが変ってゐる為、神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんようになります。
- Ⅰ.百不足(モモタラズ) 八十隈手(ヤソクマデ) いまひらかんとき、となりました。
- Ⅱ.天(・)のことは今迄は人民には判らなかったのですが、時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになったのです。
- Ⅲ.今迄の人民であってはならん、ようになっています。地そのものが変ってゐる為です。人民が一番おくれてゐます。
- Ⅳ.神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんようになります。天地がアメツチとなって来てゐるからです。
- Ⅴ.天も近う(千、三⦿、ウ)なり、地も近う(千、三⦿、ウ)なります。気つけてありたのに目さめた人民少ないです。
- Ⅵ.今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てきます。
- Ⅶ.他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた、その時は過ぎてゐて、自分の足で歩まねばならんようになってゐます。大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。とあります。
- 2.碧玉之巻 第八帖 神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)です。臣民から神民となってゐます。
- 3.まとめ
1.扶桑之巻 第十五帖 地そのものが変ってゐる為、神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんようになります。
Ⅰ.百不足(モモタラズ) 八十隈手(ヤソクマデ) いまひらかんとき、となりました。
●百不足(モモタラズ) 八十隈手(ヤソクマデ) いまひらかんときぞ。
マンデラ・エフェクト文面です。
百不足(モモタラズ)の状況です。それは、神々様、人々の、永劫の喜びの理解、体験、が不足しているからです。
八十隈手(ヤソクマデ)(八十九真手)、いまひらかん、時です。
神々様、くにつつみ、から、真の道、いま開かん時となってきました。
Ⅱ.天(・)のことは今迄は人民には判らなかったのですが、時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになったのです。
●天のことは今迄は人民には判らなかったのであるぞ、時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになったのぞ、
マンデラ・エフェクト文面続きます。
天(・)のことは今迄は人民には判らなかったのです。
時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになってのです。
と言っても、まだまだ岩戸がひらいた事、ひらいていく事について、は判っている方殆どいません。
ですが、この道、御神示通りに、行を進めていけば判っててきます。
Ⅲ.今迄の人民であってはならん、ようになっています。地そのものが変ってゐる為です。人民が一番おくれてゐます。
●今迄の人民であってはならん、地そのものが変ってゐるのであるぞ、人民は我(ガ)が強いから一番おくれてゐるのであるぞ、人民の中では宗教人が一等おくれてゐるぞ、
マンデラ・エフェクト文面更に続きます。この文面では前半部分です。
今迄の人民であってはならん、とあります。
地そのものが変ってゐる事は、此の道に進みますと判ってきます。
地球上の汚染、天変地異までもが、総て変って来てゐます。
変ってゐないというのであれば、変わらない世界を選択している為で、それは、囚われを選択しており、実際には、我の改心と共に実現するようになってゐます。
ですから、人民は、我(ガ)が強いから、一番おくれてゐる、とあります。
更に人民の中では宗教人が一等おくれてゐる、とあります。
Ⅳ.神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんようになります。天地がアメツチとなって来てゐるからです。
●神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんのぢゃ、天地がアメツチとなってきてゐるからぞ、
更にマンデラ・エフェクト文面です。
このように、神人(カミヒト)とならねば、生きては行かれんようになってゐます。
天地がアメツチとなってきてゐるからです。
Ⅴ.天も近う(千、三⦿、ウ)なり、地も近う(千、三⦿、ウ)なります。気つけてありたのに目さめた人民少ないです。
●天も近うなるぞ、地も近うなるぞと気つけてありたのに目さめた人民少ないぞ、
マンデラ・エフェクト文面続きます。
天も近う(千、三⦿、ウ)なります。
地も近う(千、三⦿、ウ)なるぞ、と気付けてありたのに、目さめた人民少ないぞ、とあります。
目さめた人民、という過去形に変っています。
千人力、⦿、更には三⦿、から生み出す事、誰もが目さめていく段階に遂に入って来ました。
Ⅵ.今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てきます。
●今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てくるぞ、
マンデラ・エフェクト文面まだ続きます。
今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てきます。
昇り降りは以前からありましたが、衝突するものも出て来るのは新たな文面です。
これも、行を進めていきますと、衝突する事の体験もしてくようになります。
勿論、昇り降りも沢山体験していきます。
Ⅶ.他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた、その時は過ぎてゐて、自分の足で歩まねばならんようになってゐます。大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。とあります。
●他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた人民たちよ、もうその時は過ぎてゐるのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。
最後までマンデラ・エフェクト文面でした。
ここでもほぼ総てです。
他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた人民達に向けて、もうその時は過ぎてゐるのですから、
自分の足で歩まねばならん段階です。
大地をふみしめよ、として下さい。
大地の気が身内に甦ります。
2.碧玉之巻 第八帖 神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)です。臣民から神民となってゐます。
Ⅰ.神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)です。臣民から神民となってゐます。
●四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生れると申してあろう、神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)であるぞ。
四つ足を食ってはならん、ように成ってゐます。共喰いとなります。
共喰いですから、とても苦しむ事になります。
草木(九三キ)から動物(土ウ物)うまれるのです。
くにつつみ、の三が道より、カミヒトを生み出すものが生れるのです。
神民の食物五穀野菜の類(たぐい)です。
以前は臣民でしたが、今では、神民となってゐます。
部分的マンデラ・エフェクトです。
Ⅱ.今の人民の申す善も悪も一度にひらいて、パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様です。悪と申しても、魔ではなく、アクです。
●今の人民の申す善も悪も一度にひらいて、パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様であるぞ、取違いせぬように、悪と申しても魔ではないぞ、アクであるぞ。
マンデラ・エフェクト文面ですが、多分2024年頃に一部起こりました。
今の人民の申す、善も悪も一度にひらいて、パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様です。
取違いせぬように、悪と申しても、魔ではないのです。アク、なのです。
アク(ア、九)は、永劫の過去より、くにつつみ、で起こるのです。
Ⅲ.大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれと押し寄せても、その時では間に合いません。今の内に改心結構です。
●大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれと押しよせるなれど、その時では間に合わん、逆立してお詫びに来ても、どうすることも出来ん、皆 己の心であるからぞ、今の内に改心結構、
大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれ、と押しよせるなれど、其の時では間に合わん、のです。
逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることもできん事になります。
それは、皆、己の心からです。
今の内に改心結構です。
Ⅳ.神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、として下さい。納得の行くように致して見せてます。
●神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、納得の行くように致して見せてあるでないか。
神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、とあります。
天地のあり方、天地の在り方、とわざわざ2回に分けて、御伝えされてゐます。
最初が平仮名なのは、永劫の過去の道の入り方、三界和合の神の動きを見る事が求められます。
それが、三次元の在り方になる所、それをよく(四九)見極めて下されよ、とあるのです。
しきまきや、くにつつみ、です。
納得いくように致して見せてあるではないか、とあります。
もはや、神学の理解、神の理解、それが、三次元に現れる事への理解まで求められる所に来ました。
3.まとめ
百不足(モモタラズ) 八十隈手(ヤソクマデ) いまひらかんとき、となりました。
百不足(モモタラズ)の状況でしたが、神々様、くにつつみ、から、真の道、いま開かん時となってきました。
天(・)のことは今迄は人民には判らなかったのですが、時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになったのです。
今迄の人民であってはならん、ようになっています。地そのものが変ってゐる為です。
人民が一番おくれてゐます。
神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんようになります。
天地がアメツチとなって来てゐるからです。
天も近う(千、三⦿、ウ)なり、地も近う(千、三⦿、ウ)なります。
ですが、気つけてありたのに目さめた人民少ないです。
千人力、⦿、更には三⦿、から生み出す事、誰もが目さめていく段階に遂に入って来ました。
今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てきます。
他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた、その時は過ぎてゐて、自分の足で歩まねばならんようになってゐます。大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。とあります。
神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)です。臣民から神民となってゐます。
今の人民の申す善も悪も一度にひらいて、パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様です。悪と申しても、魔ではなく、アクです。
大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれと押し寄せても、その時では間に合いません。
逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることもできん事になります。
それは、皆、己の心からです。今の内に改心結構です。
神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、として下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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