生死に関する文面12、に進みます。
今回は、夏の巻 第六帖、第十四帖、第二十四帖、の三つの文面です。
今回のマンデラ・エフェクトは、動きについて、思念界からの書き換えについて、詳細化しています。
第六帖、では、
ほんとうにモノを見(三)、きき(二二)、味はい、消化して行かなならんようになってゐる、
事をお伝えされています。
三が道、しきまきや、を味わい、消化していく事が求められてます。
地の上にあるもの、人間のすること、その総ては霊界で同じことになってゐます。
地震の巻に同様の内容がありましたが、具体的な内容が、夏の巻にも現れ始めました。
第十四帖、では、
よ(四)せては返し、よ(四)せては返し生きてゐます。
しきまきや、は動く中だけでなく、動かん中でも、しきまきやはあるのです。
この事で、始の始と、始が違ひます。
後になるほどよくなります。
終わりの中に始め、がある、と伝えられてゐます。
このように、終わりの中に始めがあるのは、始の始、始、が違う為です。
祈り、考へ、働きの三つ揃はねばならん。ように成ってゐる事をお伝えされています。
三つ揃ふ話でも、祈り、考へ、働き、になったのは初めて、と見ます。
第二十四帖、では、
毒とするか薬とするか、立場、考へ、処理方法、いろいろの運び方によってし(四)るのですから、心せねばなりません。
とあります。
し(四)る、というのが初めてで、それは、こういったものでもしきまきや、は起こせる、という意味が一つあります。
「今」に一生懸命になりて下されよ。として下さい。
「今」とは、過去、未来、和したものです。
それでは、生死に関する文面12、をお伝えしますね。
1.夏の巻 第六帖 ほんとうにモノを見(三)、きき(二二)、味はい、消化して行かなならんようになってゐます。地の上にあるもの、人間のすること、その総ては霊界で同じことになってゐます。
Ⅰ.ほんとうにモノを見(三)、きき(二二)、味はい、消化して行かなならんようになってゐます。
●ほんとうにモノを見、きき、味はい、消化して行かなならんぞ。
マンデラ・エフェクト文面です。
ほんとうにモノを見(三)て、きき(二二)、味はい、消化して行かなならん状況となります。
ほんとうにモノを見るには、三が道、しきまきや、この事を味はい、消化して行かなならん状況です。
Ⅱ.地の上にあるもの、人間のすること、その総ては霊界で同じことになってゐます。
●地の上にあるもの、人間のすること、その総ては霊界で同じことになっていると申してあろうが。
続いて、表現が変わったマンデラ・エフェクト文面です。
地の上にあるもの、人間のすること、その総ては、霊界で同じことになってゐると申してある通りです。
地震の巻では、霊界と現界は同じ表裏一体の話はありましたが、もっと砕いて伝えてゐるのは初めて、と見ます。
Ⅲ.まず霊の世界の動きが大切です。霊の食物、霊の生活、求める人民少ないですが、これでは片輪車、となります。
●先づ霊の世界のうごき大切。霊の食物、霊の生活、求める人民 少ないのう。これでは、片輪車、いつまでたってもドンテンドンテンじゃぞ。
先ず霊の世界の動き、が大切です。
霊界、キ、が先だからです。それは、この三次元世界でも同じです。
霊の食物、霊の生活、求める人民 少ないのう。とありますが、
実際、これを求める方、殆どいません。
食べられて喜ぶ食べ物ばかり食べると喜びの世界に移行しますが、それは、菜食、にあります。
これが、永劫に喜びを生み出す生活、となって行きます。
ですが、肉食をし、自己犠牲の世界を喜んで選択している方が圧倒的多数です。
また、霊の食物、霊の生活とは、〇の食物、〇の生活でもあり、新たな世界を生み出す食物、生活、の事でもあります。
これでは、片輪車、いつまでたってもドンテンドンテン、ですが、そのドンテンドンテン、を選択する方が殆どです。
Ⅳ.そのものを見て、そのものに接して、下肚がグッと力こもってくるものはよいもの、ほんものです。
●そのものを見、そのものに接して下肚がグッと力こもってくるものはよいもの、ほんものであるぞ。
そのものを見て、そのものに接して、下肚がグッと力こもってくるものは、よいもの、ほんものです。
実際には、中々体験しませんが、それが故、その体験をした時は返ってわかりやすいかな、と思います。
Ⅴ.キは総てのものに流れます。信仰は理智的にも求められます。まったき情です。
●キは総てのものに流れ込むもの。信仰は理智的にも求められる、完き情である。
キは総てのものに流れ込むもの、とあります。
信仰は、理智的にも求められます。
まったき情です。
Ⅵ.真理を理解するのが、早道、確信となります。
●真理を理解するのが早道。確信となるぞ。
真理を理解するのが、早道、確信となります。
嬉しきビックリ、小さいところから起こして下さい。
日々、継続していきますと、その規模が大きくなり、周囲に現れ始めます。
2.夏の巻 第十四帖 よせては返し、よせては返し生きてゐます。動かん中でも、しきまきやはあり、動いてもしきまきや、はあります。
Ⅰ.上にたつ程、働かねばならん、ようになってゐます。働くには、キ頂かねばならんようになってゐます。キから力生まれます。
●上にたつ程働かねばならん。働いても力はへらん。働くにはキ頂かねばならん。キから力生れるのであるぞ。
上にたつ程働かねばならん、ようになってゐます。
働いても、力はへらん、ようになってゐます。
働くには、キ頂かねばならんようになってゐます。
キ、から力生まれるのです。
Ⅱ.働くと申しても、動くばかりではありません。動かんのも働き、動くのも働き、です。よく心得て下さい。
●働くと申して動くばかりでないぞ。動かんのも働き、動くのも働き、よく心得よ。
働くと申しても、動くばかりではありません。
動かんのも働き、です。
動かんことで働く事も沢山あります。任せきるはその一つです。
動くのも働き、です。
よく心得よ、とあります。
Ⅲ.よ(四)せては返し、よ(四)せては返し生きてゐます。動かん中でも、しきまきやはあり、動いてもしきまきや、はあります。
●よせては返し、よせては返し生きてゐるのであるぞ。
マンデラ・エフェクト文面です。
よ(四)せては返し、よ(四)せては返し生きてゐるのです。
実は、動かん中でも、しきまきやはあり、動いてもしきまきや、はあります。
任せきる、相手に動いてもらう、は一つ重要です。私は、水、大気、菌には、任せきることをしてゐます。
Ⅳ.始の始と、始めが違ひます。後になるほどよくなります。終わりの中に始めあります。
●始の始と始が違ふぞ。後になるほどよくなるぞ。終りの中に始めあるぞ。
これも、マンデラ・エフェクト文面ですね。
始の始、と、始の違いをここまで具体的に伝えるのは初めて、と見ます。
始の始と始が違ふとあります。
後になるほどよくなります。
終わりの中に始めあります。
その始めは、また次の終りを作ります。
その間に、よ(四)せては返し、です。
この繰り返しです。
Ⅴ.祈り、考へ、働きの三つ揃はねばならん。ように成ってゐます。
●祈り、考へ、働きの三つ揃はねばならん。
最後も、マンデラ・エフェクト文面です。
祈り、考へ、働きの三つ揃はねばならん、ように成ってゐます。
最後の、この三つの揃ふは初めての組み合わせ、と見ます。
祈り(行じ、省みる、その上での祈り)だけでなく、考へ、働き、総て大切です。
3.夏の巻 第二十四帖 毒とするか薬とするか、立場、考へ、処理方法、いろいろの運び方によってし(四)るのですから、心せねばなりません。
Ⅰ.すべての世の中の出来ごとは、それ相当に意義あります。意義ないものは存在ゆるされん、とあります。
●すべて世の中の出来ごとはそれ相当に意義あるのであるぞ。意義ないものは存在ゆるされん。
すべて世の中の出来ごとは、それ相当に意義あります。
意義ないものは存在ゆるされん、ことになります。
ですから、存在しているものには、必ず、新たな世界を生み出す元があるのです。
そして、時間かかるケースもありますが、必ず解決の道は存在してゐます。
Ⅱ.人間心で、邪と見、悪と感じ、狭い低い立場でゐますと、いつまでたってもドウドウめぐり、です。
●それを人間心で、邪と見、悪と感ずるから、狭い低い立場でゐるから、いつまでたってもドウドウめぐり。
それを人間心で、邪と見、悪と感ずるから、狭い低い立場でゐるから、いつまでたっても、ドウドウめぐり、となるのです。
ですが、ドウドウめぐり、でも、土ウ土ウめぐり、としていけば、無限の立体に進みます。
カミヒト、として生み出して下さい。
Ⅲ.毒とするか薬とするか、立場、考へ、処理方法、いろいろの運び方によってし(四)るのですから、心せねばなりません。
●それを毒とするか薬とするかは各々の立場により、考へ方や、処理方法や、いろいろの運び方によってしるのであるから、心せねばならんぞ。
マンデラ・エフェクト文面、と見ます。
それを毒とするか薬とするかは、各々の立場により、考へ方や、処理方法や、いろいろの運び方によってし(四)るのであるから、心せねばならん、とあります。
元々2024年頃現れた文面とはみますが、最後にいろいろの運び方によってし(四)る、というのは追加のマンデラ・エフェクト、と見ます。
常々、しきまきや、から解決の道は存在してゐます。
Ⅳ.「今」に一生懸命になりて下されよ。として下さい。
●「今」に一生懸命になりて下されよ。
「今」というのがマンデラ・エフェクト文面です。
「今」に一生懸命になりて下されよ。とありますが、
段階が低い内は、今現在だけしか見ず、過去を省みない傾向になります。
そして、不都合な未来は見ず、われよしの、未来だけを求めている傾向強いです。
今とは、過去と未来と和した中での「今」です。
神界、幽界、現界と和した中での「今」です。
これらを無きものにしますと、われよし、囚われ、となり、苦しむもとになります。
「今」に一生懸命になりて(七理、四四)下されよ(九、裏十、三、〇、四)、とあります。
三界和合の中で、一生懸命に、もう一段上の無、しきまきや、から、くにつつみ、裏の神様より、三が道から、新たな世を生み出す事にあります。
4.まとめ
ほんとうにモノを見(三)、きき(二二)、味はい、消化して行かなならんようになってゐます。
ほんとうにモノを見るには、三が道、しきまきや、この事を味はい、消化して行かなならん状況です。
地の上にあるもの、人間のすること、その総ては霊界で同じことになってゐます。
まず霊の世界の動きが大切です。
霊の食物、霊の生活、求める人民少ないですが、これでは片輪車、となります。
ですが、その選択をしている方が殆どです。
そのものを見て、そのものに接して、下肚がグッと力こもってくるものはよいもの、ほんものです。
キは総てのものに流れます。信仰は理智的にも求められます。まったき情です。
真理を理解するのが、早道、確信となります。
上にたつ程、働かねばならん、ようになってゐます。働くには、キ頂かねばならんようになってゐます。
キから力生まれます。
働くと申しても、動くばかりではありません。動かんのも働き、動くのも働き、です。よく心得て下さい。
よ(四)せては返し、よ(四)せては返し生きてゐます。
動かん中でも、しきまきやはあり、動いてもしきまきや、はあります。
始の始と、始めが違ひます。後になるほどよくなります。終わりの中に始めあります。
祈り、考へ、働きの三つ揃はねばならん。ように成ってゐます。
祈り(行じ、省みる、その上での祈り)だけでなく、考へ、働き、総て大切です。
すべての世の中の出来ごとは、それ相当に意義あります。意義ないものは存在ゆるされん、とあります。
存在しているものには、必ず、新たな世界を生み出す元があるのです。
人間心で、邪と見、悪と感じ、狭い低い立場でゐますと、いつまでたってもドウドウめぐり、です。
カミヒト、として生み出して下さい。
毒とするか薬とするか、立場、考へ、処理方法、いろいろの運び方によってし(四)るのですから、心せねばなりません。
「今」に一生懸命になりて下されよ。として下さい。
過去、未来、と和して下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
<<前に戻る
>>次に進む
カテゴリートップへ戻る
トップに戻る
