生死に関する文面15、に進みます。
今回は、星座之巻 第二十五帖、龍音之巻 第五帖、の二つの文面です。です。
今回のマンデラ・エフェクトは、さばき説く段階は終わりつつある過去の話となり、御自身をサニワしていく段階に入りました。
星座之巻 第二十五帖、では、
さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となる、とあります。さばく世界が終わりに近付きつつあります。
戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎません。とあります。
戒律、裁き、過去の部分的な一面、は、過去の書き換えも含めているとみます。
裁きを説くのは自分で自分をさばいてゐること、と同じになります。
さばき説く宗教の段階は終わりになりつつあり、さばきは、過去の部分的一面に過ぎない段階に入ってゐます。
龍音之巻 第五帖、では、
今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもちます。胸に手をあててよくよく自分をサニワして下さい。
とあります。
人民が、幽界との関係性を持つ話は以前よりありましたが、
愈々、御自身が胸に手をあてて、よくよく御自身をサニワする段階に入ってゐます。
それでは、生死に関する文面15、をお伝えしますね。
1.星座之巻 第二十五帖 さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となります。
Ⅰ.さばき説く宗教は、いよいよ骨なしフニャフニャ腰となります。
●歓喜に裁きのない如く、神には裁きなし。さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、
マンデラ・エフェクト文面です。
歓喜に裁きのない如く、神には裁きはありません。
さばき説く宗教は、いよいよ骨なしフニャフニャ腰となります。
Ⅱ.戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎません。裁きを説くのは自分で自分をさばいてゐること、と同じになります。
●戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎん、裁きを説くのは自分で自分をさばいてゐること、人民に罪なし。
引き続きマンデラ・エフェクト文面です。
戒律や裁きは、低い段階、過去の部分的一面に過ぎません。
戒律、裁きは、低い段階、過去の部分的一面、と過去形の存在に変わっています。
裁きを説くのは、自分で自分をさばいてゐること、です。
人民には罪はありません。
和する事で、過去を変えていく事、そして、無限に過去は書き換えていく事は可能です。
すると、一切を許せる世界の実現、は可能になって行きます。
Ⅲ.四つの三⦿土、いつも、五方、とひらき、うづ、みてくら、となります。
●手長手伸(たながたのし) 堅磐常磐(かきはときは)に 祝ふ御代なる。
生井栄井津(いくゐさかゐつ) 長井阿須波比支(ながゐあすはいき) たたへましを。
底つ岩根 千木岩(ちぎいわ)高く 瑞(みづ)の御舎(みあらか)。
四方(よも)の御門(みかど) 五方(いつも)とひらき 宇都幣帛(うづみてくら)を。
神を長く、手が伸びるように楽しみ、神のキが常々時と共に祝う御代となる時が来てゐます。
生命を守る水の神々様、繁栄をもたらす水の神々様、をたたへまし、
大地の深くある、ウシトラコンジン様、千人力に岩戸ひらきと共に高く、三⦿の三明らか。
四つの三⦿土、いつも、五方、とひらき、
うづ、みてくら、となります。
Ⅳ.しほなは(四⦿七八)、の留まる限り、みくには弥栄していく事となります。
●御巫(かむなぎ)の 辞竟(ことお)へまつる 生足御国(いくたるみくに)。
塩沫(しほなは)の 留まる限り 皇国弥栄(みくにやさか)ゆ。
海原の 辺にも沖にも 神つまります。
天の壁 地(くに)の退立(そぎた)つ 極み手伸(たの)しき。
八十綱(やそつな)を 百綱(ももつな)とかけて ささし給はむ。
カムナギのコトおへまつる、いく、足るみくにとなり、
しほなは(四⦿七八)、の留まる限り、みくには弥栄していく事、となります。
海原(ウ七八〇)、の変にも、オキにも、神つまることとなり、
・のかべ、九二のそぎたつ、極むところに楽しきがあり、
やそつなを、百々つなとかけて、三三四たまう、ことになります。
2.龍音之巻 第五帖 今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもちます。胸に手をあててよくよく自分をサニワして下さい。
Ⅰ.幽界は人間界と最も深い関係にあり、初期の霊かかりの殆どは この幽界からの感応によること忘れてはなりません。
●幽界は人間界と最も深い関係にあり、初期の霊かかりの殆どは この幽界からの感応によることを忘れるでないぞ。
幽界は、人間界と最も深い関係にあり、
初期の霊かかりの殆どは、この幽界からの感応によることを忘れてはなりません。
Ⅱ.高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊、インチキ霊です。たとへ神の言葉でも、尚サニワせよ、と申してある通りです。
●霊かかりの動作をよく見極めればすぐ判る。高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ、たとへ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう。
霊かかりの動作をよく見極めればすぐわかります。
高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗るのは、必ず下級霊、インチキ霊とあります。
それは、神主等に限らず、霊媒の方々も同様です。
インチキ霊にかからないようにして下さい。
嬉しきビックリ体験したから、それが、自身のハイヤーセルフさんの力(の一部はありますが)、と勘違いしない事も大切です。
嬉しきビックリは、ハイヤーセルフさんも読めないもの、です。
想定外で、喜びの道が生れるのが実際の所です。
ですから、たとへ、神の言葉でも尚サニワせよ、と申してあります。
Ⅲ.迷信であっても、信ずる人が多くなれば、実体化し、有力な幽界の一部をつくりだすことあるから気付けて下さい。
●迷信であってもそれを信ずる人が多くなれば、信ずる想念によって実体化し、有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けておくぞ。
迷信であっても、それを信ずる人が多くなれば、信ずる想念によって実体化し、有力な幽界の一部をつくりだすことがあるので、気付けておく事が求められます。
Ⅳ.無きはずのものを生み出し、それが、又地上界に反影してくるので、心して下さい。
●無き筈(はず)のものを生み出し それが又地上界に反影してくるのであるから心して下されよ。
無きはずのものを生み出し、それが又地上界に反影してくるので、心して下さい。
Ⅴ.今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもちます。胸に手をあててよくよく自分をサニワして下さい。
●今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ、胸に手をあててよくよく自分をサニワせよ。
今の人民は、九分九厘は幽界とのつながりをもつようになってゐます。
最後がマンデラ・エフェクトですね。
胸に手をあててよくよく自分をサニワしていく事が求められます。
3.まとめ
さばき説く宗教は、いよいよ骨なしフニャフニャ腰となります。
戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎません。
裁きを説くのは自分で自分をさばいてゐること、と同じになります。
和する事で、過去を変えていく事、そして、無限に過去は書き換えていく事は可能です。
神を長く、手が伸びるように楽しみ、神のキが常々時と共に祝う御代となる時が来てゐます。
生命を守る水の神々様、繁栄をもたらす水の神々様、をたたへまし、
大地の深くある、ウシトラコンジン様、千人力に岩戸ひらきと共に高く、三⦿の三明らか。
四つの三⦿土、いつも、五方、とひらき、
うづ、みてくら、となります。
カムナギのコトおへまつる、いく、足るみくにとなり、
しほなは(四⦿七八)、の留まる限り、みくには弥栄していく事、となります。
海原(ウ七八〇)、の変にも、オキにも、神つまることとなり、
・のかべ、九二のそぎたつ、極むところに楽しきがあり、
やそつなを、百々つなとかけて、三三四たまう、ことになります。
幽界は人間界と最も深い関係にあり、初期の霊かかりの殆どは この幽界からの感応によること忘れてはなりません。
高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊、インチキ霊です。
たとへ神の言葉でも、尚サニワせよ、と申してある通りです。
迷信であっても、信ずる人が多くなれば、実体化し、有力な幽界の一部をつくりだすことあるから気付けて下さい。
無きはずのものを生み出し、それが、又地上界に反影してくるので、心して下さい。
今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもちます。
胸に手をあててよくよく自分をサニワして下さい。
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