無く(七九)なる文面について① 神の国には神も人も無く、生も死もありません

日月神示、道の生み出し方について

今回は、無く(七九)なる文面です。

今回もまた、マンデラ・エフェクト文面です。
毎回、1つはあるような感じですね。

今回も、神の国について、また詳細な内容が出て来ましたのが、そこでは、
神も人も無く、生も死もない、不老不死の境地を伝え出し始めました。

また、無く(七九)なるものは、81の世界の流れで、本当に消えてしまう内容、も強く伝えられている一面、
七九成るもの、もあります。もう一段の上から、九の行から、成るようにもなるのです。

そういった意味では、一文で、両方の意味が取れるものですので、善き未来、悪い未来、両方伝えられている感じでもあります。

ですが、今回の文面は、それがあまりにも両極端でもありますし、愈々、此の後、厳しく分かれていく所にも来ていますので、油断なく、行を進めていく所に来ています。

今回は、無く(七九)なる、に関する文面、1つ目を御伝えしていきます。

1.無くなる文面について① 神の国には神も人も無く、生も死もありません

Ⅰ.何もかも臣民もなくなるだけでなく、神々様さへ、今度は無くなる方います。

一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、米ばかりでないぞ、何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、神々様さへ今度は無くなる方あるぞ。

一握りの米に泣くことある、とは、昭和19年、20年には本当にあったと思います。
また、直近でも、米価格の高騰から、大変な事態になってきてもいます。

ですが、今度は米ばかりではありません。
何もかも、臣民もなく(七九)なるところまで行かねばならないのです。

これは両方の意味があります。
実際に、今の臣民は81の世界に進む方は、無くなるのでしょう。

と同時に、もう一段上の無から、コト(九十)に向けて進み出す方と分かれるのです。此の道に進む方は、81の世界に進む臣民が無くなる、という意味もあるでしょう。

それは、臣民ばかりではありません。神々様さえ、今度も無く(七九)なる方あるのです。

神々様も消えてしまう一方で、もう一段の上の無から生み出され、現れる神様も生まれるようになるのです。

その為には、より善き道に進むには、九の行を進めていく事が求められます。
進む境地に応じて、その見え方、感じ方は全く違ったものになります。

Ⅱ.ばくち、しょうぎ、は無く(七九)致します。

お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、ばくち、しょうぎは無く致すぞ。

今度は、お日様、お月様、海、山、野、も光輝き、水晶の様になります。
悪は、どこにもかくれること出来ん様になります。

その時には、ばくち、しょうぎ、無く(七九)致します。

ですが、その在り方も双方変わるかもしれません。

もう一段上の無、九の行から生み出されるのです。

人力屋、酒屋、料理屋、芸妓(げいこ)屋、娼妓(しょうぎ)、
これらは、世をつぶす基ともありましたが、もう一段上の無から、新たな存在として生み出される可能性もあります。

残される場合、皆が生かされる、和する事ができるものとして残ります。

現状としてのこれらは、無くなる一面もあるものの、新たな存在に生み出される可能性もあります。

Ⅲ.神の国には神も人も無いのです。あらゆる存在は御自身であり、神心あるのみです。不老不死の境地です。

神の国には神も人も無いのざぞ。忠も孝もないのざぞ。神は人であるぞ。山であるぞ。川であるぞ。めである。野である。草である。木である。動物であるぞ。為すこと皆忠となり孝とながれるのぞ。死も無く生も無いのぞ。神心あるのみぞ。

神の国には、神も人も無いのです。
この表現も初めてではないでしょうか。

一切が神様なのです。

そこには、忠義も孝行もありません。
一切は、神様なのです。あらゆる存在を上に見立て、拝み合う境地です。

地震の巻第十九帖、にも掲載されている通りですね。

ですから、神は人であり、山であり、川でもあるのです。
め、であり、野であり、草であり、木であり、動物でもあるのです。

為すこと皆忠義となり孝行と流れるのです。

そこには、死も無く、生も無いのです。
この表現も初めてですね。

幽界人(がいこくじん)よ、日本の国にゐる幽界魂(がいこくたま)の守護人よ、愈々となりて生神の総活動になりたら、愈々となりて生神の総活動になりたら、死ぬことも生きることも出来ん苦しみに一時はなるのざから、神から見ればそなた達も子ざから早う神の下にかえりてくれよ、いよいよとなりて来たのざぞ、くどうきづけるぞ。

愈々となりて生神様の総活動になりたら、死ぬことも生きることも出来ん苦しみに一時はなるのですから、
という事は、もっと苦の状況かと思っていましたがこれは、幽界人に向けてであって、此の道に進む方は、そうでも無い可能性が高そうです。ですから、早う神の下にかえりて下さい。

(ただ、以前この文面は、幽界人に限定したものではなく全ての方に向けて伝えられていたと思います。マンデラ・エフェクトも、様々なパターンがありますね。)

Ⅳ.お宮壊され、臣民無くなりますが、一二三が正念場、この神示よく腹に入れておいてください。

お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。上の人臭い飯食ふ時来るぞ。味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのざぞ。大き声で物言へん時来ると申してあろがな。之からがいよいよざから、その覚悟してゐて下されよ。一二三が正念揚ぞ。臣民の思ふてゐる様な事でないぞ。この神示よく腹に入れておけと申すのぞ。ちりちりばらばらになるのざぞ。一人々々で何でも出来る様にしておけよ。

この文面は、大きく二極分化の状況ですね。
此の道に進む、進まないで大きな開きがあります。

お宮も壊される時が来ます。臣民も無くなる時がきます。
ですが、お宮(三八)も壊されるのです。
そこで、臣民も七九成る時が来るのです。

上の人臭い(九三一)飯食ふ時来ます。
味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのです。

食べる物なく、味方同士が殺し合う時が、このまま81の世界ですが、
くにつつみ、三が道から生み出した飯を食うのであれば、喜びの飯です。
また、実際此の道に進みますと、
味方同士が殺し合ふ、つまり、人の我によって、此の道を殺し合う状況ですね。一度はあるのです。
此の道の妨害したりする方もいる一方で、その中で私は導こうとしたり、そして、また妨害されたり。
それこそ、此の道に進む事を殺し合ふ、そのような状況です。

ですから、大きな声で物言えん時来るのです。
これも、善き道とそうでない場合、大きな差があります。

此れ(九〇)からが愈々(一四一四)ですから、その覚悟してゐて下されよ。とあります。

ですから、一二三が正念場、です。一二三は祓の歌です。
しきまきや、くにつつみ、を起こし続ける事が求められます。
それには、一年目、二年目、三年目が正念場なのです。

此の道に絞って、三年目に入り、千人力、嬉しきビックリの体験、改心も進んできた方は、御神示も読んでいますので安心ですが、それ以外の方、主に11の囚われを選択する方、改心をしない方、は、後戻りになってしまっています。

このように、日月神示に書かれています事は、多くの臣民が思ふてゐる様な事ではありません。
ですから、此(九)の神示、よく(四九)腹に入れておけ、と申されているのです。

ちりちりばらばら、になりますので、ですが、此の道に進みますと、その実感、必ずしていく事になります。
その上で、此の道に進む事が求められます。

ですから、一人々々で何でも出来る様にしておけよ。
と御伝えされているのです。

Ⅴ.頼る処、着る物、住む家、食ふ物も無くなる世に迫ってきます。早い改心が、神徳与へてうれしうれしにして頂けます。

日に日に厳しくなりて来ると申してありた事 始まってゐるのであるぞ、まだまだ激しくなって何うしたらよいか分らなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼る処も着るものも住む家も食ふ物も無くなる世に迫って来るのざぞ。それぞれにめぐりだけの事はせなならんのであるぞ、早い改心はその日から持ちきれない程の神徳与へて喜悦(うれ)し喜悦(うれ)しにしてやるぞ、寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな、洗濯次第で何んな神徳でもやるぞ、神は御蔭やりたくてうづうづしてゐるのざぞ、今の世の様見ても未だ会得らんか。

日に日に、厳しくなりて来ると申してありた事 確かに始まった感じですね。
物価高、米相場で、多くの方々厳しくなってきたでしょう。

更に、まだまだ激しくなって、どうしたらよいか、分からなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼る処も着るものも住む家も食ふ物も、無くなる世に迫って来るのです。

それぞれにめぐりだけの事はせなならんのです。

早い改心は、其の日から持ちきれない程の神徳与へて、うれしうれしにして頂けます。

寂しくなりましたら、訪ねて下さい。御神示です。此の神様です。大神様ですね。
洗濯(選択)次第でどんな御神徳でも頂けます。

神は、おかげやりたくてうづうづしてゐるのです。
今の世の様見て、いまだ、会得らんか。とありますが、それも、今現在の世の様見ますと、マンデラ・エフェクトが起こっている事。苦しみの世界の人は、苦しみ、囚われ、が殆どである事。が判ります。

また、此の道に進み出したら判りますが、此の道に進む人は、神徳と共に、うれしうれし、無理なく一段一段進めている事も判ってきます。それは、体験している本人しか分からない事です。

Ⅵ.災難、病無くなるには、神の息と合っていれば大丈夫です。

神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、

神の息と合わされると、災難、病無くなります。
詳細は、こちらにもある通りです。

参考:4.息が合わない時は要注意の日になります

礼拝の中で息が合わなければ、一二三を合うまで読み上げればよいのです。
この事で大難が小難にして頂けます。

生命も助けて頂けます。

此の事は、此の方信じる人でないと誤りますので、知らす人は此の道に向けて進む人にして下さい。

ですが、こちらのブログを読まれている方は、確かに、此の方信ずる人ばかりになってきています。
そうでなければ、このブログは読めないからです。

2.まとめ

何もかも臣民もなくなるだけでなく、神々様さへ、今度は無くなる方います。
それは、81の世界に進み無くなる方と、此の道に進み七九成る方と分かれます。

ばくち、しょうぎ、は無く(七九)致します。
これも、無くなる流れと、七九成る流れと分かれます。
人力屋、酒屋、料理屋、芸妓(げいこ)屋、も同じ流れと見ます。

神の国には神も人も無いのです。あらゆる存在は御自身であり、神様であり、神心あるのみです。
あらゆる存在を上に見立て、拝み合う境地です。不老不死の境地です。

為すこと皆忠義となり孝行と流れるのです。
そこには、死も無く、生も無いのです。

幽界人は、死ぬことも生きることも出来ん苦しみとなり、一方で此の道に進む方は、死も生も無いので、楽に進みます。

お宮壊され、臣民無くなりますが、一二三が正念場、この神示よく腹に入れておいてください。

上の人臭い飯食ふ時来ますし、味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのですが、
それは、81の世界に進む無くなる方と、此の道に進む七九成る方とで大きな差があります。

ですから、大きな声で物言えん時来るのです。
一二三が正念場、です。

頼る処、着る物、住む家、食ふ物も無くなる世に迫ってきます。
早い改心が、御神徳与へてうれしうれしにして頂けます。

それは、臣民の思ふてゐる様な事でない為に、この神示よく腹に入れておけ、と申されています。
いずれ、ちりちりばらばらになるので、ですから、一人々々で何でも出来る様にしておけよ。と伝えられています。

このようにして、頼る処、着る物、住む家、食ふ物も無くなる世に迫ってきます。
ですが、早い改心が、御神徳与へてうれしうれしにして頂けます。

此の道に進み出したら判りますが、此の道に進む人は、御神徳と共に、うれしうれし、無理なく一段一段進めている事も判ってきます。

災難、病無くなるには、神の息と合っていれば大丈夫です。
此の事は、此の方信じる人でないと誤りますので、知らす人は此の道に向けて進む人にして下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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