生死に関する文面7、に進みます。
今回は、二日んの巻(ジシンの巻)第十一帖、第十八帖の後半一部 、の二つの文面です。
二日んの巻(ジシンの巻)は、これで全て御伝えした事になります。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、霊人について、更に詳細に御伝えされており、無限弥栄、無限分霊を起こせる元も
この事から判ってきます。
第十一帖、では、内容自体は以前にも伝えていますが、より詳細化となっており、嚙み砕いた表現に変ってゐます。
霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に入るか、そのいずれなくてはなりません。意志し理解する所から始まるのですが、霊人も、地上人、もそこは同じです。
ですから、意志し理解しようとする事が何よりも大切なのです。
霊人の言葉は、地上人の言葉に比べ、内臓するものが、極めて深く広い為、一語で、地上人の数十語、数百語となり、高度の霊人程その度は増す事をお伝えされています。
霊人の場合、原因と結果、から無限に行為し、生命するが為に霊人の言葉は、数十語、数百語、となるのです。
これが霊界、霊人の在り方なのですが、地上人はむしろ、単発語、浅い理解が基軸の傾向にドンドン進んでいる為に、弥栄しにくくなってきています。
霊人は言葉そのものが弥栄で生命であり、過去が現在であり、未来も現在であり、生前も生後の立場では生後であり、死後も死後の立場では死後です。
これは、霊界だけでの話では、なく、実は、これは地上人にも、実は同様のところがあり、実現は可能です。
ですから、心・口・行の一致、とあれほど御神示では訴えてくるのですね。
霊人にとっては、一里先も、百里先も、千万里はなれても、同一の場所であるのと同様です。
地上人には理解困難であっても、知り得る事は、前世ヒーリング等、書き換え体験から、全然可能です。
ですから日々の行が大切なのですね。
第十八帖 、後半では、ほぼ全面的にマンデラ・エフェクトを起こしてゐます。
歓喜は物質的形体はないが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現われます。
霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力します。秋は、陰であり、月と光り、且つ力します。
霊界における春、秋の動きを、歓喜と呼びます。
春秋の動きあって、神は呼吸し、生命します。
この型と同様に、悪があればこそ生長し、弥栄し、かつ救われます。
神は、神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給ひます。
とあります。歓喜は、陽でもあり、陰でもあります。
それでは、生死に関する文面7、をお伝えしますね。
- 1.二日んの巻(ジシンの巻) 第十一帖 霊人の言葉は、地上人の言葉に比べ、内臓するものが、極めて深く広い為、一語で、地上人の数十語、数百語となり、高度の霊人程その度は増します。
- Ⅰ.霊人には、位置、距離は関係ありません。霊人の言葉は、霊人の想念のままですので、そのままで通じます。
- Ⅱ.霊人がきくことを欲しない時には、霊人には聞こえないようになってゐます。テレビやラジオと同じです。地上人も基本同じです。
- Ⅲ.語音、言葉の構成から、その霊人の如何なるものなるかは、直ちに判明します。
- Ⅳ.霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に入るか、そのいずれなくてはなりません。
- Ⅴ.霊人の言葉は、地上人の言葉に比べ、内臓するものが、極めて深く広い為、一語で、地上人の数十語、数百語となり、高度の霊人程その度は増します。
- Ⅵ.原因と結果、から無限に行為し、生命するが為に霊人の言葉は、数十語、数百語、となるのです。
- Ⅶ.霊人は言葉そのものが弥栄で生命であり、過去が現在であり、未来も現在であり、生前も生後の立場では生後であり、死後も死後の立場では死後です。これは地上人にも可能です。
- Ⅷ.霊人にとっては、一里先も、百里先も、千万里はなれても、同一の場所であるのと同様です。地上人には理解困難であっても、知り得る事は、前世ヒーリング等、書き換え体験から、全然可能です。
- 2.二日んの巻(ジシンの巻) 第十八帖 霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力します。秋は、陰であり、月と光り、且つ力します。
- 3.まとめ
1.二日んの巻(ジシンの巻) 第十一帖 霊人の言葉は、地上人の言葉に比べ、内臓するものが、極めて深く広い為、一語で、地上人の数十語、数百語となり、高度の霊人程その度は増します。
Ⅰ.霊人には、位置、距離は関係ありません。霊人の言葉は、霊人の想念のままですので、そのままで通じます。
●霊人は、遠くにいても近くにいても、常にお互いに語り得る。同一線上にいる霊人の言葉は、何れも同一であって共通する。霊人の言葉は、霊人の想念のままに流れ出るのであるから、そのままにして通ずるのである。
霊人は、遠くにいても近くにいても、常にお互いに語り得ます。
同一線上にいる霊人の言葉は、いずれも同一であって、共通します。
霊人の言葉は、霊人の想念のままに流れ出るのですから、そのままにして通じます。
Ⅱ.霊人がきくことを欲しない時には、霊人には聞こえないようになってゐます。テレビやラジオと同じです。地上人も基本同じです。
●しかし、相手がきくことを欲しない時には聞こえない。それは丁度テレビやラジオの如きものであると考えたらよい。
しかし、霊人の言葉は、相手がきくことを欲しない時には聞こえないになってゐます。
それは、丁度テレビやラジオの如きのもの、と考えたらよい、とあります。
裏を返せば、霊人の言葉は、理解しようと思えば理解できるようになっているとも言えます。
Ⅲ.語音、言葉の構成から、その霊人の如何なるものなるかは、直ちに判明します。
●またその語ること、その語音によって、その相手の如何なるものなるかを知り得るのである。即ち、その発音から、また言葉の構成から、その霊人の如何なるものなるかは、直ちに判明する。
また、その語ること、その語音によって、その相手の如何なるものなるかを知り得ます。
その発音から、また言葉の構成から、その霊人の如何なるものなるかは、直ちに判明します。
地上人は、ウソを付く事ができます。心の内と違う事を表現する事は可能ですが、
霊人はそれができない為、そのままの現れとなるので、直ちに判明するようになってゐます。
Ⅳ.霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に入るか、そのいずれなくてはなりません。
●霊人の言葉と地上人の言葉とは本質的には同様であるが、その表現は相違している。故に、霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に和するか、その何れかでなくてはならない。
この伝え方は初めてと見ます。
霊人の言葉と地上人の言葉とは、本質的には同様ですが、その表現は相違してゐます。
故に、霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、
地上人が霊人の想念に和するか、そのいずれかでなくてはならないとあります。
基本的には、地上人が霊人の想念に和する流れが速いと見ます。
いずれにしても、御自身の我を変えていく方が速く変化を起こせる為です。
Ⅴ.霊人の言葉は、地上人の言葉に比べ、内臓するものが、極めて深く広い為、一語で、地上人の数十語、数百語となり、高度の霊人程その度は増します。
●しかし、霊人の言葉は、地上人の言葉に比して、その内蔵するものが極めて深く広いが故に、霊人の一語は地上人の数十語、数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増してくるのである。
しかし、霊人の言葉は、地上人の言葉に比して、その内蔵するものが、極めて深く広いが故に、
霊人の一語は、地上人の数十語、数百語に値する場合が多いとあります。
その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増してきます。
以前に比べ、その表現は変わりましたね。
一言で万語を伝える話は、他にもありましたし、地震の巻にもあったのですが、もっと噛み砕いた内容に変わってますね。
数十語、数百語というのが初めて、に見ます。
Ⅵ.原因と結果、から無限に行為し、生命するが為に霊人の言葉は、数十語、数百語、となるのです。
●原因と結果とを一つにし、更に結果より生ずる新しい原因も、新しい結果をも同時に表現し、なお言葉そのものが一つの独立せる行為となり、且つ一つの独立せる生きものとなって現われ、行為し、生命するからである。
原因と結果とを一つにし、更に結果より生ずる新しい原因も、新しい結果をも同時に表現し、なお言葉そのものが、一つの独立せる行為となり、かつ、一つの独立せる生きものとなって現れ、行為し、生命するから、とあります。
原因と結果、から無限に行為し、生命するが為に霊人の言葉は、数十語、数百語、となるのです。
こうなりますと、霊人の言葉の方が、一言に意味を含ませる意味では、地上人よりも高度な所がありますね。
Ⅶ.霊人は言葉そのものが弥栄で生命であり、過去が現在であり、未来も現在であり、生前も生後の立場では生後であり、死後も死後の立場では死後です。これは地上人にも可能です。
●言葉そのものが弥栄であり、生命である。また総てであるということは、地上人には理解できぬであろう。それは、過去が現在であり、未来もまた現在であり、更に生前も、生後の立場においては生後であり、死後の立場においては死後である。
霊人にとって、言葉そのものが弥栄であり、生命です。
無限の弥栄に限らず、無限の分霊化も、霊人の方がしやすいところもあります。
また、総てである、という事は地上人には理解できぬであろう、とあります。
それは過去が現在であり、未来もまた現在であり、更に生前も、生後の立場においては生後、であって、死後の立場においては死後、とあります。
これは、霊人にとって、霊界での現象、と言えるのですが、実際には、この事が分ってきますと、現在の世界の地上人においても、それが該当してくる一面もあるのです。
それが、御自身が、霊界の理解、霊人の理解を、この世界に移していけばよいのです。
ですから、
心・口・行、の一致とあれほど言っているのは、三次元世界の無限弥栄、無限分霊が進みやすくなる為です。
この道を体験しますと、この事が、霊人か地上人に向けて言っている事が判るようになって来ます。
これが、地上人にも求められてゐる一面で、実際に多数の思念が動きますと、それに応じたマンデラ・エフェクト、へと進むことになります。
ですが、霊人の思念の理解がありませんと、この事が分からないようになってゐます。
Ⅷ.霊人にとっては、一里先も、百里先も、千万里はなれても、同一の場所であるのと同様です。地上人には理解困難であっても、知り得る事は、前世ヒーリング等、書き換え体験から、全然可能です。
●また一里先も、百里先もまた千万里はなれていても、同一の場所であるのと同様であって理解するに極めて困難である。だが、地上人に於ても それを知り得る内的な生命をもっているのであるから、理解することは困難であるが不可能ではない。
また、一里先も、百里先も、また千万里はなれていても、同一の場所であるのと同様であって、理解するに極めて困難になるのです。
これは、前世ヒーリングをしてみますと判りますが、思念界の書き換えは、距離は関係ないのです。
海外の方に向けても可能です。地球の裏であっても、今は到達不可能な宇宙であっても同様である事。この事が分ってきます。
地上人においても、それを知り得る内的な生命をもっているのですが、理解することは困難でありますが、不可能ではない、
とあります。前世ヒーリングを体験しますと、この事は判ってきますけどね。
2.二日んの巻(ジシンの巻) 第十八帖 霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力します。秋は、陰であり、月と光り、且つ力します。
Ⅰ.霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力します。秋は、陰であり、月と光り、且つ力します。
●歓喜は物質的形体はないが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現われるものである。霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力する。秋は、陰であり、月と光り、且つ力する。
マンデラ・エフェクト文面ですね。
歓喜は、物質的形体はないのですが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現れるものになってゐます。
霊界における春(八〇)は、陽であり、日(⦿)と輝き、かつ力するようになってゐます。
秋(ア、キ)は陰であり、月(二)と光り、かつ力します。
Ⅱ.霊界における春、秋の動きを、歓喜と呼びます。春秋の動きあって、神は呼吸し、生命します。
●この春秋のうごきを、また、歓喜と呼ぶのである。春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得る。
引き続きマンデラ・エフェクト文面です。
この春秋のうごきを、歓喜とも呼ぶとあります。
春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得ます。
Ⅲ.悪があればこそ生長し、弥栄し、かつ救われます。神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給ひます。
●また、悪があればこそ生長し、弥栄し、且つ救われるのである。故に神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給うものである。
また、悪があればこそ生長し、弥栄し、かつ救はれます。
故に神様は、悪の中にも、善の中にも、また、善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給うとあります。
3.まとめ
霊人には、位置、距離は関係ありません。
霊人の言葉は、霊人の想念のままですので、そのままで通じます。
霊人がきくことを欲しない時には、霊人には聞こえないようになってゐます。
テレビやラジオと同じです。地上人も基本同じです。
裏を返せば、霊人の言葉は、理解しようと思えば理解できるようになっているとも言えます。
語音、言葉の構成から、その霊人の如何なるものなるかは、直ちに判明します。
霊人の場合、嘘がそこには無いからです。
霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に入るか、そのいずれなくてはなりません。意志し理解する所から入ります。
霊人の言葉は、地上人の言葉に比べ、内臓するものが、極めて深く広い為、一語で、地上人の数十語、数百語となり、高度の霊人程その度は増します。
原因と結果、から無限に行為し、生命するが為に、霊人の言葉は、数十語、数百語、となるのです。
霊人は言葉そのものが弥栄で生命であり、過去が現在であり、未来も現在であり、生前も生後の立場では生後であり、死後も死後の立場では死後です。これは地上人にも可能です。
心・口・行、の一致とあれほど言っているのは、三次元世界の無限弥栄、無限分霊が進みやすくなる為です。
霊人にとっては、一里先も、百里先も、千万里はなれても、同一の場所であるのと同様です。地上人には理解困難であっても、知り得る事は、前世ヒーリング等、書き換え体験から、全然可能です。
歓喜は、物質的形体はないのですが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現れるものになってゐます。
霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力します。秋は、陰であり、月と光り、且つ力します。
霊界における春、秋の動きを、歓喜と呼びます。春秋の動きあって、神は呼吸し、生命します。
悪があればこそ生長し、弥栄し、かつ救われます。神は、神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給ひます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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