弥栄、に関する文面50に進みます。
今回は、至恩之巻の第七帖、第八帖、第九帖、の三つの文面です。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、全てにおいて、微妙に追加、変化、しています。
第七帖、では、五は数で、転じて十となるにあたり、動き栄へるには、+(プラス)と-(マイナス)の神が現われねばなりません。ここまでは以前にもある文面ですが、これが中を取り持つ二柱の神様です。
と伝えられてゐます。+(プラス)と-(マイナス)の神様、二柱の神様、の重要性を伝えられてゐます。
第八帖では、ナギ、ナミ夫婦神は、八分通り国土を生み育てられましたが、火の神を生み給ひてナミの神は去ったとあります。【八分通り】、【火の神を生み給ひて】、が初登場です。更には、【コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ】、も初登場で、ナギ、ナミ夫婦神両神の交流、歓喜、弥栄の中絶の話が詳細化してきています。
第九帖では、ナギ、ナミ、の話は続き、天二一六、地一四四として、【ある時期までは、八方と九、十、の二方に分かれて、それぞれに生長し、弥栄し行く】というものですが、
平面解釈なら、八方と、九十の二方向、
立体解釈なら、八方と九、十の二方向、
という事です。
ナギ、ナミ夫婦神の詳細も徐々に伝えられてゐるマンデラ・エフェクトを起こしてゐます。
それでは、弥栄、に関する文面50をお伝えしますね。
1.至恩之巻 第七帖 +(プラス)と-(マイナス)の神様が、中を取り持つ二柱の神様です。
Ⅰ.根本の元の元の元の神様は、〇から一、二、三、四、五、に弥栄したのです。別天津神(ことあまつかみ)五柱です。五が天です。
●根本の元の元の元の神は〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ、別天津神(ことあまつかみ)五柱と申してあろうがな、五が天であるぞ。
根本の元の元の元の神は、〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのです。
この後の文面が、マンデラ・エフェクト、と見ます。
別天津神(ことあまつかみ)五柱と申してある、とお伝えされています。
【別天津神(ことあまつかみ)五柱】、は初登場、と見ます。
別の天津神とも書けますし、また、別とは、こと(九十)である以上、新たに生み出された神々様、と言えます。二十五有法の、一つとも言えます。
元の元の元の神は、何かと五柱という事ですが、これは、元の元の元の神様に向けての型出し、と言えます。
前回のお話の続きでもあります。
五柱の神様は、雨、風、岩、荒れ、地震の五柱、がありますが、これも、根本の元の元の元の神様に向けての型出しとも言えるようです。
五が天(・)です。
Ⅱ.五は数です。転じて十となるにあたり、動き栄へるには、+(プラス)と-(マイナス)の神が現われねばなりません。これが中を取り持つ二柱の神様です。
●五は数であるぞ、転じて十となるなれど、動き栄へるには+と-の神が現われねばならん、これが中を取り持つ二柱の神ぞ。
五は数です。
転じて十(カミ)となりますが、動き栄へるには、+(プラス)と-(マイナス)の神様が現われねばなりません。
この後が、マンデラ・エフェクト文面とみますが、
これが、中を取り持つ二柱の神様です。
2.至恩之巻 第八帖 ナギ、ナミ夫婦神、八分通り国土を生み育てられ、火の神を生み給ひ、ナミは、コトドを見立てられ千引の岩戸をしめたのです。
Ⅰ.ナギ、ナミ夫婦神は、八分通り国土を生み育てられましたが、火の神を生み給ひてナミの神は去ったのです。
●ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、火の神を生み給ひてナミの神は去りましたのであるぞ。
ナギ、ナミ夫婦神様は八分通り国土を生み育てられていますが、火の神を生み給ひて、ナミの神様は去ったのです。
火の神を生み給ひて、の話は以前無かったと見ます。
以前の文面は、【やがて、ナミの神様は去ったのであるぞ】、だったと見ます。(ここは何故かよく覚えてゐました)
ですが、遂に、火(一一)の神を生み給ひ、といった段階に入ったのです。これが後述しますが、カミヒト、五三体の大神様、です。
火の神様は、永劫の過去から生み出す神様、と言えます。
ちなみに、【八分通り】も、以前は無かったと見ます。これで、ナギ、ナミ夫婦神の様相がハッキリしてきたと言えます。
Ⅱ.物質偏重の世は、やがて去るべき宿命にあります。心得なされよ。として下さい。
●物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、心得なされよ。
物質偏重の世は、やがて去るべき宿命にあります。
心得なされよ(七三〇四)として下さい。
もう一段上の無、三が道、しきまきや、から生み出し続けて下さい。
このようにして、物質偏重の世は、やがて去る流れとなります。
Ⅲ.ナミの神様は、やがて、九と十の世界に住みつかれたのです。
●ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。
ナミの神様はやがて九と十の世界に住みつかれたのです。
九、十、から生み出す神としてです。
Ⅳ.妻神に去られたナギの神は、一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神様を訪れ、相談されたのです。
●妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神を訪れ給ひ、相談されたのであるなれど、
妻神に去られたナギの神は、一人でモノを生む事をなります。
それが、一、二、三、四、五、六、七、八、の三次元世界の神々様の世界です。
ですが、一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神を訪れ給ひ、相談(そ、生、裏十、ん)される流れとなるのです。
ですが、御三体の大神様を、裏の神様から生み出されたのではなく、むしろ、裏の神様を生み出す流れが加速したのです。それが、物質偏重の世です。
Ⅴ.話が途中からコヂれて、別々に住み、コトド(九十土)を見立てられて、千引きの岩戸しめ、となり、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのです。
●話が途中からコヂレて遂に別々に住み給ふ事となり、コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ。
この為に、その話は、途中からコヂれて遂に別々に住み給ふ事となったのです。
コトド(九十土)を見立てられて千引の岩戸をしめ、両神の交流、歓喜、弥栄が中絶したのです。
【コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ】が初めて現れた文面、と見ます。
九十、から十一を見立てられて、千引きの岩戸しめ、となったのです。
土とは、十一であり、カミヒトであり、火の神様、そして、五三体の大神様、にあたると見ます。
この事によって、千人力が無くなった世(四)となり、それが岩戸(一八十)しめ、となり、
両神の交流、歓喜、弥栄は、中絶した、とあります。
ですから、岩戸をひらくには、まず、カミヒトへと進む必要があり、それには、くにつつみ、から神々様を生み出す、理解、体験、が求められます。
それには、千人力体験が必要であり、この事で、千から地を変え、地の神々様を生み出し、実は、それがカミヒトと進む御自身である事が、判ってくるようになります。それが、火の神様、ともなります。
ですが、残念ながら、現段階では、岩戸(一八十)しめ、となり、両神の交流、歓喜、弥栄は、中絶した、状態が多くの方々に該当しているのが実際のところです。
3.至恩之巻 第九帖 ナギ、ナミ、天二一六、地一四四として、ある時期までは、八方と九、十、の二方に分かれて、それぞれに生長し、弥栄し行きます。
Ⅰ.千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民は、日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てる、と申されたのです。
●千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると申されたのであるぞ。
この事で、千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人、食ひ殺すと申され、ナギの神は、日に千五百の産屋(うぶや)を建てる、と申されたのです。
千人食ひ殺すとは、千人力の人を食ひ(九一)殺す(九六四)、という事です。
ですが、それは、ナミからしているのではなく、ナギ御自身でしているのですよ。というのが、ナミの言いたかった事と見ます。ナギは、自ら、九を引いてしまった為です。
一方で、ナギの神は、日に千五百の産屋(うぶや)を建てる、と誓います。千人分だけでなく、五百、余分に生み出そうとしたようです。五百とは、新たな五、の百々の神々様、という意味です。
ですが、九を引き、千人力が、無くなっていった為に、ナギの神は、囚われの神々様ばかり生み出されたのが実際の所です。
Ⅱ.喰ひ殺す、産屋の話が、日本の国の、又地上の別名です。数をよく極めて下されば判ります。天は二一六、地は一四四です。
●これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、数をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが、
この後の文面がマンデラ・エフェクト、と見ます。
これが、日本の国の、又地上の別名でもあります。
数をよく極めて下されば、判ることです。
この【数をよく極めて下されば】、という文面が初めてと見ます。
天は二一六、地は一四四です。
ちなみに、伊勢黙示録の八巻で一四四、黒鉄、春、夏、秋、冬、補巻月光の巻、六巻で、二一六になります。
実際、伊勢黙示録は、新たな世界観、ナミの世界観ですし、黒鉄から補巻月光の巻は、ナギ、地の世界観が強くあります。ですが、天は二一六、地は一四四、と逆転しているのが実際ですね。今のところ、逆立ちしている状態、とも言えます。
黒鉄の巻以降が、ナギ、ナミを意味している所が、一つあるようです。
Ⅲ.その後ナギの神は、一人で神々様、いろいろなものを生み給ふ事になります。マリヤ様も同じです。
●その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまへなされよ。
その後、ナギの神様は、御一人で神々様をはじめ、いろいろなものを生み給ふたのです。
マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、です。
その後、一人で生み出す世界が始まったのです。
平面、囚われの世です。
ですから、ナギ、ナミの時以降は、次々岩戸閉めとなっていったのです。
この道理をよくわきまへなされよ、とあります。
Ⅳ.一神で生む限度は七乃至八です。途中の神々様は、皆、七乃至八ですが、本来は、十万十全まで拡がるべきものである、と伝えられてゐます。
●此処に大きな神秘がかくされている、一神で生む限度は七乃至八である、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十万十全まで拡がるべきものである。
此処に大きな神秘がかくされているのです。
一神で生む限度は、七乃至八、です。
その上に生まれおかれる神々様は、皆、七乃至八、です。
此の為に、途中の神々様は、皆、七乃至八、なのです。
故に、平面行き詰まり、となるのです。
本来は十万十全まで拡がるべきものです。
Ⅴ.ある時期までは、八方と九、十、の二方に分かれて、それぞれに生長し、弥栄し行きます。
●或る時期迄は八方と九、十の二方に分れてそれぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ。
この後の文面は、マンデラ・エフェクト、と見ます。
或る時期迄は、八方と、九、十の二方に分かれて、それぞれに生長し、弥栄し行くのです。
三次元平面の八方向、思念界の、九、十の二方向に分かれ、それぞれ生長、弥栄していきます。
また、八方と九、十の二方に分かれる、という解釈もできます。
八方は、常々、九、くにつつみと共に弥栄する一方で、十が現れる、という立体の解釈です。
それは、普段御自身が、八と共に九を開いてゐる経験、理解ができているかどうかです。
それができていない間は、八方と、九・十の二方に分かれ続けます。
その結果、九、十、を自ら分け隔て、81の世界へと移行することとなるのです。
4.まとめ
根本の元の元の元の神様は、〇から一、二、三、四、五、に弥栄したのです。
別天津神(ことあまつかみ)五柱です。五が天です。
五は数です。転じて十となるにあたり、動き栄へるには、+(プラス)と-(マイナス)の神が現われねばなりません。これが中を取り持つ二柱の神様です。
ナギ、ナミ夫婦神は、八分通り国土を生み育てられましたが、火の神を生み給ひてナミの神は去ったのです。
火(一一)の神を生み給ひ、とありますが、それは、カミヒト、五三体の大神様、です。
物質偏重の世は、やがて去るべき宿命にあります。心得なされよ。として下さい。
ナミの神様は、やがて、九と十の世界に住みつかれたのです。
妻神に去られたナギの神は、一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神様を訪れ、相談されたのです。
ですが、話が途中からコヂれて、別々に住み、コトド(九十土)を見立てられて、千引きの岩戸しめ、となり、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのです。
岩戸を開くには、まず、カミヒトへと進む必要があり、それには、くにつつみ、から神々様を生み出す、理解、体験、が求められます。
それには、千人力体験が必要であり、この事で、千から地を変え、地の神々様を生み出し、実は、それがカミヒトと進む御自身である事が、判ってくるようになります。それが、火の神様、ともなります。
千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民は、日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てる、と申されたのです。
それは、ナミからしているのではなく、ナギ御自身でしているのですよ。というのが、ナミの言いたかった事と見ます。ナギは、自ら、九を引いてしまった為です。
此の為、ナギの神は、九を引き、千人力が、無くなっていった為に、囚われの神々様ばかり生み出されたのが実際の所です。これが、千五百の産屋(うぶや)です。
喰ひ(九一)殺す(九六四)、産屋の話が、日本の国の、又地上の別名です。数をよく極めて下されば判ります。天は二一六、地は一四四です。
ちなみに、伊勢黙示録の八巻で一四四、黒鉄、春、夏、秋、冬、補巻月光の巻、六巻で、二一六になります。
黒鉄の巻以降が、ナギ、ナミを意味している所が、一つあるようです。そして、現段階では、天、地、逆立ち状態です。
その後ナギの神は、一人で神々様、いろいろなものを生み給ふ事になります。マリヤ様も同じです。
平面、囚われの世です。
ですから、ナギ、ナミの時以降は、次々岩戸閉めとなっていったのです。
一神で生む限度は七乃至八です。途中の神々様は、皆、七乃至八ですが、本来は、十万十全まで拡がるべきものである、と伝えられてゐます。
ある時期までは、八方と九、十、の二方に分かれて、それぞれに生長し、弥栄し行きます。
三次元平面の八方向、思念界の、九、十の二方向に分かれ、それぞれ生長、弥栄していきます。
これが多くの人に該当します。
また、八方と九、十の二方に分かれる、という解釈もできます。
八方は、常々、九、くにつつみと共に弥栄する一方で、十が現れる、という立体の解釈です。
平面世界の解釈のままですと、81の世界に移行する事となってしまいます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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