神に関する文面22に進みます。
今回は、夏の巻 第十七帖、第二十帖、秋の巻 第十八帖、第二十二帖、の四つの文面です。
今回のマンデラ・エフェクトは、神とのとけ入れ方についてお伝えしています。
夏の巻 第十七帖、では、
神の姿は総てのものに現れてゐるとあります。花の白きにも現れてゐます。
一度には、判りません。判るところから気長に神求めて下さい。とあります。
総ては神から流れでてゐますから、神にお願ひして実行しなければならんようになってゐます。
この判り切った道理、おろそかにしているから、そこに天狗出てゐる、とあります。
一切は神ですし、神にお願ひして、実行することにあります。
おろそかにしていますと、天狗出てゐると御伝えされています。
第二十帖、では、
人民の智の中に現れてくるときは、もはや大神様ではなく、神です。
逆に言えば、智の中に現れないものは、大神様、とも言えますし、智の中に出て来ましたら、神、という事でもあります。
秋の巻 第十八帖、では、
人民は神のへそとつながってゐます。
へその緒さへつながっておればよく、それが神人です。とあります。
へその緒とは、五三体の大神様を経るシチニの神様です。
それにつながってゐるのが、カミヒトとあります。
・と・とつながって更に大き・につながってゐるからこそ動きあり、それぞれのハタラキあり、使命を果たし得る、とあります。同一ですと、働きが無くなるとあります。
直々の大神様は二(ツキ)の大神様です。
第二十二帖、では、
神にとけ入れと申してあります。
次元が違うから、戒律出来るから判らんようになってゐる、とお伝えされてます。
神にとけ入る前提になってゐます。
それでは、神に関する文面22、をお伝えしますね。
1.夏の巻 第十七帖 総ては神から流れでてゐますから、神にお願ひして実行しなければならんようになってゐます。この判り切った道理、おろそかにしているから、そこに天狗出てゐる、とあります。
Ⅰ.神の姿は総てのものに現れてゐるとあります。花の白きにも現れてゐます。一度には、判りません。判るところから気長に神求めて下さい。
●神の姿は総てのものに現われてゐるぞ。道ばたの花の白きにも現われてゐるぞ。それを一度に、すべてを見せて、のみこませてくれと申しても判りはせんぞ。判るところから、気長に神求めよ。
神の姿は、総てのものに現れてゐます。
道ばたの花の白きにも現れてゐます。
この後がマンデラ・エフェクト文面です。
それを一度に、すべてを見せて、のみこませてくれと申しても判りはしません。
判るところから、気長に神求めて下さい。
Ⅱ.総ては神から流れでてゐますから、神にお願ひして実行しなければならんようになってゐます。この判り切った道理、おろそかにしているから、そこに天狗出てゐる、とあります。
●総ては神から流れ出てゐるのであるから、神にお願ひして実行しなければならん。この判り切った道理、おろそかにして御座るぞ。そこに天狗出てゐるのぞ。
マンデラ・エフェクト文面です。
総ては神から流れ出てゐますから、神にお願ひして実行しなければならんようになってゐます。
この判り切った道理、おろそかにして御座る、とあります。
そこに天狗出てゐる、とあります。
総てに向けて、その元の神様に、またその神様に、御願ひして実行して下さい。
2.夏の巻 第二十帖 人民の智の中に現れてくるときは、もはや大神様ではなく、神です。原因の原因は中々見当とれませんが、理解体験は可能です。
Ⅰ.人民の智の中に現れてくるときは、もはや大神様ではなく、神です。
●人民の智の中に現われてくるときは、もはや大神ではないぞ。神であるぞ。
2024年頃現れたマンデラ・エフェクト、です。
人民の智の中に現れてくる時は、もはや大神様ではありません。
神です。
逆に言えば、智の中に現れないものは、大神様、とも言えますし、智の中に出て来ましたら、神、という事でもあります。
Ⅱ.原因の原因は中々見当とれませんが、理解体験は可能です。
●原因の原因は中々見当とれん。
原因の原因は中々見当取れんようになってゐます。
ですが、体験していく事で、徐々に判ってきます。
原因の原因は中々見当取れん、とあっても、その見当、理解できるようになって下さい。
それには、相手を意志し理解し、相手の心の内を変えていく体験が一番です。
3.秋の巻 第十八帖 人民は神のへそとつながってゐます。へその緒さへつながっておればよく神人です。直々の大神様は二(ツキ)の大神様です。
Ⅰ.人民は神のへそとつながってゐます。へその緒さへつながっておればよく神人です。
●人民は神のへそとつながってゐるのであるぞ。へその緒さへつながって居ればよく、神人であるぞ。
マンデラ・エフェクト文面です。
人民は神のへそとつながってゐます。
へそ(経そ)の緒(お)さへ繋がっていればよく、カミヒトです。
へそのお、とは、五三体の大神様を経るシチニの神様ですね。
このことで、まず、カミヒトとなっていきます。
Ⅱ.・と・とつながって更に大き・につながってゐるからこそ動きあり、それぞれのハタラキあり、使命を果たし得るのです。同じであって全部が合一しては力出ないようになってゐます。
●・と・とつながって更に大き・につながってゐるからこそ動きあり、それぞれのハタラキあり、使命を果たし得るのであるぞ。同じであって全部が合一しては力出ないのであるぞ。
・と・とつながって更に大き・につながってゐるからこそ動きあり、それぞれのハタラキあり、使命を果たし得るのです。
同じであって全部が合一しては力出ないようになってゐます。
Ⅲ.早う心いれかへと申してありますが、心とは外の心です。心の中の中の中の心の中には・が植付けてありますが、外がまっくらです。今迄のやり方では行けんこと判りて居ます。
●早う心いれかへと申してあるが、心とは外の心であるぞ。心の中の中の中の心の中には・が植付けてあるなれど、外がまっくらぢゃ。今迄のやり方では行けんこと判りて居らうがな。
マンデラ・エフェクト文面です。
早う心いれかへ、と申してありますが、心とは外の心です。
心の中の中の中の心の中には・が植付けてあるのですが、外がまっくら、とあります。
今迄のやり方では行けんこと、判りて居ろうがな、とあります。
Ⅳ.いらんものは早うすてて下さい。直々の大神様は二(ツキ)の大神様です。
●いらんものは早うすてて了へよ。直々の大神様は二(ツキ)の大神様なり。
マンデラ・エフェクト文面です。
いらんもの早うすててしまへよ、とあります。
直々の大神様は二(ツキ)の大神様、とあります。
4.秋の巻 第二十二帖 神にとけ入れと申してあります。次元が違うから、戒律出来るから判らんようになってゐます。
Ⅰ.神にとけ入れと申してあります。次元が違うから、戒律出来るから判らんようになってゐます。
●神にとけ入れと申してあろう。次元が違うから、戒律出来るから、判らんのぢゃ。解け入れよ。
マンデラ・エフェクト文面です。
神にとけ入れと申してある通りです。
次元が違うから戒律出来るから、判らん、とあります。
解け入れよ、として下さい。
神にとけ入ることが前提になって来てゐます。
Ⅱ.何につけても大いくさ、です。人の殺し合ひばかりではありません。ビックリ、です。
●何につけても大いくさ。人の殺し合ひばかりでないと知らしてあらう。ビックリぢゃ。
何につけても大いくさ、です。
人の殺し合ひばかりではない、と知らしてある通りです。
いくさは、一九三です。
くにつつみ、から、三が道を始めて下さい。
そこに、ビックリ、が現れる時が来ます。
5.まとめ
神の姿は総てのものに現れてゐるとあります。花の白きにも現れてゐます。
一度には、判りません。判るところから気長に神求めて下さい。
総ては神から流れでてゐますから、神にお願ひして実行しなければならんようになってゐます。
この判り切った道理、おろそかにしているから、そこに天狗出てゐる、とあります。
総てに向けて、その元の神様に、またその神様に、御願ひして実行して下さい。
人民の智の中に現れてくるときは、もはや大神様ではなく、神です。
逆に言えば、智の中に現れないものは、大神様、とも言えますし、智の中に出て来ましたら、神、という事でもあります。
原因の原因は中々見当とれませんが、理解体験は可能です。
人民は神のへそとつながってゐます。へその緒さへつながっておればよく神人です。
五三体の大神様を経るシチニの神様を経て、つながれば、カミヒトとなっていきます。
・と・とつながって更に大き・につながってゐるからこそ動きあり、それぞれのハタラキあり、使命を果たし得るのです。
同じであって全部が合一しては力出ないようになってゐます。
早う心いれかへと申してありますが、心とは外の心です。心の中の中の中の心の中には・が植付けてありますが、外がまっくらです。今迄のやり方では行けんこと判りて居ます。
いらんものは早うすてて下さい。直々の大神様は二(ツキ)の大神様です。
神にとけ入れと申してあります。次元が違うから、戒律出来るから判らんようになってゐます。
何につけても大いくさ、です。人の殺し合ひばかりではありません。ビックリ、です。
いくさは、一九三です。
くにつつみ、から、三が道を始めて下さい。
そこに、ビックリ、が現れる時が来ます。
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